何を落としたの?
夜の散歩をしていたら探し物をしている様子の猫がいた。
「どうしたの?何を探しているの?手伝いましょうか?」
と声を掛けてみる。
「お話」
と猫がいう。
「思いついたお話をこのへんで落としちゃったにゃ」
私は鼻の奥がつんとする。
あるあるあるある、そういうこと。
歩いていて思いついたお話を家に帰る前にどこかに落としてしまうこと。
この前、落とした傑作のことを思うと涙が出そう。
「どんなお話だったか、ちょっぴりでも覚えてる?手掛かりは?」
猫はこっちを見る。
夜だから黒目が大きくなっていて可愛い。
「手掛かりは、にゃ…い…」
猫はうなだれる。かわいそうに。
私は空を見上げる。星がきれいだ。
「ええと、例えば星が出てくるお話?」
猫は少し考えて首をふる。
「ちがうにゃ」
うーん…
「じゃあ、暗い道を走る白い車とか」
横を車が通ったのでそういってみる。
「…車…ちがうにゃ」
「人間は出てくる?仲良かった人間はいないの?」
猫は悲しそうになる。しまった。
「仲が良かったおばあさん、いなくなったにゃ…
いつもミルクをくれたけど、ボクのこともわからなくなってどこかに…」
猫ははっとした。
「そうだ、ミルクが出てくる話だったにゃ。
ええとミルクじゃなくて、ミルクみたいな大きな池がある話。
そこに白い大きな大きなクジラが住んでいるけど、ミルクの池に住んでいるからだれにも見えないのにゃ」
私は猫のいう様子を想像してみた。
それは不思議な夢のようだった。
「あなたもそこにいるの?」
猫はふんとヒゲをゆらした。
「お話とボクは別物にゃ」
そうだった、つい。
「ごめんにゃさい」
私もつい猫語であやまった。
「いいにゃ。おかげでお話がみつかったにゃ」
猫は私のほうに手をさしだした。
「お礼にゃ」
白い肉球よりも小さな赤い実をわたされた。
「さっき拾った南天の実にゃ。一粒だけ落ちてたにゃ」
私が手のひらの赤い粒を見ている間に猫はどこかに行ってしまった。
赤い粒は私がこないだ落とした傑作なお話だった。
少ししなびていたけど大丈夫。
私はそおっと握り、もう落とさないように急いで家へ向かった。
(了)