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お墓って絶対必要?私たちの供養の形

おはようございます。
いつもお読みいただきありがとうございます。
10月頃のお話です。 

 夫を亡くし、気づけばもう半年が経ちました。お墓も仏壇もまだありません。遺影と、祭壇があるのみです。子供の頃、実家のお墓参りに行き、親と一緒に手を合わせる時間が好きだった私。けれどいざ、自分がお墓を建てる立場に立った今「本当に建てるべきなのか」と思うようになりました。

 長い目で見た時に、夫のお墓を建てることが、自分と子どもたちにとって負担になるくらいなら、もしかすると建てない方がいいかもしれない。自分の心の中に、「お墓を建てない」という選択肢も浮かんできたのです。

 そんな想いを、親しくさせていただいているご住職や家族に相談しました。いろんな考えを聞かせてもらう中で、気持ちが少しずつ楽になっていくのを感じました。

 「建てたいなら建てればいい。建てたくないなら、今は無理して建てなくてもいい」
 「建てたくなった時に建てればいいし、ずっと建てないという道もある」
 「永代供養もあるし、お墓を建てない選択肢だってあっていい」

 ご住職に「ご主人のお墓を建てたいの?」と聞かれたとき、「いや、欲しくないです」とはっきりと答えていました。ご住職は「じゃあ、建てなくていいじゃない。選択肢は一つじゃない。決めるのも今じゃなくていいやんか。」と笑って答えてくださいました。その言葉に、とても気持ちが軽くなりました。夫のお墓を建てない妻は「冷たい妻」、と思い込んでいました。周りにどう思われるだろう、という気持ちも多少ありました。妻だから「お墓を建てなければ」「仏壇を用意しなければ」と当たり前に思い込んでいた自分に気づきました。お墓や仏壇を手に入れることで、さらなる安心感や供養の気持ちを得られるなら、そうすると思います。でも、今の私は、お墓や仏壇を手に入れて得たい感情は特にないのです。それを認めて受け入れることができました。

 祭壇の前に座るのも遺影と向き合うのも、何かを供えるのも辛い時があります。つらくて気持ちが揺れる時は何もしない、そんな自分を認めることができたのも、ご住職との会話がきっかけでした。ご住職によると、「遺影を見るのが辛いなら、しまいなさい。出しておかなければならないものでもないんだから。」とのことでした。

 今は、話したいことがあるときだけ、祭壇の前で夫に「聞いてよ、こんなことがあってさ~」と語りかける、そんな風に自然体で過ごしています。無理して毎日挨拶したり、何かを供えたりするのではなく、「話したいときに話す」「夫にもこれ渡そう!と思ったものを供える」ことで夫と自然に向き合えています。これは、生前の夫と過ごしていた時と変わらない関わり方だな、と改めて感じます。

 また、夫が夢に出てきたときも「最近、ほったらかしやから出てきたんかも・・・」と罪悪感のようなものを感じていた頃がありました。今では、「こちらが遺影に向かわなくても、夢に出てきて私に会いにくる、という技術を身につけたんやな~。じゃあ、これからも夫は私と話したい時に夢に出てくるやろ~」と、軽く捉え、祭壇に行かなくても夫と話せている安心を得ました。

 お墓についても、永代供養や屋内での供養という選択肢もあることを知り、さらに心が軽くなりました。今後引っ越しの可能性がないとも言い切れません。家族で海外に頻繁に行きたいという思いもあります。自分たちが長期で留守をしたり、引っ越しをした場合、お墓の手入れができず荒れてしまう可能性も気になっていましたし、自然災害で倒れたりすることがあるかもしれない、という不安もあります。そう思うと、永代供養のような方法もある今の時代、自分と子どもたちが安心できる供養の形をゆっくり探していこうと思えました。

 夫の死後、どこにいてもふと、夫の存在を感じる瞬間があります。お墓があってもなくても、遺影に向かわなくても、私たちがどこに移動しても、「パパも来てるなぁ」とこれからも感じ続けると思います。

 子どもたちも、日々に生活の中でパパの存在を感じている様子です。「今日、教室の後ろにパパがいた感じがしてん。パパ、飛べるようになってるやん!すご!」と言っています。

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