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メンタルが強いことを目指さなくてもいい
メンタルが強くなりたい、とか、メンタルを強くする方法、とか、よく見かけます。
「強い」の定義にもよると思うのですが、たとえば、動じないとか、気にしないとか、心が折れないとか、そういうことをイメージしているなら、メンタルが強いことが本当にいいのか、私は少し疑問です。
「この人メンタル強いな」と私が思うのは、たいてい悪い意味で、鈍感だな、こちらの言うことにまったく耳を傾けないな、それでも自信満々でいられてすごいな、とかそんな時です。
ある意味うらやましいですし、そうやって生きられたら幸せだろうなと思います。
もちろんそこを目指して「メンタルが強くなりたい」と思っているならそれもいいと思います。
鈍感になっていくこともある意味才能だし能力だと思っています。
私が心底すごいなと思うのは、些細なことにも傷つくし、まわりの言うことも気になるし、これでいいのか自信がないし、でも、それでも自分の信じる道を進んでいる、繊細さと優しさを持ち続けている人です。
そういう人は、けしてメンタルが強いわけではないけれど、そんな自分を知っていて、上手に付き合えているのだと思います。
外からみたら、そんな繊細さはなかなか見えないし、単に「メンタル強い人だな」で終わってしまうかもしれません。
でも、自分より立場の弱い人への対応とかを見れば、繊細な優しさをもっている人かどうかはわかります。
そういう人は、その境地に至るまでに地獄のように苦しい日々や、あがきもがいた日々があったのかもしれないとも思います。
だからこそブレないし優しくなれる。
あえて「強い」という言葉を使えば、そういう人が、しなやかで優しい強さをもった人だと私は思います。
「メンタルが強くなりたい」という気持ちの背景には、もっと頑張れとか、そんなことでつらくなっていたらだめだとか、まわりからの言語非言語のメッセージを受け取っていることがあるのではないかなと思います。
でも、弱いことはよくない、なんて嘘です。
弱いからこそ強くなれる。
よく、長所と短所は裏表といいます。
短気である人は、行動的だったり、
心配性な人は、細かなことに気を配れる人だったり。
こんな風に見方を変えることを「リフレーミング」と言いますが、私はリフレーミングの考え方が好きです。
自分はメンタルが弱い、と思っているのも、もしかしたら、頑張りたい気持ちがあるからこそまわりの反応が気になるのかもしれないし、期待に応えたい気持ちが強いからこそ失敗することが不安なのかもしれない。
その分、まわりの人からの意見を取り入れて自分をどんどん変えていけるかもしれないし、失敗しないよう入念な準備を積み重ねることで仕事のスキルをどんどん上げていけるかもしれません。
大切なのは、メンタルが弱いと感じた時に、自分を追い込みすぎないで、前向きな行動につなげてあげる方法を、自分なりにもってあげることなのだと思います。
誰かに話を聞いてもらうのでもいいし、好きなものを食べるのでも、空を見にいくのでもいい。最近はマインドフルネスが流行っていますが、合う人にはいい方法だと思います。
メンタルが弱いと感じるところは本当はきっと長所なんです。
だから、そこがいけないんだと思うのではなくて、そこを大切にしながらつらくなりすぎない方法を見つけてほしいなと思います。