人生のパターンを変える
過去に、せっかくうまく行ってたのにやめたこと、
辞めざるを得なくなったことについて
ちょっと分析してみた。
シュタイナー学校が立ち上がっていろんな活動をする中で
自主活動をたくさんしていた。
学校に行くと、いろんな人から相談を持ちかけられ、
下級生や新入生の保護者からも頼りにされるようになっていた。
その活動も、12年ほど続けた後、自分自身の問題で、
私は不登校保護者となった。(子供ではなく私が不登校)
学校の隣の建物で、個人でサロンを運営し、学校保護者の居場所で会ったり、勉強会の場所、保護者も、外部の人も、ご自身が持っているいろんな知識や手技をもって講座を開催したり、実践をするための場所を作っていた。とてもいい気が流れている場所で、本当にたくさんの人が訪れてくれていたのに、4年半一人で続けた後、突然辞めると言い出し、オットに後を任せて、私はそこに寄り付かなくなった。オットが1年ほど貸しスペースとして続けた後、建物の賃貸契約も解除した。
ネットワークビジネスを始めたとき、いろんな代替療法を人に講座やセッションで伝えている中で、素晴らしいと思えるものに出会い、これすごいよ!素晴らしいの!きっとお役に立てる!と楽しくワクワクとやっていて、ある程度のグループができたのに、4年目ごろ、周りで良くないうわさが立っているという声を耳にして、突然嫌になって、そのビジネスからも突然撤退。
そんな自分の何度か同じパターンを繰り返している状況は
完全に私の持っている人生のパターンだと思ったので、
きちんと自分で理解して、ずっと楽しくうまくいく人生にしていきたいと思って整理したかった。
そのきっかけになってくれたのが、
私がやっていたサロンの場所を借りて、自分でやってみたいことがある、相談に乗ってほしいという友人の一言からだった。
今日、その場所の内見に付き合った。
私にとっては、懐かしい思い入れもたくさんある場所。
それこそ、時間って不思議で、玄関に立つと、そこに脱がれたたくさんの靴、靴を脱ぐ場所がないくらいにいっぱいの様子が目に浮かんだ。
階段を上がると、オットがせっせと杉の向くのフローリング材を買ってきて、サンダーをかけて、採寸し、計算して、ボロボロの床を無垢材の温かいフローリング敷きにしてくれた廊下や部屋。
この部屋も、人がいっぱいになって、廊下の扉を外して、廊下まで人が座っていたこともあった。
壁紙は、大阪の町はずれのメーカーまで探しに行って、ホルムアルデヒドなど入っていない糊を取り寄せて貼ったこと。すべてがわくわくする体験だった。
和室の畳は、裏千家の茶道の先生が、畳の向きが違うと敷きなおしたこともあった。襖も張り替えたけど、襖の取っ手をなくして、ずっと穴が開いていたこと。。。
きりがないくらいの思い出たちと遭遇した。
それで、彼女がやりたいことを聞きながら、やりたいけど躊躇もあるという話を聞きながら、冒頭の、私のうまく行ってたのにハマった穴に気づくことができた。
始めたとき、私の場合、人がそのきっかけを持って来てくれた。
私に、というより、「こんなのがあればいいなあ」という声が聞こえ始める。それに対し、私の中にアイデアがいっぱいに湧き上がってくる。
ちょっと動いてみると、みんなに、それいいね!ありがとう!と言われて、嬉しくなってもっと動く。楽しい!嬉しい!の連鎖が続く。
みんなが喜んでくれることができてうれしい。私は、皆の願いを形にできる、それが楽しい!そのまま行けばいいのにね。。。
魔が差す、というのでしょうか。
そこでやることは、すべて私は無料で参加できるし、みんなに頼ってもらってすごく嬉しいのに、
「ちゃんとmimozaも収入になってる?」
「もっと高くてもいいんじゃない?」
なんて言葉が聞こえるようになる。。。
そういえば、あれ?ちょっと待って。
私はこのままずっと縁の下の力持ち?
あれ?私、タダ働き?か。。。う~ん。。。
と、考え始める。負のループの入り口のドアに手をかけている。
ここで、
私が自分で決めることだから。
そうしたくなったら、自分で決めてそうするから、大丈夫。
ときっぱりと言える私であれば、そこにはまることはなかった。
でも、すごく頑張ってるから、、、
やり始めると、他のことほっぽってでも、夢中でやるから、
そんなことをできること自体が報酬なのに、
あれ?お金?とか考え始めて、
「こんなに頑張ってるもんね」とか、
「どうあるべきか」という考えにはまると、私はそこから終わりへと向かっていくことになって来たなと思う。
そのまま、馬鹿みたいに、楽しいほう、好きなことをやれていることを喜んで、「どうあるべきか」に耳を貸さなければ、もっと楽しめただろう。。。わかんないけどね。
でも、今、冷静に振り返ってみると、そんな経緯を繰り返してきたと思う。
結構、絶好調でやっていたところから、ドスン!と何度か落ちた経験を経て
今、こういう気づきのタイミングなのだから、
後悔もないし、ただ、これからの人生は、落ちることなく行きたいなって。
私の人生の後半のテーマが
やりたいことだけやって生きて行けるかの実験♪だから。
それで、さっきの新しいことを始めようとしている友人にも、
何か始める時、マイナス要因はいろいろ周りからも言われるし、
自分が不安だからあれこれ考える。
始めてからも、時折ふとやってくる。
でも、ああ、来た来た、くらいに思っておいて、
大筋で、
「私は何をして喜びたいと感じて始めたのか?」ってところに立ち戻れば、大丈夫だからね、と伝えた。
その大筋の「私は何をして喜びたいと感じて始めたのか」が一番大事で、その周りの小さな不安や、こうあるべきでは?という自分や他人からの声は、
一応聞くけど、出てくるたびに、また大筋に戻る、と肚を決めておくといい。
今の私も、あれをしたらどうなる?これをしたらどうなる?
あれと、これは、同時に可能?不可能じゃない?と思ったりするけど、
ひたすらに、ただひたすらに、
「こうしたい。こうなりたい」にバカみたいにそっちを見続けていく。
それが楽しい人生の生き方の極意だと、今の時点の私の中の結論です。
友人のお手伝いはしていこうと思っています。
懐かしい場所が、また彼女のやりたいことによって、全く違う新しいキラキラした場所になるように、お手伝いできるなら、私もそこでやり残したことを完結できるのかもしれない。そんな気がしています。