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哲学について所感など。私見です。

常に並行読み
今の3冊。

リズ・ブルボー
「いつまでも若さとエネルギーを失わない生き方」

マルクス・ガブリエル
「つながり過ぎた世界の先に」

土井善晴
「一汁一菜でよいという提案」

2冊目の今人気のある哲学者だというマルクス・ガブリエルの本は、
オットからの推薦図書。
mimozaに言ってることが似てるから読んでみて、と。
私と似たことを言ってる哲学者?なになに?と。
半分くらい読んだところで、似てるところもある。
でも違うと思う部分も、根本的な部分で、ある。
上から行くね~~~(笑)

似ているところは、
例えばコロナの感染者数の数字はどうでもいい数字。
それに惑わされている。
公に知らせる必要がある数字、知るべき数字は、
例えばコロナが原因で37.5℃以上の熱を出している人は何人?
発熱率は?という数字です。
意味のない数字を出して、それに踊らされているとういことを知るべき。

また、ガブリエルさんの提唱する
「ビジネスにおける、統計的モデルから、質的モデルへの変換」についての話も、共感します。
出版業を例に出すと、人は良い本が読みたい。
ならば、出版業界も、売れる本を出したいから統計を見る。そうではなくて、良い本を売ればよいだけ。

あと、「すべての人が、無所得になる心配をしなくてよくなる社会」についての提言。これは本当に大賛成です。素敵な考えだと思う☆

と、色々賛同するところはあるのですが、
哲学者ってなんで男性ばかりなんだろう。
女性がいるのも知っていますが、圧倒的に昔から男性です。

そもそも、女性って、「人生における普遍的な真実」(多分それが哲学かなと)について、
じっくりそれだけを考えている時間ってないのです。
それを職業にしようと思ったら、
女性としての人生と共には成り立たない。
女性は、産んで育てて家を守って。
先日書いた、「海からの贈り物」の記事にも書いたのですが、
産んで育てて家を守って、という生活の中には
様々な人付き合い、自分を置いてでも果たさないといけない所用が多すぎて、
それこそ、そんな横でオットが「哲学」なんかを持ち出したら
「は?その前に子どものオムツ替えてよ」ってなるでしょう。

でも、だからって女性は哲学と無関係かというと、
それは真逆で、
そうやって大地に足を付けて日々の暮らしを成り立たせる中で
たくさんの「真実」と出会っていく。
だから、言葉にしないだけで、本当にたくさんの
「人生における普遍的な真実」というものは
女性の中にあったりまえに、そして深いところにある。
あったりまえなんですよね。

その観点から見ると、
ソクラテスであろうが、プラトンであろうが、
頭の中のこと、に感じてしまうのです。ごめんなさい~。
その哲学が間違ってる正しいスキキライの前に、そう感じてしまうのです。
まあ、それも、うがった見方かもという自覚してはおります。
私は哲学を専攻したわけでもなく、斜めから書いているので、
哲学者の方や、詳しい方、ごめんなさい😝

とはいえ、私は哲学とか大好きで
その理屈がいっぱいの哲学について
本を読んで、なるほど、いやいやどやねん?、まあそうかな、など
気軽に楽しませていただいています。

こんな風に哲学者について書いている人って
見たことないわ。。。🙄

で、その点、土井善晴さん、
その言葉のせいか、料理研究家という職業のせいか、
女性の私にも、すっと入ってくる、それこそ人生の普遍的な真実について書かれている、実は哲学書のような本。
そうやんね、そうやんね、とうなずきながら読んでいます。

日々のなんでもない家事、食事作りに、もっとていねいになろう❤って思わせてもらえます。

お料理って、お鍋をかき回しながらとか、ひたすらみじん切りをしながら、
瞑想しているような感覚になったりするんです。
お鍋磨きとか皿洗いも含め。
だから、結構、家事って哲学と近いかもと思う。

洗濯や掃除も、いかに効率よく、いかに快適にこなすかを
考えざるを得ないので、ものすごく頭も使うし(私は、です。考えなくてもできるひともいますね)、その中で、身も心もバタバタしながらも、
お天気の良い日に子どもたちを見送って、静かになった庭で
家族の洗濯物を干しながら、ふと、世界の真実に触れるような瞬間を
感じたりするんです。

何のために生きているのか。
私は何者か。
オットってなんだ?
子どもってなんだ?
人生ってなんだ?

そんなことを考えます。

そうやって生きて来て、そろそろ自分の老い先が気になる年齢になり、
昔読んだ「からだのこえを聞きなさい」という本の著者、
リズ・ブルボーの新しい本と書店で出会い、
タイトルが私の今の「問い」にぴったりだったので購入。

今は、リズの本を中心に読んでいます。
リズの講演会に行ったことがあります。
もう10年以上前。
それこそ、子育て真っ最中。子供を置いて2泊も上京することに
ものすごく罪悪感を抱きながらも、
オットと子どもたちにお願いしていかせてもらいました。

来たからには!と、張り切って並んで、最前列でかぶりつきで講演を聞きました。
挙手して質問もしたなあ。
懐かしい。自分を認めたいのに認められなくて必死だった頃。

あの頃の私は自己肯定感がめちゃくちゃ低くて
自分が好きになれなくて
いつも自信がなくて
人付き合いの中で、落ち込んでばかりいて
嫌われないように必死で生きていた。

アレルギーや頭痛、いろんな症状にも悩まされていました。
色々、気に病むことが多かったからでしょう。

子どもたちにも、その上京が申し訳なくて。
そしたら、その講演会で隣り合って仲良くなった人が
「私があなたの子どもだったら、私をお母さんが自由にできない言い訳にしないで。行きたかったら行って来て楽しんで、って思うよ。」と言われて、目からうろこ、という感じでした。

そんな素敵な出会いもあった初めての一人での上京でした。
いろんな意味で、私の気づきの第一歩に、リズの本がありました。

その数年後、また子どもたちを置いて、
ハワイのカウアイ島に6日間だけだけど、行っちゃった。
ただ、一人になりたかっただけだけど。
ハワイに行きたかったし、カウアイに知り合いいるしって。
まだ1年生の末娘が
「いいよ~、お母さん行って来て😇」と言ってくれました。

そうやって少しずつ自由になって来た今また、
リズの新しい本に出合えて、
77歳のリズが、なぜそんなに若くて元気なの?と
言われながら過ごしているそうです。

「老いる」とは何か、「若さ」とは何か、という
これまた哲学的なことですよね。
この本については、早く読み終えて、感想を書きたいと思いますが、
少し冒頭の部分を抜粋します。

リズの本の「はじめに」にあった作者不詳の文章です。

年を取る?それとも老いる?

仕事を引退した後、ある人たちは、ただ単に年を取るだけですが、
ほかの人たちは、確実に老いてゆきます。
年を取ることと、老いることは、全く違います。
年を取る人は、スポーツをし、様々な発見をし、旅行に行きます。
一方、老いる人は、何もせずに漫然と過ごします。
年を取る人は、愛を与えます。
一方、老いる人は、嫉妬をし、恨みをため込むだけです。
年を取る人は、将来のための計画を立てます。
一方、老いる人は、過去を回想するだけです。
年を取る人は、明日のことを考えます。
一方、老いる人は、昨日のことしか考えません。
年を取る人は、きたるべき日々を楽しみにします。
一方、老いる人は、起こされたわずかな日々を思って悲しくなるだけです。
年を取る人は、楽しい夢をたくさん見ます。
一方、老いる人は、悪い夢ばかり見ます。
さあなたは、どちらを選びますか。
それはあなた次第です。  作者不詳



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