
100万回
「自分のためだけに生きるのには限界がある」
そう気づいた時のお話をします。
何だか落ち着かない29歳を越え、30歳になり、いい意味で諦めがついて肩の荷が降りたと思ったはずだった、のに。
私はこれからずっとここで同じ毎日を過ごすのか
同じ電車の同じ車両に乗って
同じ景色を見て
同じ机に座って
そうして少しずつ老けていくのか。
背筋が凍るような感触がしました。
そいつは、ヤヴァい。
まじでマズい。
昔、国語の先生が、何を思ったのか急に絵本の読み聞かせをしてくれたことがありました。
100万回生きたねこ、です。
私はその絵本を知りませんでした。
自分のどこに刺さったのか分からなかったのですが、泣くのを必死で堪えました。
最後に先生が何か言いました。
うろ覚えなのですが、
「ちゃんと生きないと、ちゃんと死ぬことはできない。」
みたいなことでした。
あれは、愛を知るお話。
愛を知って初めてちゃんと生きて、初めてちゃんと死んだ偉大な猫さまのお話。
このままじゃ私はちゃんと死ねない。
なんなら世を儚んで自殺とか考えちゃうかもしれない。
人間ヒマを持て余すとロクなことをしない、少なくとも私にはその危険性がある。
それなら結婚か留学をしよう
そう思って婚活を始め英会話教室に通ったのです。
結婚が正解だったのかどうかは正直よく分かりません。
留学したらまた違う人生だっただろうし、同じ毎日を過ごしても意外と楽しかったかもしれません。
でも、少なくとも、コップの底にへばりついてるかのような希死念慮は無くなりました。
いや、正確には無くなっていないのですが、口の中にいきなり不快な塊が入り込むようなことは皆無になりました。茶渋程度です。
と言うよりは、また少しカタチが変わり、自分の子どもより先に死にたいなぞ思うようになりました。
あいつらをりっぱなのらねこにして、まんぞくして。
不老不死なんぞいらん。
そう、私はあの偉大な猫さまのように、ちゃんと生きてちゃんと死にたい、そう願うようになりました。
誰よりもりっぱなあのとらねこのように、もう生きかえらなくていいと思いながら死にたい。
それをきっと大往生と言うのです。
そう願いながら残りの人生を模索するのは、なかなか悪くない気がします。