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短編 ” 虫取り少女、雲を捕る ”【シロクマ文芸部】

夏の雲をひとつ、捕まえた。
広い公園の外れの丘の上で、虫取り網を振って夏蝶を捕ろうとしていたのに、網の中に入ったのは小さな夏の雲だった。

逃がしてしまわないように、網の口をすぼめて、手を差し込んで雲を触ってみる。もふもふ、もこもこしている。綿菓子みたいだけど、もう少ししっかりしている。霧みたいじゃなくてクッションの中の綿みたい。指で押すと凹む。離すと戻る。
そして少しひんやりしている。綿菓子みたいにべたべたしていない。

良いものを捕まえちゃった。蝶々より全然良い。こっちのほうが良い!
どうしようか。だれかに見せようか。内緒にしようか。
…やっぱり大好きなTくんに見せよう。
私は網の口をぎゅっと掴んだまま走り出した。
さっきTくんは池の近くでトンボを捕っていた。
私は池に向かって走った。

網の口をつかんで坂を下って走っていたから、だんだん足が地面から離れてしまった。雲が空へ帰ろうとして浮かぶからだ。
だめ。Tくんに見せるまでは絶対に逃がさない。
私は池に急ぐけれど、もう走れない。だって足が完全に地面から離れてしまった。傘をつかんで浮かぶメアリーポピンズのように、私は虫取り網につかまって浮かんでいる。
ああ、ワンピースを着て虫取りなんかするんじゃなかった。
片手で裾をおさえようかと思ったけれど、夏の暑い公園には人が少ないし、女の子が浮かんでいると思って見上げる人なんかいない。
でもTくんは別だ。私の大好きなTくんはすぐに浮かんでいる私に気がついてくれた。

「おい!」
私の方に声をかけると、自分の虫取り網を高くかかげ持って木に駆け上りジャンプした。私のサンダルがTくんの網にひっかかる。
私は無事にTくんに降ろしてもらった。
「なにしてんだよ」
「雲をとったの」
私は得意になってTくんに握り続けていた網の中の雲をみせた。
「それで浮かんでたのか」
うん、と私はうなづく。
Tくんは私の捕った雲を熱心に見る。網の上から掴んでみたりして調べている。
「すごいな。雲なんか取ったことない」
私は嬉しくて顔が赤くなった。
もともと暑くて顔は真っ赤だったけれど。
「半分あげようか?」
ちぎって分けれるんじゃないかな?と私は思ってそう言った。
Tくんは首を振る。
「いや。そんなことしなくていい」
Tくんは雲が逃げないように気をつけながらまだ熱心に見ている。
「ほら。ここにちっこい稲妻が見える」
Tくんが雲の切れ目のような透き通った部分を見つけて私に教えてくれる。
そこをのぞくと小さな稲光が光っていた。
「ほんと。きれい」
私はうっとりした。

「あげるわ」
私は雲を網ごとTくんに差し出す。
「空を浮かんできたら?楽しかったわ」
私はTくんに見せるためにいつも練習している特別な笑顔を作った。
でも知っている。私のとびきりの笑顔も彼には何の興味もないことを。
彼が好きなのは虫や自然や冒険だ。
「いいの?サンキュ!」
Tくんは私の雲を網からとりだして自分の虫かごに移し入れると、その紐をしっかりとからだに斜め掛けした。
「じゃあまたな!」
Tくんは私に笑顔で手を振った。
私はTくんのどんな笑顔にもとても弱いのでうっとりして返事もできず、やっとのことで手を振って見送った。
Tくんはゆるゆると夏の空にのぼっていった。

「これ。みやげ」
夕方私の家をたずねてきた(といってもお隣さんだ)Tくんは、よごれたハンカチで包んだものを私に突き出した。
「雲はだんだん消えちゃったんだ。返せなくて悪い」
「いいのよ。ありがとう」
私はまた顔を赤くして受け取った。
「そおっと開けろよ」
私はそおっとハンカチをめくって中をのぞいた。
ハンカチの中には虹のかけらが光っていた。

(了)


小牧幸助さんの企画に参加します


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