フジ子さんというひと ~フジ子さんの話1~
出逢いは、晩冬だった。
その頃、障害を持つ方に同行して外出のお手伝いをするという仕事をしていた私のところに、突然まわってきた話がフジ子さんの生活のお手伝いをすることだった。
パニック障害という病気のため、もともとひとりでの外出が難しかったというフジ子さんは、がんを患いその手術後に今度は足の調子が悪くなり、住み慣れた家を離れて私の担当する区に引っ越してきたばかりだった。
家の中では伝い歩きでなんとか行動できるのだけれど、外に出る時は車椅子に乗らないと動けないため、買い物や通院の際には必ず誰かがついていないといけない状況で、引っ越し直後ということもあり、フジ子さんと私はとにかくあちこち一緒に出かけることになった。
もうすぐ還暦を迎えるというフジ子さんは、毎日タバコをバカスカ吸い、テレビを見ながら悪態をつき、楽しかった昔の話ばかりしていた。
本当に少女みたいな天真爛漫さを持ったひとで、笑ったり怒ったり悲しんだり、喜怒哀楽をいつでも誰にでも素直に表現するところがとても可愛らしかった。
若い頃からずっと夜のお店をやっていて美しかったフジ子さんは、病後の自分の容姿をどうしても受け入れがたかったようで、エレベーターに乗り込むと必ず奥にある鏡に映る自分を見てため息をついた。
そんな彼女の様子に気づいていても、私はなすすべもなくただ車椅子の向きを少し斜めにして、話題を変えるしかなかった。
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お母さんよりは若く、お姉さんにしてはずいぶん歳の離れた、フジ子さんと私。
共通点はほとんどといっていいほどなく、この仕事をしていなければ決して交じり合うことのなかった世界のひと。お洒落で粋で、女性の私から見ても魅力的で可愛らしくて、思わず守ってあげたくなるようなひとだった。
そんなフジ子さんと、私は夏まで一緒に過ごした。
カレンダーにするとたった半年。
短いけれど、こんなにも生死をごちゃ混ぜにしたような、密度の濃い時間を誰かと過ごしたことははじめてだった。
そうして、人のいのちをほんの少しといえど背負うことができなくなった私は、まもなくその仕事をやめた。
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穏やかに、身の周りのささやかな人の輪のなかで暮らすようになった今も、ふとした拍子に、色や匂いや温度まで鮮明に蘇ってくる、フジ子さんと過ごした日々。
誰にも知られなかった彼女の最後の年のことを、こうして綴ってみたくなったのはなぜだろう。
あなたの話を書いてもいいかな、フジ子さん。
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