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わたしは思っているより葛藤していたことに気づいた。

本日は、セルフカウンセリン®の最期の講座でした。
4級・3級・2級・1級。
気が付いたら、最終クラスである1級講座が本日で終わりました。
来月はテスト! そのテストでは模擬講習を行うそうなので、講師への道……え 講師??ww そう。講師。人生なにが起きるか分かりませんね。まさかわたしが、講師……。

さて。
セルフカウンセリングに限らず、学びたい理由や続けるきっかけは、千差万別かと思います。私は、ライティング・ライフ・プロジェクトとの出会いをきっかけに、書いて自己認識を深める道を進みたいと、なんだか書くっていう方向性を創作活動から進路変更し、色々と学びを始めました。

そしたら、講師への道を学んでいて、自分でも驚き。
新しいことすぎて楽しいので、こちらも学んでいこうと思います。


で、書くことについてですが。

わたしは、今回の学びの中で、自分の両親とわたしのことを掘り下げる時間が長かったんです。
わたしの「怒り」「悲しみ」「悔しさ」という不安を掻き立てる存在の最大の存在が、わたしにとったら、両親だから。

決して毒親ではなかったです。むしろ大事にしてもらったし、お世話になんてなりっぱなしだし、大好きな人たちです。
なんだけど、わたしの荒ぶる感情を刺激するんですよww
母なんて、死んでもなお、思い出すと荒ぶっちゃうんですからね。

それがね、まだもっともっと掘り下げられるし、してみたほうがいいですねって言われたので、これからもやり続けてみようと思ってるのですが、
今日まで1日も怠ることなく掘り下げ続けてきた人生のテーマ(大袈裟だけどほんと)だったりもします。


人は、自分が言ったことは忘れるけど、言われたことは覚えてるじゃないですか。それが、傷ついたことならなおのこと。

わたしは海馬があんまりいい仕事しないタイプで、言ったこともしたことも忘れっぽいんですが、母とした会話の一部が、すごく残りやすくて、その記憶は、怒りであり哀しみであり、もっと認めて欲しかったっていう願望に繋がっているんです。

たとえばね……

うちの娘が小さいころ、わたしはお母さんとして娘の話を一生懸命聞いていました。娘の不安がなにか、要求がなにか、耳を傾けていたんです。だから娘は泣くことも騒ぐこともなく、自然な感じでわたしになにかの要求をしてきました。
それを見た母は、わたしに言いました。

「あなたは子育てが上手ね。だからこんなにいい子が育ってるんだわ。わたしは子育て失敗しちゃったから、ほんとに尊敬するわ」

ん? いっけん、褒められているようだけど、めっちゃディスられてんじゃね? いまのって、おれが失敗作だっていってね?

と、勘がいいもので、すぐそう思うw 
「褒めてないけど?」 と言いたくなる。だから言いました。
そしたら「どうしてそう卑屈に聞くの? あなたは育児が上手だわねって褒めたの。ただそれだけじゃない! そこだけ聞けばいいのに、どうして斜めから聞くのかしら!」

今ではただの笑い話ですが、その当時は、もういちいち、感情があらぶっておりました。

だけどね。思ってたんです。
親に感謝するより先に、あらぶったりするムスメは良くない子なんだって。
だから失敗作だなんて言われるんだって。
大事な人に怒りをむき出しにする私が悪いんだって。
わたしの周りの素敵な人たちは、素敵な親子をやっていて、お互いを認め合っているじゃないか。母もワタシとの関係でそれを目指しているのはわかってる。だからそう歩もうとしてるのに、わたしがいつも邪魔してる天邪鬼で、だから失敗作だなんて言われちゃうんだ。わたしの短気さったらしょうがないなぁって。わたしが悪いのかもしれないなぁって。

母が望む素敵な娘になれない自分を、責めたり恥じたりしてたんでしょうね。って書くと、なんだかとても悲しい思い出みたいよね。
だけど、それほど悲しくもなくて、自分では母みたいなその発想はないわーって思うので、母の意見を色々聞いてきたことは、学びだったなぁって思ってるし、いちいち食って掛かっておいてよかったなぁって思うし、もっというと、丸裸のわたしを生きてこれたのは、母がいたからなぁなんて思ったりもします。

だけど、哀しかった自分の未消化な感情があるかもしれないので、そこは母への愛や感謝とは別にして、しっかり受け止めたいと思います。

ライティング・ライフ・プロジェクト1月度。
昨日で募集を終えました。ありがとうございます。
13日月曜から、スタートです。

来月のスタートについては、月末にお知らせしますねー。

あと、おしゃべりゆみこの雑談ルーム(仮題)を1月22日・水曜日にやります!

11月12月は、おやすみしたので、今月から復活です!
もしよかったら、遊びに来てくださいね。


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