大好きなミモザを生まれて初めて悲しい気持ちで眺めた日
ミモザ、わたしの大好きな花。
ふわんふわんの見た目に元気な黄色は、こういう人でありたいと思わせます。
何年か前の3月、わたしは夫に「3月8日って国際女性デーなんだって!ミモザの日って言って、ミモザや花束を感謝を伝えたい女性にプレゼントする日なんだって!」と無邪気に伝えてしまったばっかりに、その年から夫は毎年3月8日にわたしへ花束を贈らなくてはならなくなってしまいました。
当時はあまりメジャーでなかったため近場の花屋さんでミモザがなかなか手に入らず、ミモザと同じくらいわたしが大好きなラナンキュラスなどの花束をもらっていたのですが、最近は国際女性デーやミモザの日が認知されてきたこともあってよく手に入るようになりました。
2人の息子もうまれたので、今は「3人からだよ!」と長男が代表してミモザの花束を贈ってくれる日となっています。
それから何日か過ぎた3月14日のホワイトデー。
最愛の彼ら3人から、SHIROのミモザのフレグランスセットをもらいました。
バレンタインデーをチョコレートフォンデュでちゃちゃっと済ませてしまったにしては大層なお返しにかなり恐縮しましたが、とてもうれしくてさっそくフレグランスをひと吹き。
長男を抱きしめ「かか、いいにおい?」と聞くと「いいにおーい!」と首に顔を埋めてギュッと返してくれました。
そのまま子どもたちを義母に預け、ぽかぽか陽気の中、薄手の春の装いで夫と手を繋いで家を出ました。
庭には、家を建てるときにどうかシンボルツリーに!とお願いして植えたミモザがすっかり満開で、ふわふわと風に揺れています。
しかしわたしも、恐らく手を繋いでいる夫も、あまり心からそのかわいらしいミモザの姿を楽しめない心境でした。
ひさしぶりに夫婦水入らずで手を繋ぎ、春色の服を着て、ミモザをイメージした香りに包まれたわたしたちがこれから向かう先は、大学病院。
1年近く前から食べ物が胸に詰まる違和感を感じていたわたしが土曜日にクリニックで受けた胃カメラに、腫瘍が写っていたためです。
写真で見せてもらった腫瘍は素人のわたしの目にもひどく邪悪に写り、クリニックの先生や看護師さんの反応からしても、なんとなく70%くらいは悪性なのだろうな……という気がしていました。
「月曜には紹介する大学病院にちゃんと行くんだよ」
院長先生に診察の中で何度もそう念押しされ、土曜の夜から日曜はふとした瞬間に怖さで緩む涙腺をふるわせ、夫に抱きつき首に顔を埋め何度も手を握り、まだ何も話せていない息子たちにも度々ハグをせがみ過ごしました。
大学病院の先生はわたしたちにこう言いました。
「恐らく悪性と考えてよいと思います」
覚悟はしていたものの、さすがについ顔を覆っていました。涙はぎりぎり堪えられたと思います。
わたしの腫瘍は、胃の入口部分である噴門にボコボコとできているもので、食道にも若干の浸潤が見られました。
食道にかかるがんの切除は、こちらの大学病院ではやっていないと伝えられ、がん専門の病院へ紹介していただくことになりました。
がん専門の病院は、家から行けなくもない範囲に何件かあるようだけど、今どこにするかと言われても決定的なことはまだよくわからない。とにかくまずは急いで状況を早く把握したいので、セカンドオピニオンもできるだろうし情報収集は後回しでもいい。
今後サポートをしてくれるであろう家族の負担を考え、家から一番行きやすい場所にあるがん専門病院に決めました。
紹介状を書いてもらい、さっそく明日の予約を取りました。
どんなにぐるぐる考えても、ひたすら検索しても、まだなにもわからない。
本当に悪性?良性の可能性は全くない?転移は?ステージはどうなんだろう?自覚症状は飲み込みづらさ以外ほとんどなく、むしろ最近は太った気がするし大丈夫なのでは?しかしこの目で見たあの腫瘍は大きく邪悪な面をしていた。
どんな未来が待っているのかあまりにも未知でとても怖い。
もともと死ぬことに対して強く恐怖心を抱きがちだと昔から公言しているわたしは、どんどんネガティブになっていっているのを感じています。
ましてや息子たちはまだ5歳と1歳。
5歳は先日自分でお気に入りのランドセルを決めたので、昨日注文をしに行くはずだったのに、わたしの状況を考慮して延期になってしまった。
来年の卒園式入学式には出られるの?着物を着よう!と張り切っていたのに。
1歳はまだよちよちよたよたの歩き始め。わたしまだ「かか」って呼んでもらえてない。
4月1日の保育園入園式には何が何でも出たい。
この2人を“まだ小さいのにお母さんをがんで亡くしてしまったかわいそうな子たち”にしたくない。
まだずっとずっと、聞いた全員がつられて笑っちゃうほどの世界で一番幸せなこの子たちのケラケラ!イヒヒ!って笑い声を聞いていたい。
夫は、世界で一番大好きな夫。何があっても揺るがなかった、お付き合いして5年、結婚して10年、ただずっと愛し続けている人。
これからも一緒に育児をして、ふたりで息子たちの成長を見届けたい。
ふたりの好きなことを4人でやれる日を待っていたことだってたくさんある。
子どもの手が離れてまたふたりになったらやりたいねって言っていたことだって。
おじいちゃんおばあちゃんになっても、ずっと手を繋いで歩いていくんだ。
どうか、どうか。まだまだこの先何十年も幸せな家族でいられますように。
どうか。
これまでわたしは人一倍病気にかかってきた。
26歳、卵巣嚢腫を腹腔鏡で卵巣保全のうえ摘出。
28歳、バセドウ病を発症し甲状腺を全摘出。
34歳、IgA腎症が発覚し扁桃腺摘出+ステロイドパルスで現在寛解中。
もうここからあとせめて20年はそっとしておいてほしい……という願いも虚しく、37歳、胃がん疑惑。
スパンが……あまりにも短すぎません……?
これでほぼ条件なしの生命保険を持てているのは本当に奇跡だと思います。
だいたいどの病気も「近親者に同じ病気の人は?」と聞かれることが多い遺伝性の強いものなのだけれど、残念ながら該当者はいません。
母はわたしが病気になるたびに「どうしていつもあなたばかり……丈夫に生んであげられなくてごめんね……」と言います。
わたしも母なので気持ちはわかります。息子たちが病気になってしまったら絶対に同じことを考えるでしょう。
ましてや遺伝が疑われやすい病気にばかりなっているので、わたしが今後のすべての根源になってしまうのではないかと、今後の子どもたち、もはや子孫たちの健康が今からすでに心配でなりません。
でもね、どれも絶対、誰のせいでも自分のせいでもないんだよ。
庭のミモザは、この3年の間に台風と強風で2度倒れたけれど、庭師さんのおかげで無事持ち直した。
虫が枝にびっしりとたくさんついてしまったときも、薬が効いて今はもうぴかぴかにきれい。
それを経て、今、こんなにたくさんのふわふわの黄色い花を咲かせている。
このミモザのように、わたしも必ず、何度でも持ち直して、ふわふわで元気になるんだ。
悲しい気持ちで、情けない顔で、そんなことを考えて、今日は夫の手を握って眠る。