ごきげんとり 第5話
○ 2025年7月
今年もこの季節がやってきたなぁと、
乾克夫は上機嫌で、根子神社から駅前へと続く道をドライブしていた。
これは数年前から続けている克夫の中のルーティンみたいなもので、
おねこさまがお喜びになるであろう貢ぎ物を探す、地道な活動である。
狭く小さな町だ。
どこからどう漏れるかわからないから、なるべくこの町以外の人を探したい。
そういう思いで克夫は毎日、仕事の合間にドライブをしていた。
ドライブ、というより、
パトロール、と言った方がしっくりくる。
駅前までやってくると、
大きな荷物を右横に置いて、ぼんやりと立ちつくす男性を発見した。
(お!いいぞ、いいぞ。いつものようにタクシーが捕まらなくて困っている他所者だろう)
克夫はニヤリとして、いつものように爽やかに、男に声をかけた。
「何かお困りですか?」と。
案の定、男はタクシーが捕まらなくて困っていた。
隣町のホテルまで送っていくことにする。
ちっ。ここから20分もかかるではないか。飛ばしていこう。
まあ、いい。俺は運転は好きだ。
他所者を見つけると恩をうって名刺をもらい名前を確認するまでが俺の仕事だ。
今日の男は俺の名刺を受け取ったというのに自分のは無いという。
こんなやつに時間をかけてもったいないことをしたなと思ったが、
別れ際に男の名が「しのやままさみ」だということだけはわかった。
「まさみ」の「み」は漢字で書くとどの字を使うのだろうか。
克夫にとってそれはかなり重要なことだったが、
今年の根子例祭での、おねこさまへの貢ぎ物はもう決まっている。
おねこさまもそんなに沢山は欲しがらないはずだ。
真巳子と亜巳。
今年は2人の候補者がいる。
思えば、真巳子と出会えたのはここ数年で一番の収穫だった。
真巳子とは、シングルマザー・ファザー対象の婚活パーティーで知り合った。
パーティーへの参加はそれが2回目で、
1回目は「どのような参加者がくるか」「どう接したら落とせるか」のリサーチをするための参加だったため、
2回目のパーティーには気合いが入った。
大抵の女性は俺の容姿を見て、すぐに興味を持ってくれるが、
都会を離れて、俺の住む町までやってきて、同居までしてくれる人となると難しい。
もしかしたら、再婚にハードルの高さを感じている女性の心をつかめば、俺の計画もうまくいくかもしれない。そういう狙いもあり、俺は活動の場をこのシングル対象の婚活パーティーにしたのだ。
このパーティーのありがたいところは、名札に番号だけでなく名前も記されているところだった。
一目でその人の名前がわかる。
「真巳子」を見つけた瞬間に俺は興奮し、絶対にこの人を逃さないと思った。
シングルマザーたちは様々な悩みを抱えている。
離婚歴があっても、子どもがいない人と子どもがいる人では、再婚のハードルの高さが変わってくる。あえてそこに踏み込んでいくと信用されるものだということを前回のパーティーで学んだ俺は、
最初からそこを安心させてあげられるような話をした。
年頃の娘を持つ親からすれば、心配するのは当然のことだろう。
近年、子が犠牲になるニュースが後を絶たない。
俺の提案に真巳子の顔色が変わり、それが好意的なものであると確信した俺は一気に話を詰めた。
逃げられないように早々に話を進め、半年で入籍までこぎつけた。
あとは、実家に真巳子と亜巳を呼び寄せるだけだ。
ちょうどいい。
実家はいろいろ抱えすぎていた。
ここらでスッキリさせて、また新しい貢ぎ物を呼び込もうじゃないか。
この提案に父は大変喜んだ。母は相変わらず黙っていた。
実家の改築に携わった業者の名が深川龍之介だったことにも興奮した。
昨年は、改築中に深川にバレた我が家の歴史と、根子例祭への貢ぎ物がいっぺんにクリアになった。
運が良かった。
きっとおねこさまが導いてくださったのだと思う。
ここのところ何十年も父が、いや、この乾家が頑張って、おねこさまのごきげんをとっている。
今年もおねこさまはお喜びになるだろう。
克夫は過去の自分の頑張りと
迫る今年の例祭を思い、恍惚の表情で、貢ぎ物が待つ家へと帰っていった。
〇 2025年8月16日〈根子例祭前日〉
1ヶ月ほど前に駅前で困っているところを助けた「しのやままさみ」から、突然連絡があった。
あれから1ヶ月、九州のあちこちを旅してきて、最後にもう一度、根子町に寄るから、お世話になった俺に会ってお礼がしたいという。
一度は断ったが、最近になってこの町を嗅ぎまわっている怪しい男がいると噂になっていたので、もしかしたら……と気になって、しのやままさみと会うことにした。
驚くべきことに、しのやままさみは俺の家を訪れたいという。
たしかにこの町では客人を接待できるような店もそんなにない。
家で海鮮でも振る舞って、もし、しのやままさみがその怪しい男だったら、そのまま始末してもいい。
大事な根子例祭を前にして、少々面倒ではあったが、それも乾家の長男として大切な役割のような気がした。
しのやままさみは根子例祭の前日にやってきた。
名前をしっかりと聞くと「篠山正海」だったので俺は少しガッカリした。
篠山は根子町の歴史や、根子例祭のことについて詳しく聞きたがった。
酔った父が嬉しそうに篠山に話している。
真巳子にも初耳なことが沢山あったようで、みんなニコニコと話を聞いていた。
篠山は真巳子と亜巳にも興味を持ったらしかった。
やたら馴れ馴れしく、亜巳に話しかけるものだから、俺は少し面白くなかったが、
母の恭子もずっと憮然とした態度で篠山の様子をうかがっているようだったので、母さんも俺と同じ気持ちなのだと嬉しくなった。
「せっかくだから、その根子例祭を見てから帰ろうかな」と篠山が言い出した。
他所者に参加されるのは困る。
俺は慌てたが、
父がやわらかく、且つ威圧的に「今年はおねこさまに感謝を伝えるだけの年なのでそんなに面白いものではないですよ。肉が出る年ならまだしも。今年は出ませんから」と言ってくれたので、ホッとした。
「いやぁ〜、地域に古くから伝わるお祭りでしょう。そういう独特の文化みたいなものに触れられる機会なんてなかなかないですからね。興味あるなぁ。今年は9時からですよね?早起きできたら行こうかなぁ」
篠山はまだ根子例祭をあきらめきれない様子だ。
そこに、
「あ、篠山のおじちゃん、私の部屋にね、前の学校のお友だちと撮った写真があるんだ。レアなカードもあるの。これから一緒に見る?」
亜巳が篠山を自室へと誘った。
真巳子が不安そうに俺を見る。
大体、いつまでも俺のことを「お父さん」とも「パパ」とも呼ばない亜巳が今日会ったばかりの男とこんなに打ち解けているところに苛立ちを覚えた。
さっきからやたら仲良く2人で話していると思ったら部屋にまで誘って。
面白くないし可愛くない。
「え?いいのー?じゃあ、おじちゃんを亜巳ちゃんの部屋に案内してくださーい。おじちゃん1人では寂しいので、奥さまも一緒にお願いしまーす」
篠山も女児の部屋に1人で入ることには抵抗があるようで、真巳子も一緒にと誘ってくれた。真巳子はホッとした表情で、亜巳と篠山の後をついていった。
亜巳の部屋は2階にあった。
1階のリビングに残された俺たちは明日に迫った根子例祭の最終打ち合わせをした。
父の貞夫が
「今年は真巳子さんだけでいこう」と小声で言った。
リビングに緊張が走る。
小声であっても父の声はよく通り、聞き取りやすい。
相変わらず母は俯いて黙ったままだ。
「2人一緒はさすがに難しい。亜巳を選ぶと、残された真巳子さんがどうなるかわからない。でも、亜巳が残れば、また12年後に使えるだろう」
父の話には慣れっこになっていた俺もさすがに
背中の真ん中あたりがゾクゾクするのを感じた。
まさか12年後の根子例祭のことまで考えているとは。
それも、仮にも家族になった娘と孫だ。
躊躇はないのだろうか。
低く笑いながら
「なあ、克夫、いいだろう。おねこさまもお喜びになるよなぁ」
と、こちらを見る父の姿に俺はあらためて、この町を守る者の使命のようなものを感じた。
心が決まった。
「そうだね、真巳子でいこう」
そう言って、子供部屋のある2階を見上げる。
3人が部屋に入っていって、15分ほどが経っただろうか。
嫌な予感がして、俺は2階へと3人を呼びに向かった。
「おーい、盛り上がっているのかい?そろそろいいだろう?」
そう言って、部屋を開けると、3人がハッとして一斉にこちらを振り向いた。
様子がおかしい。
「うちの妻に何か大切なお話でも?」
そう声をかけると、篠山は「帰ります」と言って部屋から飛び出した。
キッと真巳子を睨む。
俺に初めてこんな顔をされて怖くなったのだろう。
真巳子はすぐに、
「何かわからないんですけど、篠山さんに『根子例祭の朝、亜巳を連れて逃げろ』と言われました」と白状した。
やっぱりあいつがこの辺を嗅ぎ回っていたやつだったか!
生かして帰すわけにはいかない。
俺が篠山を追いかけようと階段を駆け下りていくと、
母の恭子が既に玄関から出て篠山を追うところだった。
「篠山さんのことは私に任せなさい。あなたは真巳子さんと亜巳ちゃんのフォローをお願い。私がすべてうまいことやるわ」
穏やかな顔で微笑んでいる。
さすが俺の母親だ。
篠山のことは母に任せて、
俺は真巳子と亜巳の待つ2階へと、笑顔を作りなおしながらゆっくりと向かった。
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