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「かわいそう」という言葉の暴力と、「暖かい手」

ある日のこと。
3人目を妊娠中、9ヶ月目のこと。

土曜の夜中から1歳の2人目が熱を出し、41度まで上がってしまっていた。
以前、熱性痙攣の経験もあった2人目が40度を超えることで気が気ではなく、夜中にも痙攣が起きないか、子供が寝返りを打つたびに起きるような状況で、やっと月曜の朝、病院に駆け込んだ。

当時、私は妊娠9ヶ月、3人目ということでお腹もだいぶ大きく、数分歩くだけでお腹が張るような状況。
歩いて10分の小児科に行くのも、すぐに張ってしまうお腹を抱えてなんとか行くような状況だった。

病院では1時間かけてなんとか検査、診察も終わり、泣き叫んでのたうち回る1歳にパンパンに張ったお腹をけられながらずっと抱っこしてなんとか診察を終え、薬局にようやく辿り着いたところだった。

薬局も残念ながら混雑していて、その間も泣き叫ぶ1歳。
近くのおばあちゃんが優しく「元気な泣き声ね、うちの子を思い出すわ」と子供をトントンしてくれたり、あやしてくれる。
1時間の病院を終わった後で、へとへとだった私は、泣き叫ぶ子供をベビーカーに乗せたまま、椅子に座ってどんどん痛くなるお腹の張りに耐えていた。

すると、今度は別のおばあちゃんがやってきて、「この子、疲れたのね、うちの孫を思い出すから、抱っこさせてもらってもいいかしら、外の空気を吸ったら少し泣き止むかしらね。」と。

そして本当に、抱っこして薬局の外であやしてくださったのだ。
お腹が張って立つのもやっとな状況で、本当にありがたくて、私はおばあちゃんに甘えて椅子に座らせてもらっていた。

その時だ。
「子供がかわいそうだよ。母親なんだから、自分で抱っこぐらししなよ。」
薬をもらったおじいさんが、突然、そう言い捨てて立ち去っていった。

かわいそう…?

瞬時には反応できず、頭が真っ白になったが、改めて「かわいそう」という言葉にとても傷ついている自分に気づき、思わず泣きそうになってしまっていた。

私は大事な子供に対して、かわいそうなことをしているのか…?

やっと薬局で名前を呼ばれて薬をもらい、おばあちゃんには心からお礼を言って、泣き叫ぶ我が子と一緒に薬局を出ると、それまで堪えていた涙がポロポロとこぼれてきた。

改めて考えれば、私は子供にかわいそうなことはしていないと言えるし、おじいちゃんも私のお腹が見えてなくて、妊娠中だと気づかなかったのかもしれない。

だけど、その時の私にとって
「かわいそう」
という言葉が暴力的なまでにショックな言葉だったという事は、きっとあのおじいちゃんは気づいていないだろう。

おじいちゃんから見える一部分を切り取って、「こうだ」と判断することが、他人にとっては全く違う状況であることを、反面教師としたいと思った出来事だった。

おじいちゃんのこれまでの人生の背景は、私からは知り得ない。
だけど、泣いている赤ちゃんに対して必要なものは、その赤ちゃんがどうだという話ではなく、2人のおばあちゃんたちが手伝ってくださったような、「暖かい手」だ、ということ。
私も困っている人がいたら、「暖かい手」を差し出せる人になりたいと思った出来事だった。

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