サバトラ猫耳帽子【シロクマ文芸部】
秋が好きだと思いながら、窓の外の少し色づいた公園の桜木立を眺めてしみじみ紅茶を飲む。温かい紅茶を汗をかかずに飲める秋。ああなんて幸せ。やっと暑さが去っていったのだ。この静かな喫茶店にはそんなほっとしたひそやかな喜びに満ちている。
「そうよね。この夏は大変すぎたもの」
向かいの席に座った、サバトラの猫耳のついた暑苦しい帽子をかぶった年の割には少しだけ可愛らしい女性が大げさにため息をつく。
「考えてもごらんなさいな。こんな毛皮を着てあの暑さを越せると思おう?私たち野良猫が。外で。いったいどこにいれば良かったというの?」
女性は自分の帽子の猫耳をつまんで見せる。
「さ、さあ?とても大変なことでしょうね」
私はおどおどと答える。この人は猫なの?まさかね。
「人間はいいわよね。こんなふうに涼しい建物の中ですごせばいいのだもの」
そう言いながら女性はサバトラ猫耳帽子を脱いでテーブルの真ん中に置く。私はそれをじっと見つめる。次に帽子を脱いだ女性の顔をそっと見る。普通の地味な中年女性だ。帽子を脱いだのでボブのグレイヘアが少し乱れている。彼女はタオルハンカチを取り出して顔の汗を拭く。
もう汗なんてかかないと思っていたのに猫耳帽子をかぶるとまだ暑くて汗をかくのだ、と私は少し悲しい気持ちになった。まだ本当の秋ではないのだ。本当の秋なら帽子をかぶったって汗をかいたりしない。
「どう?ちょとかぶってみる?この素敵なサバトラ猫耳帽子を」
私ははっとする。え?私が?これを?かぶるとどうなるのだろう?意外に似合って可愛く見えるだろうか?この女性も帽子をかぶっていたときのほうが少し若く可愛くみえていた。
デートというのも恥ずかしい年齢の私だがこれから彼と待ち合わせなのだ。この帽子をかぶったら少し若く可愛く彼の眼に映るだろうか?そんな誘惑が私の手を猫耳帽子に近づける。
ダメ!そんなはずないでしょ!
心の声に私はまたはっとして手を引っ込める。そうだ、そんなはずない。私がこんな帽子をかぶって待ち合わせに現れたら彼はびっくりするだろう。他人のふりをするかもしれない。
私が手を出したり引っ込めたりするのを向かいの席の女性はじいっと見ていた。
「かぶったほうが良かったのよ。残念ね」
そういってまた自分でその帽子をかぶると、手で耳をととのえ、席をたって店を出て行った。グレーのワンピースの裾が翻っていた。
私はそれをぼんやりと見送った。
店のからくり時計が午後三時を告げる。人形たちが中から出てきて踊りだす。
え?もう三時?待ち合わせの時間だ。
私はあわてて席を立って会計を済ませて店を出て、待ち合わせの噴水の前に急ぎ足で向かう。噴水が見えてくる。彼の姿が見える。照れて頭に手をやる彼の前にサバトラ猫耳帽子が見えていた。
(了)
*小牧幸助さんの企画に参加しています。