写真展「border」徹底ガイドvol.7 / border | korea_expanded.
◾️#17 Ushtobe, Kazakhstan 2019
中央アジアの国、カザフスタン。中心都市であるアルマトイから北東に250kmほど離れたところにウシュトべという街がある。昼食の食卓に並んだのはロシア風のいくつかの料理、そしてキムチだった。何故キムチがあるのか。その裏には#16で触れたスターリンの思惑と、82年前のborderを巡る問題がある。
◾️強制移住
1937年10月、ソビエト連邦の沿海州に住む朝鮮族の人々に突然の通達が行われた。「すぐにこの土地を離れて別の土地に移るように…」という内容だった。その命令はすぐに実行に移される。3万6442世帯、17万1781名の人々は、わずか2ヶ月の間に貨物列車に乗せられて中央アジアに強制移住させられた。
その大きな理由はスターリンの猜疑心。自国に居住する朝鮮系の人々が「日本のスパイ行為」を行なっているのではないかという疑いからであったという。
(1937年は昭和12年。7月7日盧溝橋事件が発生している。)
◾️高麗人/고려사람
彼らが移住させられた場所は中央アジアのカザフスタンやウズベキスタンの僻地であった。中でも多くの人が移住させられたのが、カザフスタンのウシュトべ。貨物列車を降ろされた人々が見たのは、荒れ果てた土地だった。やがて極寒の冬が訪れ、多くの人が命を落とす。それから先の苦難についてはここでは記さないが、現在彼らは「高麗人(コリンスキー/コリョサラム)」として成功を収めることが出来た。ロシア風の生活を送りながらも食卓に上るキムチ。地図上に引かれたいくつもの線を乗り越えてなお、受け継がれるものがある。
◼️#18 Ushtobe, Kazakhstan 2019
#17 の家庭に暮らしている少女は、強制移住させられた世代から数えて4世となる。黄色いシャツに短パン姿で迎えてくれた彼女はロシア語を話しており、多民族社会であるカザフスタンに溶け込んでいた。しかし学校のイベントで着るというチマチョゴリを身に纏ったとき、彼女の曽祖父母がこの土地に運んできた民族の血を強く感じた。地図上に引かれた一本の境界線は、人々の運命を変える。しかし、それだけで変わらないものがあるというのもまた、事実だ。
◼️#19 Pyongyang, North Korea
◼️#20 Seoul, South Korea
地図上に引かれた一本の線は,人間の運命をどう変えるのか。
北朝鮮と韓国。かつて同じ国に暮らした人々は、38度線と呼ばれる軍事境界線を挟んで全く別の日常を生きている。「border | korea」は軍事境界線によって分けられた二つの国を二枚の写真に置き換え、併置することによって表現する試みである。直線距離で190キロの位置にあるソウルと平壌で、人々はそれぞれの日常を生きる。70年以上前に分断されて以来、積み重ねられてきた歴史的選択の数々は、同じ名前を持ち、同じような言葉を話し、同じような顔をした一つの民族を完全に異なったものに変えてしまった。制服の学生たち、軍事境界線を挟んで対峙する兵士。しかしどちらの世界でも人々はバスや地下鉄で移動して学校や会社に通い、雨が降る日には傘をさす。それぞれの国ので生まれた赤ん坊は、やがてそれぞれの国の価値観を身に付け、成長していく。
この2枚は私の代表作である「border | korea」から選んだ。私の作品テーマである「border」を最も分かりやすく表現したものがこのシリーズである。私たちが日々接するニュースでは、北朝鮮のICBMの話題と韓国のBTSの話題が同時に語られることはない。全く別の国として認識しているその二つの国。作家の沢木耕太郎氏は、この作品について次のように語っている。
その最大の衝撃は、二枚の写真の相違性ではなく同質性だった。確かに、着ている服や街の佇(たたず)まいは違っている。だが、写っている人々は左右ほとんど変わらないのだ。二つに分断されているとしても、一つの民族である。普通に記念写真風の写真を撮っていけば、差異が見つけられないのも当然のことだったのだ。
そして、次に驚かされるのは、撮られている北朝鮮の人々の自然さである。カメラを前にした緊張はあるものの、私たちがテレビ映像で見ているあの硬直した表情や身振りとは無縁の自然さがある。あたかも普通の人々の普通の息遣いが聞こえてくるかのようだ。
そこで私たちは思うことになる。北朝鮮にも韓国と同じ人々が生きている。そして、それはほとんど私たち日本人とも変わらない普通の東アジア人だと。
(週刊文春 2018年2月22日号掲載)
◾️border | korea expanded.
北朝鮮と韓国、二枚の写真を並べることによって構成した「border | korea」。今回さらに、カザフスタンの写真を加えることによってその表現を拡大した。これによって当初のテーマが伝わりにくくなることは想定の範囲内であるが、一つの民族を三つの土地で撮影して併置することは、この作品に新たな視線をもたらすものであると考えている。