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自意識だけが自己を削り取る人生を送っています

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耳。。。:オリジン

 光陰流水の如し。2020年の10月18日から早くも1年が経ってしまった。昨年の今日は、現在熱狂的なにゃんたこリスナーの一人である僕が、初めてにゃんたこさんの配信を拝聴した日だ。おそらく、頻繁ににゃんたこさんの配信に顔を出したり、ツイッターでクソリプを送っている人の中では僕はかなり新参で、もっと早く彼女のことを知れていたらなと思うことは多いのだが、それでも昨年のこの日に出会えたことは僕にとって、とても運命的な出来事だった。  実は僕がにゃんたこさんをまず最初に知るきっかけは

    • 8月8日とポメラニアン

       今日8月8日は、366存在する全ての日付の中でも僕にとって思い入れの深い日にちだ。  子供の頃、僕はポメラニアンを飼っていた。名前はアブちゃん。目は見えず結構な年齢で片足も引きずっていたが、人懐っこく可愛いわんちゃんだった。僕は犬も猫も好きだし、おおよそペットとして飼われるような動物の大半には愛情を感じる人間だ。そんな僕は当然アブちゃんのことが大好きだった。  僕が小学生の頃、そんなアブちゃんが亡くなってしまった。突然のことではあったが、年齢を考えるとなんら不思議はない

      • アイドルとの思い出

        出会いは ふっとした 瞬間 渋谷のビラ配り中に 声をかけてくれたね 「ライブに来てよ」 僕は 照れくさそうに 隠キャらしくどもりながら 本当は とても とても 嬉しかったよ というのは理想の出会い方。現実は厳しく、理想の出会いをした知り合いから存在を聞き、僕はアイドルのライブに通うことになる。これは僕と、とある地下アイドルの約2ヶ月半の儚い思い出の記録だ。  偉そうに語り出したが、アイドルのライブに通うようになってから仲良くなり壮大な恋愛に発展した、なんて大層な小説

        • 友達論

          何をどうしたら友達と言えるのだろうか。一緒に遊んだら?二人でご飯を食べに言ったら?気まずさなしに喋れたら? 僕は熟考した。僕は以前述べたように「一方的に友達だと認識し、相手はそう思っていない」状態がとてつもなく怖い。それはもう、とてつもなく怖い。小学生の頃、深夜のベッドルームの天井にゴキブリを見つけ、口の中に落ちてくるのではないかと怯えた夜と同じくらい怖い。 ではこの怖さを感じない関係性は友達と言えるのではないだろうか。そこで僕の考えた友達の条件は以下である。 「一切の

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        • にゃんたこさん
          2本

        記事

          忘れ物を取りに行く

          「忘れ物を取りに行く」は、とある陸上選手が言った言葉。決して一流というレベルの選手ではないけど、社会人になっても必死に速くなりたいと、もがいている選手。 聞けば、彼は名門高校のリレーチームでインターハイで活躍するチャンスがあったが、怪我で高校の陸上では活躍できなかったそう。 大学では思うようにタイムが伸びず、10秒台をあと少しのところで逃している。 学生時代に満足する結果が残せず、社会人になった今でも必死に速さを追い求めている自分を、「忘れ物を取りに行く」ようであると形

          忘れ物を取りに行く

          友達って自信持って言えなくない?

          突然だが、友達は何人いますか? 自分にはほとんどいない。これは、単純に人との付き合いが絶望的に苦手というのもあるが、もう一つ理由があると思う。 それは、どこまでの関係性の知人を、友達と呼んで良いかわからないという理由だ。 もし、ある人のことを「友達」と呼んだ際に、その相手方が、「え、自分は友達のつもりなかったのに」だとか、「そんな仲良くなくない?」などと思っていたらどうしよう、とついつい思ってしまうのだ。 相手が自分のことを友達と呼んでくれたとしても、それは冗談の文脈

          友達って自信持って言えなくない?

          適応的選好形成

          「適応的選好形成」とは経済学の概念である。 簡単にいうと、実行可能な選択肢に応じて選好が変化すること、特に選択肢が豊富でない際に、その貧弱な選択肢で満足するように満足の閾値が低下することである。 わかりやすい例では、「チェンソーマン」のデンジを想像してほしい。当初のデンジは、亡き親の借金返済のために働き、食パンにジャムを塗ることもできない生活をしていた。通常の家庭であれば、食パンにジャムを塗ることは日常のモーニングシーンの一つであり、特別幸福を覚えることではない。しかし彼

          適応的選好形成

          ワンピース個人的感動・名シーン3選

          1位:ガープに殴りかかるダダン ワンピース第590話より。ちなみにルフィの「仲間がいる”よ!!!」も590話である。 マリンフォード頂上戦争にてエースが死亡した後、ガープがゴア王国フーシャ村に帰郷した際の出来事である。ダダンは、ガープを見るや否や殴りかかり、 「てめェあの戦争の現場にいて!!!・・・・・!!! あいつらの目の前にいて・・・!!!・・・・・!!!なぜエースを見殺しにした・・・・・!!!」 などと発言している。彼女はこの時大粒の涙を流していた。そしてガープ

          ワンピース個人的感動・名シーン3選

          ビッグバンセオリー

          ビッグバンセオリー(the Big Bang Theory)というシットコムを紹介したい。 以下はwikipediaより抜粋。 "2人合わせたIQが360という二十代の仲良しオタクコンビ、レナードとシェルドンはカリフォルニア工科大学の物理学者。カリフォルニア州パサデナにあるアパートで同じ部屋に住むルームメイト同士でもある。2人揃って頭脳は明晰で、博士号を得るほど賢いが、どうも世間からズレていて友人もみんな変わり者。しかもルックスがイマイチなので女性にモテる気配もない。そん

          ビッグバンセオリー

          世界は救えないけど豚の角煮は作れる

          敬愛するにゃんたこ氏が初著書となるエッセイを出版した。上記が本のタイトルである。このノートは、エッセイの感想文の皮を被ったラブレターである。エッセイについての前に、にゃんたこ氏自身についての思い出を冗長に語りたい。 元々私がにゃんたこ氏を知ったのは、記憶が正しければ、昨年の9月末から10月の頭あたり。つまりバリバリの新参にゃんたこ信者である。突如YouTubeのおすすめ動画に、にゃんたこ氏の料理動画(哲学動画?)が出現したのがきっかけである。 衝撃だった。文学的な洗練され

          世界は救えないけど豚の角煮は作れる

          私の虚無スパゲッティ

           文章を書くのは久しぶりである。  「書く」という行為は、証券会社時代に、顧客に万年筆で巻物を書くことを強要されて以来である。  先日、敬愛するにゃんたこ氏が「世界は救えないけど豚の角煮は作れる」というエッセイを出版した。また、彼女の配信を通じて知り合った夜行性の鳥類の方が、noteに日記のようなものを記しているのを読んだ。これらが、久しぶり何かを書きたくなった理由である。  「虚無スパゲッティ」というのは、にゃんたこ氏が、金銭的に余裕のない時代に食していた、具のないス

          私の虚無スパゲッティ