耳。。。:オリジン
光陰流水の如し。2020年の10月18日から早くも1年が経ってしまった。昨年の今日は、現在熱狂的なにゃんたこリスナーの一人である僕が、初めてにゃんたこさんの配信を拝聴した日だ。おそらく、頻繁ににゃんたこさんの配信に顔を出したり、ツイッターでクソリプを送っている人の中では僕はかなり新参で、もっと早く彼女のことを知れていたらなと思うことは多いのだが、それでも昨年のこの日に出会えたことは僕にとって、とても運命的な出来事だった。
実は僕がにゃんたこさんをまず最初に知るきっかけは、岡奈なな子さんである。彼女の動画がなぜかYouTubeアルゴリズムにより頻繁にオススメされるようになり、ぼーっとしながら彼女の動画をいくつか見た。その影響で、彼女の親友であるにゃんたこさんの動画もオススメに上がってくようになったのだと思う。
料理動画の良い意味での雑な動きと哲学的な文章のコントラストが印象的だった。ベッドに寝転がりながら、いくつか彼女の動画を見ているうちに、僕は寝落ちしていた。パッと目がさめると、とても可愛いらしい女性の叫び声がスマートフォンから聞こえた。最初は自分の目が信じられなかった。先刻見ていた大人な文章を搭載した動画の投稿者と、この萌えボイスの持ち主が同じだなんて。僕はゲームといえば小学生の頃に、祖母がイオンモールのくじ引きで当てたプレイステーションでクラッシュバンディクーをした他にPCゲームを少ししたことしかなかった。自らの意思ではゲーム配信の切り抜き動画を見ることはなかったかも知れない。
そこから1、2週間経った10月18日、僕はにゃんたこさんが配信をしているのに気づき、あまりの楽しさに数時間釘付けになったのだ。YouTubeに限らず配信というものを自分は見たことがなかったし、YouTubeの動画にコメントを残したこともない自分は、本名の大学の時のグーグルのアカウントしか持っていなかったし、その時コメントを残すことはなかった。そして、配信も終盤を迎え日付は回り19日、更にもう一つ僕にとって大きな出会いがある。
にゃんたこさんはその時リスナーを迎えてトークをしたのだが、その最後に梟という女性リスナーがにゃんたこさんと話すことになる。声が死ぬほどタイプだった。その場でYouTubeチャンネルを紹介していたのですぐさま登録した。それからにゃんたこさんの配信は勿論のこと、梟の配信も何度か見ていたのだが、コメントなんてしたことないし長いこと日和っていた。しかしようやく決心し、コメントをするためにアカウントを作った。これが「耳。。。」の誕生である。余談だが、名前の起源は何度かヒロアカの耳郎響香からとって耳だと言っているのだが、実はこれは後付けでこの時点ではヒロアカを読んだことはなかった。本当は、デジモンの太刀川ミミから来ている。ミミだと女の子っぽいので耳にした。自分の右耳がほとんど聞こえないことにも絡めた名前だ。その後ヒロアカを読んで耳郎響香にベタ惚れなのは皮肉か運命だろう。
そして初めて配信でコメントした。これは誰にも言ったことがないのだが、実はにゃんたこさんの配信よりも前に、人生で初めてコメントを送ったのは梟の配信でのことである。こんな可愛い女の子に自分のコメントを読んでもらえるなんて、と感動したのを覚えている。ちなみに内容は、私は毎日お風呂に入らないと気が済まないという会話に対して「入らないと気持ち悪いしベッド入るのも躊躇しますよね」というような内容のクソみたいなコメントだった。
そこで少し配信というものになれた僕はにゃんたこさんの配信でもコメントするようになった。これが11月の中頃のことだったと思う。そこから1ヶ月強経った12月25日クリスマス当日(イブの夜から配信)に、初めてにゃんたこさんと電話することに成功する。初めて配信を観てから2ヶ月、コメントしてから1ヶ月でこんな機会に恵まれたのはかなり運が良かったと思う。ちなみにクリスマスに配信でにゃんたこさんと会話したリスナーは僕だけなので、これは密かに僕の自慢になっている。
この時の記憶は後日聞いたところによると無く、僕との通話した事実も忘れていたようだが、この後から確実に認知してもらえるようになった。にゃんたこさんの誕生日には「耳と結婚しようかな」という言葉を頂いて、6月11には有難いことに2回目の通話に成功した。このペースだと次はまた12月に話せることに期待している。もちろん、直接のクリスマスディナーでも構わない。
にゃんたこさんと、そこから派生した出会いなどは僕の今の精神上かなり大きなものになっている。一度ツイートした事があるが、ふたばさんや梟のことを知れたのも全て元をたどればにゃんたこさんのお陰で、彼女は全ての母のような存在である。兎に角、彼女には感謝しても仕切れない。是非目の前で土下座して感謝を述べたいので、とりあえず焼肉ランチ、お願いします。