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わが子にはめてきた「枠」をはずす

「あのひと(兄)、ほんまひねくれてるなあ。。。」

昨日、まだウチに一緒に住んでいる末娘が

一人で住んでいる長男に誘われて一緒にご飯を食べに行ったそうで、

帰ってきてそう言った。


長男の療育手帳を更新に行った話を前に書いたが

療育手帳もらえるか?というくらい自立して生活できていて

仕事にも早朝から遅刻することもなくきちんと出勤し

休みの日は愛車でひとりでお城を見に行ったり

大好きな飛行場に出かけたりしている。


時々、私が

「一人でつまらなくない?」と聞くと

「楽しいで」と言うし

「一人暮らしはどうなん?」と聞くと

「めっちゃ楽しい」と言う。

自由でいいそうだ。


末娘に、兄はそう言ってるけど、、、と言うと、

「それは強がってかっこつけてるねんやん」と言う。

そうなのか。。。ヤツでも強がるんや。

やはり、私には見せないような部分を妹たちには見せるようで

ずっと良い仲間でいてくれた同級生たちのラインで

幸せそうな報告が続くと、耐えかねるらしい。


ってことは、自分が満たされていないから

人の幸せを素直に喜べないんだろうな、と娘。


不器用で、テンポよい周りの仲間たちの話題についていきたいが

自分が入るとみんなのテンポが崩れるのは

もう充分わかっていて

同窓会なんかもみんなは待ってくれてるけど行きたくない。

ずっと笑って聞いてるだけ。

話しかけられてしゃべりだすと、止まらなくなってしまう。

みんな聞いてくれるけど、

結局自分ひとり、浮いてる感覚だろうね。


だったら、もう行かない、、、ってなるよな。わかるよ。

しんどいね。


学生の頃は、教会に居場所を見つけて

ボランティアに参加して喜ばれたり

おじいちゃんおばあちゃんと仲良くなったり

礼拝の時間の静寂に救われていたが

今は礼拝もなくなり教会にも行かなくなって

仕事場はうまく行かないことも多いだろうからね。


家を出てから

ちゃんとやってるみたいだから

私たち夫婦としたら目の前に見えなくなって

心配することがなくなっただけで

当たり前だけど彼の人生は続いていて

だからって実家に逃げて帰って来るようなことはなく

日常過ぎていく。


ルーティンに強いので

起きて、決まった時間は仕事して、

昼間は出かけて、買い物して帰ってご飯作って

テレビとスマホ見て寝る。

その繰り返しをきちんと続けていることで安心しているんだろうな。


休みの日もいつも一人なので

妹たちに

「たまには遊ぼう」ってLINEが来るらしい。

妹たちも忙しいけど、ほっとけなくて

時々はご飯に行ったりするみたいで

そんな時いろいろ、私たちにはしないような話をするそう。


私は彼が子どもの頃は

彼の居場所づくりに一生懸命で

あちこち扉を叩いては彼の気に入る場所を探してきたけど

もう、私がすることではないだろう、と思っていて

心は痛いけど

自分で探さないとね、と思う。


小中高一貫だったので

長くいた学校を卒業して就職したときは

あまりの変化について行けなかったのか

家に帰って来ると布団をかぶって出てこない日が続いたこともあった。

「どうしたん?」と聞くと

「もう自分なんか、いなくてもいいんや」と

布団の中から言ってた。


ふとそのことが頭をよぎった。


今はあの頃から9年もたち、

大人になって自分をコントロールできるようになっているようだけど

私たちはいずれいなくなるから

自分で居場所を見つけて楽しく生きてほしい。

彼の人生で出会うべき人と出会って

生きていることを楽しんでほしいと願うけど、

ルーティンに強い分、そこが頼りだからか

自分から求めて新しい環境にトライすることが難しい。


沈んでいる私に末娘が

「お母さん、そういうの、お兄だけじゃないから。

みんなそうやねんで。」とひとこと。

ほんと、そうやね。

療育手帳を持ってようが持ってなかろうが

同じやね。

みんな自分の人生に不安もあるし

うまく行かないこともある。

このご時世でしんどい思いしている若者も多いだろうね。


それでもみんな自分で生きていくしかないんだよな。

自分の人生だから。


私自身が、彼にはめている「枠」を外さないといけないんだ。

「療育手帳を持ってる」とか、

「いろいろ不器用だから」とか、

そういう制限を植え付けてしまっている部分もあるんだろう。


末娘に言われて、ハッとしたのだった。


彼が大変だった子どもの頃に

めちゃくちゃ大変なのに、

ある日突然、「この子は絶対大丈夫!独り立ちできる!」という

言葉が浮かんで

それが私の信念になり、いろいろあったけどその通りになった。


昨日書いた「意識」だな。

私の「不安」や、「障害があるから」という枠が

彼の意識を縛ってきたのかもしれない。

母親のかけた呪いだわ。あかん。


でも生活のすべてを

自分の収入だけでやりくりして頑張れていることも

ほんとすごいね!っていつも思ってるし

欠勤もなく長年勤めていることも素晴らしいこと。

素敵なところをたくさん見て

私が生きてて一緒にいられる間は

離れた場所から精一杯応援したいって思う。


結局、親は

子どもの後ろ姿を見ながら応援することしかできない。

それは重々わかっているから。

せめて親の期待や価値観から自由にしてあげたいから

「もう自由に好きなように飛ぶんやで。」と思っている。


親心って、こんなんなんだ。

子どもが小さいころは直接手も口も出せるけど

自立したわが子には

言いたくても言わないこともたくさんあって

出したくても出せない手がうずうずしても

黙って

あんたは大丈夫って心底信じて見守るしかない。


いくつになっても子供は子供って

当たり前のように聞いていたけど、そういうことか。


よう~~~~やく、

親のありがたみが身に沁みます。

まだ健在な私の両親に改めて感謝の念が湧くという

そんな朝でした。





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