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ラベンタ 3

『ラベンタは、ヒトに見つめられた時初めて生まれ、その瞳を開けます。生まれたラベンタは、初めて見たヒトを主人とし、主人の人柄を学んで育ちます。ラベンタは、主人と共に生き、生涯支えていきます。』

この国でラベンタを持たない人はいない。皆遅くても18歳までにはラベンタを持つ。ほとんどのラベンタは、幼年期には良き遊び相手となり思春期には仲の良い兄弟姉妹、友達のようになり、青年期からは主人が望む関係性を保ち、主人に必要な知識や能力を獲得している。

主人にとって、一番の理解者であり、欠点を補う役割も持ち、時には導いてくれる存在なのだと、ラベンタの開発者は言葉を残している。

ラベンタ 2

「まあ、よく来てくれたわね」
「叔母さん、お久しぶりです」
妹が嬉しそうにベッドの上で手を振っている。病室にいるのは、子供たちにとっては叔母である私の妹と、礼儀正しく挨拶する長男で、次男は末っ子長女に構ってふざけ合っている。
「顔色良くなったね」
「退院はまだ先だけどね。」
先週見舞いに来た時より元気そうで安心した。定期的に来ていたが毎回病院の雰囲気に気圧されるので、入院中の妹はこれ以上に滅入るだろうと心配していた。
「仕方ないんだよ、病院にかかる人なんて、ラベンタの導入に後れを取った高齢の方ばかりなんだから。私くらいの年齢で入院しているのは重傷者か自宅療養ができない難病の人くらいだよ。」
私が来るたびに転院を勧めるものだから、妹はいつも同じことを言う羽目になっている。

「そうそう、子供たちにプレゼントがあってね、、」
そう言ってベッドの脇に置かれたカバンを手に取った。
さっそくお礼を言いながら顔を覗かせる末っ子と気になって一歩前に出る次男が可愛らしかった。長男は畏まったまま飛び出してきた末っ子の肩を捕まえている。
妹は三人に一人ずつポチ袋を手渡した。丁寧にそれぞれの目を見ながら渡す姿に、私たち姉妹が子供の頃に一緒に暮らしたお世話係さんの姿が浮かんだ。

「えっと、まさかお年玉じゃないですよね?」
長男が気まずさと動揺とでさっきまでの畏まった姿勢が崩れかけていた。季節は秋、まだ正月まで数ヵ月ある。長男をどう丸め込もうか考えつつ、そういえばお年玉をポチ袋に入れて渡す文化が残っている家庭はどれだけあるだろうか、とふと思う。
「大丈夫よ~この叔母ちゃんはお正月にあげる分もちゃんと用意しているから」
私はひらひらと片手を振りながら長男が心配することは起こらないよ、と伝わるように出来るだけ穏やかに軽い口調を心掛けた。
「そうだよ~。ほら、みんな開けてみて」
そう言った妹の顔は鏡で確認せずとも私と同じ顔だっただろう。
これ何?と末っ子がポチ袋に入っていたものを手の上に出して、二人の兄に問いかけた。切手だよ、と長男が答えると、次男が初めて見た!と食い入るように見る。叔母さん、ありがとうございます。と落ち着きを取り戻した長男が言うと、次男が何をもらったの?とのぞき込もうとしている。
「お兄ちゃんには一万円札、弟君には500円玉だよ。使える場所もうほとんど無いけど見たいかなぁって。」
「500円玉!初めて触った!」と次男は興味津々で、長男は「破るなよ」と言いながら末っ子にお札を渡している。
「現金は見せたことはあるんだけど、子供たちは使う機会が無くてね。ありがとう、切手も。私も切手は久しぶりに見たなぁ。」
お札を触りたがる末っ子から預かった切手をまじまじと見つめる。
懐かしい八十円切手を三人の前にひらひらと揺らして、この裏をペロッと舐めて手紙に張り付けて送るんだよ、といたずらに笑って言うと「え~噓でしょ?」と次男と末っ子がくすくす笑う。
もっと昔の人は手紙をたたんで鳩に送ってもらってたんだよ、と妹も乗じて笑いながら言う。それには三人ともけらけら笑って、私たちも目を合わせて微笑んだ。

「叔母さんありがとうございました。僕達お母さんを置いて先帰りますね。」と長男が唐突に言う。「ごめんね、退院したらまた遊びに行くね」と妹が答え、私も「ありがとう、しばらくしたら帰るから、」と続けた。

「また上の子に気を遣わせて~~」とわざとらしくいう妹に
「あの子とは作戦会議も共有してるからね」とあっさり返した。それにもう成人なのだ、私の話さなければならないことの概要くらいは伝えてある。
妹の淡い茶色い目を見ると母を思い出す。
私たちには何年経ってもつらく難しい母の思い出だ。
「どうしたの?」と妹がかしげる。
「夏休みに末っ子の友達が泊まりに来たんだけど、カレーを鍋で作ってたら、ひどく驚いていて。というか家のキッチンにも驚いていて怖かった。
その時は動揺もなく振舞ったのだけど、内心では初めてラベンタを長男に買い与えた時の怖さだった。十代の頃に旅行雑誌で見かけた〈田植えや畑仕事の新鮮な体験ができる民泊ツアー〉っていうタイトルでも面食らったけど〈家でカレーを手作りする新鮮な体験〉は顔だけ一瞬宇宙に飛ばされたくらい面食らった」
力説する私に妹は笑いをこらえるのに必死になって鼻まで布団で抑えてそれでも足りずにヒーヒー言っている。
「資産だってラベンタの管理下だよ。たんす貯金してたら上の子にどこで使うの?って笑われちゃった。何に?じゃなくどこで?になってしまったんだよ、、、」
治まり始めていた妹の笑いをまた掘り返してしまったようで、くっくっくっと刻んだ笑い声が聞こえる。私が口を閉じると、思いっきり布団の中で深呼吸した妹がまじめな顔をして言う。

「だから私たちのお母さんの話をするのが一番だって。末っ子ちゃんにはラベンタを買ってあげない理由もまだ言ってないんでしょう?」
私たち姉妹は数か月にわたって作戦会議をしていた。私たちの母のことを話すための作戦会議だ。気後れする姉の私と勇み足な妹と同じ問題を抱えながらも進む方向は異なる。でも次世代のこととなればと、妹は同じ方向に歩いてくれている。ラベンタを十五歳になったら与える、家から持ち出さない、というルールも妹のアシストのおかげで夫や義両親は頷いてくれた。

「ラベンタが悪いとは、私もお姉ちゃんも思ってないじゃない」
「母さんの頃はラベンタよりもっと未熟なラブだけどね」
ラベンタの先駆けになったものがラブだった。母の生きていた頃に一部の界隈でよく使われていた、そのまたごく一部の人間にとって都合のいい機械だった。
「でもお母さんはラブに依存して、お母さんはラブの奴隷になった。」
母は、そのまたごく一部の、ラブを都合のいい機械にしていた側の人間にはなれなかった。
「そうだね。ラベンタは良く出来ている、あの頃に母さんみたいになった人が他にも多く居たおかげだと思うけど。でも今の子供たちのラベンタへの信頼度は家族同然、家族以上っていう子もいる。」
ラベンタはラブに比べたら使い方によっては優れた機能を持つものだと思う。子供たちの手からは遠ざけているけれど、義両親のラベンタの導入は私も夫と共に尽力した。医療面においては日々の健康状態を自動で記録し、あらゆる病気の早期発見、早期治療を促してくれる優れものだからだ。

「子供と一緒にいる時間を増やしたくて自動化にしたのに、かえって忙しくなってる親も多いんじゃない?」
「親はまだマシでしょ。その子供たちは大人になってどんな生活を送ると思う?私たちのそばにお手伝いさんが居なかったら、生活の基盤すら教わらずに大人になっていたと思うわ」
「それもそうだね。カレーを手作りする方法がすぐに分からなくても、家でカレーを作れるって知っていたら、いつか何かの機会にやってみようと思えるもんね。気になったんだけど、家にキッチンが無い子もいるの?」
「いるよ?出来ているものを買えばいいんだもの。スーパーだって食材が売ってるコーナーは昔の半分しかないじゃない。」

私はお手伝いさんと行った実家の近くのスーパーを思い出していた。妹も何かを考えるように布団の上に置いた手を見つめていた。

「まるで複雑な迷路の最適解なルートだけを残して残りを塗りつぶしていくような、、、次に来る人に優しく見えて本当のところは、、」
口ごもった妹の代わりに口が開いた。
これは私たちが抱えていく問題なのだ。
「皆が同じ場所を目指しているならいいのよ。でも現実は全く違う。だから塗りつぶされた闇に落ちていくような、母さんみたいな人が出てくる。」


「そろそろ帰った方がいいんじゃない?」と妹が言う。
「そうね。早く元気になってよね、私ひとりじゃ荷が重いわ。」
着替えを棚にしまって、じゃあねと病室を出た。


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