『善人が運ぶ飯』9月17日に考えたこと
UberEats使えるほど人間を信用していない。
UberEatsは完璧に人が善良であることを前提にしたシステムだと思うし、みんなすごいなと思う。
ただ昔、Uberのビジネスモデルを考えた際に、これはとんでもなく搾取の構造を、ドライバーから、そして投資家からも、さらには乗り手からも、既存運輸事業者からも、積み重ねたビジネスだなと思って、呆れるとともに感心した覚えがあるので、悪人が考えた善人の存在を前提としたビジネスということになるな。
毎日を、まさにこの一瞬の今をどのように幸せに過ごせているかの大切さに気づくようになってきた。
元々は将来にわたって不幸な目に合わないように頑張ろう、という考え方の人間だった。将来悲劇が待っているなら、今の楽しさには意味がない、という考え方。でもそれだと永遠に幸せを繰り延べしているだけで、人間の命が有限である以上、幸せを回収するタイミングを逸してしまう。
アリとキリギリス的な教訓に反することだが、今、今日、幸せに生きれているということはそれ自体に意味があることであり、将来に悲劇があったとしても、今日の幸せの価値は失われるものではない、と思うようになってきた。
ワインを希少性で飲ませようとするなよ。
カービィのamiibo探して子供とさまよった。握手券系の任天堂さんらしくない生々しい商法ではあるなと思うけど、クオリティは高いですよね。
おしまい
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