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未来を創るスタート地点
3期を逃してからずっと気になっていた
『しあわせと豊かさの学び』というコミュニティ。
後悔していた矢先に
まみさんがそのコミュニティの1DAY講座を開催した。
産後1か月ちょっとだったけど迷わず受講して
生まみさんの言葉のシャワーを初めて浴びる。
感覚でもう好き、だと思った。
他の人から聞いたことのある言葉でも
言葉の染み込み方が全然違う。
次募集があったら絶対受けるって
もうこの時点で決めていた。
そして、4期の募集が出た。
その時にわたしはなんでこのコミュニティに入りたいのか、をちゃんとメモで残していた。
・自分のことを好きになりたい。自分のままでいいと強く思いたい
・まみさんの言葉のシャワーをたくさん浴びたい
・大勢の中の1人、ではなく、『わたし』をちゃんと認識してもらえる少人数という環境で自分と向き合いたい。
・同じ土台をもった仲間と繋がりたい
3期の募集を逃してからの、1年。
わたしが感動した、身体の仕組みについて
たくさんの人に伝えたい。
伝えることを、仕事にしたいという気持ちが大きくなった。
だから、自分で仕事をすると決めたことで、
今の自分のままだと人間力が弱いと思った。
周りの目、世間の目、声にぶれない自分を信じる力を養いたい。
実は、しあわせと豊かさの学びに飛び込む前に
別のビジネスコミュニティに所属していた。
ワークを通して自分の価値観を出してみたり、
SNS集客を学んだり。
だけど、そのコミュニティは150人越えの大所帯で、『わたし』という人は埋もれていた。
目立つ人、主催者に目をかけてもらえている人、名前を覚えてもらえている人、が羨ましかったし、そうなれない自分はダメだ。どうしたら認知してもらえる?と、そのことで苦しくなった。
自分のやりたいことで仕事をする、という入った時の目的を、見失いそのコミュニティで活躍することを気にするようになってしまっていた。
あまりにも人間力が弱すぎる。
そこが浮き彫りになった。
だからこそ、しあわせと豊かさという場で、
まみさんの言葉で
自分を磨いていきたい。
しあわせかも知れない今の人生より、
もっと自分の人生を好きになって
最高の人生にしたい。
そう強く思ったのだ。
そのスタートの時の想い。
忘れかけていたけど、
コミュニティで学ぶこの半年、
今までにない視点で自分と向き合ってきた。
今までどれだけ自分を置き去りに
自分を責め続け
自分の想いを無視して生きてきたか、
が明らかになってきた。
人間力をつけるって
知識をたくさん身につけるってことではないんだ。
知識という鎧をつけて
他の人の前に立っている時だけ
ちゃんとしてるように振る舞うことじゃない。
仕事ととして他人と向き合っている時だけ
いい人を演じるんじゃない。
他人に対してだけ丁寧に接するんじゃない。
スタート時に思っていた『人間力』って
仕事の時のことだけを着目していたと思う。
普段の生活の中で
どれだけ自分を丁寧に扱っているのかなんだ。
人と接している時よりも
普段の生活、仕事をしている時間よりも
ありのままの自分でいる時
自分が自分を見ている時の方が明らかに長い。
だって自分は自分のこと24時間365日見ているんだもん。
その時間をどう過ごすか。
人によく思われたくて
人と接しているときだけ
良さそうなわたしを演じたところで
普段の生活は滲み出る。
取り繕った言動には必ずアラが出る。
普段からやってなかったら、
そもそもうまくできないんだよね。
そんなの人はお見通しだ。
わたしは完全に仕事とプライベートは分けて考えていた。
今まではそうやって生きてきたから。
仕事の制服に着替えたらスイッチONみたいに。
仕事の時は仕事モードの自分になれていると思ってた。
でも、振り返ると普段の自分の思考とか行いが完全に仕事に出ていた。
自分のことを見るのは難しくても他のスタッフを見て思う。
仕事が細やかな人は、やっぱりプライベートの時も細やかだ。
そうやって普段の生活が滲み出る。
わたしはついついその場の流れに乗ってしまったり
あんまり考えずに調子よく返事をしてしまったり。
その場で感動したこと、響いたことに引っ張られすぎて大切なことを、忘れてまうクセがある。
『人間力を上げたい』
コミュニティに入る時に持っていた想い。
まさに今の学びで向かっているところ。
思い出してよかった。
今わたしは、世の中で言われている
収入を得る仕事、というものはやっていない。
子どもたちとの暮らし
日常生活で過ごす毎日。
人に見られることもなく
人と接することもない。
他人のために〜ということはしていない。
だけど、この日常をどう扱うかで
わたしの人間力が決まるのではないか?
わたしという1人の人間をどう扱うのか。
子どもたちという大切存在とどう過ごすか。
この日常をどう過ごし、何を考え、どう行動するか。
社会とは、かけ離れていると思われる
今のこの日常が、
わたしの滲み出る人間力になるのではないか?
わたしのこれからに大きく関わってくるんじゃないのか、と振り返りながら気づく。
大切な時を過ごしているんだ。
これからの
未来のわたしのスタート地点に
今、わたしは立っているんだ。