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ごきげんとり 第7話〈最終話〉

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○ 2025年8月16日〈根子例祭前日〉

イヌイ恭子キョウコは、篠山正海マサミのあとを追って外に出た。

時間差で2階から降りてきた息子の克夫カツオ
「あとは私がすべてうまいことやるわ」と言って、部屋に戻るよう指示をしたあと、
キョロキョロとあたりを見渡して、ため息をついた。

篠山は今出て行ったばかりだ。
そんなに遠くへは行っていないだろう。
車で追いかければすぐに追いつくが、
こんな暗闇では、どこかに隠れられたらわからない。

深呼吸をして、エプロンのポケットに入れていた車のキーを取り出す。
エンジンを入れ、恭子はゆっくりとブレーキペダルから足を浮かせた。
篠山が左右どちらに逃げたかわからない。
一か八かの勘で進んだ先に篠山の背中を見つけた時には簡単すぎて思わず笑ってしまった。

走っているのか早歩きなのか、しばらく後ろから観察していたが、
もどかしくなって中年の男の横に車を寄せる。窓を開けて、
「篠山さん」と、呼びかけた。

私を認識した瞬間、篠山は驚きと恐怖で腰を抜かしたようだった。
私はやれやれと言いながら、その場に車を停めた。

「大丈夫ですから。とりあえず私の車に乗ってください」

動けなくなった男性を立ち上がらせるのは容易ではなく、恭子も必死になって、肩をかした。
やっとの思いで篠山を後部座席に押し込めると、そのまま、根子ネコ神社へと向かった。

夜の根子神社は気味が悪い。
何十年もこの町に住んでいるが、何度来てもここのこの異様な雰囲気に馴染めないでいる。
夫は「おねこさまは美しい」と言うが、私はそんなふうに思ったことは一度もなかった。

篠山はまだ私を警戒しているようで、
さっきから一言も言葉を発していなかった。
まぁ、私も同じ状況なら怖い。篠山のこの反応は無理もないと思った。

私は自分の中の勘を信じて、篠山にこう聞いてみた。
「もしかして、千鶴チズのお友だち?」

篠山は千鶴の名前を聞いた途端、小さく、
「……え?」と、反応した。

「やっぱり。じゃあ、3〜4年前に東京から来たライターの……虎太郎コタロウさんだったかな?も、お知り合いかしら?」

篠山がごくりと唾を飲んだ。
わかりやすい男だ。

「あらためまして、千鶴の母の恭子です。いつも千鶴がお世話になっております」

私が頭を下げると、篠山は「こちらこそです」と言った。

数ヶ月前、真巳子から千鶴の話が出てきた時からなんとなく千鶴はどこかで元気に暮らしているのだと感じていたが、その予感は間違っていなかったようだ。
良かった。

「それで、千鶴から何を聞いて、この根子町に来られたのかはわかりませんが……それ、だいたい合ってます。本当のことです」

篠山は信じられないという顔をして、俯いた。
私とどう向き合ったらよいのかわからないのだろう。

しばらく俯いたままの篠山の顔を見ていたが、
時間がない。
本題に入ろう。

「それで、本当は私、明日1人でやろうとしていたことがあるんです。お願いです!私の一生のお願い!篠山さん、手伝ってくれませんか?」

篠山は
「ええっ」と言って、気まずそうに私を凝視した。

**********

○ 2025年8月17日〈根子例祭当日〉

夫の貞夫サダオは4時に起きてきた。

「いよいよだな。今年もよろしく」と笑いながらリビングにやってきた貞夫に熱いお茶を淹れる。
興奮して眠れなかったようだ。
根子例祭の日は毎回こうだが、今年は特にそれを強く感じた。

助けを呼ばれたり逃げられたりしないよう、いつの頃からか、根子例祭には通信機器を持ちこめないようになった。
夫と克夫カツオと話し合った結果、真巳子マミコのスマホは私が預かることになっている。

真巳子が何も持たないまま、克夫に連れていかれたら助けようがない。

私はこの日のために準備していた、小型のGPSと盗聴器を手作りの巾着袋の中に入れた。

小魚入れだと言って渡せば、貞夫も克夫も怪しむことはないだろう。
巾着袋の中に入れた2つの探知機の親機は、
昨夜、篠山に渡しておいた。

真巳子が起きてきた。
昨夜篠山に何か言われたのだろう。こちらも眠れなかったようだ。
しっかりしなさいよ、と思う。
すぐに、そんなこと私に言えたことではないと思い直す。

克夫も起きてきて、案の定2人だけで根子例祭に行くと言い出した。 
真巳子が困惑している。

そこに亜巳アミちゃんが起きてきた。
ママと離ればなれで過ごすことが不安なのだろう。珍しく泣いている。
この子はこれまで自分を抑えて生きてきた。
これぐらい、泣いたりわめいたり、自分を出したっていいのよと思う。

「亜巳ちゃん、こっちへ。ばぁばと一緒にいましょう」
そう言って、嗚咽の止まらない亜巳を2階の子供部屋に連れていく。

部屋のドアを閉めた瞬間、私は今まで使ったことのない声と強い口調で亜巳に言った。

「時間がないわ!亜巳!あなたの頑張りにかかってる!ママを助けるのよ!」

亜巳はびっくりして私を見つめる。
もう涙は止まっていた。

「まずはどうしても大事なものだけ、このバッグに詰めてちょうだい!」

私は準備しておいた旅行用のバッグを亜巳に手渡した。

「真巳子さんの大事なものとか、あなたの大事なものとか、銀行の通帳や印鑑の場所は知ってる?他にも当面の着替えとか、とにかく必要なものをこれに詰めて!」

亜巳はお尻に火がついたように右へ左へ、必要なものを探し回った。
必要なものかどうかわからない時はその場で地団駄を踏む。そして、泣きそうな顔で「おばあちゃーん、これは?いるかな?」と聞いてくる。

たった4ヶ月一緒にいただけなのに、私は亜巳のことを本当の孫のように可愛く思い始めていた。
本当はこのままずっと一緒に暮らしていけたらどんなに良かっただろう。

克夫が心を入れ替えて、
おねこさまなんて無視して、
みんなで幸せに暮らしていけたら……。

そんな自分の考えが甘いものだったとわかった今、
もうこれ以上、犠牲者を出すわけにはいかない。

バッグがパンパンになった。
全部持って行けるわけではない。
命があれば、あとのことはどうにでもなる。

「おばあちゃん、やっぱり亜巳とママはここから逃げることになるの?おばあちゃんも一緒に行く?」

亜巳がクルクルした瞳を潤ませて私をまっすぐに見る。

「おばあちゃんはね、いろいろやることが残ってるの。ぜーんぶ綺麗にしないといけないから、亜巳ちゃん、先に行っててね」

亜巳は賢い子だから、真巳子を困らせないように我慢しすぎて、よくわからないままこんな田舎町にきてしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、出会えて良かった。

「ああ!これ!1番大事なやつ!とりあえずの亜巳ちゃんと真巳子さんの生活費。ママにね、もう悪い男に引っかからないようにねって伝えてね」

こつこつへそくりをして貯めた200万円入りの封筒を亜巳が背負うリュックの底に入れた。
あとは……。

「ママと篠山のおじさんと安全な場所まで逃げたらね、どこかの警察署に入ってこれを渡して。今までのことが全部書いてあるから。おばあちゃんがここに嫁いできてから見てきたこと。45年分くらいの歴史がここに詰まってるから」

私が知りうるかぎりの、
根子例祭に関する事件すべてをしたためた手紙を封筒に入れて亜巳に渡す。
預かった真巳子のスマホも
「ママのお電話。あとで返してあげてちょうだい」
と、亜巳の可愛い手に握らせた。

あとは行動あるのみだ。
真巳子と亜巳を守るため。
夫と息子の罪をつぐなうため、
あともう少し頑張らねばならない。

**********

7時に町の人が貞夫を迎えにきた。
亜巳と一緒に手を振って見送る。

50年近く一緒にやってきたなぁと思う。
ふと、
「子どもの名前をおねこさまの好物にしよう」と言い出した日の貞夫の笑顔を思い出した。

この村で守られて生きていくには、
おねこさまの好きなものを名前にしたらいいんじゃないかって。

克夫は魚の「かつお」から。
おねこさまは「かつおぶし」が好きだろうって。
千鶴は「チーズ」から。
チーズでチズって、
最初は冗談よねと笑ってたけど、本当につけちゃうんだもの。
この人は本当におねこさまを信じているんだなと思ったものよ。

懐かしさに笑えてくるはずが、
なんともいえない寂しさで胸がしめつけられた。

8時過ぎに克夫と真巳子を見送った。
この頃にはもう感傷に浸る余裕が私の中になかった。
さぁ!頑張らないと!

私は愛車の後部座席に亜巳を乗せた。
「あとで運転手が変わるから!おばあちゃんと篠山さんがチェンジして、真巳子さんが助手席に乗ると思うから!亜巳、2人をよろしくお願いしますね」

亜巳は唇をかみながらコクリと頷いた。

一般人が知らない、
根子神社の裏手の道を私は進んだ。
この先が、根子神社の本部。
毎年この日に夫や町の人たちが集い、おねこさまに貢ぎ物を供える場所だ。

普段は誰も開けることがない、
古い小型の倉庫が本堂の裏手に設置されていた。大人1人がどうにか入れるぐらいの錆びだらけの倉庫だ。何十年も前から掃除道具入れになっている。
その横に車を停める。

この倉庫に、
昨夜から篠山が潜んでいる。

一晩中1人でこの場所に隠れておくのは辛かっただろう。申し訳ないことをしたと思うが、
ちょうど良いところにあるのだもの。しかたがない。

私は「それじゃあ、いってきます」と後部座席に隠れる亜巳に挨拶をして、
ソロリと車から降りた。
倉庫の横に立てかけておいた角材を手に取り、ポケットの中のライターを確認する。

昨夜のうちに、篠山と協力して例祭の本部となる、この本堂にガソリンをまいておいた。

篠山が
「神社にこんなことをしてバチがあたらないかな」と不安がるので、

「今までここで行われてきたことを考えたらバチなんてとっくにあたってるわよ」
と返したら、
なんだかおかしくなってきて2人で笑った。

ガソリンのにおいも、
例祭で興奮状態にある男たちには気づかれないだろう。
彼らはそれぐらい、
この祭りの儀式を楽しみにしているのだ。

倉庫に向かって、小声で
「準備はいい?」と聞いた。
中から、
コンコンと返事がかえってきた。

篠山は倉庫の中で、
真巳子に持たせたGPSの場所を確認し、
真巳子と克夫の会話を盗み聞いている。

タイミングをはかるのは篠山の仕事だ。


8時50分。

私も倉庫の陰に隠れて待っていると、
克夫と真巳子が本部の中に入っていくのが見えた。

倉庫の引き戸が開く。

「今だ!いきますよ!」

篠山が言葉の勢いとは逆の動きでノロノロと出てきた。数時間ぶりの外に目がくらんで眩しがっている。

お互いの角材に火をつけ合う。
この日のためにキャンプ用品店へ足を運び、うまく火をつけられるよう小技を習得していたことが役に立った。

火のついた角材はまるで聖火ランナーのトーチのように見えた。
勇者になった気分で、
篠山と「せーの」で、本部へと突っ込んだ。

火のついた角材を持って乱入した私たち2人を見て、
貞夫と町の人たちは一瞬、
「そういう演出」だと思ったようだ。

メラメラと燃える角材に笑みを浮かべる。

私と篠山は角材を力いっぱい振り回した。
右へ左へ。
ぶんぶん振り回しながら、呆けている人々を殴り、引き倒した。角材が当たったところから火がついていく。

私によって「消された」と思っていた篠山の登場に克夫はビックリしたようだった。
篠山はすぐに克夫の隣にいた真巳子の腕を掴んで、建物の外に連れ出した。

私は克夫に邪魔されないよう、
力いっぱい火柱で克夫の顔面を殴りつける。
我が子にこんなことをする日がくるなんて。

しかし躊躇している場合ではない。
「篠山さん!早く!逃げて!運転もお願いね!」

篠山が真巳子と一緒に車へと走っていく姿を横目で確認する。

「千鶴にもよろしくね」と私は小さく呟いて、
燃え盛る本堂の入り口にぼんやりと立ち尽くした。
炎から逃げまどい、叫ぶ人々の声。
「おまえ、どうしてこんなことを」と私を責め立てる夫の声が、
私にはセミが鳴いているようにしか聞こえなかった。

どんどん火を大きくしていく根子神社を
私は初めて美しいと思った。



小さな田舎町で起こった事件の話を
どの規模の警察署にもっていけばよいのかわからなかった私と篠山は、
車で一時間ほどかけて、
とりあえず県の警察本部まで行くことにした。

乾恭子から預かった封書を届けるためだ。

中には、
恭子が知る範囲の根子例祭関連の話が詳細に記されていた。

一体いつからこのようなことが起こり始めたのか詳しいことはよくわかってはいませんが、
言葉の響きから猫を崇めていた根子村では、
十二支に猫が入らなかった(仲間外れにされた)伝説を取り上げて、
一年に一度の「根子例祭」で十二支退治をして「おねこさまのごきげんをとる」ことにしたようです。

祭りの開催時間は十二支の時間に合わせて、毎年2時間ごと。12年で24時間。ひとまわりする形です。

十二支12年のうち、
丑(牛)や未(羊)など、食べられる食材の年(丑・うさぎ・午・未・酉・亥)にはそれをみんなで食べて退治をし、
それ以外の年は、ネズミ等、実在する小さな動物は殺生して供え、実在しないか見つからない干支の場合はその漢字が名前に入っている人を殺めて供えるようになりました。
これが干支退治、おねこさまのごきげんとりです。

私が知っている範囲、
(夫の乾貞夫、息子の乾克夫、ご近所の人が関わっているであろう)事件について、
ここに記しておきます。

1994年 戌年 犬童 まさしくん
1998年 寅年 早乙女 寅彦さん
2004年 申年 猿渡 涼介さん
2013年 巳年 〇〇 正巳さん
2016年 申年 山田 壱申くん
2022年 寅年 山本 虎太郎さん
2024年 辰年 深川 龍之介さん
2025年 巳年 乾 真巳子さん(未遂)

夫や息子の担当の年とそうではない年があり、私もうろ覚えの部分もあります。

いつしか、根子町の人々は「根子例祭の神事だから」「おねこさまを喜ばせる儀式だから」と、殺人を正当化し始めました。一度関わった人たちにはそれが快感になったのでしょう。例祭が近づくにつれ町民みんなの気持ちが盛り上がるようになっていったこと、その盛り上がりが子どもたちにまで浸透していった近年の根子町の姿は何かにとりつかれているようでもありました。

直接手をくだしていないとはいえ、何十年にもわたり、見て見ぬふりをしてきた私も同罪です。
申し訳ございません。

2025年8月17日 乾 恭子


「おばあちゃんがね、ママにね、もう悪い男にひっかからないようにね、って言ってたよ」

そう言って、亜巳が悔しそうに泣く姿を
真巳子はやりきれない思いで見つめ続けた。



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ミーミー
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