十六夜の誕生日で17歳。セブンティーン。
今日は、ムスコが17歳のお誕生日。おめでとうムスコ!
ですが、当のムスコは今日から期末テスト初日ww
昨夜、12時を回ったころ、部屋で友達とワイワイ電話をしている様子でした。きっと、当日瞬間を祝ってくれた友達とかがいたのでしょう。
みんなテスト前夜なのにありがとうw
ワタシは猫のくぅちゃんと自分の寝室に行きました。
我が家は夫婦の寝室が別で、早寝早起きが好きなオットはとっくにご就寝。猫とワタシだけでベッドにいて、深呼吸をしていました。
そこへ、17歳なりたての青年がやってきて
「ママ、17歳おめでとう💛 オレにも言って、おめでとうを」
とうので、おめでとうを伝えていたところ、
隣りの部屋からムスメもやってきて、ワタシの狭いベッドに3人と猫とで寝ころび、ムスコが生まれた日のことを話したり、小さいころのことを話したり、3つ年上の姉が持つ想い出を話したりして、1時過ぎまで大笑いしちゃいました。仲良しすぎだろw
っていうか、テスト前夜!w 現実逃避か!w
ワタシは、子供の頃に、両親と腹を割って話したりした記憶が、あまりなくて、話したいことを話すと怒られるって思ってました。子供の話に耳を傾けてくれるほど、ヒマではない忙しい人たちだったんだと思います。世代的にもそうだったのでしょう。
なんだけど、うちの子供たちを眺めていると、
両親(ワタシのことだけど)との距離感が、めっちゃ近い……。
これがイマドキなんでしょうかねぇ……
モンゴルではゲル(家)の中で、先祖の名前を子供たちに語り継ぐのが家族の会話だっていうエピソードを聞いたことがあります。
アイデンティティというものなのか、民族的伝統なのわかりませんが、
そのはなしを聞いたか読んだ時、ああ、それって心が弱った時の支えになりそうだなぁって思ったんです。
「自分」を捉えるとき、ふわりと一人で存在している感覚って、ワタシにとったら恐怖なのかもしれない……
その恐怖があるからか、ワタシは子供たちに、ワタシの記憶やワタシの時間を子供たち刻もうとする傾向があります。
子供たちの潜在意識を作っている自覚があるから。
子供たちの心の細胞を作ってきた自覚があるから。
けど、17歳になったもう青年は、そんなワタシの思いとは、まるで違う時間軸で生きているようです。
ママが刻みつけようとする「自信のようなアイデンティティの卵」なんて、さらっとかわして、悠々と自分の海を泳いでいるのです。
それでいいんだ。
もうすっかり、そんなことができるようになってるんだ。
ワタシを傷つけたり、蹴散らかすことなく、笑いながら上手にかわして、自分の潮を探して泳げるなんて、すごいじゃないか。
いくつになっても母親を蹴散らかし、傷つけたり、怒ったりしてきた自分の過去の幼さを反省したり、苦笑いしながら、そう思いました。
ちなみに、ムスコがワタシの部屋に遊びに来た理由は、とてもシンプルで、
「今年の誕プレの予算っていくら? 買って欲しいものがあるんだけど、それって可能? 金額はこれくらいするんだけど……」
が言いたかった模様。
可愛いすぎるだろw
そりゃもう、相談された時点で、ワタシの支払いが決定でした。
十六夜の美しい月を眺めながら、17歳のムスコの誕生を祝った本日。
気付けば今日も、楽しい1日でした。
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