おかえり ~ふたりの時雨月~
「もしもし、詩織ー、今日15時に山下公園な。俺バイト行ってからそのまま行くから。迷ったら電話しろよ?」
「わかったー。さすがにもう、迷わないって(笑)」
彼と出逢ったあの日から季節がくるりとひと回りして、今年もまたうだるような暑さがやってきた。
わたしたちが迎えるはじめての、記念日。
山下公園にふたりで行くのはもう、4度目だ。
15時ちょうどに、氷川丸の前についた。陽太の姿はまだ見えない。
キョロキョロとあたりを見回していたら、いきなり両頬がヒヤっと一気に冷たさに包まれた。
「わぁっ、な、なに!?」
「ごめんごめん、ほら、あっちーから、これな。」
アイスコーヒーのカップを両手に持った陽太が、いたずらっぽく笑っている。
「さあさあ、こっちこっち。」
背中を押されながら鮮やかにサルビアとマリーゴールドが咲き誇る花壇のわきを通り抜け、芝生の広場に出るとちゃんと木陰の少し涼しい場所に見慣れたチェックのシートが敷いてあった。
「あれ?もしかしてだいぶ早く来てたの?」
驚くわたしに、陽太はニヤっと笑って「今日実はバイト早く上がらせてもらったんだ。だって大切な日だからさ。」と言って、小さな白い箱を差し出した。
恐る恐る蓋を開けてみると、華奢な糸で編み込まれた石のペンダントが出てきた。
わたしの好きなマリンブルーの糸で編まれた繊細なモチーフに、包み込まれるようにして大きな水晶らしき石が入っている。
「これって、もしかして、お守り?」
「そう、詩織のこと守ってくれる石。昔これに似たのをうちの母さんが持っててさ。石は持ち主のことを守ってくれるんだって言ってた。」
「そうなんだ。ありがとう。私の好きな色、よくわかったね。」
「そんなの当たり前じゃん。俺いっつも詩織のこと見てるんだから。」
照れ隠しみたいに海の方を見ながらそう言った陽太の肩越しに、ひとすじの飛行機雲がのびていくのが見えた。
ーーーーー
「ねえ、陽太のお母さんって、どんなひと?」
「優しいひとだよ。でもどんなにしんどくてもいつも無理して笑ってんだ。笑った顔がちょっと詩織に似てる。小さい頃、俺が守ってやんなきゃっていつも思ってた。」
そう言った瞬間、彼の表情がちょっと固くなったような気がした。
ドキッとした。
あんまり、聞いちゃいけなかったのかな。
「でも、今はもう、大丈夫なんだ。ちゃんと、守ってくれるひとがいるから。」
「そっか。それなら良かったね。」
「うん。それに、俺にはもう、ほかに守りたいひとができたからさ。」
「え?」
珍しく真剣な顔をして陽太がわたしの瞳をのぞき込む。
「詩織にはじめて会った時、本当はあの雑誌まだ読んでなかっただろ。俺が声かけたからどうぞって譲ってくれたんだよな。あの時、詩織がなんだかすごく悲しそうに見えて、このひとをこのままひとりで泣かせたくないって思ったんだ。」
なんだ、全部お見通しだったんだ。
そう、あの日とてつもなく哀しいことがあって、もう何もかも放り投げてどこかに行ってしまいたいような気持ちで、わたしはあそこに座っていた。
とりあえず手に取った雑誌をパラパラとめくってはみたけど、カラフルなページをいっぱいに埋める情報は何ひとつ、わたしの中に入ってこなかった。
静かな図書館の中で、誰も周りにいないんじゃないかと思うようなしんとした深みに沈み込んでしまいそうなわたしを、あのとき陽太のひとことが掬い上げてくれたんだった。
こんなにまっすぐに目を見て話す人を、はじめて見た。そう思った。
瞳で人をたぐり寄せることができるような、不思議な力強さを持った人だと思った。
わたしの頬にひとすじ、いつの間にか流れていた涙を陽太はなんでもないようにさっと拭って、ついでみたいに水晶のペンダントを首にかけてくれた。
ひんやりと重みのあるその石を掌で持ち上げてみたら、なんだか急にすうっと肩が軽くなったような気がした。
そのまま石を包み込むようにぎゅっと握ってみる。
「ねえ、陽太。この石があれば、陽太が側にいない時も安心していられるような気がするよ。本当にありがとう。」
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このところ陽太はなんだかずっと忙しそうで、会えない日々が続いていた。
独りの時間が長くなると、昔のわたしがふと顔を出しそうになる。
そんな時、どんよりと曇りだす気持ちにそっと寄り添ってくれるあのお守りの石があったから、なんとか毎日を平穏に過ごして来られた。
今日は久しぶりのデート。
タイミング良くふたり揃ってお休みが取れたので、鎌倉まで遠出してみることにした。心配していた台風も運良く逸れてくれて、うろこ雲がところどころ浮かんだ空はいつもより一層高く見える。
相変わらず見た目はいまいちなわたしのお弁当だけど、卵焼きだけは何度も何度も練習して、陽太の好みの味になんとかうまく焼けるようになったような気がする。
この季節の海、しかも平日となると、さすがに人の姿もまばらだ。
陽太は遠くの方で、砂浜を大きな犬を連れて散歩させている人と、何やらにこやかに話し込んでいる。
ふと、手前の空き地に目をやると、鮮やかな曼珠沙華の大群が咲き誇っているところがあった。曼珠沙華を見ると、なんだか見てはいけないものを見てしまったような、なんとなく怖いような、ざわざわとした気持ちになる。
この花の赤は、わたしには強すぎる。
心の中に不安の渦が広がる前に、急いでそこから目をそらした。
足を早めて空き地のわきを通り過ぎる。
砂浜に続く石段のところまで来たら、季節はずれの向日葵が一輪、少しうつむきかげんに咲いているのが目に入った。こんな季節に?と驚いて近くまで寄ってみたら、しおれかけた花びらのくすんだ黄色の中に、種になりかけのたくさんの粒々が息づいているのが見えた。
真夏には太陽に向かって一斉に咲き誇っていた花もやがて枯れはじめ、もう次のいのちが目を覚ます準備をしている。
眩しいものが苦手なわたしには、このくらいの色彩がちょうど良い。
なぜだか目を逸らせずにじっと向日葵を見つめていたわたしを、陽太の声が現実に引き戻した。
「詩織ー、どうしたの?俺お腹空いちゃったなー!あっちに場所取っておいたから、そろそろお昼ごはんにしようか。」
「うん、わかった。じゃあ、お弁当そっちに持って行くね。」
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お昼を食べ終わったら急に、なにもすることがなくなった。チェックのシートに置かれたふたつのカップには、陽太が淹れてきてくれた珈琲が湯気を立てている。
陽太といると、こうして時間の流れが止まったようになることが、よくある。
特になにかを語らなくても、黙って砂の上で少しだけ重なり合った指先から、すべてが伝わるような気がするから、それでいい。お互いがそう想い合っていることが、静かに伝わってきた。
波の音を聞きながら砂浜にふたりで並んで座って、ぼんやりひなたぼっこをしていたら、陽太がぽつりと言った。
「詩織、俺は詩織と一緒に、暮らせたらいいなと思う。こうしてどこかに出かけて別々に帰るのはもう、嫌なんだ。毎日うちに帰ってきて、そこに詩織がいてくれたら、俺すげー安心できる気がするんだ。」
「陽太…。ありがとう。わたしも陽太と一緒に毎日いられたらすごく嬉しいよ。陽太におかえりって言える毎日だったらいいなって、ずっと思ってたよ。」
この人となら、ゆっくりと同じ歩幅で一緒に歩いていけるかもしれない。
涙がこぼれそうになって思わずうつむきかけたわたしの左手を、勢い良く陽太が掬いあげた。
「ほら、この石は俺たちを守ってくれる約束の石だよ。」
いつの間にかわたしの薬指に、水晶よりも眩しい煌めきを放つ、小さな石が光っていた。
陽太って、やっぱり手品師みたいだ。
わたしは空を見上げて泣きながら、笑った。
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胸に光る大きな石は、わたしを守ってくれるひかりのしるし。
指に光る小さな石は、ふたりの未来を導いてくれる虹のしるし。
心と身体、どちらも守ってくれるような、ふたつの石たち。
陽太とこの石たちが側にいてくれれば、こんなわたしでもきっと、強くあれるような気がする。
澄み切ったふたつの石を高い空に透かしてみたら、眩しい太陽の光を受けてどちらもキラリと輝いた。
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ー完ー
☆INSPIRED BY☆
『Life's like a love song』 yaiko
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☆前編☆