木曽漆器とつくり手
長野県塩尻市の木曽漆器産地で
つくり手の方たちにお話を伺いました。
【漆とオリンピック】
漆器(しっき)といえば英語でjapanとも表現される日本を代表する伝統的工芸品です。長野オリンピックではメダルに木曽漆器の技術が用いられました。
当時はまだ小学生だったので、大人になって塩尻市の「木曽くらしの工芸品館」を旅行で訪れたときに初めて長野オリンピックのメダルを見ました。
そのときあらゆる光を吸い込み呼吸をしているような漆黒の美しさにすぐに心をひきつけられ、世界一かっこいいメダルをつくる日本の漆器の技術、職人さんはなんてすごいのだろうとワクワクしたのを覚えています。
そんな憧れの産地で話を聞くと、漆器をつくり続ける現場では国産漆の危機が生じていることが分かりました。
木曽くらしの工芸館 。長野オリンピックのメダルが展示されています。ここでは木曽でつくられた様々な漆器が購入でき、体験もあります。
長野オリンピックのメダル / 吸い込まれてしまいそうな漆黒と蒔絵で描かれた信州の山々が美しい。
【国産漆とつくり手】
国産漆は国宝や重要文化財の修理に必ず使われる日本の文化を支える大切な役割を担っています。
しかしながら、漆の木を育てる環境や人が減り続け、日本で使われる漆のうち国産漆はごぐわずかとなってしまいました。
こうした現状から木曽漆器の産地では
漆器のつくり手たちが協力して、5年前から国産漆の生育に取り組んでいるそうです。
【うるしの一滴】
ウルシは樹液がとれるようになるまで、成長に10年ほどかかります。1本の木から採取できる量はおよそ200cc(牛乳瓶1本分)、これを1年でとり終えるとその木は一生の役目を終えます。
日光が当たらないとウルシはすぐに枯れてしまうため、育てるには日当りがよく、1本ずつがのびのび育つ広い土地とこまめな草刈りが必要です。人の手入れがないと上手に成長できない非常に繊細な植物なのです。
10年育てた木は6月から10月の間に、少しずつ木に傷をつけてうるしをとります。その後、とり終えた木は伐採されることから殺し掻きと呼ばれています。
うるし掻き職人の竹内さんにうるし掻きの様子を見せていただきました。
力強く掻いた線から少しずつ漆が出てきます。
ウルシは傷を修復しようとして樹液を出します。その樹液を精製すると漆になります。
先ほどの一本の線から採れる量はごくわずか。まさに漆の一滴は血の一滴。ひとしずとも無駄にはできません。
【ウルシの生育現場】
今回は山間と畑で生育するウルシの様子を見せていただきました。
山間のウルシは鹿に木の皮を食べられないように幹の回りをネットで守っていました。
不思議なもので、人はウルシに触るとかぶれるのに、鹿や猿などはかぶれるどころか、ウルシが好物のようです。
ワインも有名な塩尻にはぶどう畑がたくさんあります。そのため、ウルシの成長にも適した場所がありそうに見えましたが、ウルシはさわるとかぶれるという意識が先行して、土地を借りたり確保するのが難しいそうです。
※人がむやみに触らなければかぶれることはありません。
山道の途中にあった細道を歩いて行くと…
鹿よけのネットが巻かれたウルシの木が生育されていました
【漆と共に】
こんなにも手間がかかる国産漆の育成を「漆器産地の責務」と話していた木曽漆器組合の方の言葉が印象的でした。
どんなことがあっても国産漆を絶やしてはいけないという強い想いと、木曽漆器をつくり続ける皆さんの誇りを感じました。
伝統的工芸品がこれからも続いて行くためには、つくり手の不足だけでなく、こうした素材の確保も重要です。
素材の問題は工芸品に関わる人だけでなく、地域の人たちの理解や協力も必要なのだと考えます。今回の訪問で工芸品が地域と一緒に生き続けることの大切さを木曽漆器から教わりました。
※長野オリンピックのメダル写真は木曽くらしの工芸館の方より特別にお借りしました。ぜひ、本物を見に行ってください!
木曽くらしの工芸品館
http://www.kiso.or.jp
塩尻までのアクセス
東京駅からあずさ号またはバスタ新宿より高速バスが出ています。
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