アトピー記録 〜わたしたちは許されている
今年の3月からはじめた脱ステロイド。
10月に入り、8ヶ月目に入った
そんな脱ステロイドの記録をリアルタイムで残していたのだが、noteでは綴ってこなかったので、振り返りながら、
その時のリアルな言葉をここにも残しておこうと思い、時差はありますが、綴っていこうと思います
【2024.5.16 わたしたちは許されている】
週末、痒みが痛みに変わった
痒かった場所が痛くて痛くて仕方なくて
動くことができなかった
夫はいなくて朝から晩までワンオペの週末
平日は朝なかなか起きてこないのに
休みの日は7時前に起きる子どもたち
痒みで夜も寝られなかったから
わたしは起きることができなかった
でも、子どもたちは2人で楽しく遊んでる
日中も1人静かにうずくまりたい気分
ソファーから動けない
ひとり寝かせてもらう
1人だったら、
ずっと横になっていられるのに…
1人だったら、
ごはんも食べなくていいのに…
せめて夫がいてくれたらよかったのに
心の中でそんなことを思っていた
なんとか、なんとか
最低限の家事だけ済ませ
寝かしつけを終えてホッとする
日曜日の朝、目を覚ました頃には
子どもたちの姿はみえず
リビングから賑やかな声が聞こえる
今日もまた動けない
でも、頑張らなきゃ。
ごはん作らなきゃ…
そう思ってたとき、ふと思ったんだ。
あ、違う。
わたしは許されているんだ。
ごはんを『作ってあげている』
『お世話をしてあげている』
わたしが頑張ってるつもりだったけど、違う。
わたしが子どもたちに許されている
甘えている 甘えさせてもらってる
朝起きれないわたしを許してくれている
せっかくのお休みなのに
公園にも行ってあげられなくても
子どもたちは許してくれている
ごはんも作る気が起きなくて
うどんだったり
お肉を焼くだけだったのに
それでも子どもたちは喜んでくれる
きっと夫がいたら
家事はしてもらえたかもしれないけど
わたしがんばらなきゃって動いていたかもしれない
熱があるわけでもないから
家族に合わせなくちゃって動いていたかもしれない
こんなに自分の辛さを出せなかったかもしれない
何もしないわたしでいられたこと
それはわたしが子どもたちに甘えているからなんだ
こんなわたしでも許してもらえる
どんなわたしでも許してくれる
それがわたしの根底にあった
わたしは子どもたちから無償の愛をもらっている
それを感じた
夕方、少し回復して買い物に外に出たら
楽しそうに走り回ってる2人を見て
ありがとうがいっぱい溢れた
そんな2日間を過ごしたら
何にもやりたくないと思っていたけど
気力が戻ってきた
幼稚園のエプロンにアイロンをかけよう
おやつを作ろう
気力が湧いてきたことが嬉しかった
いつも元気じゃなくてもいい。
むしろいつもいつも元気ってちょっと不自然なのかも。
だから元気がない時の自分も許してあげる
大丈夫、そんな時でも私たちは許させているから
許さないって思っているのは、案外
自分だけなのかもしれないな。