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おてんとさまが見てなくたって
「悪いことはなぁ、したらあかんで。お天道様がみとる!」
誰かに言われた、というはっきりとした記憶はないんだけど、何となく自分の心の中にある。
よく、ジブリとかの世界で田舎のおばあちゃんが言ってそうだな、と思う。偏見かも。
ふと、思い出して。意味を調べてみた。
天の神を意味する言葉が「天道」で、だいたいが太陽のことらしい。空に高く昇っている太陽、つまり神様の前ではどのような善行も悪行もお見通しであるという意味なんだと。まあでも、なんとなく「お天道様が見ている」という言い回しで想像するのと一緒だった。
いい言葉だと思う、語感もいいしなんだか可愛いし?だけど私は神様を信じてない。
昔は神様がいると思ってたんだけど、誰かが「神様がいるならどうして戦争が起こるの。どうして子供たちは死んでいくの。」って言ってるの聞いて納得しちゃったんだよな。神様はいなくて、いや、いるのかもしれないけど、でも少なくとも神様は私たちの都合に合わせてはくれないんだよなって。すがったって仕方のないものなんだよな。
だからさ、悪いことはしたっていい、良いこともしなくていい。自分の思ったまま、やりたいことをすればいい。さぼったっていいんだよ。
うまく隠せば、なんだってやればいい。そうおもうよ、だってお天道様はみてないもの。
だけどさ、私は見てるじゃん。
悪いことをどんなにうまく隠して。すこし仕事をさぼって、他人をだまして。誰にもバレなくたってさ、
自分の行動は、自分が一番見てる。だから、毎日必死で頑張るんだよ。明日の自分を、今日の自分を認めるために。
過去はもう変えられないから、せめて今の自分はゆるしてやれるように、善い人になりたんだよな、神様なんてあやふやなもののためじゃなくて、自分のために。
けどこれまた意外なことにさ、自分のためにやってることは他人のためになってたりもするんだよな。不思議だよね。
だからさ、お天道様がみてなくても、結果的に私は善い人になるし、他人もなぜか喜ぶ。理由が違っても、結果が一緒ならそれでいいじゃんね。
私は私のために、今日も明日も明後日も、善い人でありたい。それが他の誰かにとっても良いことなら、なおさらいいね、くらいでいい。誰かのために生きてるわけじゃないし
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まあ、かといって全部が全部、うまくいってるわけではないんだけど。
でもそれがまた苦しくて、楽しくて、生きてるなあって感じがするんだよな、憎たらしい。でも、愛おしい。