チョココルネという甘いパン
昔は、パン屋さんでパンをたくさん買える人をみて
とてもびっくりした。
パンの耳をもらうことが重要だと思うような
そんな母親に育てられていたからだ。
大人になった今はパン屋さんで好きなパンを買える。
でも好きなパンを買えても好きなだけは買う勇気はない。
自分の子供に好きなパンを好きなだけ買ってあげることはできた。
自分みたいになってほしくなかった。
なっていないと思う。
でももう子供たちは大きくなって家を出てしまった。
自分だけのために好きなだけ買う勇気は今でもないのだった。
買うお金はあってもまだ心のどこかにストッパーが残っているし
今ではカロリーを気にするという作業も心の中で行われている。
さくさく、パイみたいなデニッシュはものすごいカロリーだろう、
とつい手をひっこめる。
甘いパンはやめておこう、とチョコレートのパンから目を逸らす。
でも、今日は近所のおいしいパン屋さんに行って
貝殻のかたちをしてチョコレートのいっぱい詰まった
チョココルネを買いたい。
コルネという言葉は貝という意味かな?と思っていたが
そうではなくて角や角笛からきているらしい。
チョコレートクリームの詰まった、角。角笛。
そんな動物やそんな甘い角笛があったら童話みたいだ。
そのパンを子供の頃、とても小さい頃、時々祖母が買ってくれた。
妹を生んだ後、体調がわるい母を手伝いに来ていた祖母は
中耳炎になった私を耳鼻科に連れて行くとき、
耳が痛くて、お医者さんが怖くて泣く私に
そのパンを買ってくれた。
何度もそんなことがあったと思う。
そんなこと、あったよね?チョココルネ買ってくれたよね?
と祖母に聞いてみればよかった。
もしかしたら私だけの記憶かもしれない。
祖母はもう30年近く前に亡くなってしまった。
母に聞いたらそんなこと知らないと言っていた。
やっぱり私だけの、もしかしたら本当にはなかった記憶だろうかと不安になる。
遠い記憶を人に話すと、それはどんどん真実味を失って
ほろほろと崩れてしまう。
でもチョココルネを見ると祖母に買ってもらったはずだと思い、
耳鼻科の前の電気屋さんの店先にいた
しゃべる九官鳥を思い浮かべる。
でももしかしたら九官鳥もいなかったのだろうか。
電気屋さんもなかったのだろうか。
子供の頃のほんの一時期住んでいた町のことを
もう思い出せないし確かめにも行けない。
それはチョココルネを食べるときにだけ、思い出す町だ。