贈りものって難しい ー罪悪感の丸投げになってない?(自戒も込めて)ー
こんにちは、みみなをです。
贈りものって難しいですよね。
前回のnote『父の仕送りは不味かった』では、我が家の家計が苦しかったころ父が米を送ってくれたけれど、その米がどうにも不味かった…という思い出話を書きました。
贈りものの向こうに見える気持ち
米が不味くてもおかずがおいしけりゃ我慢できるでしょ?と、思った人もいるかもしれません。
はっきり言いましょう無理ですw
米がおいしいからおかずがしょぼくても満足できる、はあるかもしれませんが、その逆はないです。
せっかくのおいしいおかずが、本当に台無しになってしまうのです。食べない方がマシ。
私の父の、娘を思う親切心は確かだったけれども、米は重いから送料がかかる。
それも一回限りではない、何回も送ってやらねばと思えば、当然送る側にだって負担がかかる。
だからその分、米代はケチったんだろうなあと推測されますね(笑)
父は父なりに、いろいろ考えた上での不味い米だったんだろうと思います。
でも「お前は貧乏なんだからしのごの言わず、こっちの送るものをありがたく受け取ればいいんだ」というのは、やはり傲慢でありましょう。
しかし、じゃあ高級な魚沼産コシヒカリならよかったのかといえば、そうではなかったでしょう。
毎回送られてくる高級な米に、申し訳なさのほうが先に立ち、断っていたに違いありません。
実家だってつつましい普通の家庭で、金持ちじゃありませんからね。
良かれと思った気持ちが、相手の負担になってしまう。
そして贈ったものが高級すぎても、下級すぎても、やっぱり負担になってしまうのです。
実は「罪悪感の丸投げ」になってない?
あと、私もついやりがちなのが「いらなかったら捨ててくれていいから」というパターン。
まだキレイだとか、捨てるにはもったいないとかいう理由で、ユーズド品を譲る場合ですね。
これ、受け取る相手が本当に欲しいと思ったなら問題ないんです。
でもこういうものって、大抵「どっちでもいいなあ…」というのが圧倒的に多いと思うんですね。
「そんなに欲しくないけど、まあ相手が親切でくれるって言うし…てか渡す気満々だし…」というのがほとんどじゃないでしょうか?
そして譲る側のキメ台詞。
「いらないと思ったら、遠慮なく捨てちゃっていいからね!」
かくして、譲られた側は特に欲しくもないものを手にし、譲った側はよかったよかったと満足を手にするのであった……。
…これ、なんかおかしいですよね?
なんなら捨てちゃってもいいようなものを、他の人にあげちゃう。
それって、ただ単に自分の「ものを捨てるという罪悪感」を他人に丸投げしてるだけじゃないの??って。
だって譲られる側は、すごく断りづらいんですよ。
品を見れば確かに新品同様だとしても「趣味じゃないしぃ~いらぁない」とは、よほど気の置けない仲でなければ言えないでしょう。
私の両親も、よくこのテでいらない服を置いていきました。
もちろん中には気に入って着用したものもありましたが、大体のものは「捨てていいなら自分で捨ててくれや…」と思いながら私が捨てました。
贈りものって、本当に難しいです。自戒も込めて。
ではまた(^-^)/