息子の学校えらびについて
長男のためにしたことで
一番良かったことは、学校選び。
近くの公立小学校ももちろん考えていたのですが、教頭先生と息子の状況を話し、普通クラスと支援学級を行き来することになると聞き、実際に見学にも行ったのですが、違和感を感じたので、ほかを探していたのです。
とにかく子供にとっては、学校は「生きる場所」ですから、受け入れる側の意識を私は一番重要に感じていたのだと思います。私自身も、学校、しんどかったし。
まだインターネットもあまり一般的ではなかった頃に必死でネット検索をした。来年4月から小学校という夏頃。
いろんな検索ワードを入れて探していたことを覚えている。
知っている教育法、「モンテッソーリ」とか、「七田式」とか「フリースクール」とか。
それでふと思い出して検索してみたのが「シュタイナー」
そこで記事にくぎ付けになった。
来春、全日制開校?????!!!!!
どこ?どこ?
その頃のそのシュタイナー学校のHPときたら、今思い出してもクスッと笑えるくらい、できそこないのHPで(作った人ごめんね)、一行に5文字しか入っていない。それが延々縦に続くから、読みにくいことこの上なし。
それでも内容に引き込まれ、で、一体どこに????と必死でスクロールしていって、これまたびっくり。
転勤で東京から戻ってきて住んでいた場所と、実家のちょうど間。
しかも実家の方が近い。
心臓がバクバクして来た。オットに話さなきゃ!これは、これは。。。☆
あれからもう20年以上が経ちましたが、思えば叶うのですね。本当に。
シュタイナーを知ったのはその4年ほど前のこと。
まだ長男が2歳、長女が1歳になっていたかな?くらいの頃に、近くのお好み焼き屋さんに行ったんです。
その時も混みあっていて、名前を書いた後、いつも待ち時間を過ごす本屋さんへ行きました。な~んとなく本棚を眺めていて、岩波新書がずらっとたくさん並んでいる棚で、ふと目に留まって手に取った本が、これ。
子安美智子さんの本でした。
家に帰って読んで感動したのは、ミュンヘンのシュタイナー学校(現地ではヴァルドルフスクール)では、朝、子どもを迎え入れるのに、先生が一人一人の顔を見て握手する、という部分。幼稚園についても書かれていたように思うのですが、帰る前には、先生が子供を一人一人膝に乗せて、ハグをするんだったかな~、そんな挿絵がありました。
なんて温かいんだろう。そんな学校に通わせてやりたい!!
そのことと、その縦に長いHPがつながった瞬間でした。
今、思うと、まるで映画の「インターステラー」の主人公のように、未来の私が、あの本屋さんで、これこれ!!って本棚の後ろから、この本を押してくれたように感じる出会いでした。
入学まで、いろんなことがあったけど、結果として兄妹たち3人ともその学校を卒業し、この学校に出会えて本当によかったと思う。
子どもたちと先生方は、12年間に一体何度握手をしたことだろう。小さかった1年生が、先生の背を追い越して、すっかり大人っぽくなって、小さな一年生を背中に背負ったりしている姿は、まぶしかった。それでも先生とはちゃんと朝、握手していたな。
学校探しをしているときも、「あんな学校がいい」というイメージが、潜在意識の中にあって目の前に現実となった。
願えばかなう。
学校入学後も、こんな活動があれば、学校が潤うなあ~という願いを形にしたり、家を探していて、「縁側があって、木造の中古物件で遠慮なく釘をさせる家で、駅から近くて、自然があって、、、」という条件をはっきりさせて探していたら、何年もかかりましたが、びっくりするくらいピッタリの条件の家を見つけました。途中何度も、もうここでいいか、と思う家はいくつかあったのですが、妥協しなくてよかった。妥協していたら、ずっとその妥協した家で済むことになるけど、今本当に大好きな家で幸せです。
話を戻すと、子どもの学校も同じです。周りの抵抗は大きかった。でも妥協しなかったんです。
まず、オットの理解を得るのに必死。「普通でいい」というオットに、教育って何だろう?子供にはどんな教育を受けさせたい?どんな大人になってほしい?長男にはその「ふつう」が苦しいんじゃないか?という話し合いを重ねました。
最終的に、「どんな世の中になっても、元気に周りの人と楽しんで生きる力を付けてくれるところに通わせたい。」という考えに至り、先生方との面談を重ねる中で、ここにしよう、とオットが言ってくれました。
オットの理解は得ることができた。
今度は、祖父母が大反対。シュタイナー学校という、まだ日本では認知されていない「得体の知れない」学校なのです、祖父母にとっては。大事な孫をそんなところに、と。
私自身も、もう絶対ココ!と思いながらも、迷いはありました。お金の件もだし、夏休みが海外の学校並みの2か月。これが私にとっては一番のハードルだった。そんなに長い夏休みがあっても、オットはずっと仕事だし、私がもたない、、、、入学してからもこれが一番大変で。
そして毎日のお弁当。これも心折れそうになる条件だった。
でも、それでも、子どもという小さい人のことを、大人たちにどんな目で見てほしいか、というところが、私にとっては絶対必要条件だったから、葛藤しつつも心を決めました。
もう入学願書受付ギリギリ。思いをつづった手紙をつけて投函。
懐かしいなあ。
願書と言っても、お受験などは当然なく、両親が、先生方と面談を繰り返して、「特殊な」学校の活動をきちんと理解し、心から賛同できるのか、親と教師で作る学校の両輪の一部として働けるか、など、覚悟を問われました。子どもの面談は入学が決まってから一度だけ。
息子の状況もあるので、何度か、担任になる予定の先生がわざわざ家を訪問してくれたり、保育所の先生に会ってくれたりしました。
しかしその後、連絡が何か月もなく、そろそろクリスマスという頃、私は、シュタイナー学校を諦めて、私学の小学校に入学を申し込みをしました。そこは共同体の中にある宗教法人の学校で、受験もなく、入学のための面談は校長先生と、私と子ども。
とても温かい場所で、高校まで一貫で、高校生になると全寮制になる、先生は共同体に住んでいる、というこれも特殊な学校でした。でも、息子の状況を話しても、「少人数だし、大丈夫ですよ」と落ち着いていってくださったので、安心はしていました。
その直後くらいに、シュタイナー学校の先生から「ご入学をお待ちしています」という電話が入って、ひっくり返るくらいびっくり。
嬉しいけど、もうべつの学校に決めた、ということを、伝えたら、電話の向こうで先生が怒ったような興奮したような声で「本当にいいんですね?次にお待ちの方にお譲りしますよ?」と。先生の声にただならぬ何かを感じて、「一度主人と話します」と言って受話器を置いた。
シュタイナー学校では8年間が同じ担任で初等部となる。9年生から12年生が高等部。初等部を卒業するとき、担任の先生に、「あの時の電話」の話をしたら、息子の状況もあって、受け入れが難しいのではないかと、教師会で何度も何度も話をしてくださっていたそうでした。
受け入れるのは担任だけではなく、学校中の先生が一人一人の子供を受け入れて対応するという意識であるから。そして、引き受けたからには、息子本人にとっても、周りの子供たちにとっても、責任がある。これから開校、というタイミングで、長男を受け入れるのは難しいのではないか?ということだったようで慎重に話し合いをしてくださっていた。それはそうだろうと思う。
ただ、担任が、とても熱く温かい人だったので、「私が引き受けます」と決意され、入学となったのだが、本当に本当に、どれだけの思いを注いでくださって12年を過ごし、(本当にいろんなことがあった!)
実際に長男が彼らしくまっすぐに育って、自立できる人になったか、ということに、この学校にかかわったすべての人に感謝しか浮かばない。
学校って、勉強するところ、だけど、生きる場所なんですよね。子供にとって。だから、楽に息ができる場所でないといけない。私が私でいられる場所でないといけない。みんなと違うからいいんだ!って、それぞれがお互いに思える場所でないといけない。それには、親同士も、お互いの子供たちの状況を知っていることも大事。それが叶う学校だった。
私が学生の頃の学校は、正反対で、皆と違ってはいけなかった。なぜか?そうでないと、先生が大変だから。いい大学、いい就職に向かないから。普通の道を歩めないから。
そんな理由、今はもういらないよね。
こうして書いてみて、あらためて、子どもたちの母校に、先生方に、深い深い感謝の念を抱く。私が今後、何か始めていくことになることで、恩返しをしたいものだと思う。
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