もう大切なものを増やしたくないんだ、と
私の友達の1人である彼は、いつだって大切なものを 最も大切だと思った瞬間に泣きながら捨てていく。
友達も、恋人も。どんどんどんどん捨てていく。
これ以上大切なものを増やしてしまったら、失った時に自分が傷つくから。そんな心の痛みに耐えることができないから。失うのが怖いから。大切なものを抱えすぎたら、どんどん悲しくなってしまうから。
そんな風に言って、今日も泣きながら とても愛していたという恋人を捨てたそうだ。
いつも彼の話を聞きながら、私は彼の気持ちにどこかで共感できないでいる。大切なものを失うのは怖い。確かに悲しい。でも、彼はまたどうせ.....大切なものをつくってしまうのだ。大切だと思える人に出会ってしまうのだ。
大切だと思えた瞬間に自らそれを捨ててしまうことの方が、ずっとずっと辛いように感じている。大切なものを抱え続ける中で、本当に幸せより悲しみの方が多いのだろうか。
それでも私は彼を否定しないわけで。大切なものを自ら捨てることをやめられない彼が涙を流しているのを、何もできずにただ見つめているだけなのだ。
「大切すぎて怖い」と思ったことは私の過去にもあった。でも結局それは"いっとき"の感情だったと、多くの場合は気づいてしまう。そうすると当時その人を大切にしていた自分がすごく醜い存在に思えてしまう。大切にしていたことに、意味を見い出せなくなってしまう。そういうのが私なのだ。
私と彼の価値観はおそらく一生交わらない。そして彼が私の前で涙を流すことはあっても、私が彼の前で涙を流すことはおそらく一生ない。
私たちはお互いがお互いの大切な存在にはなり得ていないのだ。
だから続いている関係が、確かにここに存在している。
彼は過去に大切だと思った人の全てを、今でも色濃く覚えているのだろう。彼の心に永遠に居られる誰かは、幸せなのだろうか。目の前に居られることの方が、もっともっと幸せではないのだろうか。
大切なものが増えていくのは、生きていく上で当たり前のことのような気がする。それとも、大切なものや人って 常にその「枠数」が決まっていて、その枠に入れる人が時間の流れと共に変化していくのだろうか。
まあどっちだって良いのだけれど。
わたしにとって大切なものってなんだろう。一番失うのが怖いものは何なのだろう。
そう考えたときに、わたしは結局わたし自身が、自分自身の信念が、一番大切だと気づいてしまった。
誰かのためと言いながら結局自分が一番大事な醜い自分に、また気づいてしまった。
そんな日だ。