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ごきげんとり 第4話
○ 2025年7月
篠山正海が九州の海沿いにある田舎町に到着したのは夕方の5時を回ったところだった。
町の雰囲気を見ておこうとなんとかここまでやってきたが、
生暖かい風を感じた瞬間、東京からの移動の疲れがドッと出た。
もう今日はウロウロせずにこのまま予約した宿に向かおうとタクシーを探す。
今利用したばかりのバスが行ってしまい、小さな駅前から見えるのは閉店の紙が貼られた弁当屋とコンビニと自動販売機のみだった。
この町の人たちはほぼ1人1台の自家用車移動なのだと、千鶴から聞いていたので、まぁ、大方の予想はついていたがタクシーなんて簡単には捕まらない。
千鶴から「絶対に根子町の中にある宿泊施設には泊まらないで。町から離れた場所に宿をとって」と言われていたし、当然今夜の宿もこの町からは離れた場所にとったのだが、もう今の俺にはバスや電車を乗り継いでそこまで行く気力がない。
ここからタクシーも捕まらない状態でどうしたらよいというのか。
今日のところは諦めて、この町にあるホテルを……。
泊まれるのなら民宿でもカプセルホテルでもよいと、スマートフォンを開こうとした時だった。
「何かお困りですか?」
声がした方へと目をやると、男の俺から見ても「こいつモテるだろうな」と分かる、涼やかで美しい顔をした男性が車から顔を出していた。
お困りなのは確かだが「予約していたホテルまで行く気力がない。疲れているのでこの辺で休みたい」と話したところで何になるだろう。
俺は愛想笑いを浮かべながら、
「いえ、何も。大丈夫です。ありがとうございます」と頭を下げた。
「遠慮なさらないでください。もしかして……タクシーが捕まらないとか、そういう系の?」
まさに、そういう系です!
と、正海は目を見開いて美しい顔の男を見つめた。
男は軽やかに笑って、
「もし良かったら送りますよ。あ、僕、怪しい者じゃありませんから。ご安心ください」
初対面の人の車に乗せてもらっても良いものか、正海は一瞬悩んだが、正直、この疲れて動けない状況で送ってもらえるのはありがたかった。
男の美しさと人あたりの良さも正海を安心させた。
目的地であるホテルの名を告げると、男は、
「あー、あのホテルか」と言いながら、カーナビにホテル名を入力した。
ここから車で20分なのだと画面に表示されている。
男は「安全運転でいきますから」と言ったが、そこは田舎町。かなりのスピードが出ている。これは15分くらいで着きそうだ、と正海が思っていると、
「今日はどうしてこの町へ?」と男からの質問が飛んできた。
運転中だから当たり前だが、前を向いたままで流れるような口調だった。
とりあえず場をもたせるための質問だとわかってはいたが、1ヶ月程滞在予定の大荷物をどう説明したものかと正海は悩んだ。
「観光……で、九州をぶらぶらしようと思いまして。これといって目的地はないんですけど、その日その日で宿をとって移動しているところなんです」
「ああ、それで。こんな田舎町にこの大荷物で、一体何のご用かと思いました」
男は相変わらず、目線を前に向けたままで目尻にかすかな皺を作った。
本当に15分足らずで目的地のホテルに到着した。
「いやぁ、助かりました。実をいうとかなり困っていたもので」と、男に微笑みかけながら礼を言う。
「ご厚意に対してタクシー代、と言っては失礼かもしれませんので何かお礼をしたいのですが……」
正海がそう申し出ても男は
「大丈夫です。この町に来た人は決まってあの辺でタクシーを探して途方に暮れているので、何度か同じ状況の人を乗せたことがあるんですよ。だから今日が特別なわけではないですし……」
と、言いながら何かを思いついたようで、少し慌てながら助手席側のダッシュボードを開く。素早く中に入っていた名刺入れを手に取り、
「あっ、私、こういう者です。これ、私の名刺です。このあとも困ったことがあったらご連絡ください」と、名刺を差し出してきた。
俺も慌てて、カバンの中に入れている名刺入れに手を伸ばしかけたが、千鶴の「虎太郎みたいに町の人に名刺を配ったらダメよ」という言葉を思い出した。
「あの、すみません。今回は観光で来ているので、自分の名刺を持ってきてなくて。お名刺、ちょうだいします」
へこへこしながら名刺を受け取る俺。
「へぇ。自動車会社にお勤めなんですね」と、社名入りの名刺を裏表見ながらそのまま口に出す。だが、名刺の中に見覚えのある名前を見つけた瞬間、あまりの驚きで半開きになった口を閉じ忘れたまま固まってしまった。
名刺を持つ手がかすかに震える。
「いぬいです。乾く、と書いて、いぬいと読みます。乾克夫です。よろしくお願いします」
正海は驚いていることを克夫に気づかれないように、克夫のあとに続いた。
「あ、私は篠山です。篠山正海。38歳です!本当にありがとうございました!」
聞かれてもいない年齢まで言い、
正海は慌てて、車を降りた。
**********
あの美しい男が千鶴の兄。
今回俺がここに来た、1番の目的の、
1番会いたかった人物だと言っても過言ではない。
いや、できれば会わずに目的を遂行したかった。
千鶴からお願いされたことは、
「兄の結婚相手とその子どもを根子例祭から救い出してほしい」
それは、
「乾の家から、根子町から、義姉を守って」ということだった。
まさか、その「兄」である乾克夫と、
初日に会うことになるなんて。
千鶴の故郷で毎年行われている、変わった祭の話を千鶴本人から聞いたのは5年前のこと。
ライター仲間の山本虎太郎と千鶴と3人でオンラインでの飲み会をした。
世の中が一斉に自粛生活に突入した頃だったので、久しぶりに集う仲間の顔にホッとして、はりつめていた心が和らいだのを覚えている。
各々で準備したお酒を飲みながら話すというのは画面越しであっても楽しい。
だいぶ酔いがまわり、そろそろお開きの時間かと時計を見ると、
千鶴が故郷を飛び出してきた経緯をぽつりぽつりと話し始めた。
それは俺たちには到底信じることのできない、気味の悪いおとぎ話のようだった。
最初のうちは「そんな話あるかよー」と、つっこみを入れながら聞いていたのだが、
いくら俺たちが茶化しても真剣な面持ちで話を進めていく千鶴を見ていたら、それが(少なくとも千鶴の中では)本当のことなのだと伝わってきた。
なんでも、千鶴が8歳の時、地域で古くから行われている「根子例祭」で、
クラスメイトの犬童くんが神社の裏手にへと、近所の人に手を引かれていくのを目撃したという。
ちょうど夕方の、お祭りが始まる直前のことだった。「どこへ行くんだろう?何か悪さでもしたのかな?」と気になったが、そのままお祭りが始まって、その日は楽しく過ごして帰宅した。
だが、夏休み明けに学校に行くと、犬童くんが行方不明になっていた。聞けばお祭りの日から行方不明で、犬童くんのご両親が必死になって探したが見つからないままなのだという。
千鶴はすぐさま「近所の人に連れて行かれる犬童くんを見た」と、学校でも家でも訴えたが、誰にも真面目に聞いてもらえなかった。
それどころか、父親からは「もうその話をそれ以上するんじゃない」と頬をぶたれたという。
その後も犬童くんは見つからないままだった。
連れていった近所の人の姿も祭りの日までは頻繁に見かけていたのに見かけなくなった。まるで最初からいなかったかのように。
千鶴もだんだんとあの日見た犬童くんは見間違いだったのかもしれないと思うようになる。
祭りには肉が振る舞われる年と、
ただ大人たちが「おねこさまへの感謝をあらわすためにごきげんとりをするだけ」の年とに分かれていた。
お肉の年の内容も毎年違って、
千鶴が覚えている範囲で、
牛肉、うさぎ肉、鶏肉、猪肉、羊肉、馬肉と様々だったらしい。
祭りの開催時間も毎年2時間ずつズレていて、9時開催の翌年は11時開催、次は13時、15時……夜中の開催年も経て12年で一巡した。
そのため子どもたちは参加しやすい時間帯やおいしい肉が振る舞われる年だけ神社に向かったという。
「素朴な疑問なんだけどさ、神社に行って、何をするの?その、お肉が出てくる年はそれをみんなで食べるんだろうけど、それ以外の年は?みんなで何を?」
虎太郎が千鶴に聞いた。
「お肉がない年は、とにかくおねこさまに感謝を伝えるだけ。この町の守り神であるおねこさまに町民みんなでお礼を言って……解散してたと思う」
千鶴が自分の記憶に向き合いながら心細そうに話す。
虎太郎は吹き出して、
「そんな祭りある?そんなのさ、ただお礼を伝えるだけなら普段からできるじゃん。普通、いろいろあるでしょ。みんなでお神輿とか、鬼のお面の人がガオーッとやったりとか、そういうのが。わざわざ一年に一度みんなで集まって、しかも時間もまちまちで。お礼を言うだけなんてありえねー。だいたい、おねこさまってなんだよ」
と、言った。
俺もそれは思ってた。
おねこさまって、なんだよ。
千鶴曰く、
「昔々、猫が村を救ったという言い伝えが……。えーっと、山の火事から村民を守ったんだったか、海沿いだから津波から守ったんだったか、いろいろな言い伝えがあるんだけど。
それで守ってくれた猫を神様として崇めて根子神社を作ったんだったかな。私も小さい時に聞いただけだからだいぶ忘れているけれど。もしかしたら、単純に村の名前と読み方が一緒だから猫を祀りだしたんだったかなぁ。どっちが先かもわかんない」
と、いうことだった。
どこの地域にもある、ありふれた民話というやつだろうか。
毎年、町の人たちはその祭りが近づくにつれ上機嫌になっていき、開催月の8月にはそのテンションも最高潮を迎えるらしい。
そこまで盛り上がって迎える祭りが「みんなでおねこさまにお礼を言う」だけだなんて、信じがたい。
「大人たちがね『今年も無事済ませておいたから』って言うの。『俺たちが町のためにおねこさまのごきげんとりをしたから大丈夫だ』って。それを聞いて、みんなで安心して、更に盛り上がって、お礼を言っていた記憶がある」
千鶴は自分の中の記憶のおかしさを充分に理解したうえで、根子例祭のことを細かく語った。
途中少し笑ってしまうのは、やはりそれが滑稽で信じられない内容だったからだ。
しかし、千鶴の18歳の夏の話が始まると、場の空気は一変した。
「その頃、お兄ちゃんは県外の大学に行ってたから、根子町からは出ていてね、夏休みに大学の友だちを連れて帰ってきたの。私が受験生だったから『夏の間だけこいつに家庭教師してもらえばいいよ』って。うちに泊まり込みで」
その友だちが猿渡涼介だった。
「猿渡さんはとても優しくて。うちに泊まって田舎の夏を満喫しながら私に勉強を教えてくれてたの。毎日私の家族と一緒にご飯を食べて、遊んで、家の手伝いをしてくれて。私ももう1人のお兄ちゃんができたみたいで嬉しかった」
そんなある日。
あれは忘れもしない、2004年の根子例祭当日。
その日は15時からの2時間が祭りの時間。
千鶴は猿渡と一緒に祭りに行く約束をしていた。
しかし、昼過ぎ頃、兄の克夫が猿渡を連れて外出をする姿を見かける。
祭りの開始時間まではまだ時間があるし、神社に手伝いにでも行ったのだろうと家で猿渡の帰りを待っていたが15時を過ぎても彼は帰ってこなかった。
母の恭子が「今日は家にいなさい」と言って止めたけど、千鶴は猿渡を探しに行くことにした。
自転車を夢中でこいだ。せっかくのお祭りの日だし、やり慣れない化粧をして、ワンピースを着て、珍しくおめかしをしていたというのに、8月の暑さと胸騒ぎで、神社に着く頃には顔も髪もくずれていた。
神社ではいつものように皆がおねこさまに感謝をしていた。あちこちに生臭さが漂う。
千鶴はいつも根子神社のこの匂いを嗅ぐと、
生きているのか死んでいるのかわからないような不思議な感覚をおぼえる。
必死に探したが、兄の姿も猿渡さんの姿も見あたらなかった。
ふと、神社の裏が気になった。
「神社裏には近づくな」と子どもの頃から父に厳しく言われていたが、10年前の、犬童くんが神社の裏に手を引かれていった姿を思い出したからだ。
町の大人に気づかれたら止められるだろうから、千鶴は用心深く裏手へと進んだ。キョロキョロと待ち合わせの誰かを探すそぶりを見せながら、少しずつ本殿の裏手へと近づいていった。
そこで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
小声だがはっきり聞き取ることができる。
父の声だ。
「これでおねこさまもお喜びだろう」
続けて誰かが
「克夫もよく頑張ったな」
と言った。
やっぱり……。
兄もここにいるようだ。
じゃあ、猿渡さんも!と思った、その瞬間、
人の脚が転がっているのを見た。
見た、というよりも認識した。
その「脚」の足首のあたりには火傷痕があった。
猿渡さんだ!
夏の間中、一緒にいた猿渡涼平の足首には火傷の痕があることを千鶴は知っていた。猿渡本人からも「子どもの頃に火傷をしたあとが消えない」のだと教えてもらった。
あれは、猿渡さんの脚だ。
千鶴はサーッと下半身から力が抜けていくのを感じた。
乗ってきた自転車の存在も忘れて、
夢中でその場から駆け出した。
少しでも早く、
父や兄や、猿渡さんの脚が転がっているあの「おねこさま」から逃げたかった。
走っても走っても前に進んでいる気がしない。
何かを「頑張った」兄を思う。
優しい猿渡さんの火傷痕のある脚を思う。
そして父の声が耳の奥でこだまする。
手を引かれて神社裏へと向かう犬童くんの姿が、猿渡の脚と重なった。
もう、あの家には、この町にはいられないと思った。
**********
千鶴のこの話を聞いてすぐに、虎太郎は「千鶴の故郷へ行ってみたい」と言い出した。
実際に翌年から根子町に「流浪のライター」としてもぐりこみ、
10ヶ月もの間滞在して、町の人たちとの交流を深めた。
「うまいこと取材してさ、それを記事にできたら面白いかもしれない。千鶴のおねこさまの話もさ、どこからどこまで本当の記憶かわからないだろう?俺が解決してやるよ」
そう言って笑う虎太郎を
千鶴も俺も必死に止めたが、
2022年の夏、虎太郎は
「これから祭りの実行委員の人たちと会う」と千鶴に電話をしてきた直後から、
連絡が取れなくなったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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