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屋根に登りたい

生まれ育った町のことを思い出そうとすると、深夜、ひとりで部屋にいる自分の姿ばかりが浮かぶ。

家はしんと静まり返って、家族は全員とっくに寝ている。
田舎すぎて外には街灯もなく、道路を通る車もない。
町全体が寝ている。
私は部屋で机に向かって勉強をしているか、本を読んでいるか、でも集中力はとうに切れていて、真っ暗な窓の外ばかり眺めている。

私は本当は屋根に登りたくて仕方ない。

それはその時に好んで読んでいた小説の影響で、主人公の前に、屋根からひらりと不思議な少年が降り立つところから始まる話だった。

私にはそんな出会いは絶対に訪れないのは知っていたけど、代わりに自分が屋根に登って夜空を見たら、どんな気持ちになるか知りたかった。何かちがう心持ちになるかもしれない。ちがう心持ちになりたいと願っていた。

この窓を出て、柱を伝ったら結構すんなり屋根に上がれるんじゃないか。いや、柱のささくれが手に刺さるだろうか。瓦に手をかけて体を持ち上げれば……そもそも瓦ってきちんと接着されているものなのか。瓦が簡単に落ちるとしたら、大きな音を立てて家族にバレてしまう。

毎晩のように屋根に登りたいと思っていたのに、そうやってぐるぐると考えた結果、いつも実行に移せなかった。

でもあの小説のように、誰かが、何かが自分を訪れてくれるような奇跡をずっと待っていた。


奇跡は起こらない。
私の手は、屋根の瓦にすら届かない。
私の声は、誰にもどこにも届かない。


それが私の故郷の記憶だ。