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再訪したいクーパーズタウン

イチローが初の日本人野手としてメジャーリーグに挑戦した頃、私はテキサス州ダラス郊外に住んでいた。2001年、メジャーリーグ1年目の年に、シアトル・マリナーズとテキサス・レンジャースの試合があり、ダラス郊外のスタジアムに観に行った。

ちょうど日本から友人がダラスを訪れるタイミングだった。より近くでイチローを応援しようと思い、一塁側外野寄りの席のチケットを購入して、友人と夫と3人で観戦した。

もう20年以上も前の話で、イチローがヒットを打ったのか、どんな試合展開だったのかはさっぱり覚えていない。イチローは一年目にして新人王とアメリカンリーグ年間MVPを獲るという快挙を成し遂げたが、当時は今のように日本人のメジャーリーグ熱は高くなかった。観客自体も少なかったが、マリナーズの本拠地シアトルではなくダラスでの試合だったということもあり、私達以外にイチローを応援する日本人の姿はほとんど見かけなかった。

夫が「次男だけどイチロー」という、今なら即却下するであろう、さむーいプラカードを家で作って持って行ったので、友人と私も渋々それを掲げて応援していたところ、日本のラジオ局の人から取材を受けた。そんなどうでも良いことだけは覚えている。

私の思い出話はさておき、イチローが日本人初の殿堂入りを果たしたことは必然ながら、本当に嬉しい。輝かしい業績の裏では、日本人初の野手としてアメリカに渡り、並々ならぬプレッシャーや孤独を抱えながらプレーをしていたに違いない。当初は、「日本に帰れ」と言われたり、「チームの全員が敵だったんでんすよ」と辛かった時期について語っていたのをインタビューで聞いたことがある。

殿堂入り決定後の長いインタビューは、いかにもイチローらしい受け答えで、一言一言に重みがあった。その中で、アメリカの野球殿堂のあるクーパーズタウンについても触れている。

――これまで7回、クーパーズタウンに来ている。その時感じた野球殿堂と、今の気持ちはどう違う

 イチロー氏 僕にとってクーパーズタウンは7回、訪問していて、行くたびにすごくいい気持ちになって、自分のホームみたいな感覚。だから僕の中では、クーパーズタウンというのは現役中に訪れる場所で、(現役が)終わってから行く場所じゃないと思っていたが、初めて終わってから行くことをすごく楽しみにしているし、その時どういう感情になるのか、今想像していないが、今までとは違う気持ちが生まれるかもって思っている。

全米野球記者協会(BBWAA)の
オンラインインタビューより

ニューヨーク州の小さな田舎町クーパーズタウンは、大都会マンハッタンからは車で4時間ほどかかる。以前、ミシガン州在住時に車でニューヨークに行く途中、立ち寄ったことがある。

小さな街の通りには
野球に関するお店が並ぶ
名選手のグッズなどが売られている

1830年代にクーパーズタウンで野球が考案されたという伝説もあり、小さな街全体が野球にまつわるもので溢れている。野球ファンにとっては聖地のような場所だ。

ダブルデイフィールド
昔ながらのシンプルな野球場
訪れた時は冬で雪一面だった
ここで7月に殿堂入り

このフィールドから徒歩数分のところに、野球の殿堂ミュージアムがある。そこには、歴代の名選手や監督などが顕彰されている。野球に関連する膨大な資料や展示物が収められていて、野球の歴史を知ることができる、とても見応えあるミュージアムだ。

現在住んでいるトロントからは車で4時間ぐらい。イチローも殿堂入りしたことだし、ぜひまた訪れてみたい。

ベーブ・ルースの近くに
大谷選手が並ぶ日も待ち遠しい

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