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小さくて明るくかわいい働き者(母について)④
小学1年生の時、おそらくそれは夏休みかその少し前だったと思う。
僕は家の小さな庭で遊んでいた。
隣の家の畑で使っていた、野菜が成長した時に巻きつけるような細い竹筒を持ってきて、ウチの庭からその畑にブロック塀越しに投げて、やり投げのようにして遊んでいた。それでまた隣の家の柵を越えてその細い竹筒を持ってきては投げるという繰り返しをしていた。
子どもの遊びなんてそんなものである。
そんなことを繰り返しているうちに、竹筒を持って隣の家の柵からウチの庭に乗り越えた時に、僕は自分の右目をその竹筒の尖った先で突いてしまったのである。
それで「痛い、痛い」と眼を押さえて家の中に入って泣いていたのだが、まだ母はパートから帰って来ないし、3歳の幼い妹にはお兄ちゃんに何が起こったのかも理解できない。
それで僕は「痛い痛い」と言ったまま、泣きながら寝てしまった。
それで母は僕が泣きながら寝てしまい、ご飯も食べないで寝てしまったので、グズって寝てしまったと思ったらしい。
翌朝、僕が起きてまだ眼を押さえて、「痛い、痛い」と言っているので、母がなんとか僕の眼を開かせてみたところ、腐った魚のようによどんだ眼だったという。
それで急いで県病院に連れて行き、眼科の先生に診せたところ、これはもうウチでは手に負えないからということで、名古屋の大きな眼科に紹介状を書いてもらった。
そのまま電車でその大きな病院に行くと、すぐに手術をすることなった。
手術というのは現在とはまた違うかもしれないが、眼に麻酔の注射をして、太い針の注射を2本、眼球に打つというものだった。
それでそれからは入院で、3日間はずっと眼に眼帯をし、反対の眼も含めて眼帯でグルグルに巻いて、真っ暗な状態にして、横を向いてもいけないし、動かしてもいけないということで、仰向けに寝たまま、真っ暗なままで3日間過ごした。
その間、ずっと母は付き添っていたのかどうかは覚えていない。
幼い妹もいるし、ご飯も作らなければいけないし、家のこともあるので夜は家に帰ったと思う。
でも昼間は仕事にも行かず、付き添ってくれたのだろうか。あまりに昔のことすぎて覚えていない。
父も名古屋に勤めていたので仕事終わりには様子を見に来てくれたと思う。
その真っ暗な3日間も含めて、結局僕は1週間くらい入院したと思う。
結局眼の中に傷跡は残ったままであるが、なんとか失明はせずに済んだ。しかし、傷なので矯正は出来ない。
その間、幼い妹は親戚の家に預けられて寂しい思いもしたと思う。
こうして僕はぜんそくで6回、眼のケガで1回、6歳までだけでも7回も入院し、さんざん家族に迷惑をかけた。
この出来事からも、一晩放っておくというあたり、母はとても楽観的で典型的なO型であることは伺える、と言えば母に悪い。
勝手に怪我をした僕が100%悪い。
他にも同じ小学1年生か2年生の時だったと思う。
学校の宿題としてカッターで鉛筆を削ってくるようにという課題が出された。
それでぼくは削っていたのだが、そもそもかなり不器用な僕は案の定、右手の人差し指を3分の1ぐらい切ってしまった。
かなり深く切ってしまったのだが、母に言いに行くと、母は消毒して後は絆創膏でグルグルに巻いて、後は強く押さえていなさいということだった。
もし今、病院に行ったならば、普通は何針か縫うはずだろう。
それから数日間はめちゃめちゃ痛かったが、なんとかそれでくっついて現在に至っている。
勿論、右手の人差し指には、指の関節ぐらい大きな傷跡は残ったままだが。
これも僕が勝手に怪我をしたものなのでどうしようもないことだ。
ただ押さえていれば治るというのも、確かにそうだが、なかなか大雑把な治療法だとは思う。
つづく
読んでいただきまして、ありがとうございました。また次回、お会いできたらうれしいです。