忘れ物を取りに行く
「忘れ物を取りに行く」は、とある陸上選手が言った言葉。決して一流というレベルの選手ではないけど、社会人になっても必死に速くなりたいと、もがいている選手。
聞けば、彼は名門高校のリレーチームでインターハイで活躍するチャンスがあったが、怪我で高校の陸上では活躍できなかったそう。
大学では思うようにタイムが伸びず、10秒台をあと少しのところで逃している。
学生時代に満足する結果が残せず、社会人になった今でも必死に速さを追い求めている自分を、「忘れ物を取りに行く」ようであると形容していた。
ここからは自分の話になる。自分も中学から10年間陸上短距離をしていた。陸上が大好きでそれで食べていきたいと最初は思っていたが、引退した今考えると、どうも才能はなかったようだ。
中学時代には個人では到底無理だったが、リレーで全国大会を目指していたが、都大会の決勝で1位を取れずに夢破れた。当時のことは今でも思い出す。当時、都大会の決勝ではレース前にパイレーツオブカリビアンの「彼こそが海賊」が盛り上げるために流れていたのだが、緊張のあまりこの音楽が耳に入っていなかったことを覚えている。スタート直後から体が異様に重く、コーナーの内側を走りたいのに、体が遠心力に負けどんどん外側に振られていく。走った後に次の走者にバトンパスをしたはずなのだが、うまく走れずに焦ったせいか、バトンパスの記憶が完全になくなっていて、気づいたらレースが終わっていた。結果は敗退だった。
高校に進学するも記録が伸びずに苦戦し、大学に入りようやく記録が伸び始める。せめて10秒台くらいでは走れる程度のスプリンターになりたいと思っていたが、大学二年以降、ハムストリングスの肉離れが癖になり、一度も全力で走ることができない状態になってしまった。鍼治療に通い、社会人でも陸上を続けようと思っていた卒業前の1月にもまた肉離れを起こしてしまった。その時なぜかプツンと陸上に対するやる気や向上心が全て消し飛んだ。2017年1月21日、私は陸上を引退した。
しかし当時からのジムでの筋トレの習慣だけは継続し、今ではそちらの世界で日本選手権を目指したいと考えている。頭の奥底には、陸上で全力を出し切れなかった、思うような結果を残せなかったという感情が渦巻いていて、「忘れ物を取りに行く」のフレーズを聞いたときに、自分の頭の中がスッキリした。同時に、同じように諦め切れずに同じような年代でも挑戦している人がいると知って、なぜか安心した。
このような人って多分歳をとるごとに少数派になっていくと思う。でももし何か心残りがあるなら、やってみたいことがあるなら、忘れ物を回収できるかなんてわからないけれど、それを放っておいて人生終了なんて勿体無いなと思う。