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「トトロの住む家」を読みました

卒制で、自分の住むまちをテーマに取り組んでいますが、
中間発表の講評で、ランドスケープデザイナーである講師の方から、
「発表を聞いていて、宮崎駿さんと養老孟司さんの共著『虫眼とアニ眼』を思い出しました。」と言われ、早速取り寄せて読んでみました。

amazonで購入。

最初の22頁が、宮崎さんのイラストで、それだけでもとっても良い!
でも、文庫じゃない方がいいかも、、、小さすぎて字が見えない。

内容は、お二人のことですから、かなり辛口で面白い。宮崎さんは特に、言いたい放題(笑) 本になるのに、、、言えちゃうんだ、面白い方だなと思いました😆
ただ、私はお二人ほど、将来や今の若者を愁いていないので、そこは、まあ、そういう風に思う人もいるかな、という部分と、確かに⭐と思う部分がありました。

で、イラストを参考にしたくて、「トトロの住む家」を購入。
こちらは、文庫じゃないので見やすかったし、私は内容もこちらの本の方が好き。

こちらもAmazonにて。

庭はね、庭はちょっと荒れた感じのがいいですね。地域全体で緑を育てよう、いい感じの空間をつくろうという見識をもっているのがいいですね。我が家の庭木だけを丁寧に刈りこんでいる家を見ると、ぼくはいじましさしか感じないんです。今のような時代、特に、東京なんか、何とか残った庭も、敷地一杯に建てた家に周りじゅう包囲されている状態でしょう。本当に植物が好きな人なら、そんな庭でがんばっている木がいじらしくて、切ったり型にはめたりできなくなるはずです。ちょっと庭が荒れているというのは、庭の植物を育つままにさせておくからです。住んでいる人の心根がとてもよくわかる。
でもそういう庭は、落ち葉が散ると近所から疎まれたり、苦労が絶えないみたいですね。それだけじゃない、古い家と庭をつぶしてアパートやマンションを建てれば、莫大なお金がころがりこんでくるご時世です。なのに昔ながらに住んでいるのはいったいどんな人なのか。興味はやはりそこに行きますね。

宮崎駿著「トトロの住む家」岩波書店

丁度今朝、庭の掃除をしていて、日本庭園の親方に付いて学んでいるので、親方の「こんなに雑草一杯でどこに何があるか分からん」っていう声が耳元で聞こえる気がして、雑草刈っちゃおう!って思ったり、悩んだりしていたところでした。毎日のことです(笑)
で、「ちょっと荒れた感じの庭」はまさに私が毎日手入れをしている我が家の庭。毎日手入れをしていても、自然とのバランスを考えながらだから、スッキリさっぱりはできないし、かといって、何々風、というのも違う。
「うちの庭」でしかない。その場所その場所を観察しながらていれをしているから。で、スッキリしないけど、スッキリした庭は、何々風は面白くない!と思ってるもんね(笑)

「昔は、種をまく園芸品種もしましたが、今は、毎年、顔を出してくれるものばかりの庭です」おばあちゃんが指さす。<中略>冬枯れの名残で、どこが花壇か通路なのか、定かでない庭を少しも踏み迷わずい案内してくださる。草むしりも、今では15分もすると疲れてしまうのだけれど、他人様にはお願いできなくて、とおっしゃる。たしかに、野草が多くて、何を残し、何を抜くのか区別ができない庭なのだ。どの気にも、どの草にも、まだ目を出さぬものへも、すべてご主人との思い出が込められている。

同上

これは、多分90歳くらいのおばあちゃんの住むお家の庭のようです。
もう、ほんとに、ほんとに、その通り!なのです。同じです!と手をあげたい!
そうか、、、園芸品種の素敵さに目を奪われて、あれこれ植えまくってみたけど、私もそろそろ、毎年顔を出す球根を増やしていって、ほっといても咲くアジサイとか、柿とか蜜柑とか、食べれる実がなる木を増やそうかなと思っています。

今風の家というのは、意匠なき画一化の結果です。屋根の勾配ひとつ取ったって、それは工業規格にのっとって決まっただけのことで、そこに誰の主張も美意識も反映されてはいない。これで退屈にならなきゃおかしいくらいです。・おまけにどんどん密室化されて行っています。庭はブロック塀で囲み、家はアルミサッシで外界を遮断する。あれは、音や、湿度や、虫や、そしいて他人とも関係を断ちたいという願望の現れなんでしょう。それでエアコンの排気やらゴミやらの迷惑は外に吐き散らしている。こんな、お隣が何をしているのか分からないような生活がいったいいつまで続くものか。うっとうしいことがあったって、近所とどこかでつながって暮らしていく方が、結局はラクだと思うんですがね。

同上

というような、私が地元で提案したいようなことをズバッと書いてくださっていました。

みんな、どこかで同じように感じていると思います。

私が小学生の頃から大人になるまで暮らした住宅街は、まさに高度成長期にニュータウンとして生まれた町で、同じ区画、同じくらいの大きさの家、同じような風景がずっと続いていて、多分、この風景は、日本中にあるつまらない、どこであっても同じ、個性のない風景だと思います。

思い返すと、私の原風景となるような、街路樹も、公園も、神社もなく、
懐かしい風景はどこにも見当たらない。(まあ、それが原風景というなら別ですが)その前に住んでいたのは、同じくニュータウンでも小規模で、近くにため池があり、田畑があって、私はその田畑で年中遊んでいたので、そこが私の原風景で、それに近い風景の中に今は住んでいるので、子どもたちも似たような原風景の記憶だと思われます。

やはり、日本人は、海外から戻って田畑の風景を見ると、「日本だ」と思うだろうし、おにぎりやご飯が美味しいと思うでしょう。日本の風景は、農業が作って来たとも言える。その周りにある里の風景は、どんどんなくなりつつあるけど、見れば誰もが懐かしさを覚えるのだと思う。

それがジブリの世界観、トトロのいる世界の片りんかなと。

昭和の懐かしい家々を取材して、絵に写真に文章にされている本です。
あっという間に読んでしまいました。
増補改訂版となっていて、取材されたお庭が、施主の方が亡くなった後、近所の人や親せきの方の働きかけで、公園として保存されているという記事が載っていました。

そう、、、古い懐かしい家や、大きな木、誰かが手を入れて来た庭は、
その方や周りの方が手放したら、もう、元には戻せなくなるんです。
大木は、切られてしまいがちですが、その大きさになって、木漏れ日で人を癒してくれるまでには50年も100年もまたかかるのですよね。

ああ、また、私の庭の大きな木について、どうしようか迷いが出るなあ。
庭の真ん中にイチョウを植えるか、クスノキを植えるか、、、コブシか、、
あかんやろ、大きくなり過ぎる、いやでも、、、
という自分の中での問答をもう2年続けていて、早よ植えたら?と家族に言われています。どうせ、私もあと長かったとしても50年も生きないでしょうから、早い方がいいよね😆
でも、この本の素敵なお家には、どこのお家にも、大きなその家の歴史を見守って来た木が植わっていました。
施主の方が、肩より低かった苗木を育て、大木になって家族を見守ってくれています、という木もありました。

さて、イチョウ、植えるかな???


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