自分の物語に責任を持つとは、どういうことか?
小さい頃から、映画が好きでした。当時はもちろんNetflixもなく、BluelayやDVDでもなく、金曜ロードショーで放送される映画をビデオテープで録画して、それはもう何度も見たものです。
特によく見ていたのは、ホームアローンとバックトゥーザフーチャー。それとスターウォーズ、ハリーポッターも大好きでした。
何気ない日常を過ごしている主人公が、ある日何かに呼ばれ、素敵な世界に辿り着く。困難に直面するも、新しい仲間と共に一緒に乗り越えていく。
しかし、大きな試練はやってくる。そこには宿敵や過去の自分が乗り越えられなかった問題が立ち現れる。主人公はそこに立ち向かい、新しい自分になり、元いた場所に帰還していく。
あぁ僕もそうなれたらいいのに、どうしたら人生は変わってくれるのだろうか?スターウォーズのヨーダのように道を示してくれる師匠はいつ現れるのだろうか?
自分には生まれてきた使命がきっとある気がする。
人生の目的とはなんだろう?
自分が映画の主人公だとしたら、何を成すべきだろうか?
そんなことをずっとずっと夜な夜な考えていました。
しかし、どれだけ待っても天の声は聞こえない。奇跡は起きない。当時サッカー少年だった僕は、ずっと壁に向かってボールを蹴り続け、いつか人生変わるだろうと何かを待ち続けていました。
しかし、高校最後のインターハイ予選1回戦。ベンチからスタートして、相手チームにどんどんゴールを決められる。そのまま、後半ラスト10分、自分のチームの最後の交代枠が使われ、自分はもう出られない、必要ないということを突きつけられる。
残りできることは、最後の最後まで声を出してチームを鼓舞するだけ。自分は主人公ではない。無駄だと分かっていても、脇役としてそれでも思いをチームのみんなに届ける。だってそれしかできないのだから。
試合終了のホイッスルがなった時、それは世界で一番残酷で静かな音に聞こえた。幼稚園から続けていたサッカー人生の終わりが、何をすることもできず、こんなにもあっけなく幕を閉じた。
「あぁ... 終わったんだ。」
人生を物語のように捉えること
このnoteは、私すぐが昨年から受講しているコーチングスクールTHE COACH Academy受講生によるアドベントカレンダーの最後の記事です。
THE COACH Academyでは、インテグレーションジャーニーというものを扱います。(僕の1解釈ではありますが)コーチは、コーチングを受けるクライアントがどの人生のプロセスにいるか見立てとして、共に人生を探求し、味わい、乗り越えていけるように対話を通して人生に伴走していきます。
クライアントの本質的変容に向き合うため、コーチも自分自身に向き合い、日々を送っています。そのプロセス / 物語はこのアドベントカレンダーのマガジンからご覧ください。
かくいう僕自身も、今年の3月から約5ヶ月間のTHE COACH Academyプロ7期として、自身の変容に向き合い、自己の器を育んでいました。
コーチとして活動していく上で、自分の変容に向き合わず、どうしてクライアントに向き合えるだろうか?
そんなことを思い、5ヶ月間のプロコースを受講しました。
先日、プロコースを終えて歩みを振り返ってみると、本当にたくさんの変容をありありと感じています。どんなことに向き合ったか書き出してみると、こんな感じです。
・父親に感謝の手紙を書く
・友達、仲間に心からのありがとうを返す
・外部登壇のイベントで思いっきりエモいことを言う
・人生初の金髪にしてみる
・変人になる
・2年間行ってなかった歯医者に行く
・友達との遊びで4人以上のグループのお誘いは断る
・人前で踊る
・友達と富士山に登る
・自身のシャドー(影)と向き合い対話し、受容する
・マイコーチとタイムマシーンに乗って、あの日ホイッスルのなった直後の自分に会いに行く
「なるほど!」と思うことから、「こんなこと?」「何じゃこりゃ?」と思うものもあるでしょう。
どれだけの数に向き合ったかは別に重要なことではありません。人生のフェーズによって訪れる、向き合う物事は、人によって様々なのですから。
しかし、僕にとっては一つ一つが大切で愛おしく、向き合い続けた5ヶ月の旅で、その過程で何度もインテグレーションジャーニーの旅立ちから帰還を経験し、今また一つの旅の終わりを迎え、そして始まろうとしています。
自分の人生に責任を持つこと
コーチとして人に向き合い、自分に向き合って分かったことは、誰もが人生の主人公として、英雄として生きることができるということ。人が変わる美しい瞬間を何度も目にしていきました。
別に大きなことはしなくてもいいのです。子供が自転車の補助輪を外して、悪戦苦闘のうえ、1人でやっとの思いで漕げるようになったその景色は、素晴らしい瞬間でしょう。それも一つの物語の成長を意味します。
自分の人生に責任を持つということ。私たちはこれを決意しなければいけません。それは今ここから始めることができます。
ある日、魔法の力に目覚め、魔法学校に導かれ、友と共に困難を乗り越え、最後に宿敵のヴォルデモートと対峙して、元いた世界に帰っていくように。
ある日、電話に呼び出され、デロリアンを見せられ過去に戻り、自分が消えてしまうという困難に直面し、そして自分が犯すはずだった過ちを乗り越えて、未来に帰っていくように。
またある日、老人にフォースを学べと言われ、里親を失って宇宙に飛び出すことを決心し、帝国と戦う中、宿敵が自身の父親であるということを乗り越えて、地球に帰還していくように。
僕らは同じように、人生の英雄になる旅を歩むことができます。
「物語なんて所詮フィクションだ!」そういう人もいるでしょう。もちろん物語は作り話です。しかし、人の心を掴む物語には共通の道筋が存在します。それは、自身がこうありたいと望み、そして人生のいろんなところで同じ道筋を歩んでいると感じるからこそ、いくつもの物語に僕らは共感するのだと思います。
「なんで人生はこんなことを突きつけるんだ!」と思うこともあるでしょう。しかし、人間の素晴らしさはそこから学び、成長していくことできることです。かけがえのない能力が私たちには備わっています。
僕たちは、人生が何を自分に語りかけているか、何に自分が呼ばれているか、その声にひたむきに耳を傾ける必要があります。
そこに拒絶する声 / 出来事がある時、自身と周りの助け / リソースを使うことができます。
それでも試練はやってくるでしょう。しかし、自分に向き合い、感情をしっかりと見つめ、乗り越える覚悟を持ち、恐れを手放した時、その先には今まで見もしなかった宝物がきっとあるでしょう。
しっかりと得たものを掴んで、元いた場所に持ち帰って仲間と分かち合えたとしたら、どれだけ素敵なことでしょうか?
旅を歩み続ける限り、人は学び続けることができます。僕らは人生という物語の冒険者なのです。今ここからそうなれると信じています。
あの日の僕が見ようとしなかったこと
今振り返ると、サッカー少年だったあの頃の僕は、そうしない決断をしていた気がします。心の中で思うことがいっぱいあるのに、自分には能力がないから壁に向かってボールを蹴り続けていたと思います。
でも、向き合うべきは壁ではなく、監督やチーム、仲間だったのです。
そこに向き合ってしまったら、自分の人生に言い訳ができなくなる。能力がないという自分を認めることになる。
もっと上手くなったら、いつか人に対して本音を言える。そうなるまで自分に向き合って、頑張るんだ。と。
でも、本当にすべきことはそうじゃなかった。本当にすべきことはいつでもできたのに。それをやろうとしてなかったのは、自分の可能性に対する恐れだったと思います。
今僕はあの時変われなかった自分に責任を持つ必要があります。人の可能性を信じる1人の人間として、そして自分自身の人生に責任を持つ旅の主人公として。
あなたは、自分の人生に責任を持っているでしょうか?自分の物語を生きているでしょうか?もし、まだ生きられていなくても、大丈夫。一歩一歩進んでいけばいいと思います。
もしそこに恐れがあるのなら、周りの人を、コーチを頼ってほしいです。希望のない、孤独な人生ほどつらいものはないと思います。でも、周りの助けがあれば、人はどんなことにも立ち向かっていけると信じています。
そして、大きな試練と思っていたことは、意外とひょいと乗り越えられるかもしれません。
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最後に改めて、このアドベントカレンダーのバトンを繋いでくれた皆さん、企画者のまーさん、りみさん、THE COACH Academyプロ7期のみんな、プロコースの旅路を共に歩んでくれた、ガチコーチのはっちゃん、マイコーチのこっちゃん、コーチングを受けてくれたクライアントの皆さん、仕事とプライベート、人生に起きた全ての出来事に、心からありがとう...!
そんな形で、一つの物語を閉じていけたらと思います。
またお会いしましょう : )