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月の耳?と彼女はいった【#シロクマ文芸部】

月の耳?と彼女はいった。
月の耳と若い可愛い女の子がいったら普通なんていうかウサギとかのことだろうと思うのに、彼女が指さしていたのはプラネタリウムの売店の壁に貼ってあった月の地図のポスターの、ティコと呼ばれる大きなクレーターだった。僕にはどっちかっていうとそれは目に見えた。強いて言えば、だけど。
なんでそれが耳なの?僕は優しく彼女に聞いた。優しく聞かないと彼女は怒ってしまうから。彼女の機嫌を損ねたくない。いつでもご機嫌で可愛い笑顔で僕のそばにいてほしいから。
だってどう見たって耳にみえる。と彼女が答えたので僕はそうだね、と答えて、でもそれはティコという名をつけられたクレーターなんだよ、と説明した。ほら、ここに書いてある。僕はとんとんと指でさす。
そんなのどうでもいい。月はね、この耳で宇宙の音を聞いているのよ。地球からの音もキャッチしているかもしれない。わたしは絶対にそうだと思う。彼女はティコを大きな瞳でじっと見つめていった。
そんなわけない、という代わりに僕は、そうだね、と優しく頷いた。でも彼女には、そんなわけない、という僕の心の声がちゃんと聞こえていたので、その日以降もう僕の前に姿を見せることはなかった。あの大きな瞳で聞いていたのだろう。そんなわけない。
怒らせないために優しく頷くふりをしたり、ご機嫌をとるように優しくたずねたりしてもダメなんだ、と学んだ僕は、空にクレーターが見えるような美しいくっきりした満月が見える晩は彼女を思い出してとても悲しくなる。
ティコはきっと僕たちの会話が聞こえていただろう。僕のことをバカだね、と笑っていただろう。

(了)

小牧幸助さんの企画に参加しています。


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