パナソニック汐留美術館「サーリネンとフィンランドの美しい建築」
中学・高校の世界史で北欧について教わった記憶があまりない。一方、フランス、イギリス、イタリアなどについては時間が割かれていたような気がする。そもそも私があまり真面目な学生ではなかったせいもあるが、フィンランドがスウェーデンやロシア領だったこと、独立を果たしたのは20世紀に入ってからであったことを今回初めて知った。
この展覧会のメインはもちろん建築やデザインなのだが、私が一番印象に残っているのは展覧会冒頭の部分だ。「サーリネンの建築理念を育んだ森と湖の国、フィンランド」と題され、民族叙事詩カレワラの紹介がなされる。民族の起源やアイデンティティをはっきりさせることは、心の安寧や団結につながるのだろう。ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を思い出した。それは人類に共通した、自らへの問いかけなのだろうか。「私は」ではなく、「我々は」という複数形が使われる。人間は社会的な生き物だ、と言われるが、民族や国家というものについて改めて視線を向けさせられた。
余談だが、この「カレワラ」で面白いと思ったのは「大気の乙女イルマタル」という存在だ。火、水、土、風、など様々な要素で世界をとらえようという考え方は世界各地にある。ただ日本で「大気」を意識することがあるかなぁと思えば、それほどでもないような気がする。日本でいう風神のようなイメージなのかもしれないが、「大気」と言われるともっと静的な印象がある。日本の自然は激しい。私はフィンランドに行ったことはないが、フィンランドの自然はもっと静謐なのだろうか。
そのようなフィンランドの歴史、独立運動によるナショナリズムの高まりの中でサーリネンは実績を積み、名声を獲得していく。建築と、その中で営まれる暮らしのデザインの融合を面白く見た。建築家が家具をデザインする例はこれまでの展覧会でも見てきたが、ワイングラスや燭台もデザインしていることに新鮮さを覚えた。デザインとは何なのか?という初歩的な疑問が湧いてくる。意匠を創造することがデザインだ、ということであれば、確かに人間が関わるものすべて、建築家がイメージする「そこを使う人」に関わるものすべてをデザインするのは自然なことなのかもしれない。
また、サーリネンは「デザインとは、ひとまわり大きな枠組みから考えるもの。椅子は部屋から、部屋は家から、家は周辺の環境から、その環境は都市計画から考えるのです」という言葉を残している(パンフレットに記載されている)。様々な公共プロジェクトに参画したサーリネンならではの考え方なのか、それとも建築家の世界では常識なのか、それは素人の私にはわからないが、「視点をずらす」「視点を広くとる」ことは私の仕事にも活かせそうだと感じた。
今展覧会、会場内外含めて唯一のフォトスポット。最近の美術展は会場外にフォトスポット的な場所を設けてあることが多いので、会場外の縦看板も撮影不可なのは少し意外だった。
パナソニック汐留美術館自体が小さいこともあり、あっという間に終わってしまったが見応えのある展示だった。展示されていたのは人工物なのに、見終わった後は北欧の大自然に触れたくなった。