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エルグリムの悪夢~転生魔王は再び世界征服を目指す~

巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ、罵倒され続け、決して愛されることはない大魔王は、再びその強大な魔力を取り戻し、この世界を征服する


第1章


史上最凶と謳われた大魔道士エルグリムは、勇者スアレスによって倒された。

エルグリムは死の間際、自らに転生呪文をかけ、死したその瞬間から蘇りを予言する。

それから十二年。

巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ、罵倒され続け、決して愛されることはない大魔王は、再びその強大な魔力を取り戻し、この世界を征服する。

森の中の一本道をゆっくりと下ってゆく。

転生し生まれ出た村を出発したのは二日前だ。

履き慣れていたはずの木靴は、既に重たくて仕方がない。

歩く細い街道の道の左手から、小川のせせらぎが聞こえていた。

土手上からそこへ下りた俺は、蒸れる靴を脱ぎ捨てる。

「ふぅ。生き返るな」

清流に足を浸した。

生まれてから数年は、どうしても動けなかった。

赤ん坊の短い手足に筋力は皆無。

受けた聖剣の致命傷で、俺自身としての意識も完全に失っていた。

自分の呪文に自信はあったが、本当に記憶を取り戻せるのかも怪しいものだった。

完全に復活するまで、三年はかかった。

「おや坊主、どこから来た」

山深い川下から河原を上って来た男に、顔を上げる。

荷馬車の商隊だ。

馬を休ませに来たらしい。

二人連れの男のうち、小さい方が二頭の馬に水を飲ませている。

男は近寄ってきた。

その姿を見上げる。

「父さんのお使いだ。頼まれごとをされてるんだ」

「そうか。それは偉いな」

十二年前、勇者の剣が俺の心臓を貫いた。

転生魔法は、それが動きを止めた瞬間、発動する呪文だ。

俺は全ての魔力をその体から引き上げ、その受け入れ先となる新しい命を求めた。

「どこに行くの?」

そう尋ねた俺の頭上からも、また別の声が聞こえる。

小さな街道の道沿いに、荷物番も含め三人か。

積み荷はなんだろう。

俺は振り返ると、目の前の男を無視し、素足のまま土手を駆け上がった。

馬の繋がれていない荷台に近づく。

「カズ村へ行くんだ。隣町のルーベンから来た行商だよ。服とか靴なんかの衣料品さ」

「へぇ~」

勇者に倒された俺は、女の腹にあったまだ命とも言えないものに取り憑いた。

死にかけていたそれをゆっくりと改造し、魔王の魂の入れ物として形を作り替える。

ホロのついた荷台には男が一人座っていて、中には大きな袋が五つ六つ積まれていた。

男は俺に袋の中身をチラリと見せると、愛想よく笑顔を見せる。

「お前、どこから来た? 何歳だ」

「十一だよ」

「これからカズの村まで行くんだ。なんなら乗せてってやろうか?」

「ホント? ありがとう!」

俺はそう言うと、荷台に乗り込んだ。

中にいるのは男一人だけ。

後の二人は馬と川岸にいる。

俺はこの世界の人間を支配すべく、生まれてきたのだ。

残念だが人は、目に見えるもの、そのものしか信じない。

形がなければ、何かを動かすことも出来ない。

再び魔王となり世界を取り戻すには、どうしても『大人』としての姿が必要だ。

「おい、こんなところに靴が脱ぎっぱなしだぞ」

「あぁ、そこに置いておいて!」

外からかけられた声に、俺は声を張り上げて応えた。

ホロ付きの荷台は、外からは中の様子が見えない。

そのまま荷台に残っていた男に、グイと顔を近づける。

「ん? どうした坊主」

「シッ。ちょっと黙ってて……」

ゆっくりと呪文を唱える。

なぁに、ごく簡単な魔法だ。

命までは奪わない。

「お、おま……魔法が使え……」

男は一瞬のうちにバタリと倒れた。

意識を失った男を見下ろす。

「フン。ガキだと思ってナメるなよ」

積み荷の袋を次々と開け、中を確認してゆく。

生まれたばかりの体だ。

ようやく十一年が経ち、動けるようになった。

だが俺の持つ本来の魔力に比べ体力がなかなか追いついてこない。

魔法を使い過ぎると体が動かなくなってしまうのだ。

どんなに魔力を持っていても、それを使用する実体としての体が必要だった。

この加減がなかなか難しい。

これが目下最大の悩みだ。

「お~い。靴はもういいのか? そっちまで運べってかぁ?」

「待って。すぐ取りに行くから!」

見つけた。

丈夫な革靴だ。

俺はそれを急いで自分の足に装着する。

倒れている男の腰にぶら下がっていた、金の詰まった袋もついでに頂いておく。

「おーい。もう出発するぞ」

こっちに戻ってくる。

俺は荷台から飛び出した。

「あ! おい、どうした?」

藪の中へ飛び込む。

すぐに異変に気づいた男が追いかけてきた。

「コラ! 待て、このクソガキ!」

目くらましで姿を消してもいいが、あまり頻繁に高等魔法を使うと、まだ幼い体がついてこられない。

カズを出てから、ほぼ飲まず食わずだ。

出来ると思ったことが出来ず、自ら窮地を招くこともあれば、逆に無理だと諦めたことが想像を越える成果を残すこともある。

とにかく安定しない。

「待て!」

走るのも遅い。

魔力で体力のなさを補ってはいるものの、そう長くは持たない。

仕方ない。

金は捨てるか。

これで追っ手もあきらめることだろう。

革靴が手に入っただけでも、よしとするか。

俺はその重たい皮袋を、路上に投げ捨てた。

「は? ざけんなよ。金を返せば済むと思ってんのか? 大人をナメんな!」

「くっそ。それで懲りろよ!」

あっさり諦めてくれるかと思ったのに、意外としつこい。

どれだけ懸命に走っても、どうしたって子供の足では勝てない。

藪の中から再び川岸に飛び出たものの、河原の砂利は山の中以上に走りにくかった。

「おいコラ、止まりやがれクソガキが!」

ダメだ。

このままでは捕まる。

あまり攻撃魔法は使いたくはないが、こうなっては仕方がない。

俺はその場で振り返った。

呪文を唱えようと印を結ぶ。

『我に歯向かう……』

「うわぁ!」

不意に、その男は目の前で転んだ。

呪文もまだ唱えきっていないのに、実に不自然な転び方だ。

手をつく暇もなく、額を砂利にぶつけている。

これでは相当に痛かろう。

「だ、大丈夫か?」

「止まりなさい!」

甲高い声が響く。

そこに居たのは、女の二人組だった。

真っ白な外套に身を包んだ上品そうな女と、その雇われ従者のようだ。

魔法を使ったのは、従者の方か?

「一体、何事です!」

倒れていた男は、よろよろと起き上がる。

「ビ、ビビさま……」
 波打つ金の長い髪に青い目。

典型的な貴族の娘だ。

「どうしたのですか?」

「こ、このガキ……、いや、子供が、積み荷から靴を盗んだのです」

「本当ですか?」

「……。はい。そうです。ゴメンなさい」

素直に謝っておく。

もう面倒くさい。

このままここにいる全員眠らせて、その隙に逃げよう。

再び呪文を唱えようとした俺を、貴族の女がパッと抱き寄せた。

「……。この子は、私はいま連れている従者の弟です。大変失礼いたしました」

「はぁ?」

男は信じられないといった表情で、貴族の女を見下ろす。

「つ、積み荷を荒らされましてね。今履いているその靴も、さっき盗まれたばかりなのですが……」

「そうですか。それはうちの者が大変失礼いたしました。ほんの少しですが、これで許してはいただけないでしょうか」

腰の袋から金貨を取り出すと、女はそれを男に渡す。

革靴の代金にしては、ずいぶんと高額だ。

「よく言いつけておきますので、どうかこれで許してやってください」

「チッ。全く。ビビさまのお願いでなければ、見逃してはいませんよ」

「はい。申し訳ございません」

「ちゃんと躾けておいてくだせぇよ」

「承知いたしました。しっかりと、そうさせて頂きますわ」

ブツブツと文句を言いながらも、河原の向こうに男の姿は消えていった。

その途端、従者らしい女の手が、俺の頭をぐしゃりと掴んだ。

「おいコラ。あんた、魔法使えるんでしょ。その能力、イタズラなんかに使うんじゃないよ」

「まぁ、乱暴なことはおよしなさいよ、フィノーラ」

「ですが、ビビさま」

ビビと呼ばれた貴族の女は、膝を折りしゃがみ込むと、ご丁寧にも俺に視線を合わせた。

「あなた、魔法使いなのね」

じっと俺の目をのぞき込む。

その白い手を、そっとこめかみに伸ばした。

「まぁ、本当ね。鮮やかな緑の目をしているわ」

うっとうしい。

この手のタイプの女は苦手だ。

その手を振り払う。

俺はもう一人の女を見上げた。腰までの真っ直ぐな黒髪の女も、魔道士特有の濃い緑の目をしていた。

「さっきあの男を転ばしたのは、あんたの仕業?」

「そうよ。私も魔道士。で、ビビさまの用心棒を二週間前からやってるの」

歳は十七、八といったところだろうか。

年齢の割には随分と瞳の緑が深い。

それなりの魔力を体内に貯め込んだ使い手だ。だけどまぁ、俺と比べると、間違いなくたいしたことはない。

「まぁ、なんて素敵なのかしら! 珍しい魔道士体質をお持ちのまだお小さい方と、お友達になれるなんて。とても素晴らしいわ!」

ビビは勝手にはしゃぎ始めている。

くだらない。

ふと川沿いの土手に、七色に輝く石を見つけた。

小さな魔法石の欠片だ。

俺はそれを拾い上げると、口の中に放り込む。

そのままガリガリとかみ砕いた。

「……。あんた。そんなチビなのに、魔法石をそのまま摂取できるんだ」

「珍しいか? まぁそうだろうな」

「さっき、向こうでそこそこ強い魔法の気配を感じた。もしかしてアンタの仕業だった?」

俺は黒髪のフィノーラに、ニコッと微笑んで見せる。

「たいしたことはないよ。だってまだ子供だからね」

「さっき魔法を使ったから、それで補給してんの? あんな魔法と使った後で、その程度の補給で足りるワケ?」

「まだあんまり、上手く制御出来ないんだけど……」

フィノーラはスッと腰の短剣を抜いた。

それを構え、俺との距離を保つ。

蓄えた魔力はたいしたことはないが、バカではないらしい。

「あんた、子供の体に貯められる魔力の割りには、随分と難しい呪文を使うのね」

「まぁ。およしなさいよ、フィノーラ。乱暴はよくないわ」

「ビビさま、魔道士を簡単に信用してはいけません」

そう。魔道士の能力は、見た目や年齢には関係ない。

問題は魔力の蓄積と順化であり、その術式だ。

以前の俺が使っていた、数百年は生きた大魔道士エルグリムの体ならともかく、今は生まれたばかりの、十一歳の少年の体だ。

いくらこれから長く使えるであろう、いい入れ物を作ったとしても、実際に働かせ慣れさせなければ、その能力をものにし、発揮することは出来ない。

「あんまり一度に沢山の魔法石を摂取すると、気持ち悪くなっちゃうんだ」

「そりゃそうでしょうよ。どんな魔道士だって少しずつ体に慣らして貯め込んで、やっと魔法が使えるようになるんだから……」

「お姉ちゃんは、平気なの?」

「私? ……まぁ、それなりにね」

取り込んだ魔力の蓄積と順化は、個人差が大きい。

魔法を使える人間とそうでないのを分けるのは、純粋にこの体質による差だ。

彼女はそう言うと、腰にぶら下げた小瓶を取りだした。

それをひとくち口に含む。

「ちゃんと加工されて、薬剤化されてるのなら、それなりに飲める」

なるほど。やはり並の魔道士か。

「じゃ、俺はもう行くね」

「まぁ! どこへ行くというの? もうすぐ日が暮れるわ。今夜はうちに泊まりなさいよ」

「ビビさま!」

女二人が揉めている。

じつにくだらない。

「悪いけど、あんたらに興味はないね。俺は俺の行きたいところへ行く」

「さっさと行っちまえ」

「まぁ、ちょっと待って。もう少しお話を……」

河原を歩き出したその耳に、川上から早馬の蹄が響いた。

嫌な臭いがする。

俺はじっと気配を殺した。

さっさと通り過ぎてくれればいいものを、すぐそこで立ち止まり、土手上の一本道から俺たちを見下ろす。

「まぁ、どなたかと思えば、イバンさまではないですか」

「ビビさま。その子供は?」

「フィノーラの弟なんですって!」

その銀色の、ピカピカと光る鎧に身を包んだ騎士は、兜の面を持ち上げると、じっと俺の様子をうかがっている。

赤地にシルバーの十六芒星の紋章。

聖騎士団の聖剣士だ。

「カズの村から子供が一人、行方知れずになったと聞きまして。今はその子供を探しているのです」

面倒なことに馬から下り、こちらへ近づいてくる。

「濃い赤茶色の髪に、緑の目だと知らされております。なんでも歳に似合わない魔法の使い手で、散々な悪戯ばかりするやんちゃ者らしい……」

聖剣士はじっくりと俺を観察している。

「さっきもそこで被害者をみかけたんだが……。フィノーラに弟がいたという報告は受けてなかったな。しかもカズから抜け出したという少年と、特徴がそっくりだ」

ブルーグレイの瞳に白金の髪を短く切りそろえた、真面目臭そうな男だ。

魔法の“臭い”はしないことはないが、ごくわずでしかない。

使えたとしても、ごく簡単なものだけだろうな。

「名前は?」

「……。ナバロ」

「ナバロ? そうか。私の聞いた名ではないな」

魔道士である黒髪の女に比べたら、たいしたことはない。

「他に、似たような少年を見かけませんでしたか?」

「いいえ、全然」

ビビはイバンにそう答えると、俺を抱き寄せた。

「ナバロは、フィノーラの弟です!」

ビビの強気な態度に、聖剣士はため息をつく。

「ビビさま。お話は今夜、館に戻ってからにしましょう。フィノーラ、この子供をしっかり見張っておけ」

「はぁ? なんで私がそんなことまで!」

「まぁ、イバンさま。それならお安いご用よ。ぜひお任せあれ。私が責任を持ってお引き受けいたします。今夜の夕食を、楽しみにしておりますわ」

その言葉を確認すると、聖剣士はようやく背を向けた。

繋いでいた馬の元へ、土手を上がってゆく。

「いや、俺はもう行くからさ……」

小声でささやく。

逃げだそうとした俺の肩に、グッとビビの手が重なった。

土手に上がった聖剣士は、なにやら鎧の具合を整えている。

「あら。私がここで叫び声をあげたら、聖騎士団の聖剣士さまたちによる、大規模な捜索が始まってしまいますけど、よろしくて?」

お堅そうな聖剣士は、ようやく馬にまたがった。

それに向かって、ビビは手を振る。

聖剣士も片手を上げ挨拶をすると、やって来たカズ村の方向へ向かって走り出した。

「さ、もうこれで、逃げられませんわよ。私のお家にいらっしゃい」

彼女はにっこりと微笑んだ。

くそっ。

とんでもない寄り道だ。

だけどまぁ、この幼い体は、もう完全に疲れ切っている。

転生した村を抜け出し、丸二日飲まず食わずなうえに、ほとんど寝ていない。

休息は必要だ。

魔力で何とか誤魔化していても、やがて動けなくなる。

「……。分かった」

黒髪の魔道士が突っかかる。

「はぁ? そういうところは案外さっさと引き下がるじゃない。あんたなんかが来ても、いいこと全然ないよ!」

「分かってるよ」

「さぁ、フィノーラ。急いで帰りましょう」

それでも、今夜の寝床と食事を確保できるのはありがたい。

俺は上機嫌のビビに手を引かれ、ゆっくりと土手を上がる。

街道へ戻り、待たせていた馬車に乗った。

昼下がりの森の中を、ゴトゴトと揺られてゆく。

やがてポツリポツリと家が見え始めた。

田畑の広がる小道を抜け、町に入る。連れて来られたのは、ルーベンの中央に位置する立派な館だった。

「ここは……。ビビは、領主の娘か」

「そうよ。大人しくしイイ子にしときな」

大きな建物の正面は、役所のような働きをしていた。

吹き抜けの玄関ホール脇には、事務所のような部屋が広がり、カウンター越しに複数の人数が働いている。

そこに立つ門番の視線が、執拗に俺を追いかけた。

なるほど。

ビビが引き入れてくれなかったら、俺はここに入れなかったかもな。

あの門番は、ただ立っているだけの魔道士ではない。

よく訓練された聖騎士団の魔道士だ。

子供の体に纏うだけの力では、誰も俺の正体には気づかないだろう。

この体積では、蓄えられる魔力にも限りがある。

それは単純に、受け取れる容積の問題だ。

「馬車でうたた寝をしていたから、疲れは取れているかしら。お腹は空いてない?」

「ビビさまは、少しお休みください」

「まぁ、そんなつまらないことを言わないで、フィノーラ」

「怒られるのは、私なんですけど」

館中央の大階段から四階までが吹き抜けの構造になっていて、その両脇に広がる部屋とその壁に至るまで、ありとあらゆるところに本が並べられていた。

これらはなにかの資料や契約書の類いなのか?

見上げる俺の視界を、フィノーラは塞いだ。

「コラ。あんまりジロジロ見ないの」

人口は、一万ちょっとというところだろうか。

さほど大きな町ではないが、数年前に良質な魔法石の鉱脈が発見されてからは、随分と賑やかになった。

こぢんまりとしたところだが、それなりに発展している。

「こんな立派な町だったっけ?」

「あんたの知ってるカズ村と、一緒にするんじゃないわよ」

「ここ十年で急速にね。ナバロが生まれた頃の話しだから、分からないかもしれないけど」

廊下を奥へと進む。ここからは領主のプライベートゾーンだ。

門番も立つその城内の門をくぐる。

居住スペースと公的な部分は分けられてはいるが、簡単な結界をかけた扉一枚だけだ。

ビビやその許された者たちと一緒に、一度でも通過してしまえば、なんてことはない。

すぐに解除される。

奥へと進んだ途端、室内はそれまでの重々しく厳かな雰囲気から、質素ながらも上品なたたずまいへ内装が変化した。

廊下のガラス窓から見える、さほど広くはない敷地に、わずかながらも芝生の庭がある。

ごちゃごちゃとレンガ造りの建物が密集しているが、悪くない屋敷のつくりだ。

「ようこそ、我が家へ!」

ビビは嬉しそうに、その板張りの廊下でくるりと回った。

「さ、ナバロ。あなたのお部屋を用意させましょう。フィノーラの隣でもいいかしら?」

「なんでコイツの隣?」

「だって、姉弟ですもの」

あー。まだ続いてんだ、その設定。

てゆーか、長居するつもりはないんだけど……。

「こっちよ。階段が狭いから、気をつけてね」

勝手に案内された、滑らかな石造りのらせん階段を上がってゆく。

塔付きの納屋を改装したような建物だ。

客というより、使用人のための宿舎といったところだろうか。

塔の先端には大きな鐘が設置されてはいるが、もう鳴ることはないのだろう。

建て替えられたばかりの立派な役所側の方の先端に、これより三倍はある立派な鐘がついている。

「ふぅ。ここはいつも涼しくていいわね」

その階段を上り始めてから、わずかにビビの呼吸が荒い。

「ビビさま、ナバロの部屋は私が用意させます。ビビさまはもう母屋に戻って、少しお休みください」

「あら、どうして?」

「夕食を、イバンさまとご一緒するのではないのですか? 一度お休みにならないと、今日は長時間、遠出もされております」

「まだ大丈夫よ」

「そんなことを言って、後で後悔することになるのは、ビビさまですよ」

ビビは立ち止まった。

恨めしそうにフィノーラを見つめるも、もう一度大きく息を吐き出す。

「そうね。じゃあご忠告に従って、少し休もうかしら。フィノーラ、あとはお任せしてもよいかしら」

「どうぞ」

「夕食には、ナバロとフィノーラも一緒にね。お話が沢山聞きたいわ」

「はいはい」

「フィノーラの、これまでのお話の続きもね。ナバロも必ず来て」

「はいはい」

「えっと、それからナバロには……」

ビビは、何かとあれこれ思い出しては、そこから立ち去ることを渋っている。

いつまで経っても動こうとしないビビに、ついにフィノーラの声色が変わった。

「分かったから! どうぞ行ってください。いつもの時間に食堂へ参ります。それでよろしいですか。私たちも休みたいです!」

フィノーラの剣幕に、ようやくビビは大人しくなった。

「わ、分かりました。では後でね。ナバロもね。必ずよ」

「お嬢さまもね!」

ビビは小さく手を振って、ようやく階下を下りていった。

フィノーラは盛大にため息をつく。

その姿が完全に見えなくなってから、舌打ちをした。

「チッ。くだらない。あんたもそう思うでしょ」

フィノーラは塔の階段を上りきると、三階の廊下へ出た。

「お前、ここで雇われてるんじゃないのか」

「流しの魔道士よ。見りゃ分かるでしょ。私は日銭がほしいだけ」

狭い廊下に沿って、小さな部屋が二つ並んでいる。

「居心地は悪くないけどね。あんたはこっち」

フィノーラは奥の部屋を指した。

「鍵なんてついてないけど、気にしないでしょ。後は自分で何とかしな。時間になったら、呼びに行くから」

そう言って、すぐにフィノーラは手前の部屋へ消えた。

俺は与えられた部屋へと入る。

簡素な木製の扉は、魔法で鍵をかけろということらしい。

石造りの狭い部屋に、ベッドと机が一つだけ置かれている。

小さな両開きの窓からは、夕陽に沈むルーベンの町が見えた。

なるほど、ビビは領主の娘か。

扱いやすそうな娘だ。

それならばここを、新たな拠点とするのも悪くないかもしれないな。

近くから良質な魔法石も採れる。

どうなっているのか分からない、かつての居城を取り戻すより、新たにこの町ごと乗っ取った方がいいのかもしれない。

俺の造りあげたかつての居城は、新政府の率いる聖騎士団どもに占拠されている。

「とにかく、一度は俺の存在を知らしめておくか……。いや、まだ待った方がいいのかな?」

自分の胸に手を当てる。

この体が、それに耐えられればいいのだが……。

ここを、俺の出発の地にするのも悪くない。

「はは。退屈なお嬢さん。お礼に、楽しいことを始めようじゃないか。もう毎日に飽きることもないだろう。俺をここへ引き込んだことを、一生後悔するんだな」

町を見下ろす小さな部屋で、俺は印を結んだ。

呼吸を整える。

それだけで小さなガラス窓は、吹き飛ぶような勢いで開いた。

少し大がかりな魔法になるが、仕方がない。

まずは魔法を届かせる範囲を、どこまでに設定しようか。

呪文を唱える。

『この世界に広がる、全ての生を受けしものたちよ。我の声が聞こえたならそれに応えよ』

秘められた力が、空を越え頭上から芯を貫く。

それは真っ直ぐに大地へと繋がり、天と地と、この世の全てに広がってゆく。

『かつて……、すべ……すべ……』

俺の体を通して、入り込んでくる魔力と出て行く魔力が大きすぎる。

やはりこの体では、まだ早かったか?

大きすぎる力の流入に、体ごと流されてしまいそうだ。

視界は歪み、意識が遠のく。

やはりまだ体の方が……。

「何やってんの!」

バンッ!

突然、背後の扉が開いた。

フィノーラは俺の頭をわしづかみにすると、ドサリとベッドに押しつける。

「あんたね! どこでそんな呪文覚えたか知らないけど、何でも唱えりゃ出来るってもんじゃないのよ?」

「わ……、分かってるから……離せ!」

体に力が入らない。

抵抗しようにも、腕すら動かせない。

魔法ではね飛ばそうとしても、もはや呪文を唱える力すら残ってはいなかった。

「チビのくせに、魔法の使い方を教えてくれる人が、周りに誰もいなかったワケ? 魔法ってのはね、呪文の力だけじゃなくて、受け入れる体も必要なのよ。そんなことも知らないで……」

フィノーラのやかましい独り言は続いている。

町にいる他の魔道士にバレないよう、薄く浅く地表に呪文を這わせたつもりが、さすがにすぐ隣にいた魔道士には見つかってしまった。

このままでは、中途半端に自分の居場所を知らせるようなものだ。

一度引っ込めないと……。

息を吐き出す。

もう一度力を振り絞る。

それでも十分に、大魔道士エルグリムの復活を感じさせる、予兆にはなっただろう。

平和にあぐらをかく、かつての勇者どもめ。

再びその恐怖に怯え、震えて眠れぬ夜をすごすがいい。

安寧の日々は終わりを告げた。

俺は分散させた力を消滅させる。

フィノーラの声と重なった。

『大地より与えられし聖なる力よ。風となり空を巡り、やがて我の元へ帰る魔法石となれ』

体内から流れ出す魔力が、その動きを止めた。

パラパラと地表に落ち、拡散してゆく。

それは永い時間をかけいずれ魔法石の結晶となり、再び誰かの力となるだろう……。

「ほら見なさいよ。無駄に魔力を消費して! あんたのはただの無鉄砲。バカ。能力に見合わない呪文は、自分の体を壊すだけよ」

クソッ。

この体では、割ける魔力に限りがあるのは確かだ。

おかげでフィノーラのような並の魔道士にすら、こうやって押さえつけられたまま抵抗できない。

やりたいことが、何一つまともに出来ない。

体が大きくなるまで、まだ待てというのか?

転生を果たしてから、もう十年も待ったというのに!

「離せ!」

わずかに回復した魔力を使い、突風を巻き起こす。

フィノーラを吹き飛ばすには十分だった。

もうこれ以上、我慢は出来ない。

「邪魔するヤツは、皆殺しだ」

どの魔法を使おう。容赦はしない。

何の為に生まれ変わった?

俺は、俺の世界を取り戻す!

はね飛ばされ、部屋の隅で倒れていたフィノーラが、動き始めた。

まだ息があったか。

起き上がろうとしている。

呪文を唱え、唱え……。

激しいめまいに、バランスを失った。

意識が遠のく。

俺はそのまま、床にドサリと倒れてしまった。

「……ほら、ね。だっさ」

力の使いすぎだ。

そういえば、一昨日村を抜け出してから水しか飲んでいなかった。

魔法石だけで持ちこたえていたのに、その魔力も使い果たしてしまった。

たかだか十一歳の体では、これが限界なんだ。

「だからガキなんかに……」

視界が暗くぼやけてゆく。

そんな俺を、フィノーラはじっと見下ろしていた。



第2章


目を覚ますと、俺は客間のベッドに寝かされていた。

枕元に座っていたビビが起き上がる。

「ナバロ? まぁ、気がついたのね」

彼女はうれしそうに飛び上がった。

「急いで他の皆を呼んでくるわ!」

酷い頭痛がする。

魔力酔いを起こしたのか。

クソ。

十一年使った体でも、まだどのくらいの能力を出していいのか、その限界が分からない。

というよりも、自分の力を抑えなければならないことに、何よりもいらだちと腹立たしさを覚える。

出来るはずのことが出来ないのが、何より辛い。

ベッドから起き上がろうとして、胸から異様なむかつきがせり上がってきた。

魔法によるヘタな治療を施した痕跡が見える。

チッ、どんな術をかけやがった。

ヤブ医者どもめ。

「あら、本当に気づいたんだ。まだまだ先かと思ってたのに。以外と早かったわね」

フィノーラだ。

ベッドに身を起こした俺を腕組みで見下ろし、大きなため息をつく。

「あんたさ、あんまり大人をナメてると、痛い目みるよ」

「そんなつもりはない。ただ時々……。自分の立場を忘れるだけだ」

「はぁ? 何よそれ」

扉が開く。

イバンとビビが連れ立って入ってきた。

イバンはフィノーラと全く同じ格好で腕を組み、俺を見下ろす。

「子供。お前の本当の名を……うわっ」

ビビはイバンの巨体を押しのけると、俺の手を握った。

「ね、ナバロ。ナバロは『ナバロ』っていう名前なのよね?」

「あぁ、そうだけど……」

「じゃあ、あなたはナバロなのね、ナバロなのよね」

「何が言いたい」

イバンはビビの上からにらみつけた。

「カズの村から、お前のご両親が心配して見に来たぞ。身元を確認した」

「もう大丈夫よ。あなたのお父さまも認めたの。あなたはナバロとして、ここで魔法の修行をしていいって!」

「魔法の修行?」

冗談じゃない。

俺に魔法を教えられるのは、俺だけだ。

「そんなもの、必要な……」

起き上がろうとして、自分が繋がれていることに気づいた。

目には見えない、魔法の鎖だ。

ここの魔道士がかけたのか?

かなりしっかりしている。

「なるほど。やはりそれに気づけるくらいには、魔法が使えるようだ」

「まぁ、凄いわねナバロ。あなたを診察したお医者さまが、念のためにって繋いだの。だけど分からないようにしましょうねって。それを見せられる私も辛いからって、ある程度は自由に動けるようにお願いして、あなたの体力と魔力が回復したら、すぐに……」

フン。

この程度のもので俺を縛り付けようなんて、片腹痛い。

呪文を唱える。

それは簡単に砕け散った。

「ふざけるな。俺にこんなことをしておいて、ただで済むと思うなよ」

「その減らず口がいつまで続くのか、見物だな」

ベッドから下りる。

床についた足の衝撃だけで、頭に響いた。

思わず膝をつく。

「どこで覚えたか知らんが、お前の唱える呪文は、自分の能力を遙かに超えて強すぎるんだ。物事には何事も、順番というものがある。お前はそれをここで学べ」

違う。

俺の体を、クソなヤブ医者に診せたせいだ。

薬の調合も術のかけかたも、よくはない。

あぁ、確かにこうやって、無理にねじ曲げられたような体では、この館に張り巡らされた結界を破るのは、難しいかもな。

来た時とは違う、また別の種類の結界が幾重にも張り直されている。

破ろうと思えば、出来ないこともないけど……。

「おい。ナバロ聞こえてるのか?」

「は?」

「お前はここで、魔術の訓練を受けるんだ」

「チッ。そんなものは、必要ない」

ため息をつき、顔を背けた。

体はまだ休まらないが、こんなところでのんびりしているほど、俺は暇でもない。

そんな俺を見下ろし、イバンは声を出して笑った。

胸ぐらを掴むと、グイと引き寄せる。

「まだ体が戻ってないことを、幸せに思うんだな。そうじゃなきゃ、一発ぐらいぶん殴ってやるところだ。聞きしにまさる生意気さだな。これではカズの村にいられないわけだ」

イバンは俺を突き放すと、くるりと背を向けた。

「まぁいい。お前を預かると決めたのは、俺だ。他にも何人かの先生をつけてくれるそうだ。ビビお嬢さまに、感謝するんだな」

扉が閉まる。

イバンが消えた瞬間、ビビは俺の手をぎゅっと握りしめた。

「ね、ナバロ。私もご一緒していいかしら。いいわよね? ね、私も魔法の勉強がしたいの」

「いい加減な冗談は、もううんざりだ」

それを振り払い、ベッドから抜け出す。

歩くだけで頭に響く。

俺はすぐ目の前のソファに横たわった。

「まだ辛いのね。もうすぐ先生が診に来てくださるわ。ナバロが気づいたら、すぐに呼ぶように言われていたの。お使いを頼んだから、きっともうすぐよ。ね、フィノーラ」

「えぇまぁ、そうでしょうね」

「お前の体を診ている、ヤブ医者か?」

「ちゃんとしたお医者さまよ」

何の病か興味はないが、確かにこの女から感じる命の炎は弱い。

「なぜ魔法に興味を?」

「だって、魔法が使えたら、それは素敵だと思わない?」

真っ青な目。

この女は、魔法使いではない。

魔法石を魔力に変え、体内に取り込める体質ではない。

「処方される魔法石の粉を飲んでいても、使えるようにならないのに?」

「だけど、勉強するのは自由でしょ」

「勉強ね……」

聞いて呆れる。

腹の立つほど平和で呑気な女だ。

フィノーラはため息をつく。

「いずれにしても、あんたはしばらくここから動けない。体力的にも社会的にもね」

「社会的?」

「監視がついたってこと」

「ねぇ! ナバロはどこかで、秘密の魔道書を見つけたのでしょう? じゃないと、こんな小さな子供が、あんな難しい呪文構文を整えられるはずがないって……」

ビビの唐突な発言に、フィノーラは慌てた。

「ビビさま、それは秘密にしとけって!」

「あら、いいじゃない。どうせ分かることだもの。隠してこそこそ探るなんて、私は嫌い」

俺の横たわるソファに足元に、ビビは腰を下ろした。

「みんな、その魔道書を見たがってるわ。今までにない難しいやり方だって。先生たちは、ナバロに魔法を教えるフリして、それを聞き出すつもりよ。とっても楽しみにしているわ」

俺はため息をつく。

それはエルグリムをやっていた時にも、散々言われたセリフだ。

「それをお嬢さまが、バラしちゃダメじゃん」

「私も教えてほしい。教えて欲しいのなら、素直に頭を下げるべきではなくて?」

「聞いてどうする?」

「私も、魔法が使えるようになりたい。魔法使いとしての体質を持って生まれてこなかった人間にも、魔法が使えるようになる方法はないのかしら。それを研究したいの」

「……。そんなこと、考えたこともなかったな」

だけどそれは、非常に面倒くさいうえに、厄介な頼み事だ。

それを叶えたとして、マトモに使える魔道士になるとも思えない。

適当に誤魔化して、利用するだけ利用したら、さっさと引き上げよう。

「分かった。いいよ。俺の秘密を教えてやろう」

「本当に!」

「信じちゃダメですよ、ビビさま!」

「あぁ。だたし、これから処方される薬は、俺が自分で調合する。魔法石をそのままくれ」

「ナバロは、そのまま食べてしまえるのよね」

「そう。それが俺の秘密。生まれ持った能力、それだけ。誰かに習ったわけでも、努力したわけでもない」

「だって、魔法石は魔法体質じゃない人にとっては、ただの石ころだもの」

ビビの顔色が曇る。

そうだ。そうやって悔しがれ。

「呪文構文だなんて難しいことは、考えたこともないね。自分の意志を、知っている呪文の型にのせるだけ。あとは魔力の摂取量」

「それじゃ、秘密にならないじゃない」

「そうだよ。特に秘密でもない」

「……。先に診察を受けてくるわ」

がっくりと肩を落としたビビは、静かに部屋を出て行く。

ここに残ったのは、俺とフィノーラだけになった。

彼女はため息をつくと、ドカリと向かいのソファに腰を下ろす。

「本当に秘密って、それだけ?」

「……。他になにがある」

「よっぽど恵まれた体質なのね」

彼女の持つ魔道士特有の、深い緑の目がじっと俺を見つめる。

「あの子、体が弱いのよ。だからこの館に閉じ込められて甘やかされて、世間しらすのまま、うっとうしい性格になっちゃってるのよね。魔法使いになったところで、自由になんてなれっこないのに」

「なれるさ。なろうと思えばね。そのために俺は、村を出た」

転生したんだ。

いつまでも、こんな扱いに甘んじるつもりはない。

もう一度、本来の自分を取り戻す。

それの何が悪い。

「子供になにが出来るの?」

「そういうお前だって、まだ若いだろう」

「十八よ。あんたよりは大人ね」

フィノーラの緑の目は、じっと俺を見つめる。

「カズを出て、一人でどうするつもりだったの?」

どうするも何も、やるべきことは決まっている。

まずはこの頭痛の原因となっている、ふざけた魔術を解かないと……。

フィノーラがじっと見つめる中、俺は呪文を唱えた。

ヤブ医者にかけられたおかしな術を解き、正しい流れに戻す。

全身のだるさが一気に吹き飛んだ。

「ふぅ。やっと楽になった」

「……。あんた、そうやって魔法で誤魔化してきたのね。だけど本当の体は、まだ回復してないよ。どんな魔法も、真実の姿には勝てない」

「それがやっかいなんだ」

体力と、使える魔法のバランス。

さっさと先へ進みたいが、この体が、とにかくやっかいで仕方がない。

これからどうしたものか……。

「……。ねぇ、さっきの……。その、あんたが使った魔法なんだけど……」

フィノーラの目が、くまなく俺を観察していた。

「あんな呪文、初めて聞いたわ。どこで覚えたのよ」

「……。どの魔法のことだよ」

「ぶっ、ぶっ倒れる直前のやつ! ……。普通出来ないから。あんなこと。広域魔法? 天候を操ろうとした? なによあれ。何がしたかったの? 一体、誰に、何を伝えたかったわけ? 世界に向かって、何を宣言しようとしたのよ。それとも、ただのバカ?」

あの程度の魔法も見たことがないとは、聞いて呆れる。

俺が死んでから、よほど退屈な魔道士しか、この世に存在しなかったらしい。

「子供特有の、全能感ってヤツ? 自意識過剰? だけどあんたには、それを使える可能性が確かにある。体が出来上がればね。もう少し成長すれば……」

フィノーラの視線が、じっと俺に注がれたまま離れない。

彼女は俺に、何を求めているのだろう。

「これから、どこへいくつもり?」

それには答えない。

教えたところで、コイツらにはどうしようもない。

それでも彼女が望むというのなら、まぁちょっとくらい、教えてやってもいいか。

「……。グレティウス……」

「! ねぇ、あんたってまさか……」

扉が開いた。

イバンが入ってくる。

「診察の時間だ。フィノーラ、席を外してくれ」

舌打ちと共に、彼女は出て行った。

ソファに座り直した俺を、イバンは見下ろす。

「随分、楽になったようだな」

頭に手を置くと、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。

クソッ。

とにかく俺は、こういう遠慮のない男が苦手だ!

「やめろ! 俺にそんなことをするな!」

「はは、何だよ。照れるなよ」

バカにしてるのか?

冗談じゃない。

こんなことをされて黙っていられるか!

その手を振り払う。

にらみ上げたイバンの後ろで、見慣れぬ男が笑った。

「はは。元気を取り戻したのなら、何よりです。私の術が、よく効いたようだな。よかった」

緑の目。随分と深い緑だ。

その魔道士は、持参した小箱をテーブルに置いた。

箱のなかは小さくいくつにも区切られ、様々な種類の魔法石と薬草、それらを擦り合わせる乳鉢と乳棒なんかが入っている。

「魔道士同士が顔を合わせると、ロクなことにならないからな。俺も同席させてもらうぞ」

「こんなおっさん連れてきて、どうするつもりだ」

「ほら、体をみてやろう。そのうえで、呪文の種類と魔法石の調合を整えてやる」

男は白髪交じりの長い髪を、後ろで一つに束ねていた。

「お前がビビも診てるのか?」

「そうだよ」

「ルーベンで一番の医術者だ」

ヤブ医者は両手を俺の肩に乗せると、視線を合わせた。

実に稚拙な呪文を唱え始める。

「魔道士でありながら、医術くらいしか使えないのか」

それを無視して呪文を唱え続ける男の顔に、次第に困惑の表情が浮かぶ。

診察中の医者の代わりに、イバンが答えた。

「世の中には、様々な魔道士がいる。こちらの先生は専門の道を選び、それを極めようとする方だ。そういった選択をするのは、悪いことではない。ナバロ、お前は将来、どんな魔道士になりたいんだ?」

「世界最強」

「はは。ようやく子供らしい、まともなことを言えたな」

イバンはニコリと、呑気な表情を浮かべた。

「ではここで、俺と一緒にそれを学ぼう。お前もきっと、立派な魔道士になれる」

肩に乗せられた、ヤブ医者の手は震え始めた。

気づけば、顔は真っ青だ。

俺はフンと鼻を鳴らす。

「おい、ヤブ医者。どうかしたのか?」

「こ……、これは……お前が……? どうやって……」

「ん? どうした。何をそんなにビビってる?」

バカにしたような俺の言い方に、イバンはのぞき込む。

「先生? どうかしたのですか」

俺は乗せられた医者の手を、払い落とした。

「なんでもないってよ」

彼はまだ、硬直してその場から動けない。

俺の魔法が理解出来るなら、まぁそれなりに、確かな腕はあるようだ。

「ねぇ、お腹空いた。ご飯はまだ?」

日はまだ、てっぺんまで昇りきっていない。

「もう食事して大丈夫なのか?」

「いいってよ! イバン、食堂まで案内して」

俺は部屋を出て行く。

廊下に出ると、すぐ後からイバンはついてきた。

「食事がすんだら、どうする?」

そう言った彼を、俺はニコリと微笑んで見上げる。

「剣の練習がしたいな」

「ほう。それはいい心がけだ。ふふ。俺に頼んだことを、後で後悔するなよ」

そう言って、イバンは嬉しそうに笑った。

聖剣士から直々に剣術を教えて貰えるのは、ありがたい話しだ。

簡単な食事を終え、イバンの支度が調ったところで、俺たちは館の中央にある芝生の庭に出た。

ビビとフィノーラはすぐ脇にテーブルを出し、お茶を飲んでいる。

レンガの壁に立てかけられた、

剣の一本を手に取った。

「それが聖剣だ。本来なら、聖騎士団に入団しないと、触れられない剣だぞ」

長くて重い。

少し振り回しただけで、ふらつく。

それを見たイバンは、別の剣を取りだした。

「やはり、もう少し短くて軽いのにしよう。お前用にと思って、用意しておいたんだ」

イバンは俺に、剣を教えるのがうれしくて、仕方ないらしい。

「魔術もいいが、まずは体力だ」

渡された剣を受け取る。

大人用の剣の、半分程度の大きさだ。

なるほどこれなら、長さも重さも丁度いい。

「聖騎士団、予備隊の剣だ。お前ぐらいの歳なら、入隊していてもおかしくない」

イバンは自分の長剣を構えた。

俺はそれを、見よう見まねで構える。

「聖剣って、こんなに本数があるものなのか?」

「エルグリムを倒した英雄、スアレスの握っていた剣と、同じ製法で作られたものを、今ではそう呼んでいる。ちまたに出回っているものには偽物も多いが、ここにあるのは大賢者ユファさまの祝福を受けた、本物だぞ」

イバンは剣を振り下ろす。

俺はそれに平行した状態で、同じように剣を振った。

「スアレスがエルグリムを倒した時には、聖剣は強力な魔法を帯びていた。祝福を受けているというわりには、何も感じないけどね」

こんな、雑な剣などではなかった。

アレの剣は、こんなものじゃない。

「はは。よく知ってるな。スアレスの聖剣は、今は失われて、本当のところ、今どうなっているのかは、分かっていない。最期に勇者の使った魔法も、語り継がれているだけのものだ」

「仲間が生き残っていただろう」

「今はもう、全員が隠居されている」

ビビとフィノーラは、ポットから新しいお茶をカップに注いだ。

「スアレスは、剣術にも魔術にも長けた勇者だった。俺は魔術も多少使えるが、魔力を蓄積出来る体質ではない。英雄にはなれない」

イバンが剣を振る。

俺は見よう見まねで、その剣を振るう。

「魔術は努力ではどうにもならないが、剣術なら習うことが出来る。努力さえすれば、ある程度は見られるようになる。お前なら、スアレスの再来と言われるくらいにまで、なれるかもしれないな」

イバンは得意げに、ニッと笑って俺を見下ろす。

そうでも言っておけば、やる気になると思っているのだろうか。

俺は剣を振るいながらも、内心で深くため息をつく。

エルグリムは体が弱かったわけではないが、痩せ細り体力はなかった。

誰かにこうやって、何かを教えられたこともない。

こんな立派な剣になど、触れることすら許されなかった。

「俺が剣術を習うのは、習ったことがないからだ。それに、魔力を蓄えられるのは生まれ持った体質でも、使いこなすには努力が必要だよ」

「もちろんだ」

イバンが振りの型を変える。

俺もそれに合わせて、腕を動かす。

「だからこそ勇者には、仲間が必要だった。勇者スアレスだけが今はたたえられているが、一緒に旅をした仲間たちの協力があってこそ、魔王を倒せた」

剣の振りが複雑になった。

腕の振りに合わせて、足を動かすのが、意外と難しい。

流れるような剣さばきに、もう体はついていけない。

「エルグリムの悪夢のことは、もちろん知っているだろう?」

イバンの振りが、さらにスピードを上げる。

俺は諦めて、剣を下ろした。

イバンはそれに構うことなく、聖剣を振り続ける。

「私に言わせれば、あんなものはただの伝説だ。一種の昔話に過ぎない。一度倒されたエルグリムの亡霊になぞ、もう我々が怯える必要はない。だが本当に恐ろしいのは、そのエルグリムが残した『悪夢』だ」

スアレスは死んだ。

イバンの明るく澄んだライトブルーの瞳が、じっと俺をのぞき込む。

俺はその目を、しっかりと見返した。

「ナバロ。お前の目は、とても変わった色をしているな」

「魔法使いの目でしょ。よく言われるんだ」

碧を含む深い緑の目が、色鮮やかに光り輝く。

この目を称える詩がいくつも作られ、人々を恐怖におとしめてきた。

「お前は、本当にエルグリムの生まれ変わりでは、ないのだな」

「……。当たり前だろ」

そんなこと、誰にも知られるわけにはいかない。

まだ早い。

全てを呼び覚ます魔法をかけ損ねたいまでは、なおさらだ。

俺はわざとらしく、盛大にため息をついた。

「あのさぁ、それでもし本当に俺が、その生まれ変わりだとして、ここで『うん』って言うと思う?」

「お前がいくら嘘をついても、その目だけは誤魔化すことは出来ない」

今の俺が持つこの目は、魔力を蓄えたくとも蓄えきれない深い海に、ようやく落ちたひとしずくの雨粒からなる海の色だ。

「俺は強い魔道士になるよ。当然だ。せっかく魔力を扱える体に生まれたんだ。どうしてそうなることを望まない?」

「お前も欲しいか、『エルグリムの悪夢』を」

イバンは再び、剣を振るい始める。

力強いその動きに、汗が飛び散る。

「ルーベンには昔から、蘇ったエルグリムが現れるのは、ここではないのかという、噂がある。倒されたヤツの魂が、飛んで行った方角とされるのが、このルーベンだ」

俺も同じように、剣を振るってみる。

だがまだ十一歳の少年の体では、それについていけない。

筋肉のつききっていない細腕では、すでに剣の重みが増している。

あの時、俺がスアレスにやられたのは、最期に振り絞った肉体の動き。

それだけだ。

だから俺は、若く強い体を手に入れた。

「そこからさらに五年前、いや六年前だ。エルグリム亡き後に建てられた中央議会、大賢者ユファさまによる予言が、再びここに、エルグリムが現れたとしている」

「知ってるよ。それで騎士団が、こんな田舎町に派遣されたんだろ? 俺も去年検査を受けた」

「受けたのか!」

イバンは急にその動きを止めると、心底驚いたような顔を俺に向けた。

「当たり前でしょ」

「それで問題ないと?」

その予言を元に、魔道士体質の子供は、聖騎士団による身体検査を受けさせられている。

「そうだよ」

当然だ。

そんなものを誤魔化すくらい、なんの問題もない。

イバンは剣を鞘に収めると、いきなり俺を高く抱き上げた。

「ならばもう、なんの問題もないじゃないか! お前を私が、立派な聖剣士に育ててやる!」

「やめろ! 俺は魔道士なんだ。冗談じゃない、離せ!」

「ははは。お前、これからちゃんと覚悟しておけよ」

「下ろせ! 下ろせよ」

「まぁ、イバンさま。私にも剣を教えてください!」

しっかりと抱き上げられた腕は、どれだけ俺がもがいても、振りほどくことは出来ない。

「ビビさまは、フィノーラにでも習ってください。私はこれから、ナバロを教えるので忙しくなりますので」

「は? ビビさまに剣? 冗談じゃないわ。そんなのは、契約に入ってませんから!」

自分の顔が、ひどく火照っているのが分かる。

ようやく地面に下ろされた後でも、まだ心臓は脈を打っている。

「フィノーラ! 私も、ナバロに負けてはいられません」

「だから、嫌ですって言いましたよね。絶対に教えませんから」

イバンの手が、再び俺の頭に乗った。

「体調はどうだ? まだ続けられるか?」

「……。う、うん」

「なら、基本の訓練から始めよう。それと、やっぱり基礎体力作りからだ」

イバンを見上げる。

彼は、何の疑いもない笑顔をむけた。

俺はそれに舌打ちをしてから、再び剣を握る。

イバンの特訓は、その言葉通り容赦なく、厳しかった。

病み上がりの初日だというのに、この男は加減を知らない。

ひとしきり汗を流し、ようやく夕食のテーブルについた。

体はもうクタクタだ。

疲れ切った状態で、食堂に入る。

豪華絢爛とはいかないが、丈夫な長テーブルに、清潔な白のクロスがかけられ、燭台や天上の明かりも、質素だが悪くない品だ。

全員が席についたところで、パンと温かいスープが運ばれてくる。

よく分からない茹で野菜に、スライスして焼いたハムも添えられているのなら、まぁよしとするか。

テーブルの中央には、大きな魔法石の結晶が飾られていた。

「あぁ。これは上質な魔法石だな」

乳白色に濁った淡い琥珀色の結晶は、光りを受け虹色に輝く。

「これをフィノーラと一緒に、カズへ買いに行ってたのよ。これなら私にも、摂取できるんじゃないかと思って。」

ビビはうれしそうにはしゃいでいる。

イバンはそれを見て、ため息をついた。

「またビビさまは、そのようなことを……。必要以上に魔法石を摂取しても、魔道士の体質を持って生まれた者でなければ、なんの意味もないと……」

「上質な魔法石が、カズ村から見つかると聞いて、いてもたってもいられなくて……」

「これほどいい魔法石を飲んでも、その病は治らないのか?」

やっぱりあの医術士はダメだな。

俺は人差し指をまっすぐに伸ばし、呪文を唱える。

魔法石の結晶が、パキリと折れた。

その破片は宙を漂い、手の中に転がり混む。

そのそら豆ほどの欠片を口に放り込むと、ガリッとかみ砕いた。

「お前、そんなことも出来るのか」

「まぁすごい。こんな細やかで器用な魔術は、初めて見ましたわ」

ほんのりと甘い魔法石の欠片が、口の中に広がる。

「ね、お願い。私にも魔法を教えて、ナバロ」

「教わってどうする? 医者にでもなるのか」

ビビは少し考えてから、首を横に振った。

「うーん、それもいいけど……。そうね、それよりは、もっと自由に動きたいの。上級の魔道士になれば、空を飛んだりも出来るでしょう? 色んな所へ旅に出てみたいわ。沢山もものを見て、知って、触れてみたい。読んだ本の中にある気色が本当かどうか、この目で確かめたいの」

ビビの目はいつも、ここではないどこかを夢想していた。

「海が見てみたい。大きな川も湖も。高い山から見下ろす、広大に広がる景色も、沢山の森の木も。もう誰かからお話しを聞くだけじゃ、満足できないの。自分の足で歩いて、そこへ行って、何もない草原の上で、ずっと寝転がっていたい」

夢ばかり見ているビビに、フィノーラとイバンは、深いため息をつた。

「それ、今日もやったのがバレて、さっき叱られたばかりじゃないですか。ナバロを診察した医師に」

「そうですよ。ビビさまはもう少し、自分の体調と体力をお考えください」

「ね、ナバロ! ナバロだって、自分の能力と体力の加減が分からないのでしょう? それで動けなくなってしまうのなら、同じではないですか」

「……。違う」

三人の声が重なった。

「どうして!」

「ナバロはただの、やんちゃ坊主よ。体はまだ子供だから、魔法に耐えられるほどは出来上がってないけど、健康的に丈夫には出来ている」

「魔力を貯め込む能力は、常人とは桁違いですよ。自分でコントロール出来ていないだけだ」

「私とどう違うのよ!」

「全然違います!」

フィノーラとイバンの愚痴は続く。

「大体さぁ、お嬢さま付きの侍女っていうから、何をやらされるのかと思ったら、ただのお守り役だなんて! 私はそもそも、治癒魔法は得意じゃないのよ。それなのに、しょっちゅう簡単に、どこででも倒れちゃってさ」

「私だって、簡単な魔法しか使えない。倒れたビビさまを館まで運ぶだけの、運搬係みたいな役は、もうゴメンこうむりたい」

「いいじゃないの、それくらい!」

「よくないです!」

俺はそんな話しに気をかけることなく、一人で黙々と食事を続けている。

久しぶりにしっかり体を動かしたせいか、もうすでに眠気に襲われていた。

このまま延々とつまらない愚痴を聞かされていては、本当にここで眠ってしまいそうだ。

「私もナバロと一緒に、体力をつけます! 走るし、腹筋とか柔軟もやります」

「無理ですよ。とにかく私は、仕事とナバロで手一杯ですし。ビビさま用のメニューじゃないし」

「フィノーラ! 何とかならないの?」

「え~。そういうの苦手ー。契約にも入ってないしー」

「私も、冒険がしたいのです!」

ガチャン! と、ビビはテーブルに拳を突いた。

静まりかえった食堂に、イバンの声が静かに響く。

「……。ビビさまの場合は、お父さまに許可をいただかないと……」

そう言った彼を、彼女はにらみつけた。

「だから私は、誰からも……」

不意に、廊下から騒がしい物音が聞こえてくる。

四人? いや、五人だ。

食堂の扉が開いた。

黒髪に顎髭を生やした大柄な大きな男だ。

後ろには聖剣士二人と、魔道士も二人いる。

魔道士のうちの一人は、昼間の医術士だ。

「ビビ。お前が連れてきたというのは、その少年か」

「お父さま。どうされたのですか?」

ビビとは似ても似つかない、巨体に筋肉質な男だ。

彫りの深い目で、俺をにらみつける。

「名は何という。ナバロだったか? いや、そんなことはどうでもいい。今すぐ聖騎士団の本部へ行ってもらおう。連行しろ」

魔道士二人が呪文を唱える。

拘束呪文だ。

俺はその術先をビビにすり替える。

「きゃあ!」

彼女の体が、テーブルに座ったままの状態で固定された。

「か、体が動かなくなりましたわ!」

「ナバロ以外の者は、外に出ていろ!」

俺はテーブルに飾られた、魔法石の結晶を手に取った。

それを懐に入れると、ぴょんと飛び上がる。

「待て!」

簡単な魔法だ。

領主率いる聖騎士団の前に、軽めの静電気を流す。

「うわぁ! イバン、ビビを連れて避難を!」

父親である領主が叫んだ。

魔道士からの攻撃魔法が飛んでくる。

どうやら標的は俺らしいが、なんだコレ?

空気玉か何かか?

威力も弱ければ、意志のはっきりしないヘタな魔法だ。

これで聖騎士団の魔道士とは、情けない。

ビビの盾になるよう回りつつ、それを跳ね返す。

イバンは、魔法で固まったままの彼女を抱き上げた。

「私はここに残ります!」

「お父さまの命令です。一旦避難します」

「嫌です!」

次は何の呪文のつもりだ?

いつまでたっても、もごもごと考えている魔道士の口を封じる。

「やはりお前は、ただの魔法使いではないな」

領主は剣を抜いた。

その刃先が空を切る。

だけどまぁ、十分届かない位置にいるから、全然怖くはないよね。

ビビを抱き上げたイバンが、走りだした。

食堂を抜け、廊下へ出る。

俺はその後ろに続いた。

「待て!」

領主と聖剣士たちが、追いかけてくる。

呪文を唱えた。

彼らの足元を固める呪文だ。

勢いよく床に転がる。

「クソ! 早く魔法を解け!」

ダメだ。 楽勝すぎる。

俺たちは廊下を駆け抜ける。

「おい、ナバロ。お前がついて来んなよ」

「ビビの周辺以上に、ここで安全なところがあるか?」

「まぁ素敵! いいわよ、ナバロ。ずっと私の側にいて!」

「なにを言ってるんですか、お嬢さん。冗談じゃないですよ」

「ならば、拘束魔法を解いてやろう」

「いや、逆に面倒だから解くな」

蝋人形のように固まっていたビビの腕が、ふっと動いた。

「もう解いた」

「すぐにかけ直せ」

「イバン、下ろして!」

暴れ出したビビを抱いたまま、イバンは玄関ホールへ出る。

背後から矢が放たれた。

振り返った瞬間、それは空中でピタリと止まる。

フィノーラだ。

「ひどいじゃない。私を置いて行かないでよ」

「お前までついて来たら、意味がないじゃないか」

「いちおう? ビビさまの護衛だし?」

イバンは愚痴をこぼしながらも、そのまま走り抜け玄関ホールへ出た。

騒ぎを聞きつけた聖剣士たちが、外からも駆けつけ始めている。

「イバン、何事だ!」

「……。あぁ、ビビさまを連れて、避難中だ」

「そ、そうなのか?」

「見て分からないか」

イバンは、抱きかかえているビビを見せる。

その後ろには、フィノーラと俺がいた。

「そ、そうか。ならば、こちらへ……」

居並ぶ聖剣士たちの前を、素通りする。

俺たちはそのまま、中央ホールの階段を駆け上がった。

「待って。そうだわ、イバン。こっちではなくて、地下牢へ逃げましょう。もう随分使われていないし、そこなら私たち四人で隠れていても。十分籠城出来るわ」

「なるほど名案です。では、ここからぐるっと回って、三階のビビさまのお部屋へ」

「どうしてよ!」

ホールには続々と、聖騎士団の連中が集まってきていた。

イバンはビビを抱えたまま、階段を駆け上がる。

「だからナバロ、お前がついて来んなって」

「館の外へ出たい。案内してくれ」

「それは無理だ。私はビビさまの部屋へ向かう」

術の解けた領主がホールへ駆けつけ、俺たちを見上げた。

「あの少年だ! ヤツを追え!」

衝撃魔法が飛んでくる。

風を小さく丸めたものだ。

だが狙いが悪い。

標的の設定の仕方がヘタなのだ。

これでは俺だけでなく、ビビやイバンにも当たってしまう。

その空気弾を消滅させようと、俺が呪文を唱えるよりも早く、フィノーラが呪文を唱えた。

弾き返された弾は、ホールの壁に弾け飛び、立派な装飾を傷つける。

「えぇ? お前の魔法は、雑過ぎるな」

「うるさいわね。このままじゃ、ビビにも当たるでしょ」

「私は先に行くぞ」

再び走り出したイバンの後ろに、俺とフィノーラはついて行く。

「だから、あんたが大人しく捕まりなって!」

「やだよ、面倒くさい」

「カズといい、今回といい、一体なにしたのよ」

「心当たりが、ありすぎて……」

イバンに抱えられたまま、ビビは後ろをのぞき込んだ。

「追いかけて来たわよ!」

魔道士は、炎の呪文を唱えている。

こんな狭い廊下で、正気か?

次の瞬間、敷き詰められた絨毯に、二本の火が走る。

黒くくすぶるその線に、フィノーラは何か唱えようとしている。

「待て。単純に返すな。廊下が燃える。気体を操れるのなら、空気の流れを止めればいい。そうすれば火は消える」

フィノーラの呪文。

炎は増幅され、後方に向かって火を噴いた。

「なんでこっちがそんなことまで、気にかけなきゃなんないのよ」

「きゃー! カッコいい! 私もそれやりたい!」

「絨毯が燃えた!」

「あら、ナバロはそんなことを気にかけてくれるの?」

イバンに抱きかかえられたまま、ビビはにっこりと俺を見下ろした。

「そう。いい子なのね」

その仕草に、なぜかうつむいてしまう。

いや、違う。

そうじゃない。

俺だって、自分の城が荒らされるのは、嫌だったから……。

「止まれ!」

行く手を塞いだのは、ビビの父親だった。

「少年、大人しくこっちへ来るんだ」

「お父さま、おやめください。ナバロに、なんの罪があるというのですか!」

「お前は黙ってろ!」

「嫌です!」

「イバン、ビビはもういい。その少年を捕らえろ」

「……。ですがビビさまが……」

「ダメ!」

ビビは、イバンの首にしがみついた。

領主である父親の後ろには、聖剣士と魔道士がいる。

背後も塞がれた。

「イバン、何をしている。早くしろ!」

その声に、彼は抱き上げていたビビを、ゆっくりと下ろす。

「ビビ、こっちへ来なさい」

「嫌です!」

彼女は両手を広げ、父親たちの前に立ち塞がった。

「この子が、何をしたというのですか!」

「それをこれから審議するんだ」

前後に迫る聖剣士たちが、一斉に剣を抜いた。

魔道士たちも控えている。

イバンはささやく。

「ナバロ。ここは一旦、大人しく捕まらないか? 私たちが、悪いようにはさせない。必ず助け出す」

ビビも目を合わせた。

俺に向かって、小さくうなずく。

「悪いがそれを素直に信じられるほど、まっすぐに育ってないんでね」

「ならば、戦うしか道はない」

さて、どうしようか。

イバンが腰の剣を抜いた。

と、不意にビビの手が、俺の腕を掴む。

「ナバロ、こっちです!」

そのとたん、すぐ脇にあったドアが開かれ、そこに引きずり込まれた。

「ビビさま!」

部屋に入るなり、彼女は鍵をかける。

「ビビさま! 開けてください!」

「いやよ!」

「イバン、ちょっとどいて」

フィノーラだ。

ドアを塞ぐビビの体が、ガクガクと震えて始める。

呪文で扉を開放しようとしているんだ。

「ナ、ナバロ、何とか……、おねが……」

ビビの願いに、俺は呪文を唱える。

「コラー! ナバロ、魔法を解きなさーい!」

「これで、しばらくは大丈夫だ」

ほっとしたのか、ビビは俺に近寄ると、視線を合わせた。

「あなたは本当に、魔法使いなのね」

無邪気にキラキラと輝く目が、俺には妙にうっとうしく眩しく感じる。

「頼みがあります。私を一緒に、連れて行ってください。ここから出たいの」

「嫌だ。面倒くさいし、邪魔だし」

荷物にしかならないお供など、ゴメンだ。

この体をしっかり休ませ、ようやく取り戻した体力を、残しておきたかったが、こうなっては仕方ない。

「私は! いつもここでは、邪魔者扱いなのです。厄介な、困った置物なのです」

「だろうな」

だけど、その境遇は昔の俺と、正反対だ。

雑用品を並べた物置部屋には、タオルやシーツ、掃除道具や工具類が並べられている。

狭い裏路地に面した窓際には、長い梯子が立てかけられていた。

扉は激しく叩かれ続けている。

「私は……。だから、一人前になりたくて、誰の荷物にもなりたくなくて……。魔法石を取り寄せ、体に馴染ませようとしていたのです。だけど、元々の体が弱く、そのせいで取り込んだ魔力は、全て吸い取られてしまって……。おかげでこうして、元気に動けてはいるのですが、ただそれだけにしかならず、私は……」

強烈な眠気が襲ってくる。

やはり子供の体は不便だ。

体力がいくらも持たない。

俺は小さな窓から、外へ身を乗り出す。

乗り移れそうな屋根が目の前にある。

「……。一緒には、連れて行ってもらえないのね」

「断る」

「分かったわ。準備するから、ちょっと待ってて!」

「いや、だから断るって……」

「ナバロが置いて行っても、私は勝手に付いていくだけよ。だから何も気にしないで」

いや、待たんけど。

もう一度、窓から外をのぞき込む。

ビビは、タオルやらシーツやらの積まれた棚の奥から、ボロ布の鞄を取りだした。

それを肩にかける。

「コラー! あんた、本気でビビさまと閉じこもる気なの?」

「ナバロ、ここを開けろ! このままでは、お前が不利なだけだ」

ドアを蹴破ろうとしている。

魔道士たちも呪文を解こうと、躍起になっている。

まもなく扉は開かれるだろう。

「ビビ。これは、魔法石をいただいていく礼だ」

俺は食堂から持って来た魔法石を取り出すと、その一部をバキリと折ってかみ砕く。

彼女の胸に手を当て、呪文を唱えた。

「腕のいい魔道士に、治療をさせているな。それは確かだが、気の巡りが悪いから、それ以上よくならないんだ」

ビビは、かざした俺の手を握ると、苦しそうに表情を歪める。

あのヤブ医者は、もしかしたら俺の正体を見抜いたのかもしれない。

たいしたものだ。

「お前の病はお前のものだから、それ自体を治すことは出来ない。だがちょっと『仕掛け』を変えてやればいいんだ。これで、普通に動けるようにはなる。魔法石の摂取が条件なのは、変わらないが」

視界が歪む。

寝落ちしそうだ。

これ以上、意識を保つのは難しい。

扉の向こうから、フィノーラとイバンの声が聞こえる。

「ちょ、ナバロ! あんた、どんな魔法使ってんのよ!」

「魔法の使えない、私にも分かる。とんでもない気配だ!」

扉の呪文が破られそうだ。

これだから、子供の体は厄介なんだ。

もう体力が持たない。

フィノーラの魔法が、俺の術を解除しようとしている。

イバンはその巨体を、激しく扉にぶつけている。

「ビビさま!」

体がだるい。

急がないとマズい。

俺は梯子を窓から外に出すと、それを階下へ落下させた。

「ナバロ!」

「お別れだ。ビビ」

扉が破られる。

「待て!」

イバンの剣先が、空を切った。

俺は窓から外へ飛び出す。

ふわりと体を浮かせ、隣の屋根に飛び乗った。

窓枠に飛びついたイバンが、そこから身を乗り出す。

「ナバロ! そこから動くなよ。この私がちゃんと、お前を……」

「どいて!」

ビビはイバンを押しのけた。

「どうしても、連れて行ってはもらえないのね!」

「邪魔なだけの供はいらない」

「魔法が使えたら、私だってどこへでも行けた! 何にでもなれた! 私の自由を、あなたの自由をなくさないで! またいつか、ここへ戻ってきて。私にそれを見せて!」

フィノーラが呪文を唱える。

「ちょっとそこを、どいてもらえますかね、ビビお嬢さま!」

イバンはとっさに、ビビを奥へ引き込んだ。

そのとたん、窓側の壁が吹き飛ぶ。

「フィノーラ。お前の魔法は、がさつすぎ」

「待ちなさい!」

また衝撃魔法だ。

ありがたい。

それが打ち込まれる前に、シールドを貼る。

フィノーラの放った魔法の風を受け、夜空に舞い上がった。

「……。ナバロ、逃がさないわよ!」

後はそのまま、調整した風に乗って、飛ばされておけばいい。

ゆっくりと漂う夜空に、ルーベンの町が広がる。

「待て!」

フィノーラは、屋根へ跳び移った。

足で走って、追いつけるとでも思っているのかな。

と思っていたら、彼女は魔法で高く飛び上がる。

フィノーラが何度、シールドに衝撃魔法を打ち込んでも、それは俺が逃げるための、追い風にしかならないんだけどなぁ。

「あぁ、そうか。ついでに自分も、あの館を出るつもりだ……」

ルーベンの田舎町を、月明かりが照らしている。

俺はフィノーラの起こす風に乗って、ふわふわ空を飛んでいて、彼女はその後を、飛び跳ねながら追いかけて来る。

「……。あんた、本気でグレティウスに行くつもり?」

「そうだけど」

寝落ちしそうだ。

この体、もうちょっと使えるようにならないかな。

困ったもんだ。

だけど今は、そんなこともなんだっていいや。

もう町外れまできたし。

その辺の茂みにでも、身を隠して眠ろう。

いつものように魔法で目隠しすれば、獣やモンスターにも見つからない。

「お前は、あの館に戻らなくていいのか?」

「あんた、私と組まない?」

「それで俺に、どんな利点が?」

「子供一人で、何が出来るの。私といれば宿も取れるし、家出少年には、ならないわよ」

意識が薄れる。

もうダメだ。

フィノーラの腕が、ゆっくりと落ちてゆく俺の体を受け止めた。

そのまま屋根から地上へ下りる。

「あんたの体、もう動けないってバレバレよ。容積の小さい子供の体で、でかい魔法使いすぎ」

触れた肌から伝わる体温が、やけに生々しい。

完全に意識が落ちる。

次に俺が目を覚ました時には、温かいベッドの上だった。



第3章


ガラス窓の向こうから、昇ったばかりの朝日が見える。

まだ多少の疲れはあるものの、随分と楽になった。

その回復の早さには、感心する。

狭い部屋にベッドが二つ。

窓には小さなテーブルと、椅子が二脚ほど。

外にはすぐ目の前にまで迫る、山の緑が広がっている。

どうやら行きついた町外れで、宿をとったらしい。

フィノーラの姿は見えない。

俺は起き上がると、部屋を出た。

「もう起きて大丈夫なの?」

廊下に出たとたん、そのフィノーラと鉢合わせる。

「ここを出る。世話になったな」

彼女は両腕に、衣類やら食料を抱えていた。

その真横を通り抜ける。

「宿の女将さんに、挨拶くらいしていきなさいよ」

階段を下りると、すぐに帳場に出た。

気の強そうな女将が立っている。

「おや、坊ちゃん。もう動けるようになったのかい?」

その手は俺の頭を抑えこむと、ぐりぐりとなで回した。

「全く。いいお姉ちゃんだね。出発の準備を手伝ってきな。朝食はその後だよ」

にっこりと、人当たりのよい笑顔を俺に向けた。

その手をパンと振り払う。

「なんだそれ。俺はもう先に行くんだ」

冗談じゃない。

あんながさつな女など、連れて歩く方が面倒くさい。

宿の女将に背を向ける。

聖剣士たち追っ手が来る前に、さっさとここを抜けだしたい。

「まぁー! 本当にきかん坊だね」

女将はその俺を、背中から高く抱き上げた。

「うわっ、おい、離せ!」

「ちょっとは、抱っこくらいさせておくれよ。うちの子は、もうすっかり大きくなっちゃってねぇ」

頬にキスされた! やめろ!

「あ、捕まえてくれたのですね。ありがとうございます。お世話になります」

すっかり旅支度を調え、フィノーラが出てきた。

「あら、もう行っちゃうの? 少し待てば、食事が出来あがるのに。食べていきなよ」

抱き上げられた腕から逃れようともがくも、そう簡単には抜け出せそうにない。

「夜中に押しかけておいて、お世話になりました。この子も、じっとしていられない子なので。母の様態も気になりますし……」

「そっか。お母さんの具合が悪いんじゃ、しょうがないわね」

ようやく床に下ろされた。

女将はため息をつくと、俺たちを見つめる。

「平和な時代になったものね。子供だけで旅が出来るなんて。憎きエルグリムの暗黒時代を乗り越えた、私たちですもの。きっとお母さまはよくなるわ」

「ありがとうございます」

「気をつけてね。帰ったら、また寄ってちょうだい」

宿の外まで見送りに来た女将に、フィノーラは手を振った。

そのまま山を越える街道へと入ってゆく。

人通りは少ないとはいえ、ゼロではない。

踏みならされたむき出しの土を踏みしめ、歩いてゆく。

「こんな堂々と街道を通って、大丈夫なのか? お前はビビの館へ戻れよ」

「戻ったわよ」

「は?」

フィノーラは大あくびをした。

「じゃなきゃこんな呑気に、街道通って移動できると思う? 全くこれだから子供は……」

ガラガラと音を立てて走る荷馬車と、すれ違った。

「ぶっ倒れたアンタを宿に預けてから、すぐ館に戻ったわよ。それで、ビビさまからの手紙も預かってきた」

「は?」

だからと言って、こんな紙切れを渡されても困る。

「定期的に、連絡寄こせって。街道を抜ける通行手形を出してもらったのよ。ルーベンの正式な許可証よ。これでどこへでも行ける」

「そんなもの不要だ」

関所はすり抜ければいい。

金なら店先で盗むか、魔法で芸でも見せればいい。

占いでもしてやれば、すぐに金は手に入る。

「お前はこれから、どうするつもりだ」

「私もグレティウスへ行く」

「なんだ。お前も『悪夢』が欲しいのか」

「それは違う」

日が昇るにつれ、気温は上がってきた。

人通りも次第に増えてくる。

ゆっくりとした坂道を、フィノーラと並んで上ってゆく。

「私は……。『悪夢』を破壊する」

「どうして?」

「ナバロは信じる? 中央議会の言ってること」

「まだ見つかってないんだろ?」

「それは信じてる」

整備された街道は道幅もあって、所々に店も並んでいる。

次の街は、この峠を二つ越えた先にある。

「エルグリムの残した遺産よ。それがまだ見つからないなんて。だけどもし見つかってたら、もうとっくに世界は、変わっていたのかもね。新政府に不満はないけど、他の誰かに見つかって悪用されるくらいなら、私が先に見つけて、ぶっ壊してやる」

「フン。誰もが血眼になって探しているのに、まだ見つからないものを、お前が見つけられるとでも?」

フィノーラは立ち止まると、じっと俺を見下ろした。

「あんたと一緒なら、見つけられる気がする」

「じゃあもし、俺が見つけたとして、どうする? 俺はそれを、独り占めするかもしれないぞ」

「そうはならないでしょ。多分私だけでも、あんただけでも、見つけるのは無理」

上り坂がきつくなり始めた。

道幅も狭まり、街道沿いの商店も寂しくなり始める。

ここから先は、本当に山の一本道だ。

「誰かに支配される世界なんて、ゴメンだわ。そんなモノになりたがる奴がいたら、そうなる前に私がぶっ殺す」

「だったら、なぜ聖騎士団に入らない。お前のその魔力なら、十分入れるだろ」

「あいつらのことは、反吐が出るほど嫌いなのよ。分かるでしょ」

「……。お前の好きにしたらいい」

山道に入ったとたん、人の気配も一気に減少した。

俺は魔法を使い、高く飛び上がった。

フィノーラもついてくる。

「さっきまで、聖騎士団の連中と一緒だったじゃないか。聖剣士は、嫌いなんじゃなかったのか?」

「だから利用するのよ。悪い?」

「まぁ、今はどこへ行くにも、聖騎士団の許可がないと動けないからな」

「あいつら絶対、エルグリムの悪夢を見つけたって、破壊なんかしないわ。利用するつもりよ」

「その方が賢いもんなぁ」

「あんたが、グレティウスに行く目的はなに?」

「そりゃ憧れの街だからさ。魔道士なら、一度は行ってみたいと思う。そうだろ?」

魔法で体を浮かせ、地面を蹴る。

背に羽が生えたかのように、一歩一歩を飛び跳ねながら進む。

てくてく歩けば数日はかかる行程も、呪文を唱えれば何てことはない。

フィノーラの腕は、悪くない。

流しの魔道士としては、いい方ではないだろうか。

よく訓練されている。

だけど俺の配下におくには、まだ十分とは言えない。

「なぜ聖剣士を嫌う。誰からも、信頼される存在じゃなかったのか」

「言ったでしょ、嫌いだって。そういうアンタはどうなのよ」

「はは、嫌いだな」

「でしょ。だから組もうって、言ってるのよ。聖騎士団を、本気で嫌いだって言える人間じゃないと、私は信じない」

山頂までたどり着いた。

木々の間から、遠くナルマナの街が広がる。

「ここから先は、首都ライノルトまで続く道よ」

ライノルトか。

かつては誰も知ることもない、それはそれは小さな町だった。

勇者スアレスが生まれた村から、一番近い町だったというだけの場所。

「俺はライノルトに興味はない。ここでお別れだ」

「ちょ、待ちなさいって!」

姿を消す。 瞬間移動だ。

この体ではあまり遠くまで行けないが、この女をまくくらいのことは出来る。

山道を離れ、密林の間をすり抜けてゆく。

そういえば、かつてライノルトには、巨大な魔球を落として完全に破壊したことがあったが、そこから復興させたのだろうか。

ご苦労なこった。

「いや、破壊したからこそ、新しく復興出来たのか」

深い森の中で、一つ息をつく。

普通の人間なら、三日はかかる山越えだ。

関所? 通行手形? そ

んなもの、俺には必要ない。

整備された道しか進めないようなやつに、用はない。

短い距離での瞬間移動を繰り返し、密林の中を進む。

魔力の臭いに気づいた動物たちは、驚き慌てふためいて、逃げ去ってゆく。

そう、これこそが、俺に対する正しい反応だ。

微笑みかけるなんて、ありえない。

汗が流れる。

尋常ではない量だ。

全身がだるく重みが増してくる。

クソ。

こんな移動など、何でもないことだったのに……。

館から盗み出した魔法石を、いくら摂取してもダメだ。

まだ幼い体が、この力に耐えられるだけの体力を持てていない。

息が苦しい。

全身の重みに、ついに足が止まった。

心臓がズキリと痛む。

荒れ果てた、むき出しの地面に倒れた。

脈打つリズムは不規則で、強烈な痛みを伴う。

手足まで震えている。

俺はそこにうずくまると、繭のように体にシールドを張った。

意識レベルを下げ、回復に全てを注ぐ。

見た目は岩に偽装してあるから、そう簡単には見つからないだろう。

魔力の使い過ぎだ。

無理なんてしているつもりは微塵もないが、どうしても体がついてこない。

やろうと思えば出来るはずのことが、何にも出来ない。

その苛立ちに、腹立たしさに震えている。

しばらく回復に集中し、意識を取り戻した頃には、すっかり日は落ちていた。

密林の森は真の暗闇で、覆い茂った木々に、空もほとんど見えない。

月も細いこんな夜には、一人で殻にこもっているに限る。

梟が闇夜を滑空する。

俺が擬態している岩の前に現れたネズミを捕らえた。

その鋭いくちばしで、皮を食いちぎり飲み込む。

こんな光景を目にするのも、何年ぶりだろう。

遙か昔の、エルグリムがまだ幼かった頃を思い出す。

今よりもずっと体は傷だらけで、常にどこからか血を流し、腹を空かせていた。

皮膚は黒く固くこわばり、骨と皮ばかりだった。

俺は新しく手に入れた十一歳の、その柔らかい肌に触れる。

ここは暖かくはないが、俺を傷つけるものは、もういない。

それだけで十分だと満足出来るほど、俺はバカではない。

残った魔法石を取りだし、その全てをかみ砕く。

朝になったら、ナルマナの街へ下りよう。

どこかでちゃんとした食事を取らないことには、実体である体が持たない。

街へ下りたら、まずは簡単な芸でもして、金を稼いで……。

いつの間にか、また眠りに落ちていた。

目を覚ますと、日は完全に昇りきった後だった。

俺は街に向かって山を下りる。

日暮れ前には、ナルマナの街へたどり着いた。

ここからは首都ライノルトまで、遠く人の街が広がる。

かつては、ルーベンのような辺境の田舎町だと思っていたが、随分と発展していた。

レンガを敷き詰めた道には外灯が立ち、ガラスを張ったショウウインドウの前を、飾り立てた馬車が走る。

住民もそれなりの身なりをしていた。

少なくともカズやルーベンのように、畑仕事をしているような連中ではない。

夕陽に沈み始めた街を歩く。

子供が一人で歩いていても、誰も気にとめることはないくらいの都会だ。

宵口の街角に立ち、歌を歌う。

もちろんただの歌ではない。

聞いた相手に金を出させるための、魔法の歌だ。

「ありがとう」

緑の目が、道行く大人たちに、俺は魔法使いだと知らしめている。

子供の魔道士見習いが歌うのは、今も昔もいつだって物乞いの歌だ。

わずかな金を手に入れ、閉店間際のパン屋に入る。

小汚い物乞いの子供でも、長く伸びた前髪の隙間から、その目を見せれば許される。

「インチキ魔法で稼いだ金でも、金は金だよなぁ!」

店から出てきた俺に、道行く男たちがそんな罵声を浴びせてきた。

案の定、仲間と共にゆっくりと追いかけてくる。

路地裏に回り込んだところで、肩をつかまれた。

「おい。お前、いくらでも稼げるんだろう? だったら持ってる金、ちょっと分けてくれよぉ」

辺りはすっかり、暗くなっていた。

他に人の気配もない。

呪文を唱える。

せっかくのパンが、不味くなるのはゴメンだ。

「俺の機嫌がそれほど悪くないことに、感謝するんだな」

「なんだよ、また魔法か? 残念だが俺たちは、そんなち……、ま、待て!」

俺を取り囲んだ、三人の男を拘束する。

動きたくても動けず、声も出せなくなった男たちの懐から、しょぼい財布を探り出す。

呪文によって、フワフワと浮き上がって出てきたそれは、中身だけを手の平に残して落下した。

「まぁ確かに、物乞いの子供から、巻き上げなきゃならないくらいの安さだな。お前らと一緒だ」

汚いおっさんどもの、悔しがる顔を見ながら、食べる食事も悪くない。

俺は買ってきた包みを開くと、その場に腰を下ろしてかぶりつく。

ハムと卵を挟んだ大きな丸パンだ。

男の腰にぶら下がった小瓶から、気付け用のウイスキーを見つけて、あおる。

焼けるような喉の痛みに、思わずむせた。

「おかしな気配がすると思って、のぞいてみれば……」

通りの角から、男がひょっこりと顔をだした。

占い師だ。

同じ魔道士でありながら、未来予知を専門とする、魔法使いの中でも一番胡散臭い種類の連中だ。

「大の大人が、やたら子供っぽい歌を歌うもんだと思っていたが、まさか本当に、こんな子供だったとは……」

浅黒い肌に、黒く短い巻き毛。

ボロボロのテンガロンハットの下は、目の覚めるような緑の目がある。

波打つ髪を、くしゃりとかき上げた。

腰に拳銃を差し、ニヤリと口角を上げる。

「坊主。腹減ってんのか。何かもっと美味いもんでも、食わせてやろうか?」

「誰が占い師の言うことなんか、信じるかよ」

「ほう! よく俺が占い師だって分かったな。大概の連中は、この格好で俺をガンハンターだと勘違いすんのに」

酒臭い息に、わずかな火薬の臭いがつきまとう。

元々占い師という類いは気に入らないが、こんな奴はなおさらだ。

「帰れ」

「おいおい、コイツらはそのままかよ」

その男は、身動きも取れず、声も上げられない連中を振り返った。

「朝になったら、親切で優しい魔道士にでも、術を解いてもらうといいよ。きっと俺みたいなインチキ魔道士でも、お手の物だからね」

「おいおい。解いてやれよ、意地悪だなぁ~。意地悪はしちゃダメだって、学校で習わなかったのか?」

男はポンと片手を自分の頭に乗せると、呪文を唱え始めた。

「んん?」

彼はその眉を寄せる。

唱える呪文構文を、一段階格上げした。

と、男たちの呪縛が解かれる。

「クソガキが! 覚えてろよ」

占い師の男は、逃げ去る背中にやれやれとため息をついた。

「だってさ、ぼく!」

俺はそれを無視して、歩き始める。

あんな連中のことに、興味はない。

「しかし、アレは普通の魔道士にはちょっと難しいぞ。解けないことはないだろうが」

まとまった金は手に入った。

体を休める場所が欲しい。

宿を取りたいところだが、十一歳の子供に、果たしてそれが可能なのか……。

ナルマナの街は、ルーベンとは比べものにならないほど、発展していた。

かつてこの辺りは、一面の草が広がる、ただの草原だったのにな。

遠く両脇に見える、山脈の地形は変わらない。

俺が倒されたこの十年程度の間に、これだけ変わったのか。

新しく出来た街には、身なりを整えた人間も多いが、流れ者も多い。

占い師の男は、ずっと後をついて来る。

「あぁ、分かった! 宿を探してるんだ。子供一人じゃ、さすがに泊めてくれるところは、ないからなぁ」

俺は、そう言った男を見上げる。

なんだコイツ。

なんでずっと俺の後をつけてくる。

「よかったら、うちに来るか? 予想通り汚いところだけど、道ばたで寝るよりマシだろ」

「なぜ俺に構う」

「んん? そりゃこんな子供が、一人で夜道を歩いてるんだ。マトモな大人なら、放っておけないだろ?」

そう言って、俺にウインクを投げた。

やっぱりコイツは、信用ならない。だけどまぁ、恐れるほどのものでもないか。

「……。では、頼む」

男は浅黒い顔に、ニヤリと笑みを浮かべた。

煙草で黄ばんだ歯を見せる。

「はは。いいぜ、来いよ」

男に連れられて、さらに薄汚い路地へと入り込んだ。

大通りは整備され、何一つゴミも落ちていないのに、一歩路地裏へ入ると、その全てのゴミクズを掃き寄せたような光景が広がる。

そこかしこに酔い潰れた人間が寝転がり、蹴破られたような看板と、ヒビの入ったガラス窓もそのままだ。

「突貫工事で出来た街だからな、ここは。工事にかり出された連中が、帰るところをなくして、こんなところで寝てるんだ」

建築資材や雨水の溜まった木箱が、むき出しのまま置かれている裏路地を、地下へと下りる。

少し階段を下りたところに、小さなバーの看板がぶら下がっていた。

その横にあったドアを足で蹴りあげる。

「ほら、仕事の時間だぞ。さっさと行ってこい」

足の踏み場もないほど散らかった部屋で、女が寝ていた。

「あらディータ。また拾いものしたの?」

小さなベッドから起き上がると、二人は口づけを交わす。

「ふふ。こんなかわいい男の子だったら、今回は許してあげる」

「ほら、遅れたらまたドヤされるぞ」

薄い肌着一枚を被ったまま、女は外へ出て行く。

ディータと呼ばれた男は、そのままベッドへ寝転がった。

「あぁ。腹減ってたんだっけ?」

「それはもういい」

ついてきたのはいいけど、俺はどこで寝ればいいんだろう。

散らかりまくった部屋を見渡す。

どこか横になれる場所を……。

「来いよ」

「うわっ!」

ディータは俺の腕を掴むと、ベッドに引き寄せた。

そのまま、ぬいぐるみのように抱きかかえられる。

「離せ!」

「まぁそう言うなって。たまにはいいだろ」

ディータは片手で俺の顎を掴むと、こめかみに唇を寄せキスをする。

じっとその目をのぞき込んだ。

「随分深い緑だな。生まれつきか? 俺の目も緑だろ? 必死で馴染ませたんだ。体に魔法石を」

「いいから、さっさと離せ」

一人用にしても、小さめのベッドだ。

暴れる俺に、ディータは手を離すと、ぐるりと背を向けた。

「まぁ寝ろよ。起きたら、朝飯くらい食わせてやる」

男は目を閉じ、静かに呼吸していた。

魔法で、ランプの灯りを消す。

まさか本当に眠ってしまったとは信じていないが、今日はここで寝るしかないようだ。

俺のすぐ脇で、動かなくなってしまった男を見下ろす。

魔道士と占い師は、同じ魔法石からの魔力を使うとしても、使い方が違う。

その気配と臭いは、同じ魔法使いなら区別がつく。

こいつは占い師だ。

多少の魔法は使えるようだが、占い師の臭いの方が強い。

占い師は嫌いだ。

予言者と名乗り始めたら、それはさらに最悪。

やがて賢者となり大賢者とか言い出したら、そいつはもう敵だ。

男とシーツとの間にうずくまる。

人肌を感じながら寝るのも、カズを出て以来久しぶりだ。

念のため防御用のシールドを張っておこうか?

ふとそんなことが頭をよぎるが、結局そのまま、眠ってしまった。

頭上に降りかかる光りに、目を覚ます。

とっくに正午は過ぎているようだった。

何かをフライパンで焼く臭いがする。

「おー。チビ、目が覚めたか」

ディータだ。

ハムと卵を焼いている。

ゴミというか衣類というかガラクタというか、そういうもので埋め尽くされたベッドの脇に、そういうもので半分埋もれたテーブルがあった。

ディータは、そのテーブルに乗っていたものを、腕のひとかきで下に落とすと、フライパンを置く。

「まぁ食え」

そう言って、やはりモノに半分埋まったソファに、腰を下ろす。

すぐ横にあった紙袋から、パンを取り出した。

それをちぎると、半分を俺に寄こす。

「名前は?」

「ナバロ」

「そっか。俺はディータだ。よろしくな」

マズくはないが、特に美味くもないものを、腹に押し込んだ。

目の前の食い物がなくなった時には、すっかり午後の日差しに変わっていた。

「で、お前はこれから、どうするつもりだ?」

「……。適当に過ごす」

「はは。なんだそれ」

ディータは立ち上がる。

「ガキのくせに、生意気な口利いてんじゃねーよ。別に行く当ても、ないんだろ? ちょっと俺の仕事を手伝わないか」

「いやだ」

彼はニヤリと口角を上げる。

「おいおい。一宿一飯の恩義を忘れるなって、言葉を知らねぇのか」

「関係ないね。お前が勝手にやったことだ」

俺もソファから立ち上がる。

とにかく散らかりまくった、汚い部屋だ。

出口までの床に、足の踏み場がない。

ディータの腕が、ドカリと俺の肩に回った。

「そんな、つれないこと言うなって。いいからついて来いよ」

「離せ!」

「はは。まぁそう言うな」

子猫のように持ち上げられ、運ばれる。

俺は顔を真っ赤にしているが、恥ずかしくて逆に動けない。

ディータはドアを蹴破ると、外に出た。

「占いの仕事だ。お前もちょっとは、出来るだろ。出て行くにしても、小銭くらい稼いでからにしたらどうだ」

やっと下ろして貰える。

ディータはこちらを振り返ることもなく、歩き始めた。

なんだよ。クソ、仕方ないな。

ちょっとだけなら、どんなもんだか、様子くらい見てやってやってもいいか。

楽に金が稼げるなら、当分のものは必要だ。

ディータは俺に背を向けたまま、しゃべっている。

「アレだ。どうせグレティウスに行きたいとか、思ってんだろ?」

「行きたいんじゃない、行くんだ」

昼下がりの雑踏を、のんびり歩いてゆく。

表通りの店は、どこも大勢の客が出入りしていた。

「やっぱガキの考えることは、たいてい一緒だよな。お前、どうやってグレティウスに行くのか、知ってんのか?」

場所なら知っている。だが……。

「フン。さすがに分かってるか。大魔道士になりたいって?」

「なる」

「フフ」

ディータは小さく笑った。

石畳の道を、噴水のある広場に出る。

そこを通り過ぎても、なお歩いてゆく。

「グレティウスは、大魔王エルグリムの、かつての居城跡だ。今は封鎖されて、簡単に入れるところじゃない。しかもそのどこかに、『悪夢』が眠ってるって話しだ。そりゃライノルトだって、放ってはおかない」

ライノルト、かつての田舎町。

今は新政府の中央議会が置かれる、事実上の首都だ。

「そのライノルトも、今や大予言師ユファさまの言いなりだ」

ディータはくるりと振り返る。

「だから、今からなるとしたら、何でも屋の魔道士より、予言師。つまり、占い師が狙い目ってことだ。魔道士なんてやめて、俺と一緒に占い師やろうぜ」

「やだね」

ユファか。あの忌々しい、クソガキめが。

アレは、勇者スアレスに祝福を与えたことで、突然有名になっただけの、ただの詐欺師だ。

当時五歳だったガキの予言なんぞに、なにがある。

周りに乗せられて祀り上げられた、ただの飾りものだ。

それが今や、大賢者さまとして政府の中央にいるとは、片腹痛い。

「『悪夢』を探すにしたって、どれだけライノルトの連中が血眼になってても、見つけられないんだ。それを探り当てるためにも、予言師は必要なんだよ」

「ならばなぜ、ユファ自身が見つけない。『悪夢』を見つけられない時点で、アイツはクソだ」

そう。俺の足元にも及ばない。ディータは笑った。

「あはは! やっぱお前、面白いな。じゃあお前は、見つけられるってのか?」

「見つけるさ。簡単だよ」

俺が隠したんだ。ディータはそんな俺を、ニヤリと見下ろす。

「そうか。ならグレティウスを守ってる連中も、きっとお前を受け入れるだろうな。大歓迎だよ。待ってましただ」

通りを曲がる。

目の前に開けたのは、立派な市場だった。

「だがそこまでの、道のりは長いぞ。ほら、ここが俺の仕事場だ。お前はここで、歌でも歌うか?」

数十メートルの通り両脇にテントが張られ、様々な屋台が並んでいる。

野菜に肉、アクセサリーや帽子、スープやパンの店もあれば、様々な効能の魔法石を売っている店もある。

「ここと、もう一本隣に市が立つんだ。どこか人目につきそうな場所で、空いているところを探すんだよ」

賑やかな通りを、一通り見て回る。

ディータは休業日の工場裏にある、小さな階段前で立ち止まった。

「この辺りがいいかな」

ポケットから煙草を取り出すと、火をつけた。

魔法石と薬草の混じった、独特な紫煙が立ちこめる。

「これは……」

「まぁ黙って、見てろって」

ディータは、カードを取り出した。

魔法石と薬草を混ぜた絵の具でイラストを書き付けた、一種のマジックアイテムだ。

魔法を帯びたそれを、宙にばらまく。

カードは美しい弧を描いて、キラキラと輝いた。

「さぁさぁ。何でも占う占い師だよ。魔法のカードが、あなたの未来をピタリと当てる。捜し物も結婚相手も、何でもお任せあれ!」

ふわりと風を巻き起こす。

煙草の煙はわずかな魔力を含み、通りかかった人々に、幻覚を見せる。

虹色に輝く無数の蝶が、ひらひらと羽ばたいた。

「まぁ、素敵な魔法ね。私もひとつお願いしようかしら」

「さぁどうぞ、こちらへお座りなさい」

くだらない。

これだから、魔道士がバカにされるんだ。

「俺はもう行くぞ」

「おいおい、ちょっと待てよ。お前も占いを手伝え。そういう約束だろ?」

「そんな契約を交わした覚えはない」

立ち上がる。

俺は一刻も早く、グレティウスへ行かねばならない。

「待てって!」

ディータの手が肩に触れた。

俺はそれを魔法で弾き返す。

ついでに幻覚を見せる煙草の煙も、かき消した。

「痛って! チッ、クソガキが。下手に出れば、つけあがりやがって」

「お前のような場末のエセ魔道士に、世話になるつもりはない」

ディータが呪文を唱える。

途端に周囲は暗くなった。

幻覚魔法だ。

俺も煙草の煙を吸っている。

閉ざされた暗闇の中で、ディータは銃口を向けた。

「さぁ、大人しくするんだ。悪いようにはしないさ。お前がグレティウスに行きたいってんなら、連れてってやる。だがそれは今じゃない。分かるな」

「今じゃない?」

「あぁ、そうだ。今じゃない」

ふん。笑わせる。

「悪いが、お前に頼るつもりは一切ない」

呪文を唱える。

この煙草の煙が幻覚を見せるなら、俺の体内に入り込んだ、その成分ごと全て消し去ってしまえばいい。

『囚われし魔法石の粉よ。さぁ、空高く飛び上がれ、お前達は自由だ!』

視界が歪む。

真っ暗な異空間に、現実の市場の風景が、割けたように入り込む。

この呪文では無理ってことか?

ならばもう一度、強く命じればいい。

『飛び上がれ!』

そのとたん、視界の闇は溶けだし、一気に空へ駆け上がった。

正しい世界を取り戻す。

「なっ、そんな呪文、聞いたことねぇぞ。何でそんなんで有効なんだ!」

いつの間にか、周囲に野次馬の人垣が出来ていた。

同じ幻覚を見ていたのか、魔法が解けた瞬間、歓声と拍手が巻き起こる。

「ちっ、見世物じゃねぇぞ」

ディータは、次の呪文を仕掛けている。

魔法石の粉を塗りつけたカードが宙を舞う。

コイツが占い師?

ただ未来を嘆いているだけの、クズな魔道士には見えない。

随分手慣れているようだ。腕もいい。

「はは。コイツは面白くなってきたな。ガキだと思ってナメてちゃ、やられるかもな」

ニヤリと笑みを浮かべた。

「そうこなくっちゃ。この俺を、ガッカリさせないでくれ」

カードが魔方陣を描く。

見たことのない陣形だ。なんだこれ?

舞い上がる砂埃が、足元の自由を奪う。

あぁ、違う。

ケンカ慣れしてんだ、コイツ。

ディータは胸の前で印を結んだ。

黒味がかった緑の目が、鮮やかに燃え上がる。

「本気で『悪夢』を狙うなら、これくらいはやってもらわねぇとなぁ!」

魔力解放。

ディータの体は、一瞬にして深緑の炎をまとう。

その全てを吸収したと思った瞬間、増殖したカードが襲う。

俺は飛び交うその一つ一つを、丁寧に避けた。

飛んでくる軌道を、魔法でわずかに変えてやるだけでいい。

呪文を唱える。

『風よ、この身に纏う守りとなれ』

らせん状の風を、足元から自分の体に巻き付けた。

ディータはすぐに、次の呪文を唱えている。

そのカードの一つが、姿を変えた。

これは煙草による幻覚なんかじゃない。

「はは。なるほどね」

このカードたちは、ディータの使い魔だ。

主の唱える呪文によって、自在にその姿を変化させる。

「ならば、遠慮なく行こう」

相手が本気でかかってくるなら、こちらも本気で返さないと失礼だろう?

こういう本物の魔道士を相手にするのは、この体に生まれ変わってからは、初めてだ。

ディータの呪文で、カードは三つの頭を持つ大蛇に変化した。

俺は右手をかざす。

破壊魔法?

それとも、全部のカードを一気に吹き飛ばす?

いやいや、それじゃ面白くないだろう。

『石は石の元へ。木は木の元へ帰れ』

その呪文に、膨張し、そのまま弾け飛ぶかに見えた蛇は、再び形を取り戻した。

ディータの魔力をそのまま形にした蛇は、赤黒く光り輝く。

「ふん。そんな単純高等魔法で言うこと聞かそうなんて、エルグリムでも無理だろうよ」

ディータの呪文。

『踊れ。お前の望むままに!』

大蛇の体は三つに裂け、俺に飛びかかった。

「見た目通りのガキじゃないことを、ここで証明してくれ」

鋭い牙が肌を切り裂く。

まとうつむじ風で振り落としたものの、これでは動けない。

「案外退屈だったな。子供は家に帰りな」

ディータは腰の拳銃を抜いた。

その銃口を、真っ直ぐに俺に向ける。

引き金を引いた。

「その判断はまだ早い」

飛び上がる。

背面に飛び、弾丸と蛇を避けた。

着地したついでに尾を掴み、奴に向かってぶん投げる。

ディータはそれを肘で受け止めると、そのまま体に吸収した。

自分の魔力を外に取りだし、操る術だ。

そういえばそんなことが出来る連中も、腐るほどいたな。

「目の色を分散させているのか。それなら魔力の深さは、簡単には測れない」

「器用だろ? こんなもんじゃないぜ」

ディータが呪文を唱える。

二匹の蛇は、狼へと姿を変えた。

赤黒く魔法で光るその二頭は、同時に大地を蹴った。

とりあえず先に、その一匹を弾き飛ばす。

群衆の中に向かったそれは、すぐにディータが回収した。

残るは一匹。

「反撃してこいよ。どうして何もしない。まさかそこで立ってるだけが、精一杯ってわけでもないんだろ?」

どうしよう。

何の呪文で対抗しようか。

昔の使い魔を出す?

魔力を擬態化した、コイツの使っているようなものではない、本物のモンスターだ。

どこにいったっけ。

召喚したところで、今さら言うこと聞いてくれるかな。

「そういえば、俺にもちゃんとした使い魔がいたなーって」

俺は静かに目を閉じ、印を結ぶ。

「お前に使い魔? マジかよ。モンスターと契約を結ぶには、それなりの宣誓か能力が……」

「そうだよ。お前のその、なんちゃって使い魔じゃない、本物の魔物たちだ」

呪文を唱える。

『この声に覚えのある者どもよ、我の元へ集え。いにしえの約束を果たすときが来た』

魔力を帯びた呪文は言霊となり、世界へ広がってゆく。

大地が揺れ始めた。

「なっ、お前。そんなセリフ吐いたところで、どんなヤツが来るってんだよ」

街全体が揺れている。

それを覆う、空気までもがふるえた。

予兆だ。

これはエルグリム復活の予兆として、再び世界に轟き、恐怖として響き渡るだろう。

静かな風が、目の前を横切る。

「……。ダメか」

だがそれは、一瞬にして平常を取り戻してしまった。

返事はない。

あぁ、俺が死んだ時に、一緒に全部、狩り尽くされてしまったんだな……。

「お、驚かすなよ。テメー!」

周囲を取り囲む野次馬までもが、怯えから解放された、安堵のため息をもらす。

魔力によって形作られただけの使い魔は姿を消し、それを呼び出すカードだけが地面に落ちていた。

「おいおいどうした? 俺のまでビビって、消えちまってんじゃねぇか」

ディータはそれを拾うと、もう一度印を結ぶ。

「お前まさか、本気で魔物たちを呼び出せるとか、思ってたワケじゃないよな」

「呼び出せる……。と、思った」

「ふん。その魔力の強さは認めるが、本当の使い魔ってのは、呼び出す前に契約が必要なんだ」

「知ってるよ。一度は従えないといけない」

「懐かせないとな」

「うん」

ディータは印を結ぶために組んだ手の奥から、視線をチラリとのぞかせた。

「は? マジで呼び出せるとか、思ったのか?」

魔法使いの目が、じっと俺を見つめる。

「あぁ、そうだよ」

実に残念だ。

「本気で?」

「本気で」

「マジか」

「マジだ」

俺たちをぎっしりと取り囲む群衆の奥から、不意に騒ぎ声が聞こえてきた。

それらを蹴散らし、銀の甲冑が飛び込んでくる。

聖剣士たちだ。

「なんだこの騒ぎは! って、またお前かディータ。いい加減にしろ」

「あぁ? 今回のは、見世物じゃねえよ。どっか行ってろ」

「あれだけの魔力を放出しておいて、知らんぷりが出来るか」

「やかましい。手出しすると、タダじゃ済まねぇぞ」

その言葉にたじろぐ聖剣士たちの中で、ただ一人が剣を抜いた。

はめ込まれた石に、呪いがかかっている。

魔剣だ。

「いつでもどこでも、この街じゃお前が騒ぎの原因だ。いい加減、大人しくしろ」

その男はチラリと俺を見たあとで、すぐに視線をディータに戻す。

「あの地震はなんだ。お前がやったのか」

「あぁ? ……。あぁ、まぁちょっと新しい呪文を試してみたけど、あんま上手くいかなかったなぁって話しだ」

「なぜ街中で騒ぐ。あれほど迷惑はかけるなと……」

「所詮しがない占い師だ。日銭を稼いでなにが悪い」

この聖剣士の目は、黒っぽい茶色をしている。

魔道士ではない。

「今度騒ぎを起こせば、次はないと警告してあったはずだ。覚悟は出来ているだろうな」

聖剣士は呪文を唱えた。

魔力を吸収するよう石に指示を出している。

剣にはめ込まれた魔石が黒く光った。

こんな剣を扱えるのは、ただの聖剣士ではない。

そしてその剣も、ただの剣ではない!

構えた剣が宙を斬る。

ただそれだけで、ディータの張った結界が崩れてゆく。

「もう魔道士の時代は終わったんだ。大魔王エルグリムを倒せると予言した、ユファさまから祝福を受けた、吸魔の剣だ。お前らごとき占い師風情が、俺に勝てると思うな」

「そういえばお前とは、一度ちゃんと勝負しないといけなかったな」

ディータが呪文を唱える。

攻撃魔法だ。

小さな火の玉が、聖剣士に襲いかかる。

その剣が火に触れた瞬間、炎は刃を伝い魔石に吸い込まれてゆく。

「さぁ、今度こそ牢に繋がれ、正当な処罰を受けるがいい」

剣士の呪文。

魔石の色が黒から赤に変わった。

とたんに剣は、炎に包まれる。

相手の魔力を奪い、それを自らの力に変える……魔剣だ。

「この剣の前では、どんな魔法も意味を成さない。お前もいつまでも、手品に夢見る大魔王ではいられないぞ」

「魔法は手品じゃねぇ」

「もちろん手品じゃないさ。だがその使い方を、間違えるなと言っている」

ディータは呪文を口ずさむ。

相手の動きを封じる魔法か?

俺は足元に落ちていた小石を拾った。

「所詮、実体である肉体の動きには、勝てないと言ってるんだ」

聖剣士は、炎の剣を構える。

『蜘蛛の巣よ、魔剣士の動きを止めろ』

ディータの手から、緑の網が放たれる。

剣士は魔剣を振るった。

その炎は、蜘蛛の巣を焼き落とす。

刃の切っ先が、ディータの首元を捕らえた瞬間、俺の投げた石はその刀身を弾いた。

「ふん。確かにその剣は、大魔道士エルグリムを倒した剣のようだ」

「……。魔法使いの子供か……」

その剣士は、俺を見下ろす。

「子供でも、コイツに加勢するなら容赦はない」

なにが聖剣士だ。魔剣だ。

お前のその剣こそ、呪われていることを教えてやろう。

「おい。ガキはさっさと、どっか逃げてろ」

「詐欺師ユファの加護だと? そんな物を振り回しありがたがる連中に、何を恐れることがある」

呪文を唱える。

俺の目の前でそんな剣を振るったことを、後悔させてやる。

「おい! やめろ!」

魔力解放。

激しい力が俺の体を貫通し、天から大地を貫く。

燃え上がる碧い緑の炎柱に体が包まれた。

「無茶しすぎだ! それじゃあ、お前の体がもたない!」

聖剣士は呪文を唱えている。

魔石の色が赤から黒に変わった。

その程度の石で、俺の力を奪うつもりか?

銀の鎧に身を包んだ聖剣士が、魔剣を振るった。

「やめろ!」

ディータが飛び出す。

俺は標準をその聖剣士に定めた。

『滅びの声を聞け』

ディータが結界を張る。

それに弾かれた俺の波動弾は、そのまま俺に戻ってきた。

「バカ! ちょっとは考えろ!」

視界がぼやける。

あぁ、またやってしまった。

本当にこの体には、未だに慣れない。

聖剣士が慌てた顔で駆け寄ってくる。

その剣を鞘に収めたから、まぁいっか。

俺は誰かの腕に抱き留められると、そのまま意識を失った。



第4章


ふと気がつくと、どうやら俺は、ディータの腕に抱かれているようだった。

荷馬車に乗せられているのか、ガタゴトと揺れている。

頭上では罵声が飛び交っていた。

「あんな魔剣で、子供に向かっていくヤツがあるか!」

「だったら、どうすればよかったんだ。お前こそ、ヘタな反射魔境かけやがって」

「死んだらどうするつもりだった!」

「そんな失敗をこの俺がするように見えるか。お前こそ、なんでちゃんと魔法の使い方を教えていない。その方が問題だ」

「これから教えるつもりだったんだよ」

「またそれか。お前はいつだってそうだ」

全身がダルくて重い。

魔力酔いだ。

わずかに体を動かす。

「うっ……」

「気づいたか? おい、ナバロ。俺が分かるか?」

目を開ける。

やっぱりディータだ。

俺は小さくうなずく。

「あぁ! よかった。お前はやりすぎだ。心配させるなよ」

男の腕に、ぎゅっと抱きしめられる。

それはそれで悪いとは思わないが、ちょっとうっとうしい。

聞き慣れない、大きなため息が漏れた。

「あぁ、助かった」

ディータの向かいには、あの魔剣を持つ聖剣士がいる。

その男の手が、俺の額に触れた。

「全く。生きた心地がしなかったぞ。熱はないのか? 水は?」

「ほしい」

起き上がる。

渡された皮袋に口をつけた。

いつの間にか辺りは、すっかり夜になっている。

「気分はどうだ」

「最悪」

俺はその水袋を聖剣士に戻した。

ディータの膝上に抱かれたまま、ぐったりとしている。

荷馬車は大きく傾いた。

どこかの敷地に入ったようだ。

懐かしいような臭いに混じって、吐き気がするほどの腹立たしい結界が張られている。

この聖騎士団の荷馬車で運ばれなければ、決して侵入出来なかっただろうし、しなかった場所……。

「着いたぞ。歩けるか」

「分からない」

「いいよ。俺が抱いていく」

荷台のホロが巻き上げられる。

踏み台が用意され、俺はディータに抱きかかえられたまま、そこに降りた。

ぐるりと高い城壁に囲まれた馬車寄せに、かがり火が焚かれている。

聖騎士団の剣士、魔道士たちが、ぎっしりと辺りを埋め尽くしていた。

「なんだここは」

その異様な光景に、思わず声が出る。

ディータは皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。

「ナルマナの、聖騎士団本拠地だ。ナバロ。ここじゃ大人しくしとけよ」

俺たちは魔剣の騎士に誘導され、馬車寄せから城内へと向かっていた。

この城は知っている。

昔、俺の建てた城だ。

扉が開く。

「ディータ!」

女が飛び出してきた。

「今度は何をした!」

長い赤毛の波打つ髪に、同じ赤茶けた目をしている。

軍服と、胸に並んだ勲章の数は、ここの団長か?

靴音高らかに歩み寄ると、階段の上から俺たちを見下ろした。

「本当に子供と……。どうして連れてきた。知り合いなのか?」

「俺の子だ。イェニー」

「……。は?」

赤毛の女の赤い目と、俺の視線がぶつかる。

「こいつはいま、魔力酔いを起こして動けないんだ。ベッドを用意してくれ」

「お、お前……に……。こ、子供? 一体、いつ……」

魔剣の男は女の隣に並ぶと、彼女を見下ろした。

「イェニー団長。落ち着いてください。彼らの年齢を考えると、どうしてもおかしいでしょう」

ディータは女を無視して、そのまま城内に入った。

構わず歩き続ける俺たちを、女は追いかけてくる。

「待て、ディータ。なぜお前が、そんな子供を連れている?」

「いいから、ベッド用意しろよ。それとも医務室の方がいいか?」

「そ、そうだな。い。医務室なら……」

「団長。コイツには累積警告が溜まっています。子供はともかく、せめてディータは地下牢に」

「そ、そうだな。キーガン。ディータ、子供はこっちで預かる。お前は地下牢に……」

ディータは俺を抱きかかえたまま、団長と魔剣士を振り返った。

「こんな子供を、一人で置いておけるか!」

「し……、しかし……。そ、それは本当に、お前の子なのか?」

「それになんの問題があるんだ?」

女はよほど、俺のことが気になるらしい。

ディータは支離滅裂、意味不明ながらも、女に対して強気な姿勢を崩そうとはしない。

「い……、いつの間にそんな子供を……」

「イェニー団長。判断が難しいのなら、せめて結界を張った地下の個室に収監しては?」

「そ、そうだな。そっちに案内しよう」

ようやく女が、先になって歩き出した。

キーガンと呼ばれた魔剣士は、俺たちを見下ろし、ため息をつく。

「ついてこい。イェニー団長の温情により、お前たちは地下牢に繋がれることを免れたぞ」

「フン。当たり前だ! なんで俺が、そんなところに入れられなきゃならん」

ようやく移動先が決まった。

いくつもの廊下を渡り階段を下り、地下へ潜る。

内装はすっかり変えられているが、城の構造なら覚えていた。

やはりこの城はかつて、俺の建てた城だ。

この辺りに巣くう魔物たちに与えたら、よほど気に入ったのか、周囲を襲い奪いつくしたあとでも、長らく根城にしていた。

彼らは勝手に地下も掘り進め、そこはすっかりダンジョン化していたはずだ。

むき出しの地層をそのまま残した階段を下りていく。

灯りが灯されているのは、ここの魔道士たちの力か。

地下深くにまで及ぶ結界は、ずいぶんと根深い。

「ここだ」

団長のイェニーが、鉄格子の扉を開ける。

牢獄にしてはずいぶんといい造りだ。

ベッドにサイドテーブル、床にはラグマットが敷かれ、小さなもの書き物用の机と本棚まである。

俺を抱き抱えたままディータはそこに入ると、俺をベッドへ寝かせた。

この城に入った時から、ずっと気になっていた。

聖騎士団には魔道士も所属している。

その魔道士たちが何人も協力し、それぞれのやり方でこの城に強固な結界を張っていた。

地下ではそれが、より強固になっている。

この檻の鉄格子も、普通の金属などではない。

魔法の“臭い”を察知し、無効化する呪いをかけてある。

ここは、魔道士専用の牢獄だ。

「おい。コイツをここに寝かせるのはいいが、俺のベッドがねぇじゃねぇか」

「わ、分かった。あとでもう一つ持って来させよう」

「イェニー団長。コイツは床で寝たので十分です」

ディータは椅子をベッド脇まで引き寄せると、そこに腰掛けた。

なぜかイェニーとキーガンまで、牢の中に入ってきている。

むき出しの土壁に鉄格子と見張り番さえいなければ、普通に宿の一室だ。

「で……。この子供はなんだ」

「しつこいなイェニー。俺の子だって言ってんだろ」

女はビクビクしながら、俺の顔をのぞき込む。

「と、歳はいくつだ」

「……。十一」

「十一? だとすると……、ディータが十五の時の子か」

「ありえなくはないだろ」

突然、イェニーはもの凄い剣幕でディータの胸ぐらをつかむと、グイと引き寄せた。

「貴様、いつの間に! あれだけしておきながら、よくもそんなことが!」

「俺がどこで何をしようと、お前には関係ないだろ!」

「関係はないが、ないわけではないと言ってるだろう!」

「なにがどう関係あって、なにがどう関係ないんだ!」

そのディータの言葉に、急にイェニーは頬を染めうつむき、その手を緩める。

「そんな……ひど……。ち、違う。ほ、本当にお前の子供なら、まずはお祝いしないと……」

「は? なんでお前に祝われないといけないんだ」

「だ、だって、仮にもお前の血を分けた子供なら、私もそれを受け入れ、我が子として育てなければ。たとえそれが、他の女との間に出来た子でも、やはり……」

「団長。しっかりしてください。まずは騒動の取り調べを」

モジモジとはにかむイェニーに対し、キーガンは慣れっこなのか、表情一つ変えることなく、ごく冷静に対応している。

「え、えっと……。ディータは、いつになったら私にプロポーズと愛の言葉を……」

不意に、牢獄の入り口から強い魔法の臭いがした。

ディータもその気配に気づき、顔を上げる。

開け放しにされたままの牢の前に、その女は現れた。

「ほら。ソファを持って来てあげたわよ。どうせいるだろうと思って」

魔道士だ。

グレーの真っ直ぐな髪に、同じ色の法衣を纏っている。

やや灰色がかってはいるが、鮮やかに光る緑の目をしていた。

「モリー。あまり団長を甘やかすな」

「まぁ、キーガン。そんなことを言って、どうせイェニーに泣きつかれて、夜中に一人でこっそり運ぶはめになるのは、あなたよ」

魔力でソファ二台とそのセットになったローテーブルを浮かべている。

それを器用に傾け、牢獄の入り口をくぐり抜けると、ラグマットの上に並べた。

「はい。毛布も持ってきてあげたわ」

「やぁ、モリー。久しぶりだね」

「本当ね、ディータ」

灰色の魔道士から、ディータは毛布を受け取った。

この女からあふれ出る“臭い”は相当なものだ。

自ら魔法石を摂取するだけではない、他人から魔力を奪い取って力を増してきた魔道士だ。

ソファを並べる手際といい、ディータ以上に、よく出来る魔道士なのは間違いない。

「あなたのことは、いつも気にかけているわ」

「そうかい。ありがとう。おかげで苦労しているよ」

ディータとモリーは、にっこりと微笑みあう。

そのモリーは俺を見下ろした。

「この子は?」

「拾ったんだ」

「どこで」

「街中で歩いてるのを見つけた」

モリーはじっと俺の目をのぞき込む。

「まぁ、素敵な緑の目ね」

横で聞いていたイェニーが、悲鳴をあげた。

「さ、さっきは俺の子だって言ったじゃないか!」

「うるせぇ、お前は黙ってろ」

「イェニー団長。落ち着いてください。明らかに顔が違います。この男とは全く似ているところはありません。それに……」

キーガンはその目をディータに向けた。

「コイツの子が、あんな魔力を持っているはずがない」

キラキラと輝きを増した赤い目が、俺を見下ろす。

「え……? ほ、本当にディータの子供じゃないんだな?」

俺は仕方なくうなずく。

「そうかぁ! ようこそ我が団城へ! 歓迎するぞ」

思いっきり抱きつかれた。

こういうのは本当に、苦しいからやめてほしい。

イェニーは、まだ俺の頭をなで回している。

モリーが言った。

「あの地鳴りはこの子が?」

「そうだよ」

ディータはため息をつく。

「まさか本当に、現れるとは思わなかった」

イェニーはようやく俺を放すと、枕元に腰をかがめ、横になっている俺と視線を合わせた。

「もう体は大丈夫なの? 具合の悪いところはない? お腹は空いてないの? 困ったことがあれば、何でも言ってくれれば……」

「だめよ、イェニー。ちゃんと仕事して」

「小僧。どこから来た。家は?」

甲冑を身につけたままのキーガンは、一人離れた位置で腕を組む。

「両親が心配しているだろう。連絡くらい入れておいてやる」

「はっ、だから言っただろう。この子の親は、今日から俺だ」

「そ、そうなのか? ディータ。分かった。だったらこんなところではなくて……」

「ふざけるな。そんな言い訳が通じるのは、うちの団長くらいだ」

「そうよ、イェニー。ちょっと落ち着いて」

モリーが呪文を唱える。

緑灰色の目が、妖しい光を放つ。

それはとても複雑で強力な呪文だ。

「そうね、ディータが見張っていてくれるというのなら、ここで任せておいてもいいわ。じゃなきゃ、本当に一番奥の地下牢に、鎖で繋いでおいたかも」

「おいモリー。やめろ」

ディータの言葉を、その魔道士の女は無視する。

「大地を揺るがすほどの魔力を、この体に貯め込んでたですって? ありえないわね。だけど信じるわ。だって私にも聞こえたんですもの、この子の声が」

封魔の呪文。

体がズシリと重くなる。

これは彼女の力だけではない。

長年にわたってこの城にかけられ続けている呪いのせいだ。

その魔法が、この結界の中にいる限り、魔道士たち個人の能力を、強く強く増長させている。

「辛いわよね。分かるわ。さっきあれだけの魔力を解放したんですもの、立ってもいられないのでしょう? タイミング良すぎて助かるわー。おかげで私の手間が省けたし、あなたに酷いことをしなくてすむ。悪いけどここにいる間は、ずっとその状態でいてね」

魔力を補給するには、原則として魔法石を摂取しなければいけない。

その力を魔力に変えて体に馴染ませ、蓄積する能力のある者だけが魔法使いになれる。

それでもなお、より多くの力を望むのなら、自らの体以上にその力を保有する『入れ物』を作るか、他から奪えばいい。

「一度貯め込んだ魔力はその人自身のもの。それを使って解放しない限りは、そこにとどまり続ける。その流れを止めたわ。枯渇寸前だもの、コップの上に蓋をするようなものね。喉が渇いても水は飲めない。つまり、あなたの魔力は今のまま、回復しないってことね」

魔道士モリーはにっこりと微笑む。

「大丈夫よ。止められはしても、なくなりはしないわ。魔力ってね、なくても案外、人って生きていけるものらしいわよ。私はやったことないから、知らないけど」

「これだから魔道士は嫌われるんだ」

キーガンはベッドに近寄ると、俺の腕を持ち上げた。

その手を放した瞬間、バタリと棒切れのようにマットへ落ちる。

「気力も体力もつかない子供に、本当にあんな力があるものなのか?」

「魔道士を甘く見ちゃダメよ、キーガン。あれはとても恐ろしい予兆なの。あなたたち剣士には、分からないでしょうけど」

そう言うとモリーは、くるりと背を向けた。

「さぁ、もう戻りましょ。時間外労働なんて、無能な人間のすることだわ」

俺はベッドの上で、何とか寝返りをうつ。

モリーのかけた呪文は、声まで塞いでいた。

「そ……、そうだ……。ふざけるのも……大概にしろ」

「まだしゃべれるの?」

かすれた声で呪文を唱える。

モリーのかけた呪いは解けた。

ふわりと体が軽くなる。

とどまっていた魔法石の力が、体を巡り始める。

「封魔の術が聞いて呆れる。これだから聖騎士団所属の魔道士なんて……」

ドンッと、体に重みが増す。

俺は再び、マットに叩きつけられた。

「か……、な……」

「やれやれ」

ディータがため息をつく。

「ここの魔法はな、魔力をそのまま返すタイプの封魔術なんだよ。強い魔法を使おうと思えば使うほど、圧力も強くなるってわけ」

「ゴメンね、坊や。ディータは置いてってあげるから、大人しくしていなさいね。それなら寂しくないでしょ」

久しぶりだ。

この感覚。

この鼻をつくムカムカとした臭いは、あのユファとスアレスに、その腐臭が近いせいだ。

『力よ、動け!』

衝撃魔法。

ドンと空気が震える。

この地下に流れる魔力の向きを変え、それを操る。

『ここに留まる全ての力よ、元の主の元へ帰れ!』

とたんに空気は、重く熱く熱を持ち始める。

抗いあう魔力と魔力が、せめぎ合う熱だ。

「俺自身の魔力じゃないのなら、それも可能なはずだ!」

「他人の魔法を、魔力で動かすですって?」

再び呪文を唱える。

ここに仕掛けられた魔法が、ゆっくりと、だが確実に動き始めている。

キーガンが吸魔の剣を抜いた。

古い魔法の残りだ。

どこからか飛んで来た、見えない刃が空を斬る。

キーガンの剣はそれを弾いた。

「ちょっと! ここは狭いんだから、暴れないでよ」

モリーの呪文。

再び抑えつけられるその強い重みに、俺はガクリと両手をついた。

これ以上は無理だ。

完全に動けなくなった俺の赤い髪を、モリーが掴む。

その親指の腹で、優しく目元を撫でた。

「今が勤務時間外でよかったわね。そうじゃなきゃ、キミは死んでたかも」

「お前が強がっていられるのは、この城の中だけだ。外に出れば、その能力の、半分も出せないだろう?」

「うふふ。確かにそうかもね。なら城外に出て試してみる? ……な~んて、言うと思ったのかしら」

モリーの呪文。

その言葉に、俺の全身の体液は逆流した。

「うっ……」

意識が飛ぶ。

一瞬、目の前が真っ黒になり、戻った時には鼻血が吹き出した。

棒きれのように、ベッドにバタリと倒れる。

「モリー、やり過ぎだ」

キーガンが動いた。

その拳は、ディータの腹をドンと殴りつける。

抵抗出来ない彼にさらに肘打ちを加え、地面に叩き落とした。

「お前はこの城の特殊性をよく分かっているだろ。この子にもそれを、ちゃんと教えといてやれ」

ディータの動きも鈍い。

ここでは結界の魔法が、見えない手かせ足かせとなって囚人の動きを封じている。

「今日はもう遅い。しっかり休んでおけ。そうじゃないと、明日から地獄を見るぞ」

三人はようやく牢を出て行く。

ふいにイェニーが振り返った。

赤らんだ頬で、はにかみながらディータを見つめている。

彼女はもじもじと、小さな声でつぶやいた。

「ほ、他になにか、用事はないか?」

「は?」

「な、何かあったら、いつでも私を……、その、頼ってもらってもかまわない」

「俺には、お前の顔を見られただけで十分だよ」

「そ、そうか」

イェニーは顔を真っ赤にして、そのままモジモジとしている。

「もう行くわよ、イェニー。しつこい女は、ディータは嫌いだってよ」

「イェニー団長。しっかりしてください」

モリーとキーガンは、それでも動こうとしない彼女を連れ、ようやく出て行った。

ブツブツと抗議を続ける彼女の声が、地下牢に響いている。

ディータはやれやれと首を横に振った。

彼らの気配が完全に消えるのを待って、俺はゆっくりと体を動かす。

起き上がろうにも、体がいうことを聞かない。

重厚な鎧を全身にかぶせられているようで、何をするにも体が重い。

「魔法を使おうとするな。自分の体が持つ、本来の筋力だけで動くんだ。そうすれば、普通に動ける」

ディータに言われ、俺は少し頭で考える。

誰にもその正体がばれないよう、ずっと姿を隠す魔法を自分自身にかけていた。

魔道士ならだれでも、自分の体に何らかの魔法はかけている。

これを解いていいものなのか?

ゆっくりと腕を曲げ、膝を動かし、腰を落とす。ようやく起き上がれた。

「魔力に似合わず、その体だけは本物なんだな」

その問いにだけは、答えない。

「その体が本物じゃなきゃ、誰も疑いやしないさ」

「ずいぶんと彼らと、仲が良さげじゃないか」

「腐れ縁だよ。しかも聖騎士団だぜ? 反吐が出る」

「仲間になれば、もっとラクに生きれるだろ」

ディータからの返事はない。

じっと自分の手を見る。

何の魔法もかかっていない、自分自身の手だ。

見慣れているはずのその手が、いま初めて見るもののような気がした。

「しかし、この結界のかけ方は異常だな」

「まぁな。聖騎士団の団城なんだ。こんなもんだろ」

ようやくディータと二人きりになった。

まぁ、見えない所に見張りはいるんだけど。

ディータはソファにドカリと腰を下ろす。

俺はベッドから立ち上がった。

「ふぅ。大丈夫か?」

「なんとか」

俺は、自分で自分の体を確かめている。

大きく息を吐き出し、そのまま目を閉じた。

「まぁ今日はゆっくり休め。ある意味ここは、世界で一番安全な場所だ。腹が減ってるなら、何か運んでもらうか?」

「いや、それは大丈夫」

改めて、ゆっくりと辺りを見渡す。

いつも何らかの魔法を自分にかけていたから、体一つで動くなんて、滅多にないことだった。

足の感触を確かめながら、一歩一歩を慎重に踏み出す。

魔力による灯りが消され、すっかり薄暗くなってしまった、地面に穴を掘っただけの天上を見上げる。

ふと自分の足元をじっと見つめた。

二本の足が、真っ直ぐに伸びている。

「どうした。そんなに自分の体が不思議か?」

「慣れないんだ。自分のものなのに、そうじゃない気がして」

「お前は魔力と体のバランスがおかしいからな。間違っているとも言っていい」

ディータはソファに寝転がると、ゆっくりと俺の全身を観察している。

「どこでそんな呪文を覚えた」

「……。覚えたんじゃない、自分で考えたんだ」

そんなこと言っても、この十一歳の見た目では誰も信じない。

エルグリムの時から、もう何百回何千回も繰り返し、聞き飽きた言葉だ。

「秘密の魔道書を拾ったわけでも、大魔道士の魂に触れたわけでもない。俺自身が、元からこういう奴だったってだけだ」

いつだって俺は、俺でありたかっただけなのに……。

「もしかしたら、もっと違うやり方があったのかもしれないな」

この薄暗い地下室は、押し込められていたあの牛小屋を思い出す。

今の方がずっと広く快適で居心地のいいのが、どうしようもなく不思議なくらいだ。

「ディータはなんで魔道士に?」

「俺? 俺は……。そうだな。俺がまだお前ぐらいだった頃は、大魔王エルグリムが幅を利かせてたんだ」

ディータはごろりと仰向けになると、目を閉じた。

「そりゃあ強かったぜ。誰も逆らえやしなかった。恐ろしかったし怖かった。今じゃ信じられないだろうけど、普通に魔物が空を飛び、路上で人を襲っていたんだ。それでもな、俺は……。俺は、嫌いじゃなかったんだよ。魔物もモンスターもね。賢くやる人間ってのは、どんな時代でもいるもんさ。それなりにたくましく生きてたんだ。ナルマナに来る前は……。まぁいいや。そんなこと」

彼は肩肘をつくと、そこに頭を乗せた。

「魔道士の王様がこの世を治めているのなら、魔道士になりたいと思うだろ? いつか沢山のモンスターたちを従えた、カッコいい魔道士になるんだって、そう思ってただけだ。なにをバカなことをって、いつも賢い大人には怒られていたけどな」

「エルグリムは嫌われ者だったから」

「それで、聖剣士に殺されちまったしな」

俺はベッドに寝転がった。

闇に慣れた目に、ぼんやりとディータの靴裏だけが見える。

「なんで俺について来た?」

その柔らかな闇の中で、彼はフッと鼻で笑う。

「聞きたいか? おっさんの戯れ言を」

俺はゴソゴソとベッドに潜り込む。

「今聞かないと、もう聞くことはないと思う」

彼の深いため息が、闇夜に響いた。

「そっか。まぁそれもそうだよな。……。俺は……、もう死のうかと思ってたんだ。こんな意味のない人生を送るなら。占い師が自分の未来を占うって、どういうことだか分かるだろ?」

「……。自分の死期をみること」

「そう。そうなんだ。俺は突然、自分の死ぬところが見たくなったんだ。お前と出会ったあの近くの橋の上でさ。ちょうどあの時、俺はそこで自分の最期を占ったんだ」

ディータは、自分のカードで自分を占った。

このまま川に飛び込んで死ぬと出たら、本当にそのままそこで、死ぬつもりだった。

「そしたらさ、裏路地へ行けって出たんだ。すぐに分かったよ。その瞬間、強い魔法の気配を感じたからな。俺はそこに、運命の女神でも待ち構えているのかと思って、行ってみることにしたんだ」

あのごちゃごちゃとした汚い路地裏で、俺たちは出会った。

「すんげー期待して行ったのにさ、居たのはお前みたいなクソガキで、がっかりだよ」

そう言って、ディータはクスクスと笑う。

彼はもう一度寝返りをうつと、今度は背を向けた。

「それだけのことだ。何度も言ってんだろ。ただの暇潰しだって」

「死ぬつもりだったのか」

「あぁ、もういいだろ。寝言みたいなもんだ。さっさと寝ろ。明日はここを抜け出すぞ」

「……。どうやって?」

「それを考えながら寝るんだよ。難しいこと考えてたら、すぐに寝られるだろ」

ディータの上着の内ポケットには、自分の魔力を封じ込めたカードが入っていることを、俺は知っている。

ディータの魔力はそれに分離して保管しているから、発動させなければここでも影響はないんだ。

「何もしないというのも、作戦の一つってこと?」

「当然だ」

だけど、あの連中との仲の良さなら、彼らも知ってはいるのだろう。

それでもカードは没収しないのか、していないのか……。

「おい、寒くねぇか?」

「うん。大丈夫。ディータのとこのベッドより、ずっといい」

ここは温かい。

誰かの魔法に包まれて眠るのも、悪いことではないのかもしれない。

見張られているんじゃなくて、見守られているんだ。

そんなことを、俺は生まれて初めて思っている。

それに何だかここは、懐かしい臭いがする。

昔訪れたことのある、よく知った城だからなのかもしれない……。

朝になって、食事が運ばれてきた。

囚人用とはとても思えない、随分と豪華な朝食だ。

大きな銀のプレートに乗せて運ばれてきたそれには、肉に魚、フルーツに野菜類、小さなクッキーにプリンやゼリーまである。

取っ手のついた壺には、水の他にも五種類の飲み物が用意され、飲み放題だ。

俺はスライスされた三種類のパンの一つに、ハムとチーズを挟んだ。

焼いた肉の塊もきれいに切り分けられ並べられている。

テリーヌを遠慮なくむさぼるディータを、番兵たちは妬ましげに見ている。

「何だよ。お前ら飯は食ったのか?」

「仕事中だ」

「何なら一緒に食うか? 入って来いよ」

「それは無理だ」

「だったらせめて、こっちに来い。そっからじゃ手は届かねぇだろ」

戸惑う番兵たちに、ディータは何でもないことのように言った。

「イェニーには、俺から言っておいてやるから」

これらは全て、イェニー団長からの差し入れだそうだ。

なかなかに愛されている。

「ナバロ。食い終わったら作戦会議だぞ」

「なんの?」

「脱獄計画だよ」

俺たちは牢獄の中にいて、檻の向こうにいる番兵二人と、一緒に飯を食っている。

「そうだよなぁ、番兵さん。入れられた牢からは、自力で脱出しないとなぁ」

「また団長が泣くぞ。いい加減諦めて、一緒になってくれ。俺たちのためにも」

「お前さえ犠牲になれば、他は全て上手くいく」

「俺は関係ねぇよ」

ふわりと魔法の臭いが漂ってきた。

それに気づいたディータも顔を上げる。

モリーだ。

「まぁ! 私はこの団城における服務規範の徹底について、いま一度審議会にかけなくちゃいけないわ」

そう言うと彼女はしゃがみ込み、檻の隙間からカボチャのパイを手に取った。

香ばしい焼き色のついたそれを、もしゃもしゃと食べ始める。

「あら、おいしいわね」

「主席魔道士さま自ら、何の用だ」

「ディータも食べた?」

「質問に答えろ」

「ふぅ。食べ終わるまでちょっと待ってよ。相変わらずせっかちね」

モリーは最後の一口を食べ終わると、指についたパイクズを舐めている。

「今朝一番に、女の子がお城に乗り込んで来たの。黒髪のとってもかわいい魔道士よ。ディータ、あなたの知り合い?」

「残念だが、かわいい女の子の知り合いは多くてね。もちろん君もその一人だよモリー」

「ナバロの姉だと名乗ったわ」

「お前、姉さんがいたのか!」

「……。あぁ、まぁ、うん……」

フィノーラか。

どうして追いかけて来た?

「もっと早く言えよ!」

「その様子だと、ディータも知らなかったみたいね」

俺は骨付き肉を手に取った。

丁寧に一口大にカットされたそれには、何かのソースがかかっている。

随分クセのある味だが、悪くはない。

「ルーベンの正式な通行許可証を持っていたわ」

「なんだよ。だったら何の問題もないじゃないか。さっさとここから出せ」

「いま、イェニーが丁寧に取り調べているわ。あなたと彼女の関係について」

ディータの手から、持っていたフォークがこぼれ落ちた。

盛大にため息をつく。

「またアイツか!」

俺はもう一本の、違う骨付き肉に手を伸ばす。

うん。

これは香辛料がしっかりきいているうえに、肉自体にもクセがなく美味い。

「いま上は、すっごいピリピリしてるわよ。あんたは早くそっちに行って、何とかしてきなさいよ。いつものことじゃない」

そう言いながらも、モリーは別のクッキーに手を伸ばす。

それを口の中に放り込むと、プレートに添えられていたナプキンで指先を拭った。

ディータは俺を振り返る。

「お前の姉ちゃんなんだろ? 一緒に行くか」

「あら、この子はダメよ、ディータ。あなたたち、中央議会から緊急通告が出てるって、知らなかったのね。とっても優秀な我がナルマナの聖騎士団は、手配書に描かかれた少年と、よく似た男の子を昨晩確保したわ」

モリーはにっこりと微笑んだ。

「だから私が、今から取り調べをするの。お迎えに来たのよ。さ、行きましょ」

差し出されたモリーの手を、ディータはパッと遮った。

「待て。どういうことだ」

「これはどれだけあんたが暴れても、イェニーに泣きついたってダメな話よ。ユファさまからのお達しだもの」

「ユファさまの?」

大魔道士エルグリムだった俺を、倒した勇者スアレス。

それに予言と加護を与え、最大攻撃魔法を与えたのが、ユファだ。

当時は五歳程度だったと聞いている。

今頃は十七になるかならないかの占い師だ。

ディータは呆れたように首を振る。

「ライノルトの大賢者さまは、なんて言ってんだ?」

「ユファさまは、エルグリムの悪夢を見たそうよ」

その言葉に、ディータはチラリと俺を見た。

一瞬目が合う。

「は? そりゃもう、とっくの昔に終わった話だろ」

「私たちにとってはね。だけど、エライ人たちはまだ、その存在を信じている。大魔王最期の地、グレティウスから遙か南西の方角に飛んだ魂は、そこで復活の時を待っているってね。どうもそれが、最近になって本当に蘇ったと考えてるみたい」

「面倒くせぇ年寄りどもだな。それで子供狩りとはね。頭大丈夫か」

「守りたいのよ。今の平和な時代をね。その気持ちは私も同じだから」

モリーの緑灰色の目が、深く強く輝く。

「だからゴメンね。私にはあなたが、今後エルグリムのようになりうる脅威かどうか、確かめて報告しなければならない義務があるの。来てくれる?」

俺はフウと一つため息をついてから、食べていたポテトパイのクズを払った。

どうせ拒否したくとも、出来ない話しだ。

だったら、さっさと済ませてしまった方がいい。

今後の手間が省ける。

「いいよ。いくらでも調べればいい。自分では手を下さず、他人に任せてその後ろに隠れているような連中に、何が出来る」

俺は立ち上がると、彼女に手を差し出した。

「行こう」

「あら、カッコいい。こういう人間は、大人も子供も大好きよ」

手を繋ぐ。

モリーはしっかりとそれを握り返した。

「さぁ、行きましょう。椅子に座っているだけの、簡単なお仕事だから」

モリーと檻をくぐる。

この地下牢に張られた結界の強さは、ただ捕らえられた囚人を拘束するためのものではないようだ。

「俺も行く」

ディータも立ち上がった。

「ナバロが本当にエルグリムの生まれ変わりとなる存在なのか、確かめたい」

「あら」

モリーが振り返った。

「あなたはそんなこと言ってる余裕、ないと思うわよ」

地下牢へと下る階段を、一人の聖剣士が駆け下りてきた。

「ディータ! 上で団長と、お前の知り合いだという女性が揉めている。何とかしろ!」

「知るか! お前らでカタをつけろ。俺はナバロの方に……」

その男はディータの胸ぐらを掴むと、思い切り引き寄せた。

「もうキーガンでは抑えられなくなってるんだよ。オマエが来い」

「だからなんで俺が、いつもアレの相手をしないといけないんだ」

もみ合う二人に、モリーはヒラヒラと手を振った。

「じゃ、そういうことで。よろしくね」

ディータはまだ何かを叫んでいたが、この城の結界とモリーの魔法のせいで、抵抗が出来ない。

階段を上がる俺たちの後ろを、聖剣士の男にそのまま引きずられていく。

「私たちはこっちよ」

廊下に出たところで、俺たちは二つに分かれた。

彼女の白く細い手に引かれ、赤い絨毯の上をゆっくりと歩いてゆく。

彼女の灰色の真っ直ぐな髪がサラリと流れた。

繋いだ手に導かれるまま、城の外へ出る。

小さな庭の緑の芝は、朝日にキラキラと輝いていた。

狭い庭をぐるりと囲む高い城壁からは、空しか見えない。

ここは、ナルマナ聖騎士団の団城だ。

あちこちに武器や、呪いのかけられた道具が並べられている。

不意に、城門付近で爆発音が起こった。

振り返ると、団員たちは続々とそちらに集まっている。

「向こうは、あなたを助けにきたお姉さんの相手で精一杯よ。イェニーが疑ってるの。お姉さんとディータが付き合ってんじゃないかって。本当にバカよねぇ。ここにこんないい女がいるってのに。私には見向きもしないのよ、イェニーったら」

一旦庭に出たモリーは、再び南に位置した門から城内に入る。

「だから、邪魔が入らないうちに、さっさと済まそうと思って。そうすればあなたもお姉さんも、早く帰れるか一緒に捕まるか、はっきりするもの」

ここは魔法の臭いも剣士の臭いも、強すぎるそれぞれら全てが混ざりあって、息が苦しい。

「怖がることはないわ。ライノルトにある中央議会の、大賢者ユファさまの予言よ。間違えっこないですもの。あなたがそうじゃないってことを、ただ証明するだけ」

二人きりで通された部屋は、実に簡素な部屋だった。

テーブルに椅子、それと向かい合うように、一脚の椅子が置かれている。

シンプルな白木に青に濃く染められた皮が張られた、どこにでもあるような椅子だ。

「そこに座って」

モリーの手が離れた。

強い結界が張られたこの部屋では、体が動かせない。

呪文を唱えようにも、声すら出せない。

俺は白い椅子をにらみつけた。

「そうよ。それは呪いの椅子。分かってて座るのは、怖いわよね。だけど、それに座る前からそうと気がつくなんて、そんな子は初めてよ。やっぱりあなたは、ちょっと違うみたい」

モリーは向かいのテーブルに座った。

そこに置かれてあった書類を手に取る。

「魔法は使えないわよ。地下で散々味わったでしょ。自分の足で歩くのよ」

深い濃く緑灰色の目は、それなりの訓練を受け、しっかりと魔力を貯め込んだ者の目だ。

ここの主席魔道士というのも、うなずける。

その自信も、ハッタリなどではないのだろう。

俺はゆっくりと片足を動かす。

生身のこの体に宿る十一歳の筋肉だけを使っても、動けないわけではないのだ。

「そうよ。上手上手」

モリーの視線は、手元の書類に向いたままだ。

床にはべったりと魔方陣が書かれている。

見えないように小細工しているつもりだろうが、俺には分かる。

そこから椅子を引き寄せようとしても、この位置から動かせないのは、コイツのせいだ。

「カズ村の出身なのね。ルーベンの領主預かりになってる。この歳でお抱えの魔道士として、採用されたってことかしら?」

「さぁ」

俺はその、白く簡素な椅子に腰掛ける。

女はようやく顔を上げた。

「本当に。あなたの目は、きれいな魔法の色ね。さ、始めましょう」

その瞬間、椅子にかけられた呪いが発動した。

いつもは自分の意志で動かす魔法石の力が、ぐるぐると呪いにかき乱される。

俺の意志とは無関係に、それが全身を駆け巡る。

頭痛と吐き気と、めまいが襲ってきた。

「くっ……。あ……」

「分かってると思うけど、叫んでも助けは来ないわよ。ディータもお姉さんも、いま大変でしょうから」

俺にとっては血液ともいえる魔力が、全身を駆け巡る。

心臓は脈打ち、汗が噴き出す。

体が熱い。

「血縁はないお姉さんと旅をしているのね。彼女の名前はフィノーラ。このルーベンの通行手形は散々調べたみたいだけど、本物に間違いないという結論が出ているわ」

彼女はにっこりと笑みを浮かべた。

「どうやって手に入れたの?」

「さぁ……ね……」

「魔道士二人組の行く先といえば、やっぱりグレティウスかしら?」

「違うと言ったら?」

「フフ。ナバロは私が怖くないのね」

コイツらの目的は、俺の魔力とその能力を見極めることだ。

それだけのことに、なにを恐れる必要がある。

いままでも何度も審査にかけられ、その全てをクリアしてきた。

モリーはテーブルに肘をつくと、じっと見下ろす。

「ねぇナバロ。ここに来た子供たちは、みんなお利口さんに決まった返事を返すわ。『お父さんとお母さんが大好きです。学校は楽しいです。友達も沢山います』って。ブルブル震えながらね、教えられた通りの言葉を話すの。『自分はこの大切な世界を、絶対に変えることはありません。将来は、聖騎士団に入れるくらいの凄い魔道士になりたいです』ってね。だけど私が本当に知りたいのは、そういうことじゃないの」

魔力によって無理矢理開かれていた血管が、今度は末端から強引に閉じられてゆく。

体が内側から搾り取られている。

視界がぼやけ始めた。

突然の恐ろしいほどの寒さに、手足が震えだす。

少しでも動いたら、頭から床に転げ落ちそうだ。

「あなたはいま、どれくらい魔力を体内に貯めてる? これから先、どれくらいそれを拡大出来そう? そしてその能力を、何に使うつもりかしら?」

「エ……エルグリムの、生まれ変わりを探してるんじゃないのか?」

思考が支配されている。

質問に対して、それだけに答えるよう、口が勝手に動き出す。

「君はエルグリムの生まれ変わりなの?」

「違う。ぜ……絶対に、違うって……答える……」

モリーは、ふぅと退屈そうにため息をついた。

「かの大魔道士は、本当に生まれ変わりに成功したと思う?」

舌が回らない。

口を動かすのに、こんな辛い思いをしたことなんて、ない。

「は……、し、知るかよ……」

どうやって、この魔方陣から抜けだそう。

体内から奪われる魔力で、ここに吸い付けられているんだ。

その力が強ければ強いほど動けない。

どのタイミングで振り払う?

全身にじっとりと汗が流れた。

「はや……く、この、くだら……ない、呪いを……解け」

「ふふ。自ら魔法の椅子に座っておいて、何を言ってるのかしら。試されに来たのでしょう?」

「こ、こんな……こと。ここ……に、連れてこられた……子供、全員……に、やってるのか」

「んん? そうね。これはキミだけ特別……、かな?」

魔道士モリーは、にっこりと笑みを浮かべた。

「まだしゃべれるなんて、凄いわね。さぁ、そろそろ抵抗するなら抵抗しないと、もう二度と魔法を使えなくなるかもしれないわよ」

吸い取られた魔力が可視化されている。

ぐるぐると渦を巻きながら、俺の頭上で球体を形作り始めた。

「なぜ……、こ、ここまでする?」

「ナバロは中央議会が、本当にエルグリムの生まれ変わりを信じてると思う? 私はそうだとは思わないわ。あなたのような、今後脅威となるような潜在能力の高い魔道士を、子供の時から把握し、飼い慣らすためじゃないかと思ってるの。一種のスカウト的な? まぁ、悪い芽は先に摘んでおいて、損はないじゃない?」

体内の魔力が、高速で吸いあげられてゆく。

このままでは、自力で呪いを解くことも難しくなる。

「ふふ。さすがね。ルーベンの領主に、かわいがられるだけのことはあるわ。貯め込んだ魔力は底なしかしら? このまま封じ込めちゃうのも、もったいないわね。私とのパワーバランスが変わったの、分かるでしょ」

吸われた魔力を本人から切り離し、吸収すれば自分のものになる。

魔道士なら誰もが欲しがる力の塊が、俺の頭上で渦を巻いている。

「素敵。このまま食べちゃいたいくらい」

今までに何度も、こういった身体検査は受けてきた。

魔法石の力を吸収できる体質の子供なら、誰だってそうだ。

それでも、こんな屈辱的で過酷な試験は初めてだ。

他の子供もみんな、ここではこんな目にあわされてるのか?

これは審査なんかじゃない、拷問だ。

「子供の魔道士って、大好きよ。みんな、まだまだとっても大人しくて、従順なんだもの。素直に言うこときいて、それなのに能力は大人並み」

彼女は大きく息を吐き出すと、そのまま頬杖をついた。

「ね、どうしたらエルグリムみたいな、凄い大魔王になれるのかしら」

吸われ続ける魔力に、座っていることすら難しくなった。

ガクリと姿勢が崩れる。

脂汗が留まることなく流れ続けている。

それでも椅子から転げ落ちないのは、この椅子にかけられた呪いのせいだ。

意識が混濁している。

口から泡が吹き出す。

「ようやく尋問の準備が出来たようね。随分待たされたわ。ルーベンからここまで、どうやって来たの?」

「さ……山中を歩いて……」

「あの女の子と?」

歯を食いしばる。

これ以上魔力を吸い取られたら、本当に意識が飛ぶ。

言わなくていいことまで、しゃべらされてしまう。

「どうしてお姉さんとはぐれたの? ディータとはどこで知り合った?」

「街で……絡まれた時に……」

「そう、助けてもらったのね」

モリーはクスクスと笑う。

「ディータは、あぁ見えて優しいから。これからどこへ行くの? やっぱりグレティウス?」

足元から何かが上がってくる。

血管が順番に締め付けられる。

魔力が吸い上げられている。

「ま……、魔道士が……。グレティウスを目指して……、何が悪い……」

「あなたも『悪夢』がお目当て? だけど、エルグリムの残した悪夢は、きっととっても巨大なものよ。想像もつかないわ。それを誰かが手に入れたとして、私には扱える人がいるとは、到底思えないのよね」

『……。か……、ぐ……』

呪文を唱える。

今ならまだ、この椅子を壊せる。

「あら? こんな状態でも、まだそんな元気があるのね。素晴らしいわ」

モリーが呪文を唱える。

吸い上げる力の速度が増した。

頭上に渦巻くの緑の球は、ぐるぐるとその勢いを増す。

「い……、いいぞ……。このまま……」

「何を言っているのナバ……。ん? ちょ……、ちょっと待って!」

膨れ上がる力の根源が、呪いの力を凌駕した。

吸い上げられた魔力は一気に膨れ上がり、轟音を上げる。

この椅子では支えきれなくなった力に、ついにそれは破裂した。

「ど、どういうことなの!」

奪われた力を一気に取り戻す。

堰を切ったようにあふれ出したそれは、俺の体を通して呪いの椅子に逆流していく。

立ち上がった。

その瞬間、呪いの椅子は砕け散る。

「なによそれ! こんなこと、絶対にありえないわ!」

「俺のもつ魔力の方が、この椅子の許容量より大きかったってことだ」

顎を伝う汗を拭う。

こんなケチ臭いやり方で、計れるわけがない。

「待ちなさい。ここまでよ!」

モリーの攻撃魔法。

鋭い氷の刃が、何本も飛び交い突き刺さる。

まずはこの魔方陣を崩す。

話しはそれからだ。

『この地に描かれし呪いの証よ。解放されるときが来た!』

それだけで、白い床石に描かれた白い文字は、徐々にかすれその形を崩し変化してゆく。

「ちょっと、どういうつもり!」

モリーは呪文を唱える。

この俺に抵抗するつもりか?

ここに来る前に、魔力を解放しておいたのは正解だった。

俺は壁に向かって手をかざす。

「狭いところは、嫌いなんだ」

モリーの攻撃魔法。

はね返されたその衝撃で、結界で守られていた壁が、ボロボロと崩れだす。

外の空気が流れ込んできた。

「それ私の魔法!」

かけられた魔法を解くには、施術者のものを使うのが一番だ。

「こんな結界だらけの城内で戦おうなんて、フェアじゃないだろ? お前たちこそ、なにを恐れている?」

胸の前で印を結ぶ。

これは強力な魔法だ。

『ここに留められしものたちよ、自らの元へ帰れ!』

ドンッ!

不意に、玄関ホールから盛大な爆発音が聞こえてきた。

「あっちはなに!」

「あぁ……」

フィノーラだ。

この城はそもそも、俺が造らせた城なんだから、本当はもうちょっと大事にしてほしい。

俺もたったいま自分で壁を壊したばかりで、こんなこと言うのも、なんなんだけど……。

入り口からディータが飛び込んで来た。

「ナバロ! 無事だったか!」

「ディータ! あんたも一体、どういうつもりよ!」

モリーの氷結魔法。

複数のつららが、ディータの足元に打ち込まれる。

「今度こそ抜け出すぞ!」

ディータの呪文。

火柱が上がった。

「なんだ。普通の魔法も普通に使えたんだ」

まぁ使い魔だなんて高等魔法を使ってるんだ。

考えてみれば当たり前か。

「あの姉ぇちゃんはどうする?」

「俺には関係ない」

モリーは氷の壁を張り巡らせる。

俺たちを閉じ込めるつもりだ。

ディータは再びそれを、炎で焼いた。

蒸気が巻き上がる。

ちょうどいい煙幕が出来た。

「ディータ! あんたもいい加減にしなさい!」

「悪いな、モリー。だけど俺には、もう止められねぇんだわ」

呪文を唱えようとして、モリーは思いとどまった。

歯をむき出しにして、俺をにらみつける。

「フッ。あぁ、やっぱりあんたは賢いね。この部屋じゃもう魔法は使えない。魔方陣がちゃんと読めるんだね」

「だって、これを描いたのは私だもの」

「そうか。なるほどね。だとしたら、もっと頑張らないと」

壁を崩したおかげで、この城の結界は壊された。

俺のかけた魔法が、徐々にその全体を崩してゆくだろう。

書き換えられた魔方陣は、元の主のところへ帰ってゆく。

「ここで奪った数多くの魔力が、元の持ち主に返される。どれくらい他の魔道士たちに、こんなことしたのか知らないけど」

自分の分は取り返した。

まぁ、そもそも奪われてもなかったんだけど。

「ここにあるのは、エルグリムの悪夢じゃなくて、ナルマナの悪夢だ」

「ふん。あんたの描いた魔方陣を解けばいいだけよ」

それはそうだけど、壊れたこの城の結界は、簡単には戻らない。

積み上げられた魔法が多ければ多いほど、崩れ始めたものを元に戻すのは難しい。

「あぁ、ヘタに動かない方がいいよ。分かってると思うけど。自分の体で動くんだ」

モリーは腕を上げた。

その動きがピタリと止まる。

「まぁ、頑張って。この部屋から出られるならね。壁に穴は開けておいたから、すぐだろうけどね」

「この団城の結界を壊すと、恐ろしいことが起こるわよ」

「そんなことはないさ。長い呪いが解かれるだけ」

「ここは魔法で守られた城。その意味が、あんたたちには分かるでしょ」

モリーは動けない。

城壁が壊れたことで、この城の結界がほころび始めている。

それは俺がここにいることも……。

ディータが俺を見下ろした。

「ナバロ。もう行こう。こっちだ」

その言葉に、俺はうなずく。

過去に囚われた土地に、もう用はない。

廊下へ飛び出す。

ディータと並んで走り出した。

「あの姉ぇちゃんも助けてやれ。知り合いなんだろ? 俺が援護する。お前を助けに来てくれたんだ」

行く手には聖騎士団の剣士と魔道士たちが、山ほど待ち構えている。

俺は呪文を唱えた。

『いまこの瞬間に我に向かうものよ、全て地に帰れ』

抜かれた剣や槍は、ピタリと床に張り付いた。

放たれた聖魔道士たちの呪文も、大地に向かって吸い込まれる。

ディータの呪文。

その火球は、団員たちを襲った。

「やめろよ、城が燃える」

「そう簡単には壊れねぇよ」

「違う。俺の城なの」

ロビーに出た。

フィノーラが暴れ倒したのか、あちこちが破壊されている。

彼女の動きを抑えるための結界が張られ、その中でキーガンとイェニーは剣を抜いていた。

キーガンの吸魔の剣は、すでにフィノーラの魔力を吸い尽くしている。

「ナバロ。助けに来たわよ!」

いや。

どっちかっていうとこの場合、俺たちが助けに来たんだけど……。

「ほらやっぱり。私と一緒にいて通行許可証がないと、捕まるんじゃない!」

肩で息をしている。

立っているのもやっとなのだろう。

心なしか涙目のようにも見える。

誰にやられた?

キーガンとイェニーの視線が、俺に向けられる。

「モリーは? もう審査は終わったのか」

キーガンは、フィノーラに向かって構えていた魔剣を下ろした。

「終わったよ。問題なしだ。姉さんと通行許可証を返してもらおう」

イェニーはディータに視線を移す。

彼はウンとうなずいた。

「そうか! ならば何の問題もない」

イェニーはうれしそうに、その紙を差し出す。

フィノーラはそれを受け取った。

ヘナヘナとその場に座り込む。

「……。もう。ホントどこ行ってたのよ。めちゃくちゃ探したんだから……」

白く細い腕で、自分より幼い、十一歳の俺を抱きしめる。

「お願い。私の側から離れないで……」

「まだ動ける?」

「なんとか」

回された彼女の腕を解く。

俺が気に入らないのは、すっかり姿を変えられてしまったこの城と、聖騎士団どもの臭いだ。

チラリと外を確認する。

城内の、半壊した正門と高い壁の向こうに、わずかに空が見えた。

「自分たちの結界の中で、ぬくぬくと守られているだけの連中とは、怠慢極まりないな」

まぁ団長が、全く魔法の使えない剣士だから、仕方ないのか。

俺はその隙間を縫うように垣間見える、わずかな空に向かって手を伸ばす。

「一度、この結界のありがたみを、嫌と言うほど味わってみるといい!」

真っ直ぐに伸びた光りが、結界の壁にぶち当たる。

それは城全体を覆い尽くすしていた結界に沿ってドーム状に広がり、緑に輝いた。

『古の呪いを解きほぐせ! この地に再び自由を!』

ゆっくりと、だが確実に、結界の強度が弱まっていく。

溶けるように消えていく光に、体が軽くなった。

大地が揺れる。

その轟に、俺はもう一度叫んだ。

『我らが根城を取り戻せ!』

幾重にもわたってかけられた、古い古い魔法。

その結界が、徐々に溶け始める。

魔道士たちは血相を変え、結界を維持する呪文を唱え始めた。

「そうはさせるか!」

一気に魔道士どもをなぎ払う。

吹き荒れた一陣の風は、玄関ホールごと全てを吹き飛ばした。

「ナバロ!」

「魔力が少し戻ってきたわ!」

ディータとフィノーラが駆け寄る。

「ここから出るぞ」

「了解!」

フィノーラの攻撃魔法。

その衝撃波はザコどもをなぎ倒し、次々と壁に穴を空ける。

ディータはカードを取り出した。

「やっぱり派手な姉ぇちゃんだなぁ」

「フィノーラ! あんまり城は壊さないで!」

「どうしてよ。そんなの無理!」

歯向かう魔道士たちの呪文は、全て俺のマジックバリアではね返す。

風を起こし、足元をなぎ払い、決して結界修復の呪文は唱えさせない。

かかってくる剣士たちの相手は、ディータが引き受けた。

飛び出した無数の獣や虫たちを操り、応戦している。

不意に、目の前を黒染め剣が横切った。

「なるほど。確かにお前たちの腕は確かなようだ」

キーガンだ。

俺の五倍はある巨体を見上げる。

「だけどな、少年。いくら正式な書類があっても、俺たちがここを通さないと決めたら、それは通れないんだよ」

振り下ろされた吸魔の剣が、マジックバリアをたたき割る。

「残念だが、俺たち剣士は結界がなくても、動けるんだ。そんなもんに守られてなくても、能力は変わらないんでね」

爆発音。

フィノーラの全くコントロールの効かない衝撃波が、天上に当たって破裂した。

崩れた石の破片が、バラバラと降りかかる。

「やれやれ。あのお嬢ちゃんも、元気を取り戻したのか」

四角く表情の少ない顔が、うんざりと眉根を寄せた。

真っ青な団服に身を包んだイェニーは、その剣を抜く。

「キーガン。あの子とこの子と、どっちがいい?」

「じゃあ、黒髪の元気な嬢ちゃんとディータで。子供の相手はやりにくい」

「怪我はさせるなよ」

「……。善処します」

吹き上がる爆風で、イェニーの赤く波打つ長い髪が舞い上がる。

「さて。モリーはどうした。君の審査をしていたはずだけど?」

呪文を唱える。

この剣士に魔法は通じない。

「モリーは強いね。頭がいいし、勘もいい。彼女の魔力は、どこから来てる?」

「私に聞かないでくれ。分かるわけがない」

手の平で空気の渦を作る。

それは丸い弾となり、弾け飛んだ。

無数の弾丸が、イェニーに向かう。

「君も魔道士なら、やはりエルグリムの悪夢を?」

「そうだ」

動きが速い。

俺の意のままに動くそれをすり抜け、さらに剣で切り裂く。

十二個あったその球を、もう二つも切り裂いた。

「聖騎士団に入ればいい。ルーベンの領主に、そう誘われたんじゃないのか?」

「お前らのことは嫌いだ」

「どうして?」

振り下ろされる剣に、さっと飛び退く。

この女、まともに俺と戦う気がない。

振り回す切っ先は、俺が避けようと避けまいと、鼻先をかすめるか、肌に当てる程度のものだ。

「どうして俺の力を認めようとしない。なぜ人の話を聞かない」

「それをモリーは、聞こうとしていたんじゃないのか?」

「あれは拷問だ」

爆発音。

フィノーラの誤爆だ。

それをキーガンは楽々と避ける。

だけどあっちはディータの居る分、彼らの本気度は高い。

衝撃で正門が半壊している。

外が丸見えだ。

「あぁ、あまり城を壊さないでほしいな。外に出よう」

そう言ったイェニーの手が、俺の襟を背後から掴んだ。

「なっ、いつの間に!」

その声に、フィノーラとディータが振り返る。

「ナバロ!」

「イェニー! その手を放せ!」

彼女は腕一本の力だけで、俺を投げ飛ばした。

呪文を唱えようにも間に合わない。

そのまま野外に叩きつけられる。

「まぁ気が済むまでやればいいさ。子供には時には、そんなことも必要だ」

イェニーの鋭利な剣先が振り下ろされる。

俺はゴロリと横に転がった。

「はは。上手いじゃないか」

溶け出していた結界が、再び盛り返している。

モリーとここの魔道士たちの仕業だ。

俺は起き上がると、塞がれる寸前の空に向かって手を伸ばした。

『力よ、我の元へ集え!』

稲妻が走る。

それは呼び寄せた魔力の塊だ。

この未熟な体に収まりきらない力を、ここに集結させる。

俺はその全てを、この城の地下に向かって叩き込んだ。

『大地を揺るがせ。もう二度と、何者にも囚われるな!』

「ナバロ、何をした!」

城と、その敷地である全ての輪郭が白く浮き上がる。

膨れ上がったその光りは、一度吸収されたかと思うと、すぐに炸裂した。

「なんだ! これは?」

無数の、本当に無数の光りが、足元の大地から湧き上がる。

白く透けるその儚い影は、魂の欠片だ。

人骨にドラゴン、牙を生やした猛獣たち。

怪鳥は羽ばたき、二つ首の犬の群れが駆け抜ける。

この地下に埋められ、封印されたモンスターたちの屍が、その呪縛から解き放たれ、天に還ってゆく。

声にならない雄叫びが、辺り一帯に響き渡った。

「イ……、イェニー。団城の封印が……解かれてしまったわ……」

モリーだ。

それを守ろうと力を使い果たし、足元がふらついている。

「モリー!」

崩れ落ちる彼女を、イェニーは抱き留めた。

「復活するわ。何もかもよ。解かれた封印は、私にはすぐに戻せない。死者の魂を留め続けた、古の呪文が……」

灰色の魔女は、ガクリと片膝をつく。

それを見届けた俺も、次第に朦朧としてくる。

「ナバロ!」

力を使い果たし、倒れた俺を支えたのは、フィノーラだった。

「だから、アンタは無茶しすぎ!」

俺はうっすらと目を開ける。

未だ大地から上り行く、無数の魂の影を見る。

それは絶え間なく地下から湧き上がり、空へと消えて行く。

あぁ、これはみんな、ここで死んだものたちだ。

この地に埋められ閉じ込められたたまま、ずっと眠っていたんだ。

かつて俺と共に戦い、敗れ去った仲間たち……。

ずっとここで、解放される時を待っていたんだ……。

ディータはフィノーラにささやく。

「おい、ナバロを抱いて走れるか?」

「走れなくても、走るわよ」

「よし。ここを出るぞ。街を出る街道まで行こう」

力を使い果たし、動けなくなった俺をフィノーラは抱き上げた。

「こっちだ」

瓦礫の山を越え、駆け出そうとする俺たちの前に、キーガンが立ち塞がった。

「おっと。そう簡単には行かせられないな」

吸魔の剣を鞘に収めたまま、真横に振る。

ディータの肘が、それを受け止めた。

カードの一枚を、キーガンの足元に滑り込ませる。

『伸びた蔓よ、剣士の足をつなぎ止めろ』

次の瞬間、赤黒く伸びる魔法の蔓が、キーガンに絡みつく。

「お前の手品も、ちゃんと動くようになったのか? ならもう遠慮はいらないな」

キーガンは剣を抜いた。

黒い剣を足元に突き立てると、それは瞬く間に姿を消した。

カードが二つに割れている。

キーガンはその剣を構え直した。

「さぁ、これ以上、手間をかけさせるな。一体これで何度目だ? 大人しく捕まっていた方が早く解放されるってのが、まだ分からないか」

素早いその一振りに、ディータは飛び退く。

フィノーラは俺を抱いたまま、パッと走り出した。

イェニーはそれに併走する。

「どこへ行こうというのだ? そんなに急がずとも、普通に歩いて行けばいいのに。通行許可証も返しただろう?」

すぐにキーガンが立ち塞がる。

「だめですよ団長。この子は普通じゃない」

「普通じゃないと、何が駄目なんだ?」

「中央議会から通達があったでしょ、エルグリムが復活してるって」

「それがこの子だと言うのか? 本当に? そんな風には見えないけどな」

フィノーラの腕に抱かれ、動けない俺をのぞき込み、彼女はニヤリと笑った。

フィノーラは周囲を見渡す。

俺は残った力を総動員し、この城の魔道士たちが再び強固な結界を張ろうとするのを、阻止し続けている。

「モリーが苦戦するなんて、ただ者じゃないですよ」

「そうか。朝の二度寝の時間が来たのかと思った」

「だったらいいんですけどね」

ディータは腰の短剣を抜いた。

それをキーガンに叩きつける。

刃と刃が重なりあった。

「おっと。お前が剣を抜くなんて珍しいな」

「素直に通してくれんなら、こんな苦労もいらねぇんだけどな」

慌てたイェニーが、割って入る。

「ディータ! どこに行くんだ? やっぱりグレティウスなのか?」

「そうだよ!」

「いつ戻ってくる?」

「もう戻らねぇ!」

ディータの剣は、キーガンの魔剣を弾いた。

「今度こそ本当にお別れだ。イェニー。俺はもう、ここには帰らない」

イェニーの動きが、ピタリと止まる。

燃えるような赤髪の、その前髪が揺れた。

「だから、これからもみんなと、仲良くやってくれ。お前が元気でいてくれたら、それだけで俺は安心できる」

ディータは瓦礫の上で、周囲を取り囲む聖騎士団たちを見渡した。

「キーガン。イェニーと、この騎士団をよろしく頼む。それと……。モリーにも、上手く言っておいてくれ」

結界を張り直そうという勢力が弱まった。

ついに諦めたか?

いや、違う。

崩れた城門付近で、ひときわ強い気配がよろめいた。

「まぁ、ずいぶんなお言葉じゃないの、ディータ」

灰色の、長く真っ直ぐな髪がサラリと流れた。

酷くやつれた魔道士が、よろよろと立ち上がる。

俺と目があった。

「イェニー! この男をたぶらかしたのは、その黒髪の魔道士じゃないわ。あんたと同じ髪色をした、この少年よ! ディータを取られたくなかったら、ナバロを引き留めて!」

「えっ?」

とたんにイェニーは震えだし、ガクリとその場に両膝をついた。

「つ……、ついに男の子にまで手を出すとは……。わ、私はどうすればいいんだ……」

モリーの呪文。

ディータはそれを弾き返す。

「そんなワケないだろ! 目を覚ませイェニー!」

フィノーラがつぶやく。

「結界の穴、まだ維持出来る?」

城の上空には、俺が空けた穴がまた残っていた。

「なんとか……」

とは言っても、明らかに分が悪い。

フィノーラは俺を抱いたまま、足元に向かって衝撃波を放つ。

空へ飛び上がった。

「そうはさせないわよ!」

モリーの風起こし。

突風に吹き飛ばされる。

たぐる風に操られ、その落下点にはキーガンがいた。

「どう受け止めればいいんだ? 二人まとめて?」

両腕を広げ待ち構えるその巨体を、ディータは体で突き飛ばした。

「ディータ!」

フィノーラが叫ぶ。

「いいから走れ!」

目の前を、無数の聖騎士団員が塞ぐ。

フィノーラはそれを呪文で吹き飛ばした。

俺は上空に空いている結界部分を、脱出出来そうな位置にまで、下ろそうとしている。

「全く! どこにそんな魔力が残ってるのよ!」

モリーは氷の壁を創り出した。

緑色にわずかに光る壁が、俺とフィノーラの行く手を塞ぐ。

ディータの投げたカードが、すぐさまそれを打ち崩した。

「少年とデキてるっていうのは、嘘なのか?」

砕け散るその破片を、イェニーは軽々と跳び越えてくる。

彼女の剣の一振りで、触れてもいない俺の頬が切れた。

「あぁそうだよ、イェニー! 俺が本当に愛しているのは、いつだって君だけだ」

イェニーの動きが止まる。

二人はじっと視線を合わせた。

「ディータ……。本当に行ってしまうのか?」

「あぁ、行くよ。今度こそ本当に本気だ。俺のことは、もう諦めてくれ」

「……。あ、あたしをおいて?」

「おいて」

「連れて行ってはくれないのか?」

「無理だ」

うつむいたイェニーの体が、小刻みに震えている。

周囲を取り囲む聖騎士団の連中が、じりじりと後ずさりを始める。

「そ……そんなこと、許されるわけないだろうが!」

イェニーの振るう剣が、空を切り裂いた。

「いったいいつになったら、私の気持ちを受け入れてくれるんだ!」

「お前の気持ちは知ってる!」

大乱闘が始まった。

イェニーの剣さばきは早すぎて、俺にも見えない。

ディータは防戦一方だ。

「……。なんだあれ?」

フィノーラは走り出す。

「あの団長が一番厄介よ。ディータが引きつけてくれてるうちに、ここを出なくちゃ」

目の前で、キーガンは吸魔の剣を構えている。

フィノーラは呪文を唱え……るのをやめ、軽やかに飛び上がった。

俺を抱いたままくるりと一回転し、その頭上を跳び越える。

「フン! のろまな聖剣士どもめ。いつまでもあんたたちのレベルに、合わせてやってらんないわよ!」

再び走り出した彼女を、氷の刃が襲う。

「ナバロさえここに置いて行くなら、一気に問題解決よ!」

モリーの鋭いつららが、フィノーラを襲う。

「その少年を置いていきなさい」

ディータと戦うイェニーの剣が、地面を割った。

ひび割れた地面の一部が、ドンと盛り上がる。

フィノーラは俺を抱いたまま飛び上がった。

「あの女は、とんでもない馬鹿力なのか」

「そうよ! 信じられないくらい、物理一択押し!」

キーガンとモリーの攻撃を避けるので、フィノーラは精一杯だった。

ディータはイェニーから逃げ回っている。

イェニーの一振りで、城の一部が崩れた。

「団長、やりすぎです。もっと手加減してください」

「三人とも逃がさなきゃいいんでしょ?」

キーガンの言葉に、イェニーはその剣を天高く掲げた。

「キーガン、修理代の予算編成よろしく!」

彼女はグッと腰を引き、剣を低く構え直す。

「みんな危ないから、頭隠しといてね!」

真横に振った剣は、俺たちの頭上をかすめた。

どこを狙っている?

と、思った瞬間、分厚い石造りの城壁が上下にずれたかと思うと、真っ二つに切断された。

「うわっ!」

崩れ落ちる壁に、飛び上がったフィノーラは、着地の足を捻る。

俺を抱いたまま体勢を崩した彼女に向かって、ディータはカードを投げた。

呪文を唱える。

『二人を乗せて飛び立て! 彼らの望むままに!』

巨鳥が飛び出す。

鷲に似たその鳥は、すばやく俺たちを背に乗せた。

空高く飛び上がる。

「ナバロを逃がしちゃダメよ!」

モリーの呪文。

彼女に突進していくディータの目の前に、イェニーの剣が振り下ろされた。

「キーガン!」

「お任せを」

モリーの魔法を借りたキーガンが、吸魔の剣を片手に飛び上がる。

頭上に空いた結界の穴は、今にも塞がりそうだ。

吸魔の剣が抜かれた。

ディータも飛び上がる。

「もう誰にも邪魔させねぇ!」

キーガンの刃は、ディータに向かった。

空中で交差する剣の上を、キーガンが取る。

吸魔の剣がその魔力を吸い取るのに合わせて、ディータの使い魔の力も消えてゆく。

徐々に薄れゆくその大鷲に、フィノーラは自分の残った魔力を注ぎ込んだ。

「お前は大人しく、ここで腐っていろ」

ドンッ!

全ての力を奪われたディータは、地面に叩きつけられる。

「ディータ!」

フィノーラと俺は、結界の外へ飛び出した。

足元には半壊した団城と、その瓦礫に埋もれたディータの姿が見える。

「はは。やっぱ占い師の言う事なんて、アテにならねぇな。しかも自分で占った、どうしようもない未来だ」

彼との別れの言葉が、魔法の風に乗って耳元にささやく。

「お前についていけば人生が変わるって、そんな占いが出たんだ。そんなワケないのにな。やっぱダメな人間は、何やってもダメだ。お前たちはもう行け。こんなつまんない大人には、なるんじゃねぇぞ」

ディータはわずかに微笑むと、小さく手を振った。

その周囲を、聖騎士団たちが取り囲む。

「もうダメよ、ナバロ。私たちじゃこの使い魔は使えない。ディータの魔法だもの。彼の魔法が残っているうちに、行けるところまで、行くしかないわ」

大鷲の魔力が消えてゆく。

結界が完全に閉じてしまえば、もうディータはそこから抜け出せないだろう。

城を取り囲むドーム状の結界が、間もなく再形成される。

「短い間だったけど、楽しかったよ。最期にいい夢が見られた」

ナルマナ聖騎士団所属の魔道士たち総力によって、空けられた結界の穴は閉じられた。

ディータの魔力が尽き果てた証拠に、大鷲の姿も消える。

俺たちは落下を始め、フィノーラはその結界に向かって衝撃波を打った。

跳ね返ったその反動で、もう一度高く飛び上がる。

「行こう、ナバロ。私たちまで捕まってはだめよ」

再び結界に覆われた城は、淡い黄緑の光りに包まれ、たたずんでいた。

その閉じられた世界の中で、また新たな亡骸を抱え、永い眠りについてしまうのだろうか。

何者にもなれなかったものたちを封印し、全てをなかったことにして、消し去ってしまうのだろうか。

青く広がるその空の向こうに、ふと白い影が見えた。

「……いや。そんなこと、許していいわけがないだろう」

俺は何の為に生まれ変わった?

残された魔力はわずかだ。自分の力だけでは、さすがに勝算は低い。

「呪文を……。呪文を考えよう……」

フィノーラの腕に抱かれたまま、俺は空を見上げた。

そこにまだ、可能性はある。

印を結んだ。

『解き放たれし者たちよ。その恩に報いよ。再び閉じられようとする、呪われた世界を救え』

その声に、どこまで共鳴するのか。

どこまでも広がる空には、雲しか見えない。

もしそれが叶うのなら、俺もまたやり直せるのかもしれない。

「ナバロ!」

遠く、耳には聞こえない声が響いた。

この地下から蘇った、無数の白い影が集まってくる。

「戻っ……て、来た!」

かつてこの城で生まれ、根城としていた魔物たちだ。

白く魂だけと成り果てても、まだ俺の声を聞いてくれる。

それは大きな波となり、巨大なドームへとぶつかった。

フィノーラの体が、ふわりと浮き上がる。

実体を持つまだ若い小さなドラゴンが、俺たちを背に乗せた。

「な……、なんで……?」

あぁ、この子には見覚えがある。

俺が倒される直前に、ここで卵からかえり、祝福を与えた竜だ。

「お前、生き残っていたのか」

幽霊の群れと化した魔物の軍団が、結界を破ろうとしている。

黄緑のドームに取り憑き、ついにその殻を破った。

だとしたらまだ、望みはある。

もう一度、もう一度だけ。

それさえ叶えば、後悔はない。

ドラゴンに指示し、空に舞い上がる。

力を与えよう。

俺が今、こうして助けてもらったように……。

『我もその思いに答えよう! もう二度と、何者にも囚われるな! 再び囚われようとする者たちを、救い出せ!』

雷鳴が轟く。

魔力を呼び寄せ、解き放つ。

それは新たな光りの柱となって、古城へ落下した。

争う聖剣士たちの剣に、斬られては消えゆく魂に力を与える。

ドラゴンはその戦乱の渦中へと降下した。

俺は手を伸ばす。

「ついてこいよ、ディータ。お前の占いが間違っていなかったことを、この俺が証明してやろう」

崩れた瓦礫の上で、倒れたまま動かなくなっていた彼が、ニッと笑った。

腕を伸ばす。

指先が触れた瞬間、それをしっかりと握りしめた俺は、ディータを引き上げた。

「行こう。もう何者にも、囚われる必要はない」

飛び上がる。

地上から無数の矢が放たれた。

フィノーラの爆風が、ドラゴンの飛翔を助ける。

再び大空へと舞い上がった。

地上へ降りた亡霊たちが、歓声をあげ沸き立つ。

俺たちのあとを追いかけ、彼らも飛び上がった。

白い影となった人骨が、ドラコンたちが、最期の別れを惜しみながら挨拶を交わし、空に消えて行く。

魂の数だけ幾度も繰り返されるそれは、天からの祝福にも見えた。

「で、どこに行くんだ?」

ようやく静かになった空に、ディータは飛ばされないよう帽子を押さえた。

「グレティウス。エルグリムの悪夢を手に入れる」

「いいね」

「賛成よ!」

三人を乗せたドラゴンは、北の山脈へ向かい滑空を始めた。




第5章


山の奥深い崖上に舞い降りる。

いくらドラゴンとはいえ、これだけのチビ竜に三人も乗せて飛ぶことは、これ以上無理だった。

「ありがとう。助かったよ」

その鼻先を撫でてやる。

チビはうれしそうに目を閉じた。

「ねぇ……。どうやって懐かせたの?」

「お、俺も……、触っていいかな……」

気がつけば、フィノーラとディータはキラキラと目を輝かせ、こっちを見ている。

「……。まぁ、平気なんじゃない?」

途端に二人は、チビに飛びついた。

「キャー! かわいい! こういうの憧れだったんだよねー!」

「俺も俺も! やっぱドラゴンだよなぁ!」

チビはしばらく二人に撫でられていたが、突然嫌になってしまったのか、空へ飛び上がった。

「またな」

「え~! もう行っちゃうの?」

「な、また呼んだら来る? まだ呼んだら来てくれる?」

「さぁ。来るんじゃないのか?」

飛び去る姿に、二人はぴょんぴょんと跳びはねながら、盛大に手を振っている。

太陽は間もなく隠れようとしていた。

森の中へ入る。

「魔力はどれくらい残ってる?」

今晩はここで野宿だ。

フィノーラがたき火に火をつけ、ディータは仕留めてきた鳥の皮を剥いでいた。

「残ってるわけねぇだろ。もう全部使い果たした。フィノーラは?」

「私も。もうそんなに大きい魔法は使えない」

俺だってそうだ。

さすがに魔法石で補給しないと、ほぼ枯渇している。

簡単な魔法しか使えない。

「どっかで調達するかぁ?」

「どうやって稼ぐのよ」

魔法石はとても高価な品だ。

「あれ? ビビからもらった石がなかった?」

「あんなもんとっくに使い果たした」

「どうしてよ!」

「でかい魔法使ったんだよ。仕方ないだろ」

焼き上がった肉にかぶりつき、フィノーラの鞄に残っていた乾パンをかじる。

「目的地はグレティウスなんだろ?」

「着いたところで、どうすんのよ。ガッツリ監視がついてるわよ。魔王城の中なんでしょ、悪夢があるのって」

「そもそも悪夢ってなんだ?」

「え、大きな魔法石の結晶じゃないの?」

俺は焼けた肉の、最後のひとくちを飲み込む。

「石の結晶じゃない。力の根源だ」

フィノーラは、肉の刺さっていた小枝をくるくると回した。

「それってどういう仕組み? つーか、なんでナバロはそんなこと知ってるの?」

「本で読んだ」

「どんな本よ。そんなの、見たことないわ」

それには答えない。

呪文を唱える。

あちこちに転がる砂粒ほどの魔法石の欠片が、五つ、六つほど集まってきた。

それを二人に差し出す。

「私、石から直接は無理」

フィノーラは首を横に振った。

ディータは一粒だけそれをつまむと、口に入れかみ砕く。

「俺は嫌いじゃないけど、効率は悪いよな。美味いもんでもないし。薬剤化されている方が、ずっと飲みやすくて力が溜まる」

俺は手の平に残ったそれを、全て丸呑みにした。

ほんのりと甘い後味が舌に残る。

フィノーラはため息をついた。

「エルグリムの転生魔法についての、研究書は読んだわ。理屈は分からないわけではなかったけど、あれが本当に出来るとは思えない」

「で、そのエルグリムの力を集めた結晶とやらを他の魔道士が奪って、自分の物に出来るのか?」

「私は破壊しに行くのよ」

フィノーラは言った。

「私はそんなものが、この世に残されている方がおかしいと思ってるわ」

「だったら大人しく、聖騎士団に任せておけばいいじゃないか。そのために王城を探ってるんだろ?」

「あんな奴らの言うことを、そのまま信じられるの? 見つけ次第、自分たちのものにするつもりよ。そして第二の魔王が誕生する」

「ユファのこと?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく私は、もう誰かの言いなりになるのは、まっぴらゴメンなのよ。それは中央議会だって同じだわ。そんなヤツらは完全に排除して、好きに生きる。私を支配しようとする連中は、たとえそれが何者であっても、許しはしない。頂点に立とうなんて人間は、この世に必要ないものよ」

「ルールはあっても?」

「私がそのルールよ。排除されない程度に、上手くすり抜けてみせるから」

ディータはたき火の火を消した。

「なぁ、動物避けの結界くらいなら、張れるか?」

フィノーラの呪文が、俺たちを包む。

俺たちは毛布にくるまった。

「とにかく、グレティウスはまだまだ遠い。ドラゴンのおかげでナルマナの管轄地からは離れられたから、しばらく追いかけ回されることはないだろう。大人しくしていれば、そう目をつけられることもないだろうしな。明日からはもっと、地味に慎重に行こう。しっかり休んでおかないとな」

「そうね。もうしばらく、魔力は頼れないわね」

「おやすみ」

フィノーラも背を向けた。

翌日になり、俺たちは夜明けとともに山を下りた。

設定は仲良し魔道士三人組による、旅芸人一座だ。

フィノーラが客寄せをして回り、ディータのギターで俺が歌う。

「やってられるか!」

稼いだカネは、あっという間に飯代と宿代に消えた。

高価な魔法薬を買うなんて、夢のまた夢だ。

三人で入った大衆食堂で、頼める分だけ頼んだ料理をかき込む。

「だからそんなもん、魔法で石ころでも木の葉でも、コインに変えて誤魔化せばいいだろ! 俺は今までずっと、そうやってやって来たんだ!」

「だからダメだったのよ!」

ホワイトソースの絡みついた細長いパスタをかき込みながら、フィノーラが怒鳴る。

「だからアンタはカズの村で悪童で通ってたし、ルーベンでもマークされたんだって! 今時魔法で誤魔化したお金なんて、みんな見破るアイテム持ってるんだから!」

「そうかぁ~。ナバロは、カズ村の出身なのかぁ~」

「だけど、こんなやり方じゃ時間がかかって仕方ないだろ!」

「私はこうやって、地道に稼いでここまで来たのよ!」

「あ、二人とも、パンのおかわりもらうかぁ?」

「なんでここで、いつものガサツさを発揮しない!」

「なんですって?」

俺のお気に入りのサラダボウルを、フィノーラが取り上げた。

フォークを突き刺しそれをむしゃむしゃと咀嚼すると、ゴクリと飲み込む。

ナルマナを出てから、もう三ヶ月近くが過ぎていた。

「そもそもアンタが考えなしで魔力ぶっ放すおかげで、こんな苦労させられてるんですけどね」

ディータは店に置かれていた新聞を広げた。

「派手な記事になってるなぁ~。 『ナルマナでエルグリムの古城にかけられた封印が解かれる。魔王復活の予兆か?』 だって」

「じゃなきゃ、あそこから抜け出せなかっただろ!」

「そもそも、一番最初に、捕まらなければよかっただけの話しでは?」

フィノーラの持つ木製ボウルに指をかける。

奪い返そうと引き寄せるも、腕力では敵わない。

「大体、なんであんたの呪文で、エルグリムの亡霊どもが言うこと聞いたのよ」

「俺の呪文構文が、エルグリムと同じだからだよ」

「だから、その誰もが知りたがるその秘密の構文を、どこで知ったのかって聞いてんの」

「その呪術書は、燃やされてしまったんだ」

「本当に?」

「絵本と一緒に。家のかまどで」

フィノーラからサラダボウルを奪い返す。

これにふりかけられた、魚のチップが美味いんだ。

「エルグリムが本当に生まれ変わっていたら、こんな平和はないだろぉー」

ディータは読んでいた新聞を閉じ、コーヒーをすする。

「エルグリムの世が続いていたら、仲間になってたんじゃなかったのか?」

「そりゃもちろん、長いものには巻かれるさ」

ディータは言った。

「だけど、もうそんな時代は終わったからねぇ。エルグリムは死んで、もう戻ってはこない」

「悪は倒されるのよ。誰もそんなもんの復活なんて、望んでないわ」

フィノーラはテーブルの皿に残っていた、最後の肉の一切れにブスリとフォークを突きたてる。

「そのために私は旅に出たの。悪だろうが善だろうが、もう二度と、中央議会にだって、誰かに支配される世界になんて、絶対にさせない」

彼女が豪快に肉を喰らったところで、食事は終わった。

「さぁ、出るか」

俺たちが立ち上がろうとした時、店の中にいた客の一人が声をかけてきた。

「あんたたち、グレティウスを目指してんだろ?」

「あぁ、そうだ。そこで一発、のし上がろうって手はずだ」

ディータが答える。

「エルグリムの復活に供えて、悪夢を探す聖騎士団の、臨時調査団員募集広告は見たのか?」

その男は、新聞の求人広告を指さした。

「グレティウスに向かう、特別な駅馬車が出てるってよ」

「それはいつだ?」

「さぁね。停留所はこの大通りの先だ。行ってみろよ。調査団に入るなら、タダで乗せてもらえるはずだ」

店を出る。

大通りの人混みを前にして、ディータは立ち止まった。

「さて、どうする? 選択肢は二つだ」

「タダよ、タダ。背に腹はかえられないでしょ」

「本気でそこに行くのか? 聖騎士団だぞ」

「当たり前でしょ。見に行くだけは行ってみましょ」

フィノーラは歩き出す。

「やれやれ。お前の姉ちゃんは元気だな」

その建物は、すぐに見つかった。

四頭、六頭立ての馬車が何台も交差する、随分賑やかな停車場だ。

「ほら、よそ見してると馬車に引かれるぞ」

ディータが俺に手を伸ばす。

さすがにそれにはムッとしたが、黙ってその手を繋いだ。

フィノーラと三人、待合室へ入る。

ディータは俺たちを残し、ごった返す人の波を泳いで、受付らしき場所に並んだ。

あまりの狭さと人の多さに、フィノーラは俺を抱き上げる。

「おい。あまり俺を子供扱いするな」

「まぁ。みんな子供はそう言うものよ」

「バカにしてんのか?」

「してないって。子供ほど大人になりたがるもんだから」

受付でディータが騒いでいる。

何やら揉めていると思ったら、案の定怒りながら戻ってきた。

土埃舞う喧騒の中に、ディータの声が混ざる。

「くそっ。もうグレティウスへ向かう特別便は出た後だってよ。次の便は志願者が集まってからだそうだ。そもそも、聖騎士団の審査に合格したものだけが乗れるってよ」

「じゃあ無理じゃない」

「そうだな。そこにだけは世話になれない」

「ちっ。聖騎士団っていうだけで、うんざりするぜ。やっぱ地道に稼いで歩くかぁ~?」

しかしそれでは、あと何ヶ月かかるか分からない。

ふとこちらに向かって歩いてくる、がたいのいい男と目があった。

「こんなところにいたのか」

「イバン!」

白金の髪にブルーグレイの瞳。

いつだって上品めかしたその立ち居振る舞いは、この喧騒と土埃の中でもひときわ目を引いた。

「たまには連絡しろ。ビビさまが心配している」

「あんたこそどうしたのよ。ここで何してんの?」

「私か? 私はこれから、エルグリムの悪夢を探す調査隊に……」

「それだ!」

俺たちは、同時に声を上げた。

「確かに私は、調査隊に志願して行くが、それは聖剣士として参加するんじゃない。あくまで休暇中の暇潰しだ」

場所を移した俺たちは、駅馬車の行き交う大通りを見渡す、テラス席に腰を下ろした。

「は? なんで休暇中に行くんだ?」

ディータは眉をしかめる。

「仕事中じゃないんなら、仕事すんなよ」

「他にすることもないからな」

「休みがたまってたんでしょ? 石頭イバンさまっぽい」

フィノーラの言葉に、彼は頬を赤くする。

「いいじゃないか別に。これが私にとっての、余暇の過ごし方だ」

「グレティウスに行くのか?」

「そうだよ」

俺の言葉に、イバンは静かに視線を向けた。

剣を教えると言った、その時の彼が頭をよぎる。

「確か君たちも、グレティウスを目指しているんだったな。一緒に行くか?」

「それは助かる!」

声をそろえた俺とフィノーラに対し、ディータは明らかに不満気な表情を浮かべた。

「冗談じゃない。だれが聖剣士なんかと……」

「確かに私は聖騎士団の一員だが、今は休暇中だぞ」

「バカねディータ。これからどうやってグレティウスまで行くつもりよ」

「地道に日銭を稼いで行くんだろ?」

「ねぇ、イバン?」

フィノーラは、キラキラと輝く目でじっと彼を見上げた。

「私たち三人分の、駅馬車代出せる?」

「はい?」

「それは違う。俺は子供料金で大丈夫だ」

「……。ちょ、ちょっと待て。君たちは一体、どうやって旅をしてきたんだ? ビビさまから、ちゃんとまとまった金額を……」

「色々あって、没収されちゃったのよ。きっとナルマナの聖騎士団のところに行けば、預かり分があるわ」

イバンは大きくため息をつくと、その頭を抱えた。

「君たちはまた何かやらかしたのか。そういえば、ナルマナ聖騎士団の団城が最近……」

「ね! イバンなら同じ聖騎士団だもの、すぐに話しがつくでしょ。お金がないワケじゃないの。イバンならそれを知ってるじゃない?」

彼はその青い目で、指の隙間からじっとフィノーラを見た。

その視線は、今度は俺に注がれる。

フィノーラはディータを振り返った。

「ほら。この騎士さまが私たちの駅馬車代を立て替えてくれるってよ。一緒に行きましょう?」

「信頼できるのか」

「それはもう!」

ディータはかなり不満げだったが、その顔を背けて言った。

「……。まぁ、そういうことなら……。仕方ない、かな……」

「これで決まりね!」

結局フィノーラの一言で、イバンは三人と一人分の切符を購入した。





第6章


ナルマナからダラダラと歩いてたどり着いたこの街からも、グレティウスはまだ遠い。

そこへ直接向かう定期便の駅馬車はなく、近くのチェノスまで行く便に空きを見つけた。

「グレティウスの手前の街だ。そこから入るより他ないな」

イバンの言葉に、ディータはフンと鼻を鳴らす。

「聖剣士さまっつっても、こんなもんか。直行便に空きを作れるかと思ったぜ」

「私は今、休暇中だと言っただろ」

イバンは俺とフィノーラに切符を渡すと、最後にディータにそれを差し出した。

「嫌ならどうする?」

「お前にコイツらを任せられるかよ」

「ならよかった」

乗客は俺たちの他に八人。

二人の御者を含めると、十四人のパーティーだ。

四、五十代の女性の一人客もいれば、まだ若い男もいる。

その中でも、俺は最年少のようだった。

特に剣士だと思われるような連中も、魔法の臭いを漂わせる者もいない。

ごく一般的な乗客たちだ。

聖剣士と一目で分かるイバンと同行していることで、俺たちは多大な信用を得ていた。

なんとも理不尽な世の中だ。

停車場の隅に停まっていた駅馬車の、木箱のような荷台に直接腰を下ろす。

人を乗せて運ぶ馬車としては、最低ランクだ。

「こんな安っすい馬車で荷物のように運ばれて、二十日以上の旅をしろって?」

「一番早いものを言ったのは、君たちだが?」

「お前が急ぐんだったろ?」

「私はこれで十分だ」

狭い木箱の中に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれる。

ディータはそれを見て、木箱の屋根に飛び乗った。

「俺はここでいい。雨さえ降らなきゃ、ここが一番だ」

「好きにしろ。振り落とされるなよ」

俺はフィノーラとイバンに挟まれて、居心地がいいのか悪いのか分からない。

「ナバロは……。元気にしていたのか?」

不意に、イバンが声をかけた。

「ビビさまがとても心配していた。おかげで随分と元気になられて。みな感謝している」

「……。魔法石の礼だ」

「フフ。そういうことだったのか……」

イバンは木の板に背を預けると、顔を上げ目を閉じた。

「魔法が使えるというのも、いいもんだな。私自身は、それを不便に思ったことはあまりないが」

「お前は、簡単な魔法しか使えないからだ」

「きっと魔道士になれる体質だったとしても、私は剣士になっただろうよ」

御者の合図で、馬車は動き出した。

乗り心地もクソもあったようなものじゃない馬車だが、文句は言えない。

長い道のりが始まった。

初めは互いに距離のあった乗客同士にも、旅程が進むにつれ、次第に会話も生まれてくる。

ぬかるみにはまった馬車を押したり、時には食事も分け合った。

急な坂では馬の負担を減らすため荷台から降り、道を歩く。

縮こまった体に、外の世界は開放感にあふれていた。

「なぁ、俺も屋根に上がっていいか?」

イバンとフィノーラの反対をよそに、そう言った俺をディータは屋根に上げた。

夜には寒さと揺れが一段と酷くなったが、流れてゆく星空を見上げていられるのは悪くない。

「やっと半分まで来たな」

ディータはつぶやいた。

すっかり聞き慣れた車輪の音に、そっと目を閉じる。

「なぁナバロ。グレティウスに着いたら、俺は商売でも始めようかと思うんだ」

「商売? 悪夢を探すんじゃなかったのか」

「はは。それも探すには探すけど、グレティウスは今や、ただの魔王城じゃねぇ、一大商業都市だ。魔法関連の道具が飛び交う、特別自治区なんだよ」

「入れないのは、悪夢のせいだけじゃないってこと?」

「そうだ。俺も昔、一度だけ行ったことがある。本当に通り抜けただけみたいなもんだったが、そりゃあもう、凄いところだぞ」

俺がそこに住んでいたころは、ただただ広がる広大な荒れ野に、毒沼が点在しているような土地だった。

その荒野を囲うように、草木も生えない死した山脈が続き、その岩根を削り出して城を造った。

硬い岩盤をくりぬき、いくつもの塔をたて櫓を構えた。

日の当たらない地下の広間には、黒く冷たい一枚岩を魔法石で磨きあげ、そこで沢山の者を処刑した。

命を乞う者がひざまずく玉座の前は、そこだけがうっすらとへこんでいたっけ。

「そういえば、もう魔力は回復したか?」

「いや。体力は戻ったけど、それ以上はあんまり……」

ディータは暗闇の中、ゴソゴソとポケットから小瓶を取りだす。

「さっき止まった休憩所で手に入れたんだ。ほら、あの後から入ってきた、グレティウスへ向かうという積み荷の連中さ。それほどいいものじゃないが、ないよりはましだ」

受け取ったその魔法薬を飲む。

変に味をつけたそれは、かなり薄めて作られた粗悪品だ。

ディータも同じものを口にすると、走る木箱の上からその空き瓶を投げ捨てる。

「グレティウスに店を構えて、そこを拠点にあちこちを飛び回るんだ。あそこには珍しい品や、聞いたことのない話しがいくらでもある。そうだな、お前にも分かりやすく言えば、冒険の日々ってやつだ」

ディータは楽しそうに笑った。

「ナバロはそういうのに、興味はないのか?」

走り続ける馬車の振動で、全身は絶え間なく揺れている。

流れる星空のその速さは、俺が乗っているこの木箱の進むスピード、そのまんまだ。

「そんな風に思えたら、ずいぶん楽になれただろうな」

ディータはガバリと起き上がった。

「お前さぁ、前からちょっと思ってたんだけど……」

ヒュ!

空気を切り裂く音に、サッと身を屈めた。

闇夜に目をこらす。

街道を挟む草原の奥、その木々の間から、複数の人間が飛び出して来た。

「盗賊だ!」

恐怖に怯えた馬が加速する。

御者はその勢いに任せ、スピードを上げた。

異変に気づいた乗客たちが目を覚ます。

放たれた矢が、木箱の板を撃ち抜いた。

「ディータ!」

「任せろ」

呪文を唱える。

ディータの呪文で、飛んでくる矢は、全て地面に落とされた。

「魔法の臭いがする!」

狙いは馬の足だ。

深い泥沼にでも落ち込んだかのように、四肢を高くあげ、ばたつかせている。

その魔法を解いてやってもいいが、ここは逃げることを選択するより、迎え撃つ方が得策のような気がする。

「ディータは御者と馬を守れ」

ついに、駅馬車の車輪は止まった。

夜風に波打つ草原を、武器を手にした盗賊たちが駆け下りて来て取り囲む。

木箱からイバンが出てきた。

甲冑こそ身に纏っていないものの、聖剣士の紋章が入った剣を、スラリと引き抜く。

「残念だったな。ここに私がいる限り、通行の邪魔はさせない」

俺は呪文を唱える。

閃光弾だ。

『この場を照らせ! 誰の目にも、その姿を隠れなく映し出せ』

打ち上げた光りの球はパッと広がり、煌々と辺りを照らした。

イバンの影が素早く動く。

相手の不意をつく鮮やかな剣さばきは、さすがに聖剣士のものだ。

「フン。銀の星を背負ってるだけのことはあるなぁ。そうたいしてデキは悪くないようだ」

「まぁ、悪くはないと思うね」

「なんだ、ナバロ。知り合いじゃなかったのか?」

「ちゃんと戦うところを見るのは、初めてかも」

ディータはそう言いながら、怯える馬たちをなだめている。

「よしよし、いい子だ。俺がついてる。安心しな」

そのささやくような低い呪文に、馬たちは落ち着きを取り戻した。

俺は木箱の上に腰を下ろしたまま、イバンの様子を見ている。

動こうとしない俺に、ディータが言った。

「……なぁ、あいつ、手伝った方がいいのかな?」

「さぁ。まぁ人数は多いけど、運動不足解消にはいいんじゃないか」

「まぁ、ナバロがそう言うなら……」

「やりたいなら、手伝ってやれば?」

「いや、そういうワケでも……」

ふと、背後からの複数の気配に、俺とディータは振り返った。

盗賊の別働隊が、木箱を狙っている。

「じゃ、俺はこっち」

ディータは腰にあったムチを取りだす。

「魔法は使わないのか?」

「ずっと馬車に乗ってりゃ、体がなまってくるだろ」

ディータのムチがしなる。

それは盗賊の持つ剣を叩き落とした。

「お前はカードに剣に、ムチも拳銃も使うのか。実に器用だな」

「飽きっぽいタチなんでね。ムチは練習中!」

なんだ。 ディータも退屈してただけか。

顔を上げる。

魔法の臭いだ。

ほんのわずかだが、夜風にのって離れた所から臭ってくる。

馬の足を止めた者とは違う、それよりは、強く臭いを感じる。

街道を見下ろす土手の上に、騎馬隊の姿が現れた。

盗賊団の首領を囲む一団か?

鎧兜を身につけ、それなりに武器も揃っている。

その中に、魔道士がいた。

「イバン、屈め」

炎の呪文。

小さな火球が、イバンに向かって飛んだ。

俺は風の呪文を唱える。

刃のように鋭い刃先を持つ一陣の風が、無数のブーメランとなって草原に飛んだ。

とっさに身を屈めたイバンの頭の先を、その風は切り裂き、放たれた火球をかき消す。

伸びた草を刈り取り、隠れていた盗賊の一部も切りつけた。

「魔道士二人に、聖剣士か。その馬車の積み荷はなんだ?」

その盗賊の声に、木箱の扉が開いた。

「もちろん、絶世の美女が山積みよ!」

フィノーラの放つ暴風が、草原を吹き荒らす。

盗賊の幾人かは吹き飛ばされ、馬たちは驚き暴れ出した。

「お前のノーコンは、まだ直ってないのか!」

混乱に乗じて、イバンは目の前の盗賊を切りつける。

「助けに来た相手に向かって、なに失礼なこと言ってんの?」

フィノーラの呪文

。衝撃弾が、敵味方関係なく頭上から降り注ぐ。

「馬が怖がってんだろ!」

ディータが叫んだ。

その馬に近寄る盗賊を、一蹴りで沈める。

盗賊団の一部は、ライフル銃を構えていた。

「フィノーラ!」

シールドを張る。

辛うじて間に合ったそれは、全ての弾丸を弾いた。

「私にケンカ売ろうなんて、上等じゃない」

彼女はそのまま、何かの呪文を唱えている。

その間にも、イバンは木箱に迫る敵を斬り倒した。

「おい、ディータ! お前も手伝え」

「うるせぇ、俺はお馬ちゃんたちの相手で忙しいんだ」

ディータは愛おしそうに、その鼻先を撫でている。

「ゴメンな、驚いただろ? だけど大丈夫だ。俺がいるから安心しな」

フィノーラの放つ暴風は、今度はイバンをも巻き込みよろけさせた。

煽られた盗賊どもは、地面に転がっている。

その様子をみた土手上の連中から、あざ笑う声が響いた。

「あの女を黙らせろ」

魔封じの呪文。

相手の魔道士は、どうやらそこそこ高等な魔法を使える、上級者のようだ。

「悪いがこっちにも、ちゃんとした魔道士はいるんだ」

放たれたその魔法を、俺はそのまま術者に返す。

その魔道士と思われる盗賊は、息苦しそうにもだえたかと思うと、馬からドサリと落ちた。

「数が多いぞ」

生真面目なイバンは、ずっと剣を振り回し続けている。

「だから俺は、そういう頭悪そうな剣士のやり方は、見てて嫌になっちゃうんだよね。やる気が削がれる」

「は? 何を言ってるんだお前」

ディータの言葉に、イバンは彼を振り返った。

「乗客の安全を守るのがお前の役目だろう」

「じゃあお前の役目はなんだ?」

「乗客の安全を守ることだ」

「俺とカブってんじゃん!」

「当たり前だ!」

「意味分かんねー」

フィノーラは勝手に暴風を吹きあらしている。

「ナバロ、暗くなった。もっと明かりを増やして!」

「は~い」

閃光弾。

二つでいい? あ、やっぱ三つにしよう。

それくらい上げておけば、後で文句も言われないだろ。

駅馬車の背後にも敵は迫る。

ディータのカードが、三匹の狼に変わった。

「ハコに戻って、馬車を動かした方がいいんじゃねぇか? もうお馬ちゃんが可哀想だ。おい、イバン。戻って来いよ」

その言葉に、御者はムチを入れた。

しかしそれは、わずかに動いたところで、ガタリと傾く。

「ば、馬車が動きません!」

「おーい。ナバロ~」

魔法の臭いはしない。

俺は木箱に近づいていた盗賊の、口を封じたうえで地面に縫い付ける。

「車輪かな? さっき飛ばしたから、おかしくなったのかもな。お前、見て分かるか?」

「魔法は感じないけど……」

ディータは馬に寄り添ったまま、馬車の足元をのぞき込む。

「あ、本当だ。馬車が止まったのは、魔法のせいじゃない。道路に仕掛けをしてやがった」

「ではやはり、戦わなくてはいけないではないか」

イバンの息が上がり始めている。

「そっちは貴様らで何とかしろ!」

仕方ないなぁ。

俺は屋根から飛び降りた。

ディータは狼を操り、迫る盗賊を倒すことに忙しい。

車輪をのぞき込むと、前後左右に四つある車輪のうち、後輪の二つにべっとりとゼリー状のものが張り付いていた。

「なんだこれ?」

こんなものは見たことがない。

ドロリとした透明な固い粘着質の中に、わずかに緑の結晶が輝く。

「マジックアイテムだ。それで馬車が止められてる」

呪文を唱える。

単純に剥がそうとしても剥がれないヤツだ。

この物体にかけられた呪文を解くか、施術者に解除させないことには、解放されない。

「ちっ、簡単にはいかねぇってことか!」

ディータのムチがしなった。

呪いを解く方法は色々あるが、こういった道具を作る連中には、職人芸として、パズルのように細かな仕掛けを入れていることが多々ある。

それを見抜いて解除するのは、なかなかに難しい。

てゆーか、面倒くさい。

「車輪ごと交換するのが、一番早いな」

「そんなこと、この状況で出来ませんよ!」

御者の悲鳴に、フィノーラは声を荒げた。

「私に任せて!」

「任せられるか!」

珍しくイバンとディータの意見が一致した。

誤爆を全く躊躇しないフィノーラの爆風弾に、盗賊たちも引き気味だ。

馬車に向かって弾け飛んだそれを、イバンの剣が切り裂く。

「馬車が動かないのなら、盗賊団を捕らえるしかなかろう」

「アホか。キリがねぇだろ。馬車に近寄る連中だけを相手にして、逃げちまえばいいんだよ。それに今は、聖騎士団の仕事中じゃないんだろ?」

「休暇中でも必要があれば、任務を全うする!」

「あぁもう! とにかく追い払えばいいんでしょ!」

だがまぁ、こういったパズルゲームは、厄介だが嫌いではない。

かつては俺も、あちこちに仕掛けて楽しんだ。

「呪いを解く。少し静かにしててくれ」

「だがそれでは、作戦の話し合いにはならない」

「話してる場合じゃねぇだろ。盗賊の仲間が増えたぞ」

「だから全部追い払えばいいのよ!」

呪文の声。

三人が三様に何かを唱えている。

『もう一度我に力を』
『風よ我が身を運べ』
『最大暴風風起こし!』

イバンが回復魔法で、ディータはスピードアップ。

フィノーラに関しては、呪文まで雑過ぎてよく分からない。

ぎゃあぎゃあわめきながら戦っている横で、俺はパズルゲームに取りかかる。

「う~ん。単なる足止めだからなぁ……」

この粘土のような、ゼリーのような物体に、使われている魔法石の質量はさほど大きくない。

つまり、それほど難しい仕掛けではないということだ。

それに、これはどうやら、盗賊団の魔道士連中が作ったものではないようだ。

魔法の臭いが違う。

どこからか買ってきた量産品か?

「それにしては、よく出来てるなぁ~。これは値が張っただろうに」

面白そうなパズルは、じっくりと解くに限る。

蹄の音が響いた。

土手上に、さらに盗賊団の数が増える。

「仲間が現れたじゃないか。くそ、首領はどこだ」

「フィノーラ、自慢の馬鹿力でぶっ飛ばせ!」

『総力全包囲!』

ゆらりと、大きく風が動いた。

フィノーラの魔力回復も進んでなかったか?

いつもの勢いがない。

大きな斧を担いだ男が、馬に乗ったまま進み出た。

「テメーら! さっさとあの聖剣士さまの首を取れ! そうすりゃ腐れ魔道士どもは、すぐだ!」

そう言うと、男は馬を走らせた。

雄叫びが上がる。

散々イバンたちが暴れ回ったあとで、ようやく現れた首領だ。

その後ろに、数十人の騎馬隊が続く。

「狙いはイバンだ。ノーコンフィノーラ。馬ぐらいからなら、ヤツを落とせるか?」

ディータのムチがしなる。

それは斧を持つ男の手に絡みついた。

フィノーラ衝撃弾が、首領の頭をかすめる。

男はくるりと体をひねると、馬上から飛び降りた。

その腕に絡みついたままの、ムチを引く。

ディータの体が引きずられた。

「そこまでだ!」

飛び上がったイバンの剣が、男の上に降りかかる。

首領は斧を持ったまま、グッと体を反らせると、イバンを蹴り上げた。

「チェノスの大斧だ! グレティウスへ向かう荷馬車を襲う、大盗賊団だ!」

ガタガタと震える御者の言葉に、俺は顔を上げた。

「有名なのか?」

「あいつらに見つかって、無傷で済んだ者はいねぇんだ」

「だってさ!」

蹴り飛ばされたイバンは、草の中でゆらりと立ち上がる。

「だとしたらなおさら、ここで捕らえてしまわなくてはな」

「フン! 面白れぇじゃねぇか」

『急速大回転!』

男は右手に持っていた斧を、左手に持ち変えると、ムチの上に振り下ろす。

ディータはそれをサッと引いた。

大斧は地響きをあげ、地面に突き刺さる。

イバンの剣が、男の腕を狙った。

首領はその斧を、ブンと振り上げる。

「イバン!」

斧と剣がかち合った。

火花が飛び散る。

フィノーラの放ったエアカッターが、交差する二人を同時に切り裂く。

騎馬隊の群れが、駅馬車を取り囲んだ。

「ナバロ、そっちは任せたぞ」

あぁ、面倒くさいな。

どうして俺がこんなこと……。

右手を上げる。

呪文は何にしよう。

もういっそのこと、コイツら全員、息の根を止める魔法を……。

そう思った瞬間、木箱の扉が開いた。

「俺たちも戦う!」

「こっちは任せろ!」

乗客たちが、それぞれ身につけていた武器を片手に飛び出した。

車輪の横にいる俺を振り返る。

「坊主はそこから動くなよ」

「みんな戦ってるんだ。せめて馬車くらいは、俺たちに守らせてくれ」

「……。分かった」

乗客たちに、動くなと言われてしまったのだから、仕方がない。

戦い慣れた盗賊団に比べ、乗客たちの動きはぎこちない。

それでも必死になって、自分たちの身を守ろうとしていた。

「なんで戦ってるんだ?」

二人いる御者のうちの一人が、必死の形相で御者台から拳銃を撃っているが、ほとんどろくに当たってもいない。

「黙って見てるわけにはいかないからさ」

なんだ、それ。

あぁ、馬上の盗賊が、剣を振り回している。

乗客の一人が腕を斬られた。

大斧を持つ男も暴れているのに、これではよけいにイバンたちがやりにくいじゃないか。

ほらみろ、フィノーラは自分の暴走魔法が使えなくなって、困っている。

ディータの背後に近づいた盗賊を、乗客の一人が切りつけた。

ディータはそこへ、膝蹴りを加える。

イバンが大斧の男と距離を取った。

その瞬間、御者の撃った弾が斧に当たった。

そこに気を取られたすきに、イバンは剣を振り下ろす。

その光景は、まるで協力しているようにも見えた。

「よけいに戦況が混乱したじゃないか」

「子供の目には、そう見えるかもしれないな。だけど……」

御者はヘタな鉄砲を撃ち続ける。

「何もしないでいるよりは、ずっといいだろ」

フィノーラのコントロールが精度を増す。

あいつ、ちゃんと狙って魔法を打とうと思えば、狙えるんだ。

いつもより小さな衝撃弾を、乗客たちの動きを見ながら、丁寧に馬上の盗賊にぶつけている。

フィノーラの魔法で馬から落ちた盗賊を、乗客たちが羽交い締めにしている。

「なぜ助け合う」

「なぜ? だって、そういうもんだろ。それにしても、あんたの仲間は強いな」

そう言って、彼は笑った。

「お前もカッコいいよ」

ディータのムチが、大斧の柄を捕らえた。

「そのまま動くなよ……」

ディータがムチを引く。

と、男はわずかに斧の角度を変えると、不意にその手を放した。

「ディータ!」

ムチのその反動で、斧の刃先がディータに向かう。

フィノーラの衝撃弾が、大斧の位置をわずかにずらした。

首領の男は、剣を持つイバン腕を、ガッツリと上から抑えつけた。

「矢を撃て!」

遠巻きに見ていた盗賊団から、一斉に矢が放たれる。

それの標的は、木箱や馬たちも例外ではない。

『最大暴風風起こし!』

俺が呪文を唱えるより早く、フィノーラの声が響いた。

大地から湧き上がるそれは、飛んでくる弓矢もろとも、盗賊団もイバンもディータも、一緒に戦う乗客たちも、空高く巻き上げる。

「あ」

「だからお前は、加減を覚えろ!」

イバンはその空中で首領の背後を取り、その刀身は男の首を捕らえた。

ディータは魔法で、全員をゆっくりと着地させる。

朝日が昇り始めた。

「さぁ、お終いだ。どうする?」

主にフィノーラの誤爆によって、擦り傷だらけになったイバンは、首領に迫った。

辺りにはまだ、無数の盗賊団が残っている。

「どうするも何も、俺が死んでも仲間はまだ生きてる。ここで首を斬ったところで、あいつらが襲ってくるだけだぞ」

「先を急ごうぜ、イバン。盗賊団の行く末なんて、知ったこっちゃねぇよ」

「そういうワケにはいかん!」

ディータとイバンがにらみ合う。

「じゃあどうすんだよ」

この三人はともかく、これ以上乗客たちが戦うのは無理だ。

長引けば怪我人どころか、死人がでる可能性がある。

「ねぇナバロ。何とかして!」

朝日を浴びて、車輪に取り憑いていたゼリーが溶け始めた。

「なんだ。太陽の光で溶けるのか……」

マジックアイテムの仕組みとしては、簡単なものだ。

簡単過ぎてそこに気づかなかった。

盗賊団にしても、このアイテムが解除されると同時に、引き上げるタイミングか。

襲って手に入れた馬車だって、最低でも朝日の昇るこのタイミングくらいでは、移動させたいしな。

そんなことにも、俺は気づかなかった。

「そういうことかよ。案外つまんなかったな」

「ねぇ、ナバロ!」

「分かってるよ」

顔を上げる。

とは言ったものの、土手上にはまだ、二、三十の騎馬隊と歩兵がいる。

隙を見て逃げ出すつもりだ。

「面倒だな」

俺は少し考えてから、印を結ぶ。

『最大暴風風起こし!』

草原の空気が、ガツンと揺らめいた。

地面から湧き上がる風が、盗賊団を巻き上げる。

全てを捕らえた風は、馬と人間をきれいに分離し着地させた。

『この地に生える草の根よ。ここで多くの血を流した者たちを、捕らえて放すな』

足元の草がシュルシュルと勢いよく伸び、盗賊たちの体を締め上げる。

馬はそのまま逃げ出していった。

「魔法ってのは、こうやって使うんだよ。フィノーラ」

「フン。だからなに」

きっと今は、こうするのが正解なのだろう。

他に方法はたくさんあっても、そうじゃないような気がする。

イバンはようやく、その剣を鞘に収めた。

朝日を受け、草原はキラキラと輝く。

盗賊たちが逃げだそうと、もがけばもがくほど、しっかりと伸びて絡みつく葉に、彼はため息をついた。

「やはり魔道士の力というのは、恐ろしいものだな」

「そうだね。本当はもっと、単純でいいやり方はあると思うんだけど……」

「いや。これで十分だよ」

イバンは笑った。

後続の駅馬車が、俺たちを追い抜いてゆく。

グレティウスへ金や資材を運ぶ貨物便だ。

聖騎士団の剣士ではないが、傭兵が二人ついている。

「ねぇ、本当の盗賊団の狙いは、こっちだったんじゃないの?」

「だとしたらフィノーラ、俺たちは全員皆殺しだったな。お前は売られてたかも」

ディータはウインクを飛ばす。

捕らえた盗賊たちを片付けに来るよう、先に行く貨物便の御者に、イバンは伝言を頼んでいた。

「これで、チェノス聖騎士団の手柄になるはずだ」

ようやく馬車は動き始めた。

俺はイバンと二人、木箱の背の踏み台に腰をかけ、背後の安全を見ている。

朝日に揺れる森の木々が、絶え間なく後方に流れてゆく。

「……。あれは、イバンの手柄じゃなくてもよかったのか?」

「この街道が、誰もが安全に使えるようになることが、私にとっての一番の喜びだからな」

そう言って目を閉じる。

傷だらけになった、その端正な横顔を見上げた。

この男は、本気でそんなことを思っているのだろうか。

「報奨金が出たかもしれないのに? そしたら、聖剣士の格もきっと昇格したぞ? どうしてそれをアピールしないんだ?」

「はは。それなら、確かにそうしてもよかったけどな。いずれにしろ、私はいま、休暇中なんだよ」

イバンはうっすらと目を開けると、流れてゆく景色をぼんやりと見ている。

「たまにはそんなことがあっても、いいと思わないか?」

彼は静かに微笑むと、その大きな手で俺の頭をグッと掴み、くしゃりと撫でた。

「ナバロは本当に強い魔力の持ち主だな。きっといい魔道士になる」

この俺が? いい魔道士?

冗談じゃない。

駅馬車は街道を進んで行く。

日が昇る頃には、大きな聖騎士団の部隊とすれ違った。

ご大層な装備に武器までしっかり揃え、まるでこれから魔王城へでも乗り込んでいくみたいだ。

あの呪いは、聖騎士団の鎧を身に纏ったものが触れると、解けるようにしてある。

きっとあいつらは、これから聖騎士団に酷い目に合わされるのだろう。

荷馬車はようやく、グレティウス手前のチェノスへ入った。

駅馬車を降りる。

「今回は本当に助かったよ。よい旅を」

「あんたらがいてよかったわ。ありがとうね」

数日を共にしただけの、素性も分からぬ乗客たちが、次々と俺たちに礼を言っては去ってゆく。

「なぜ礼を言って行くんだ?」

「挨拶だよ」

ディータはそう言った。

どこだって土埃の舞う、ごちゃごちゃと落ち着かない停車場だ。

「みんなお前に感謝してる」

「俺に? それは違うだろ」

「そんなことはないさ」

「感謝が挨拶なのか?」

「そうだ」

乗客たちがようやく見えなくなると、ディータの手は俺の手を握る。

「よそ見してると、迷子になるぞ」

それでも俺は、どこまでも子供扱いだ。

停車場を出る。

チェノスはグレティウスへ向かう街道と、首都ライノルトへ向かう街道を結ぶ交易都市だ。

遙か東には、遠く連なる黒い山脈が見える。

その麓には、かつての俺の居城がある。

「イバンとはここでお別れね」

停車場の近くにある、聖騎士団の事務所前で立ち止まる。

聖剣士であるイバンには、グレティウス行きの通行許可証はすぐに発行されるが、俺たちのような平民は、審査を受けないことには中に入れない。

「悪夢の調査隊に入るんだろ?」

ディータはイバンに言った。

「見つけたら、ちょっとくらいカスめといて、俺にもくれ」

「休暇中の暇潰しだよ。本気で見つけられるとは、思っていない」

「すぐに追いつくわ。グレティウスに入る。そして宝を見つける」

フィノーラのその言葉に、イバンは笑った。

「はは。だとしたら、君たちも立派な犯罪者になるな」

その背後が、急に騒がしくなった。

振り返ると、街道で俺たちを襲った盗賊団が、荷馬車に乗せられ運ばれている。

鋼鉄の檻に入れられ、両手両足を鎖に繋がれていた。

俺たちが草原で捕らえた時に比べ、あちこちが打たれ傷つき血を流している。

首領の男と目が合った。

男はギロリと強い視線をこちらに向けた。

そのまま、何も発することなく運ばれてゆく。

「草地に繋がれ身動き取れなくなって、逆に襲われたか」

「仕方ないわよ。今まで自分がしてきたことが、返ってきただけだわ」

「これからは、正当な裁判と刑が待っている。己の犯した罪の報いを受け、それを償うといい」

彼らはあのだだっ広い草原に繋がれ、何をされ、何を見たのだろうか。

「大罪は、大罪だからな」

そう言った俺を、イバンは見下ろした。

「休暇が終われば、私はルーベンに戻る。お嬢さまはお前を心配している。気が向いたら、顔を見せてやってくれないか」

「あのキレイで頭の弱いお嬢さまね」

フィノーラはフンと鼻で笑った。

「反吐が出るわ」

「お前のことも、心配しておられたぞ」

イバンは静かに微笑む。

「じゃあな。健闘を祈る」

聖騎士団専用の停車場に、グレティウス行きの馬車が待機していた。

イバンはそこへ向かう。

各地から集まってきた悪夢捜査隊の志願者で、ごったがえしている。

野外に机を出しただけの受付に、イバンは懐から出した、何かの書類を渡す。

それを受け取った聖騎士団の剣士は、顔を上げた。

「一人で来たのか? 他の志願者はどうした。いないのか?」

「他の志願者を連れてきてもよかったのか。審査があるのでは?」

「中央議会から、特別要請が出てる。今月いっぱいは聖騎士団団員の推薦があれば、それに同行するかぎり、期間限定で調査隊入隊が認められるんですよ」

そう言った男は、ひょいと首をのぞかせた。

「そこにいる魔道士たちは、一緒じゃないのか?」

イバンは俺たちを振り返った。

その目と目と目があう。

「い……、一緒です!」

「そうです! 私たちも行きます!」

ディータとフィノーラが、同時に叫ぶ。

「あー。その子も、聖騎士団予備隊入隊志願者なのかな? 社会見学代わりに、参加ということで、いいのかな?」

「え……、えっと……」

「そうです。私が指導しています」

イバンの手が、俺の肩に乗った。

「私が彼の後見人です」

「じゃ、どうぞ」

イバンの持参した志願者名簿に、俺たちはサインする。

「いいボランティア経験になりましたね。よい休暇を!」

書類にドンと朱印が押される。

俺たちは、グレティウス行きの馬車に飛び乗った。





第7章


聖騎士団の立派な馬車に揺られ、俺たちはグレティウスへ向かっている。

「あははは! 聖騎士団の馬車に乗るのは、これで二回目だよなぁ、なぁナバロ!」

ディータは上機嫌で、俺の背中をバシバシと叩く。

フィノーラは初めてなのか、少し緊張気味だ。

「あんたは何度も乗ってんじゃないの?」

「ディータ! 君は聖騎士団の関係者だったのか?」

驚くイバンに、フィノーラは腹を抱えて笑い出す。

「関係者もなにも、連行されてく専門だけどねぇ!」

昨日まで乗っていた、木箱同様の駅馬車とは大違いだ。

革張りのベンチに、車体にはクッションがついている。

車内における荷物置き場もあれば、小物入れまであって、個別に仕切れるカーテンもついていた。

しかも乗客は俺たち四人だけときたもんだから、やりたい放題だ。

「俺は捕まりたくて、捕まってたんじゃねぇよ!」

フィノーラは笑い転げ、イバンは頭を抱えて、ため息をつく。

「ルーベンを出てから、君たちは一体、何をやっていたんだ……」

「ま、とにかくあんたがいま、休暇中で助かったぜ」

「職場復帰したら、驚くかもよ~」

イバンはもう、色々と考えることを諦めたらしい。

「少し眠ろう。明日の昼前には、グレティウスに到着するはずだ」

石畳の、とても丁寧に整備された街道を進む。

イバンの言った通り、車内がムッと暖まってくる頃には、窓の風景が変わり果てていた。

「起きろ、ナバロ。これがグレティウスだ」

その街の大きさに、俺は目を見張った。

急斜面いっぱいに、ぎゅうぎゅうと細い三角屋根の、赤や青、色とりどりの塔が建ち並ぶ。

みんな魔道士特有の家の作りだ。

かまどで煮立った薬草スープが、あちこちで煙を上げている。

壁や路上を問わず、そこかしこに魔方陣が描かれ、俺と同じくらいの子供が、魔法の練習をしていた。

火を吹き、水を泳がせ、風に乗り空を飛んでいる。

あちこちから魔法の匂いがした。

これでは気配もなにも、まるで分からない。

高価なはずの魔法石の結晶が、飾り物のように彫刻され、それはまるで生きているかのように動いていた。

「あんな魔法、どうやって仕掛けたんだ?」

「ここが、かつて恐怖と死の大地だった、大魔王の王城跡だとは思えないだろ? 大魔道士エルグリムの残した魔力の結晶が、あちこちに残っているんだ」

ディータはその目を輝かせていた。

「それを掘り出して、加工している。ヤツの犯した罪は大きいが、残した功績もでかい」

「そんなことを言ってる魔道士は、お前ぐらいじゃないのか。ディータ」

イバンの目が光った。

「ここではその名を口にするな。禁句だ」

「関係ないね。死んだヤツに、なにが出来る」

「まだ中央議会は、死んだと認めていない。正式な処刑発表が出るまで、ヤツは生きている」

「フン。だから再びこの地に現れる前に、見つけ出して先に奪っちまおうっていうんだろ? エルグリムの悪夢、大魔王の力の結晶を!」

ごちゃごちゃとしたカラフルな街並みの向こうに、真っ黒な巨城がそびえ立つ。

「それって、盗賊のやってることと、同じじゃねぇのか?」

「グレティウス産の魔法石は、とても質がいいもの」

フィノーラはため息をつく。

「人間だったエルグリムが、魔法石から魔力に変化させたものだもの。そりゃ他の魔道士たちにとっても、使いやすいし馴染みもいいわ。めちゃくちゃ高いけど」

「しかもエルグリム本人の力で、磨き上げられている。精製される精度が違うんだ。未だにそれを越えることは、誰も出来ない。その遺産を掘り出して売った金で、この街がこれだけ発展したんだ。しかもその売り上げの一部は、中央議会の懐に入り込む」

「結局、やってることは、魔王とほとんど変わらないじゃない」

「それは違う。それは違うぞ、フィノーラ」

イバンはゆっくりと口を開いた。

「俺たちはもう二度と、魔王の復活を望まない。だからこうして分け合い、助け合うんだ」

「ユファがそうなる可能性は?」

フィノーラの言葉に、イバンは彼女をギロリとにらみつけた。

慌てたディータが間に入る。

「まぁまぁ落ち着けって。俺たちは悪夢を探しに来た。それだけだ。な、そうだろ?」

「世界の平和と安全のために」

「そんなもの、ぶち壊してやるわ。もう誰にも世界を、好き勝手させない」

「だってさ、ナバロ」

ディータは俺を抱き寄せる。

「まぁ見とけって。もう二度と、お目にかかれない光景かもしれないぞ」

気分が悪くなるほど、平和な光景だ。

ここにはこんな、のどかな風景は似合わない。

俺の居た場所だ。

街に入ってから、あらゆるところにかけられている魔除けの結界が強い。

このままでは俺の身が溶けそうだ。

身を守る魔法をかける。

馬車が止まった。

聖騎士団本部は、魔王城入り口の、すぐ脇に建てられていた。

実に不愉快かつ皮肉なものだな。

こんなものが、あの美しかった庭園を破壊し、その後に建てられたのか。

俺たちは手続きを済ますと、本部奥にある宿舎に案内された。

「今夜はここで、ゆっくり休んでくれ。明日は早朝からガイダンスがある。その後、携帯品と武器の支給を受けたら、さっそく探索の始まりだ」

朝になり、大会議室に集められた俺たちは、悪夢捜索に当たっての、丁寧な説明と注意事項を受けた。

エルグリム復活の兆を受けた中央議会の方針により、エルグリム本人の捜索と、悪夢の安全確保が最優先課題となっているらしい。

「フン。ここじゃ『悪夢』じゃなくて、『残余』と言わせるんだな」

ディータは鼻で笑った。

「間違った表現ではないだろう。ある意味、それは奴の片割れであり体の一部だ」

「つまり、それが残っている限り、魔王の復活はあり得るってことなんでしょ。だったら活用だとか何とか言ってる前に、さっさと壊せばいいのよ」

「金になるって分かったからね。この街の発展を見てみろよ。魔王の残した金塊で、大もうけだ。この残余って、後で復活した大王に、返せとか訴えられねぇのかな」

「魔物たちに能力を分け与えていた方法が、これに近いものだったようだ。他者に能力を分け与え、支配する。最低なやり方だな」

「別にいいじゃねぇか。能力だろうがカネだろうが、やってることは俺たちと変わりねぇ。それでイイ思いしてる人間がいるってだけだろう。今も昔も」

そう言ったディータを、イバンはギロリとにらむ。

「それは、中央議会への批判か?」

「イんや! 俺は自分が楽しけりゃ、後はどうだっていいんだ。常に強い方、勝ってる方につく。それだけだ」

「行くぞ。ナバロ」

イバンは立ち上がった。

俺の肩に一度手を置いてから、先に歩き出す。

いつの間にかガイダンスは終了し、支給武器の受け取りのために、人が流れ始めていた。

「子供用の武器があればいいんだがな」

武器庫前では、聖騎士団専用の支給武器が、ずらりと並んでいた。

イバンはその中から、予備隊の剣を選ぶ。

「そういえば、あれから剣の訓練を続けているか?」

俺は首を横に振った。

これは訓練用の武器なのだろうか。

随分使い込まれているが、しっかりと整備され、ご丁寧に加護までついている。

「……。あのメンバーの中じゃ、それは出来ないか」

イバンは子供用の剣を手に取ると、丹念に一本一本、その刃先を確認している。

「魔道士の体質を持って生まれてくることは、それは恵まれたことだ。だけどもしあの魔王に、剣の腕があったらどうだったのだろうと、私は思うのだよ。それは単純に、私が剣士だからかもしれない。だから余計に、そんなことを考えるのかもな」

「魔王は剣士に敗れたから」

俺はイバンを見上げる。

「きっと魔道士より、剣士の方が強いよ。だって、大魔王エルグリムを倒した勇者スアレスさまは、剣士だったもの」

「そうだな」

イバンの大きな手が、俺の頭をしっかりと撫でる。

「お前が心配することは、何もない。これは大人の問題だ。未来にツケは残さない。そのために私たちがここにいる」

「俺もここにいるのに?」

「はは、そうだったな。ナバロも立派な、調査隊の一員だ」

調査期間は、十日で一区切りとされていた。

一度に携帯できる食料の問題と、悪夢を我がものにせんとするヤカラを排するための他、経過報告など、色々理屈があるようだ。

コンパクトにまとめられた携帯備品を受け取る。

「十日で本当に見つけられると、思ってるのかしらね? 中央議会はやる気あんの?」

フィノーラは、ナイフ状の双剣を背に担いでいる。

またよりにもよって、乱暴な武器を選んだものだ。

「ローラー作戦だ。代表者に地図が配られている。人員を増やして、担当地区を手分けし、くまなく捜索するんだ」

ディータはライフルを肩にかけてた。

「どっちにしろ、先に見つけたモン勝ちだろ。報奨金を手にするか、砕いて持ち去るか」

「ハンマーは私が持っている」

それは聖騎士団の団員だけが持てる、特殊なハンマーだった。

大賢者ユファの祝福が与えられたハンマーで、悪夢を打ち砕くことの出来る、唯一のマジックアイテムだという。

「とにかく、十日で与えられた範囲を調査する。準備は出来たか? 出発だ!」

空を見上げる。

青く高く澄んだ空に、闇よりも黒く巨城がそびえ立つ。

俺たちはそこへ向かって、侵入を開始した。




第8章


削り出した岩の形を、そのまま生かした巨城の中へ入ってゆく。

結界がさらに強化されている。

俺は自分の身を保つための魔法を強化した。

そうでなければ、このまま中には入れない。

すぐにでも体が溶け出しそうだ。

城周辺の施設は跡形もなく破壊されていたが、内部は比較的、そのままに残されているようだった。

まぁ、どこに悪夢が隠されているのか分からないのだから、仕方ないか。

磨き上げられた黒い床石は、歩き回るザコどものせいで、すっかりくすんでいる。

そのエントランスにあたる大ホールを、ディータとフィノーラは見上げた。

「すっげぇな。なんだこのホール!」

「天上は吹き抜けになってるのね」

「巨大なドラゴンやモンスターたちが、ひっきりなしに出入りしていたんだ。比較的間口は、広く作られていたんだよ」

ここへ初めて、フレアドラゴンを連れ込んだ時は楽しかったな。

鎖に繋ぎ引きずられ、大暴れしたんだ。

おかげで装飾の何もかもが壊され、以来ずっとそのままだ。

散々見世物にして楽しんだ後で、なぶり殺した。

あの時の恨めしそうな目は、いまだに覚えている。

あの怒りと苦しみに満ちた目は、アイツが一番だった。

それにしても聖騎士団のやつらも、ついでに壁の壊れたところも、直しておいてくれればいいのに。

コイツら、そういうことはしないんだなぁ。

「計画的なのか全くの考えなしか。この山脈の中といい地下といい、全てが複雑なダンジョンになっていて、未だにその全てが攻略されていない。与えられた地図は、現在分かっているところまでのものだ。俺たちの指命は、このダンジョンの全貌解明でもある」

「なんで大賢者ユファさまは、直接捜索しないんだ? その方が早いだろ」

「お忙しい方なんだ。他にやるべきことが、沢山おありになる」

フン。そうか。

ということは、本当にまだ悪夢は見つかっていないし、そこにかけておいた術も、解かれていないということだ。

だからユファと生き残ったかつての仲間たちは、この城に入れない。

「気分は悪くない?」

フィノーラが話しかけてくる。

「ここの空気、確かに悪いわ。エルグリムはまだ死んでない、滅んでないって、ようやく分かった。ここに来た今なら、それが理解できる」

「だよな。ここにはまだ、魔王の力が残っている。これこそが確かな、生きている証だ」

黒い城内に、外からの光りが降り注ぐ。

俺はようやく居城に戻ってきた感激に、全身が震えている。

この城は、俺とその仲間たちで造ったんだ。

地下のダンジョンも、ほぼ覚えている。

「なんだナバロ。怖ぇのか?」

ディータの言葉に、イバンは微笑む。

「恐れることはない。ここに魔王はいない。私たちといれば、絶対に大丈夫だ」

「そうだね、イバン。みんなと一緒に居れば、きっと大丈夫だ」

通路には、所々にロープが張られていた。

地図を見ると、シロと判断された所を区切っているらしい。

その案内に従って、奥へ奥へと進む。

「こんな大きな城で、エルグリムは一人で暮らしていたのかしら」

「常に大勢の魔物たちが仕えていた。今、グレティウスで採れる魔法石は、全てその魔物たちに与えられていた魔力が、石化したものだと言われている」

「だとしたら、本当に凄い魔力の持ち主だったんだな。人間じゃねぇ」

「血の通った人間は、何百年も生きたりはしないし、あんな残酷非道な真似も出来ない」

黒い城の、城下町を見下ろす通路を抜け、野外の崖上に設置された祭壇横を通る。

空に突き出たその場所には、灯籠と台座がまだ残されていた。

「ここが処刑場跡だ」

「最悪。何人もの人が殺されたんでしょう?」

「何百、何千って話しじゃなかったか?」

「かつてこの地に繁栄した国王にその妃たち、王子、王女、王族に並ぶ騎士や貴族たち。僧侶や名だたる名君も、戦士たちも全て、ここで殺され魔物たちに生け贄として与えられた」

「酷い」

「まだ流された血の跡が残っているんだな」

泣いて命乞いをする者、寝返りを誓う者、歯を食いしばり、苦痛と恐怖に耐える者。

色々だ。

滴り落ちた血はそこから崖を伝い、流れる川を赤く染めた。

「つーか、武器の携帯が必要ってことは、まだ魔物が潜んでるってことか?」

「ガイダンスをちゃんと聞いていなかったのか。報告数は少ないが、ゼロではない。怪我人や死者も出ている」

「悪夢発見の内部抗争じゃなくて?」

ディータはそう言って、ニヤリと口角を上げる。

イバンはそれを無視し、淡々と答えた。

「発見の報告はまだない。そこに悪夢はなかったし、討伐されたモンスターの死骸も回収されている。ここに残る魔力の残余が、それらを呼び寄せているんだ」

俺自身が自分の体を保つのさえやっとなんだ。

他の魔物たちは、とうていこの結界の中には入れまい。

さらに奥へと進む。

かつて舞踏会が開かれた大広間を横切り、美術品をいくつも並べた展示室脇を通る。

そこに飾られていたはずの、かつての国王たちの頭蓋骨や宝剣は、すでにない。

あの光り輝く宝石や王冠、首飾りはどうした?

まさか全て処分されたとも考えにくい。

ユファどもが奪ったのか?

あの白くピカピカと光る、新しい立派な中央議会の館へ、移されたのか……。

「どうした、ナバロ?」

イバンの問いかけに、我に返る。

気づけばフィノーラとディータも、じっとこっちを見ていた。

「いや、何でもない」

再び歩き出す。

大食堂から厨房を抜け、控えの間の、前を通った。

地図を頼りに進むイバンが、廊下の角を曲がる。

「こっちは?」

俺が指で示した方向には、規制線のロープが張られていた。

分からないように何重にもマジックバリアまで仕掛けられていて、随分ご大層に侵入を禁止している。

「そこは……。なんだろうな。地図でも立ち入り禁止区域に指定されている。過去になにか、事件があったのかもしれない」

その言葉に、フィノーラの顔に不安がよぎる。

「モンスターが出たとか?」

「殺された兵士たちの、怨霊なのかもしれないぜ。ナバロには分かるか?」

ディータは俺を振り返った。

「いや……。イバンに聞けよ」

「私にも、そこまでは分からない。先を急ごう。この城はとてつもなく広い」

図書館だ。

この先には、世界各国から集めた、様々な書物や珍しい資料を集めた博物館もあった。

確かにそれらには一つ一つ魔法をかけ、持ち出されないようにはしていたが、それはさっき見た宝石類に関しても同じことだ。

なのにここだけを封じているとは、どういうことだ?

残っていた備品や装飾品は跡形もないのに……。

もしかして、そのままにされている?

すぐにでも行って確かめたいが、今はそれが出来ない。

魔力を使う、余力がない。

奪われたものの大きさに、ギリギリと歯を食いしばる。

「……。なにもかも、全て取り戻すんだ……」

「そうよ、ナバロ。私たちはもう、誰にも支配されない。奪われない」

「大魔王の息の根を、完全に止めるためにここまで来たんだ」

フィノーラは決意を固め、ディータはニヤリと微笑む。

イバンは力強くうなずいた。

「その通りだよ、ナバロ」

さらに奥へと進む。

イバンの地図を見ると、俺のプライベートゾーンだった場所は、立ち入り禁止区域に指定されていた。

あの快適で過ごしやすかった俺の部屋は、どうなっているのか。

捕らえて飼っていたお気に入りの人魚やハルピュイアたちも、聖騎士団に皆殺しか?

ようやく城を抜け、尾根に入る。

ここからが本当の保管庫であり、勝手に住み着いたモンスターたちが作ったダンジョンだ。

俺ですらその全貌を知らない。

「ようやく調査対象地域に入ったぞ」

真っ暗な山の中だ。宿舎を出発してから、もう数時間が経っていた。

「ここで一旦、休憩にしよう」

支給品の携帯食料で、簡単な昼食を済ます。

魔力で焚いた火の灯りで、イバンは地図を広げた。

「ここまでは魔王城の、いわゆる表の面を通ってきた。建物の中では、外交的な部分だ。ここからは本当のダンジョンに入る。通路が整備されているところもあれば、そうでないところもあるようだ。俺たちが調査するのは、ここだ」

ダンジョンの入り口に当たる現在地からは、まだ距離がある。

「迷路が完全に攻略されている階から、三つ下層に降りる。この階にあるこの扉の向こうが、まだ未調査で地図も完成されていない。それを調べるのが、俺たちの仕事だ」

「今日中にその扉までたどり着ける?」

「何とかたどり着けるだろう。ここまで行って、そこで今夜は休むとしよう。明日からは本格的な調査だ」

フィノーラは水筒から水を飲む。

「なんだか、気味が悪いわ」

「魔王城の中にいるんだ。平気な奴なんているかよ」

支給品の松明に明かりを灯す。

マジックライトだ。

これで暗闇に悩まされることなく、地下ダンジョンを歩ける。

イバンの持っている地図は、俺のみる限りでも正確なものだった。

各階に仕掛けられた罠も、全て解除されている。

俺たちは見えない橋を渡り、隠し通路を抜け、落とし穴を回避しながら、順調に先へと進む。

「ここだ」

ようやく行きついた通路の先に、それを塞ぐ大きな扉があった。

ディータがそれをこじ開けようとしても、固く閉じられていて、開かない。

「まさか、この扉を開けるのも、ミッションって言うんじゃねぇだろうな」

「鍵はある」

イバンがそれを差し込むと、スッと扉は開いた。

禍々しい風が、奥の闇から吹きつける。

その臭いに、全身の毛が逆立った。

「ねぇ、やっぱちょっと閉じとこうよ」

「そ、そうだな……」

ディータまでもが、その空気に恐れている。

彼らはすぐにその扉を閉じた。

イバンはその仕掛けを、丹念に調べている。

「とんでもない所まで来ちまったなぁ。一度閉じたら、また鍵がないと開かないんだろ?」

「どうやらそのようだ。この付近で魔物の出現は報告されていない。全て駆逐済みだそうだ。結界も張られている。だがこの扉の先には、その保証はない。ゆっくり休めるのは、ここまでだ」

「最悪ね。こんなところで寝るはめになるなんて」

松明の明かりはつけたまま、各々が毛布にくるまる。

俺はなぜか他の三人と同様に、なかなか寝付けずにいた。

本当に久しぶりに、ぐっすりと眠れるはずなのに……。

「眠れないの?」

フィノーラの声に、俺は頭から毛布を被る。

「ナバロ、辛いんだったら、辛いとそう言え」

イバンの目が、じっと俺を見ている。

「もしかして、怖ぇのか?」

「そんなこと、あるわけないだろ」

俺には分かる。

ナルマナの団城よりも、さらに強くその臭いを感じている。

ここに残る自分の臭いと、その臭気に満たされたかつての仲間たちが、このすぐ足元に眠っている。

俺の城だ。

復活の時を、生き残ったあらゆる者たちが待っている。

聖騎士団によってかけられている、この強固な結界も、一切問題にならない。

俺は身を保つ魔法を、もう一度強化する。

明日にはいよいよ、その時が来る。

翌日になって旅支度が整うと、もう一度イバンはその扉を開いた。

マジックライトである松明で照らしてみても、数メートル先までしかその光は届かない。

「どうやって調べるんだよ」

ディータはため息をついた。

「全員で松明を灯してくれ。互いに目に見える範囲で、ダンジョンを行き交い、ゆっくりでいいから、確実に地図を完成させて行こう。手間はかかるが、この灯りが灯る範囲は安全だ。もし消えたら、すぐに戻ってくれ。それが仲間と離れ過ぎているという、危険信号にもなる。近づけば、また火は灯る」

「安全には変えられないものね。分かったわ」

「モンスターには注意して。あと、罠や仕掛けにもな。何かあっても、簡単に暴れるなよ、フィノーラ」

「分かってるわよ」

「では、行こう」

なんて面倒な作業を始めるつもりだ。

こんなことをしているから、俺が死んだ後、十年経っても悪夢を見つけられないワケだ。

やってられるか。

隠し場所まで、まだまだ遠い。

「俺はこっちを見に行ってみてもいい?」

松明を片手に、一人奥へと進む。

「それは構わないが……。ナバロ、あまり遠くへは行くなよ」

イバンの険しい目が、じっと俺を見つめる。

「当たり前じゃないか。こんなところまで来て、誰がそんなヘマをするかよ」

フラリと歩き始める。

ようやくここまで来た。

これで本当のお別れだ。

ご苦労だったな。

ここまで安全に俺を連れてきたことを、後悔するといい。

「遠くへはいかないよ。うん。分かってる……」

ここは俺の城、俺の造り出した迷宮、俺の闇だ。

こんなところ、目をつぶっていたって通れるさ。

悪夢が俺を歓迎し、こんなにも呼んでいるのが、どうしてあいつらには分からないのだろう。

手にした松明の灯りが消えた。

俺はそれを床に落とす。

離れたら消える仕掛けだって?

消えたら戻ってこい?

バカバカしい。

俺はこんなにも、彼らと離れたがっているのに……。

「どうした、ナバロ。灯りが消えたぞ、戻ってこい!」

イバンの声が聞こえる。

すぐ目の前に、吹き抜けとなっている暗闇が、口を開けていた。

通路から足を踏み外すと、階下に落ちる落とし穴だ。

ちょうどいい。

ここから一気に、下層階まで行ってしまおう。

多少の遠回りにはなるが、その方が奴らを巻く手間は省ける。

「すぐ行くよ。待ってて」

そう返事をして、俺はその闇へ踏み出した。





第9章


真っ暗な闇の中を、ただひたすらに落ちて行く。

生き返るようだ。

ようやくまともに息が出来る。

呪文を唱えた。

主である、王の帰還だ。

『闇よ、我が目には真実の姿を見せよ』

パッと周囲が明るくなった。

全ての闇を払ってやってもよかったが、ダンジョンの謎解きパズルを楽しんでいる連中の、邪魔をするのも申し訳ない。

「楽しみは、残しておいてやらないとな」

落下地点に、ふわりと足をついた。

落ちてきた頭上にある、虚空を見上げる。

遙か上空に、俺を探す灯りがわずかに見えた。

「さらばだ」

歩き出す。

懐かしいダンジョンだ。

ようやく解放された俺に、地下に眠る死んだ魔物たちの魂が、白い影となって寄り添う。

肩に乗ったそれに触れようとして、スッと消えていった。

あぁ、そうか。

もう死んでいたんだ。

実体のない影に触れても、それは幻覚のようなものでしかない。

「もうここには、いないんだったな」

耳を澄ます。

城のあちこちに入り込んだ人間どもが、蟻のようにうごめいている。

ユファを始めとする聖騎士団の仕掛けた魔法が、そこかしこで作動している。

強力に張られたその結界のおかげで、魔物たちが閉め出されているのだ。

俺の身すら危うい状態で、その全てを追い払うことは難しい。

今の俺には無理だ。

やはり、悪夢が必要だ。

「大魔王の復活を、盛大に祝わなくてはな」

呪文を唱える。

これは聖騎士団の使う魔法構文だ。

これならばこの強い結界の中でも、問題なく使える。

俺が侵入していることにも、気づかれることはないだろう。

『風よ、この身を運べ』

大きな魔法を使ってしまっては、みんなを驚かせてしまうだろう?

そんなことをしたら、申し訳ないだろう?

この姿を見せるのは、完全に復活してからで十分だ。

複雑なダンジョンを、軽やかに飛び進む。

まだ聖騎士団の連中が侵入した形跡はない。

かつてここに巣くっていた魔物たちが仕掛けた、罠やお遊び程度のパズルもそのままだ。

懐かしい光景が広がる。

あそこは反乱した鬼の群れをまとめて閉じ込め、焼き殺した広間で、この井戸は試作品の毒をまき散らし、捨てた穴だ。

処女の心臓を集めて作った人形は、あまり面白くなかったな。

人間の顔をした猿どもにそれをくれてやったら、喜んで食い散らかしていたが、あまり俺の趣味ではなかった。

頼まれて数十体は作ったが、すぐに飽きた。

そういえば、それをかわいがっていた、どこぞの人間の王も、もう死んでいたな。

今度は何をして遊ぼうか。

「あぁ、まずは、俺を殺した連中にどもに復讐だ」

魔王の宣言に、死んだ魔物の魂が呼応する。

ほら、みんな喜んでいるじゃないか。

復讐ほど楽しい遊びはない。

まずは俺をバカにした連中、コケにした連中からなぶり殺しだ。

「そうだな。まず初めに、ユファとあの生き残った仲間たちを、何とかしないとな」

ここで殺されたお前たちも、一緒に楽しみたいだろ?

あいつらの仕掛けた封印を解いてやらないことには、魔王復活とはいかないじゃないか。

地下ダンジョンの最深部へとたどり着く。

ここから床にはめ込まれた魔法石に乗って、最上階の王の間へ飛ぶのだ。

「あぁ……。懐かしい……」

山頂に位置するその場所には、明るい昼の光りが、天窓から差し込む。

黒く光る広間に使われているのは、全て魔法石だ。

その冷たい壁に、そっと手を触れる。

死闘を繰り広げたあと、そのまま誰の侵入も許していない荒れ果てた広間には、まだ勇者の剣が残っていた。

俺の体を貫き、大量の血を流させ、死に至らしめた憎き剣。

床石に突き立てられたそれに触れようとして、その手は強く弾かれた。

「クソッ。まだユファの呪いが残っているのか!」

何とも忌々しい剣だ。

死に際の、俺の魂を転生させるために開けた穴が、そのまま生き残った仲間たちの脱出口となってしまった。

魔法と崩れた岩で、そこはもう塞がれてはいるが、結局ユファたちは、この剣を目印として、悪夢を探しているのだろう。

呪文を唱える。

広間の滑らかな壁面に、外の風景が広がった。

かつては魔物たちが人間を襲い、街を焼き払い、逃げ惑う姿が映し出されていたビジョンに、平和なグレティウスの街の風景が広がる。

「こんなもの、誰が許せと言った!」

かつての俺が、どれだけ望んでも手に入れられなかった光景だ。

家族の笑顔、子供の呑気に遊ぶ姿、安心して眠れる部屋、腹一杯に食べられる食事。

どれもこれもが、幻だった。

「全て破壊してやる。もう二度と、こんなものは見たくない!」

破壊光線。

手の平から放った黒い光の筋が、その壁をえぐり取る。

俺はその矛先を、聖剣に向けた。

「うわぁ!」

結界が、十年の時を過ぎたいまでも、そこに残っていた。

弾け飛んだ黒魔法が、その力を消失させる。

それでもなお白く光る剣に、俺は舌打ちし、背を向ける。

悪夢があるのは、この先だ。

「ナバロ!」

ふいに、広間が光り輝いた。

その声に振り返る。

転送魔法!

イバンにしがみつくようにして、フィノーラとディータの三人が現れた。

フィノーラは駆け寄ると、俺を強く強く抱きしめる。

何の言葉も発しない彼女の向こうで、ディータはつぶやいた。

「お前、……。大丈夫か?」

俺の全身は、濃く緑の光りに覆われていた。

それは暗視魔法のせいだけじゃない。

ダメだ。

このままでは俺がエルグリム本人だと、バレてしまう。

意識を鎮める。

転送魔法が効いたのは、ただの人間の男の子、ナバロの元ではなく、彼らが大魔王エルグリム、その本人のところへ行くことを望んだからだ。

そうでなければ、成功しない。

「だ、大丈夫……。なんか急に、ワケが分からなくなっちゃって……」

「もう大丈夫よ。私たちが来たんだから」

「どうやって、ここまで来た……の?」

そんなこと、出来るわけがない。

まさか、本当にバレた?

「簡単よ」

フィノーラは片目をつぶり、ニッと笑った。

「転送魔法よ。知ってるでしょ。行きたいと思うところを、強く願うの。ナバロの魔力が強く表れていたから、探しやすかったわ」

「子供の体だからな。エルグリムの残余に、憑依されやすいのかもしれない」

ディータはじっと俺を見下ろし、イバンはたどり着いた王の間を見渡す。

「驚いた。ここは決戦の地じゃないか」

ディータは壁にできた、一筋の大きな傷を見上げる。

それはたったいま、俺がつけたばかりの傷だ。

「それにしても、本当にすごい戦闘が行われたんだな。百聞は一見にしかずってやつだ」

イバンは広間中央の、床石に突き刺さったままの聖剣に触れると、あっさりとそれを引き抜いた。

「伝説の剣だ。これは持ち帰ろう。随分と古い作りだ。今の聖剣の方が、かけている呪文も作りも、改良され強くしっかりしている」

「お手柄じゃないか。これで聖騎士団の中でも、出世は間違いない」

そう言ってニヤリと笑ったディータに、イバンは強く静かな視線を向ける。

「そんなつもりはない。この功績をたたえるとしたら、それはナバロに、だ」

「どうしてそう思う?」

ディータとイバンの距離が広がる。

明らかにこの二人は、その間合いを取っている。

「ねぇイバン。その剣で、悪夢は壊せる?」

フィノーラがスアレスの聖剣に手を伸ばした。

イバンは彼女の手に、その剣を手渡す。

「もちろんだ。支給品のハンマーの方が確実だろうが、これでも十分破壊できる」

「私が持っててもいい?」

「……。あぁ、いいだろう。好きにしろ」

彼女はその刀身をゆっくりと眺め、数度振った。

俺には決して触れることの出来ないものを、聖騎士団でもない彼女が腰に差す。

ディータは俺をじっと見つめながら言った。

「もしかして、悪夢の場所が分かったのか?」

三人の、じっとりとした視線が集まる。

あぁ、もうここまで来たら、仕方あるまい。

なんだ、そうか、もう分かっているのか。

俺は広間の奥を指さした。

「こっちだ」

固唾を呑む音が、広間に響く。

俺の指し示す方向へ、皆が歩き出した。

玉座の背にある壁には、その全面に複雑な文様が刻み込まれている。

今は何の役にも立たないただの凹凸だが、これらは全て、一種の魔方陣のような役目を果たす。

「すげぇな。さすが世紀の大魔王の城だ。ここからどんな魔物でも呼び寄せられる」

「それが強さの秘密ということか。魔力を結晶化して保管したり、分け与えたり。能力を分散することで、全滅することを回避していたんだ」

「だから中央議会は、悪夢があるかぎり安心できないのね」

俺はその壁の一部に手をかざす。

呪文を唱えた。

緑の光りが、凹凸に沿って走りだす。

壁の一部が長方形に切り取られ、音も立てず開いた。

「この奥か?」

俺は何も言わず、三人を見上げた。

歩き始めた後ろから、彼らがついてくる。

そうだ。

そうやって、黙ってついてくるといい。

お前たちはきっと、エルグリムの悪夢を実際に目にした、最初で最後の人間になるだろう。

この先も全て、魔法石を魔力でもって磨いた通路になっている。

俺がいなければ、決して中には入れない道だ。

黒く光り輝く、魔法で塗り固められた通路を進んでゆく。

目の前に、再び扉が現れた。

「この先か?」

ディータが真っ先に飛びついた。

そこに刻まれた魔方陣を、かぶりつくようにして眺めている。

「す……、すっげぇなこの模様。こんな術式、見たこともないぜ……」

「どうやってこの封印を解く? 一度本部に戻って、ユファさまの指示を……」

そう言ったイバンの隣で、フィノーラは勇者の剣を抜いた。

「そんなの、ぶち壊せばいいのよ」

「おい、やめろ!」

刃こぼれしている剣先を、思い切り扉に叩きつけた。

耳を切り裂くような高い高音が、周囲に響き渡る。

大の男二人が呆気にとられるなか、俺はつい腹を抱えて笑ってしまった。

「あはははは。だからどうして、お前はそう乱暴なんだ!」

「うるさいわね、やってみなくちゃ分からないでしょ」

「勇者の剣なんだぞ、もっと大切に扱ってくれ」

扉には傷一つ入っていない。

当たり前だ。

そんなもので壊れるくらいなら、もうとっくにここも見つかっていただろう。

「じゃあどうやって開けるのよ! また転送魔法を使うっていうの?」

「つーか、だったら最初っから、大魔王のところじゃなくて、悪夢のところへ行きたいって願えばよかったんじゃね?」

「そんな単純なことではないのだろうな、きっと」

笑いすぎて腹が痛い。

もういいや。

扉に手をつくと、それはスッと開いた。

「……。開いたな」

ディータはため息をつく。

イバンは静かに首を横に振った。

「何が起きた?」

「扉を開いたんだよ。俺が。悪夢へ向かうために」

「……。とにかく、先へ進みましょうよ」

扉の向こうは、むき出しの地層がそのままになっている。

ここからはまた、蟻の巣のように複雑なダンジョンだ。

支給品の松明で進むとか、そんなダルいことを言い出したから、暗視魔法をかけてあげる。

「ナバロはこの魔法で、落とし穴から決戦の間まで来たのか?」

イバンが言った。

「王の間だよ。決戦の間だなんて、そんな縁起の悪いことを言わないでくれ」

「そういう魔法を知っていたんなら、最初からかけてくれればよかったのに」

「なんだか急に、思い出したんだ」

悪夢はもうすぐだ。

「フィノーラ、そっちじゃないよ。ディータも間違ってる。イバン、その先には罠が仕掛けてあるから、武器が呪われてしまう。悪夢はこっちだ」

むき出しの土は、酷く乾いていた。

地表は草も木も生えぬ程の岩盤で覆われているのだ。

岩の割れ目から染みこんだ水は、地下を流れる大水脈となって、この地を抜けグレティウスの城下町まで続いている。

ここにはもう、魔物たちの気配すらない。

「ナバロは、悪夢の臭いを感じているの?」

ふいに、フィノーラが言った。

「まるで場所が分かるみたい」

「感じるね。強い魔法の香りを。この城全体を覆う魔力の中でも、ひときわいい匂いがしている」

「ディータには分かるのか?」

イバンの問いに、彼は首を振って笑った。

「魔王の力にかき消されて、そんなのサッパリ分かんねぇよ」

「だけどここにも、聖騎士団の連中がかけた結界が、効力を発揮しているわ。どうしてかしら」

「……。エルグリムが、死んだからだろ」

土塊の狭い道を、歩いては曲がり、上っては下りる行軍が続く。

俺以外の三人には、うっすらと汗が滲み始めた。

「しっかし、熱ぃな」

「空気が悪いのよ。吐きそう」

「もう少しだ。頑張ろう」

お前たちさえ来なければ、もうとっくに終わっていた話だ。

こんな迷路、作った俺ですら、まともに歩いたことなんてなかったのに。

どうして俺は、こんなことをしているんだろう。

「なぁ、悪夢を見つけたら、本気でどうする?」

ディータはそう言って、流れる汗を拭った。

「かち割って山分けとか、やっぱナシ?」

「……。割ること自体には賛成よ。だって見つけたら、即刻割るように、ハンマー持たされてるんだから。そうよね」

「……。そうだな」

最後の角を曲がる。

それまで狭かった通路が、一気に広がった。

悪夢を守る魔方陣である柱が、二重列柱の対となり、一直線に建ち並ぶ。

この気配を、ようやく三人も感じ取ったようだ。

奥に続く深い暗闇に、目を向ける。

「この先か……」

俺には聞こえる。

悪夢がそこに存在し、絶え間なく呼んでいるのを。

それと一つになれば、俺は蘇る。

もう魔力が尽きることはない。

「ねぇイバン。悪夢が割れたら、エルグリムはどうなるの?」

「魔力を失う。今度こそ、本当に滅びるだろう。その力の根源を、失うことになるからな」

「それが本当の最期だってことか」

ディータの緑に強く輝く目が、チラリと俺を見た。

「ナバロはどう思う?」

「割ればいいじゃないか。少しくらい、分け前をもらってもいいだろ」

俺の本体。俺の魂。

数百年の時を生かし続けた、その力の源。

「きっと、キレイに割れて砕け散るだろうな……」

「だといいだろうな」

立ち並ぶ列柱の先の、行き止まりについた。

その広間には、巨大な扉が立ち塞がる。

この扉の全てが、悪夢を守る魔法石だ。

一面に敷かれた魔法陣は、なに一つ欠けてはいない。

俺の描いた結界が、無傷のまま残っている。

「す……、すごい……。ついに来たのね……。ちょ、鳥肌たってるんだけど!」

「俺もだ。こんなビリビリするのは、初めてだよ。エルグリムの力を、この扉の向こうから全身に感じるね。怖いくらいだ」

俺はぼんやりと緑に光るその魔方陣の中心に、真っ直ぐに左手を差し出す。

その意志を、悪夢へ向けた。

『さぁ。悪夢よ、その姿を見せよ。永い眠りの時は、いま終わりを迎えた!』

光りが走る。

轟音が鳴り響いた。

扉に描かれた模様が、ゆっくりと動き出す。

その光りは歯車のように回転し、中心に集約されてゆく。

やがでそれは、扉中央を貫く真っ直ぐな線となり、静かに開き始めた。

「これが……悪夢への扉なのか!」

走り出そうとしたディータの前に、剣が振り下ろされる。

「フィノーラ……。お前……」

彼女は勇者スアレスの剣を、ディータの前に構えた。

「悪いけど、これから先は、誰にも邪魔させない。私が一人で行く」

「どういうことだ」

イバンはハンマーを構えた。

支給品とはいえ、賢者ユファの呪いがかかった聖槌だ。

「あんたたちには渡さない。私が一人で壊す」

「なぜそれをお前が判断する。悪夢は誰のものでもない。この世から消えてなくなるべきものだ」

ハンマーを持つイバンは、ジリジリとフィノーラとの間合いを詰める。

くだらない。

「おい、ちょっと待てよ。貴様ら、あの悪夢が誰のものだか、忘れてないか?」

魔力解放。

もはやコイツらに、用はない。

緑の炎が全身を包む。

この地域一帯に眠った力が、死んだ魔物たちに与えた残余が、俺の元に戻ってくる。

「ナバロ!」

フィノーラの聖剣が、俺に向かった。

「あんたには、話しがある!」

「そうか。だが俺にはない」

ここで殺しておいた方が、この先、俺がラクだろうな。

フィノーラの振る勇者の剣が、胸のすぐ手前を横切った。

「その力を制御出来ないのなら、あんたは悪夢を持つべきじゃないわ!」

振り下ろされる勇者の剣を、イバンのハンマーが受け止めた。

「なぜそんなことを、お前が決める!」

「言ったでしょ。私は聖騎士団なんて、大っ嫌いだって!」

フィノーラの聖剣は、イバンに向かう。

「あんたたち聖騎士団の連中が、エルグリム狩りにかこつけて魔道士の子供たちにしたことを、私は一生忘れない!」

火花を散らし、聖剣と聖槌が交差する。

「そんな連中に悪夢を渡すくらいなら、私がもらう!」

くだらない。

ふわりと体を宙に浮かせる。

先へ急ごう。

コイツらを黙らせるためにも、俺には悪夢が必要だ。

扉の奥へと飛ぶ。

フィノーラの言う通りだ。

そもそも俺に、こんなものを作らせたあいつらが悪い。

遠い記憶が蘇る。

魔道士の子供が忌み嫌われ、悪魔の子として葬られていた時代の話しだ。

逃げることを覚え、自分の身を自らの力で守ることを教えたのは、何だったのか。

「そこから抜けだしたいのなら、圧倒的な力をつければいい!」

悪夢とは、皆が言うような魔法石の結晶でも、力の残余でもない。

あれは装置だ。

有り余る魔力を蓄積し増幅させ、エルグリムの元へと送り続ける、供給機だ。

悪夢がある限り、いくら倒されても俺は死なない。

必ずこの悪夢が、俺の元へ魔力を送り続ける。

最後の扉が見えた。

その前に舞い降りる。

見上げるほどの高く頑丈な扉の前で、俺は呪文を唱えた。

『王の帰還だ。いまここに作り主は帰った。その力を解放し、我に全てを与えよ。そなたの役は目的を果たした。新たに生まれ変わり、次の使命を果たせ!』

大地が揺らぐ。

最後の扉が、静かに開き始めた。

乳白色に濁った淡い琥珀色の、縦に長い双角錐の物体が光る。

ゆっくりと回転しているそれに、俺は一歩を踏み出す。

パン!

薬莢の弾ける音と、火薬の臭い。

俺はサッと身をかわした。

「チッ。さすがに避けやがるぜ」

ディータの構えた銃口から、煙が上がった。

「おい、イバン。聖騎士団の弾丸じゃあ、悪夢は壊せないってよ」

振り返る。

悪夢の表面に、わずかなヒビが入っていた。

「貴様ら……」

俺のこの体が、全身が、怒りに震える。

ここまでやってきた道のりを、なんだと思っている。

お前らは何のために、俺をここまで連れてきた!

「悪夢に手を出すことは、この俺が許さん!」

その瞬間、フィノーラの持つ聖剣が左肩に落ちた。

ギリギリと肉に食い込むそれを押しのけようとするも、力が及ばない。

「今よ、イバン。ナバロはここまでに、もう随分魔法を使っている。そろそろ体力が切れるころだわ。この強い聖騎士団の結界のなかで、よくバレないと思ったわね。あんたはあんたの意識と体を保っているだけでも、精一杯だったはずよ」

「お前……。それを待っていたのか……」

「あら、どれだけ一緒にいたと思ってるの? グレティウス入りしてから、ほとんど魔力の補給はしていないし、休めもしなかったはずよ。溶け出しそうな体を、守るのに必死だったもの。聖騎士団の中枢本部じゃ、さすがに大人しかったものね」

ディータの銃口は、俺に向けられたままだ。

イバンはハンマーを片手に、悪夢へ近づく。

「これで本当に、ナバロの呪いは解けるのか?」

「どっちにしろ、一石二鳥でしかないだろ。さっさとやれ」

ユファの聖槌が、悪夢の前で振り上げられる。

「やめろ!」

風起こし。

爆風が吹き荒れる。

吹き飛ばされたフィノーラの前に、ディータが立ちはだかった。

「目を覚ませ、ナバロ!」

撃たれた弾丸は、聖騎士団の魔法弾だ。

それはわずかな黒煙を上げ、周囲に飛散する。

魔力を封じる、吸魔の粉だ。

「クソが! これくらいのことで、俺がくたばると思うなよ!」

呪文を、呪文を唱えなければ!

『魔力解放! 悪夢よ、力を!』

三人は、手に持った武器を同時に掲げた。

『聖剣よ、力なきものを守りたまえ!』

三人の声が重なる。

イバンの槌とフィノーラの剣、ディータのライフルが、正三角形のバリアを作る。

聖騎士団の紋章が光った。

聖騎士団の特有の、黄色みを帯びた緑の正三角形が、頭上を覆う。

抵抗しようにも、悪夢捜索用に支給された武器だけのことはある。

魔法攻撃に対する耐性がハンパない。

「あ……、悪夢に何をした……」

悪夢からの返事が、返ってこない。

この忌々しいバリアに、弾かれた様子もない。

「何もしてない。大人しくするんだ」

黄緑のバリアが、頭上に近づいてくる。

この殻を破ろうにも、この体に残った力だけでは、それも叶わない。

「ユファどもめ……」

聖騎士団の結界は、この世界の全てを包み込んでいたんだ。

俺は知らぬ間に、その呪いに冒されていたのかもしれない。

「ナバロ! お前が死んでも死なない体なら、もう一度やり直せ!」

ディータの言葉に、勇者の剣を持つフィノーラが動いた。

結界が落とされる。

「これでお終いよ!」

スアレスの剣が頭上に振り下ろされた。

それを避けようとする体に、ディータの投げた双剣が突き刺さる。

聖なる呪いを受けたの剣だ。

終末の叫びが、腹を突いてほとばしる。

三人の創り出した結界が、俺の体を包み込んだ。

「ぐあああ!」

俺を守っていた結界が、力によって破られる。

その力は全身を縛り上げ、圧迫する。

その圧力に、俺はなんの身動きも取れなくなる。

イバンは悪夢を振り返った。

その聖槌が、クリーム色の双角錐に振り下ろされる。

「もう悪夢など、ここに必要ない!」

その瞬間、俺の中で何かが砕け散った。

それはいま俺の目の前にある、悪夢なんかじゃない。

ガクリと膝をつく。

体から全ての体力が奪われてゆくのは、いつものアレか?

鉛のように重たくなった体が、ずしりと地面に倒れる。

「ナバロ!」

フィノーラの手が、俺を抱き上げた。

あぁ、そういえば出会った時から、俺はこの手に助けられていたっけ。

イバンの顔が、ディータの顔が、順番にのぞき込む。

伸ばしたその小さな少年の手は、本当に自分の手か?

力なく震えるそれは、ぱたりと落ちた。

俺は大魔道士エルグリムだ。

巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ罵倒され続け、決して愛されることはない。

だとしたら俺は、もう一度魔王として、復活するよりなかったじゃないか。

どうすれば、いつになったら、俺はこの世から認めらる?

死んでもなお生き返る呪いをかけたのは、俺自身だったのか?

それともこれが、罪にたいする罰だとでもいうのだろうか。

何に対する罰だ? 生まれたせい? やったこと?

悪だもんな。

当然の報いだ。

だから人に蔑まれ、殺されるのは、当たり前なんだ。

それを受け入れろ。

大魔道士エルグリムだ。

俺はまた復活するだろう。

それは永遠に繰り返される、果てしない呪いだ。

誰よりも最悪で、最も許されない、汚く下劣で醜い、浅ましく卑しい下等なこの世のゴミとして……。

何かの滴が頬に落ち、俺は目を覚ます。

「ナバロ起きて! 起きてよ、ナバロ!」

フィノーラの声だ。

目があったとたん、彼女は大声を上げた。

「気がついた! 気がついたわよ、みんな!」

辺りを見渡す。

ここはグレティウス、魔王城の最深部。

悪夢を設置してあった最後の扉の前だ。

開かれた扉の向こうに、破壊された悪夢が見える。

「壊されたのか?」

誰かの声が聞こえた。

それはどうやら、俺の口から出た言葉だったらしい。

聞き慣れているはずの声なのに、聞き慣れない感じがする。

「あぁ。……。多分、な」

ディータがのぞき込み、その顔を歪めた。

聖騎士団の紋章をつけた連中が、この地下空洞にあふれかえっていた。

「壊れるには壊れた。だけどまだ、壊れきっちゃいねぇ」

人混みの向こうに、半壊した悪夢が見えた。

欠けたクリーム色の台座の中に、どす黒く浮かぶ真球が浮かんでいる。

それは全ての光りを吸収する黒だ。

「だけどなぁ、ナバロ……。お前、死んだかと思ったぜ」

ふと自分の体を見る。

頸動脈は切られ、肩口は裂け、腹には大きな穴が開いていた。

結界を落とされた時の衝撃で、全身の骨が砕けている。

赤黒く染まった包帯が、血を吸った服の上から巻かれていた。

「……。また生まれ変わったのか?」

「は? 何言ってんだお前。助かったんだよ。奇跡的に」

ディータの手が、俺の頭を撫でた。

悪夢の側にいたイバンがやってきて、フィノーラの膝から俺を抱き上げる。

「帰ろう。動けないのだろう。手当と休息が必要だ」

イバンが立ち上がった瞬間、悪夢の本体は、その殻を破り外へ飛び出した。

驚きと戦慄が広がる。

それをあざ笑うかのように、黒の真球は広間の天上へ激突した。

「が……、岩盤を突き破るつもりだ!」

それは砲弾のように岩肌にめり込むと、そのまま山を打ち砕き、どこかへと消えてゆく。

「エ……、エルグリムの悪夢だ! エルグリムの魂が、またどこかへ飛んで逃げたんだ!」

それは空を飛び雲をまき散らし、山を越え街を飛び越え、とある場所へ落ちる。

俺にははっきりと、その場所が分かる。

「まだ悪夢は続くんだ。エルグリムは再び蘇る!」

大騒ぎの中を、俺はイバンに抱かれ運ばれて行く。

再び生まれ変わったエルグリムとして、もう一度。

いつかその正体を、誰かに話せる日はやってくるのだろうか……。

「ナバロ。体が治ったら、俺とルーベンへ行かないか?」

イバンは言った。

「ビビさまに挨拶をしに行こう。お前の聖騎士団への入隊を、楽しみにしている」

そのすぐ両脇を歩く、フィノーラとディータが言った。

「私は嫌だからね。そんなとこ、絶対に行かない」

「ルーベン? なんだってそんな片田舎に、わざわざ戻らなきゃならねぇんだ?」

二人の声に、イバンは笑った。

その目で俺を見下ろす。

「どうするかは、ナバロが好きに決めればいいさ」

「……。そうだね。傷がちゃんと治ったなら、考えてみるよ」

俺は大きな腕に抱かれながら、光りあふれる魔王城の外の世界へと、運ばれて行った。

【完】



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