世界は救えないけど豚の角煮は作れる
敬愛するにゃんたこ氏が初著書となるエッセイを出版した。上記が本のタイトルである。このノートは、エッセイの感想文の皮を被ったラブレターである。エッセイについての前に、にゃんたこ氏自身についての思い出を冗長に語りたい。
元々私がにゃんたこ氏を知ったのは、記憶が正しければ、昨年の9月末から10月の頭あたり。つまりバリバリの新参にゃんたこ信者である。突如YouTubeのおすすめ動画に、にゃんたこ氏の料理動画(哲学動画?)が出現したのがきっかけである。
衝撃だった。文学的な洗練された表現、豊富な人生経験から来ているであろう寛容な心、優しい言葉。先端恐怖症で包丁に怯えながらも画面に釘付けになってしまった。仕事でも、私生活でも多大なるストレスを抱えていたその当時の私の苦痛は、にゃんたこ氏の動画を見ることで解消されていった。その後はもちろん、「この方、女性だよな・・・? 話している動画とかないのかな?」 カーソルをいつの間にか、ゲーム配信の切り抜き動画に合わせ、クリックしていた。「え、これがにゃんたこさんの声?」更なる衝撃に頭を打たれた。高田馬場のロータリーで死ぬほど聞いたような、泥酔している女性の聞き取りづらい声がしたからだ。しかし、よくよく聞いていくと、この声が異常に可愛い。10分と経たないうちに、私はこの声の主の虜になってしまった。
チャンネル登録をし、それから程なく、とある秋の夜。にゃんたこ氏が配信しているのに気づいた。草食動物を狩る、獰猛かつ貪欲な肉食動物のように私はその配信を見始めた。それが丁度、にゃんたこ氏が梟氏らと通話をしていた配信であった。私もコメントし、にゃんたこ氏の配信に参加したい、とそれ以来、耳としてコメントするようになった。
こうして、にゃんたこ氏のファンになっていった私が、彼女のファーストエッセイを購入するのは当然の流れであった。エッセイは、まさに、「にゃんたこ的感性の暴力」だった。勿論、にゃんたこ氏にキモいと言われ喜んでいる私からすると、極上の褒め言葉だ。
エッセイは、まず、面白い。勿論エッセイ自体interestingだが、ここでは寧ろhilariousの意味である。高校時代、年上の大学生とのデートの中で、そして成人してから歌舞伎町のど真ん中で、尿意を催し、脇道で放尿した女性などそんなにいるのだろうか?(反語)
にゃんたこ氏のファンには、「にゃんたこさんのおかげで救われた」「にゃんたこさんのおかげで気が楽になった」という方が非常に多いと思う。にゃんたこさんが、hilariousな過去の言動を伝えたり、自身のだらけたところや、失敗を面白おかしく書いてくれるところを読むと、自分のコンプレックスや不満な点を気にしなくていいんだ、もっと前向きに生きようという気にさせてくれる。この本はそんなにゃんたこ氏の体験談や、ポジティブな考えが詰まっていて、読んでいると、自分のことに自信が持てるようになり、将来への心配が少し和らぐようになる気がする。自分も、主に仕事面において、このままでいいのだろうかと、不安になることが多いのだが、そんな時に、にゃんたこ氏の動画に救われ、そして今回のエッセイでよりポジティブな気持ちになれた。
にゃんたこさんのことを知って間もないが、その間に何度精神的に救われたかわからない。配信での、元気で明るい喋り声にも、実は幾度となく元気付けられている。大げさに聞こえるかもしれないが、自分の今の人生には彼女の存在が欠かせないとまで言える。にゃんたこ氏と、彼女の存在を教えてくれたYouTubeアルゴリズムには死ぬまで感謝したい。