引き寄せより押し寄せよう、いつも
最近、なぜだか意識していないのに神社やスピリチュアルなものにやたらと縁がある。
昨日、また不思議な出逢いがあった。
以前この記事で書いた『前者後者論』について、そもそもの提唱者?発見者?である、心屋仁之助さん。
この『前者後者論』が世に出た頃、ドはまりしていたわたしは「なんてすごい理論なんだろう!?これは世紀の大発見だ!!」とひとり興奮しながら毎日心屋さんのブログを読ませてもらっていた。
が、その興奮もやがて冷め、前者後者論については自分の中である程度言語化できるようになったので、彼のブログを読むことも減り、今では周りのひととコミュニケーションを取る際に、知っているひととは「あー、それあるある!」と楽しみながら、知らないひとにはこんな視点があるんだよってことを伝えながら、自分と他者とを知るための共通言語とさせてもらっている。
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そんな中、先日の旅の続きでまた旅に出ていたわたしたち一家。
今回の旅では25日に長野の戸隠神社を参拝予定で、24日夜に諏訪へと向かい、そこで一泊して未訪だった諏訪下社を回ってから、車で戸隠奥社へ進もうと計画していた。
戸隠神社は以前に中社だけ参拝したことがあるのだけれど、諸事情があって奥社に行くことができず、今度こそは奥社にお詣りしたい!というのが旅の大きな目的となっていた。
その夜ふとTwitterを見ていたら、たまたま心屋仁之助さんのブログが目に留まり、久しぶりに開いてみたら、なんと戸隠奥社に行かれていて、そのあたりは雪で大変な状況っぽかった。
ノーマルタイヤで何も考えずのほほんと来てしまったわたしたち、これを見て「ええー、奥社もしかしたらまた無理かも!?でも行けるとこまで行ってみよう!」と覚悟して、とりあえず現地を目指すことにした。
ブログを読んで、あまりに軽装すぎたわたしと娘は、途中で撥水防寒の上着と長靴、さらに手袋など、もし行けたら万全の装備を!と、たどり着けるかもわからないくせにいろいろ買い込んで、準備は万端。
奥社の入口までは、意外とすんなりたどり着けた。
あれ?来れちゃったね。
なんかみんな奥に歩いて行ってる。これは参拝できそう?
ってことで、いざ出陣。
雪をかぶった狛犬さんが可愛すぎて何枚もおんなじ写真を撮る(笑)
そうこうしていたら、奥の赤い門から現れた見覚えのあるお顔…
そう、なんと心屋仁之助さんご本人!!
えー!朝ここへ向かうときになんとなく、もしや!?ってチラッと思ったのだけれど、まさかの、本当に遭遇するなんて!!
反射的に「昨日のブログ読みました!」と迷わず声をかけていた。
少しお話させてもらって、同行されていた地元の方に、すぐそばの景色のきれいな場所を教えていただく。
すでにひとりでそっちで遊んでいた娘は「あそこわたしが見つけた場所やのに!なんなん、みんなズカズカ入ってきてー!」とブツブツ文句を言っていた(笑)
そしてもはやわたしの神社あるあるになってしまった、この画像を最後にタブレットの電源が落ちて、肝心の奥社の堂々たる杉並木はまったく撮れていないというオチ(苦笑)。
素敵な出逢いにまた心が踊る一日となった。
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タイトルの「引き寄せより押し寄せ!」は、坂爪圭吾さんがいつも言っている人生を楽しむための法則?で、あんまりにもわたしの性質にぴったりすぎていつも勝手に使わせてもらっている。
回遊魚、かつ押し寄せ族、の私はとてもひとところにじっとはしていられない。
不要不急の外出うんぬんと言われようが、わたしにとっては不要でも不急でもないのだ。
刻一刻と成長していく娘の無邪気な笑顔を、こうして側で見られるのはいまこの瞬間しかないし、年中多忙な夫がこんなに自由にスケジュールを気にせず出かけることができるのも、今しかない。
こうして家族で出かけていても、雪山で事故って2分後には死ぬかもしれないし、引きこもっていても突然重篤な病気が見つかって、来年まで生きていられないかもしれない。
誰になんと言われても、家にじっと閉じこもっているという選択肢は、わたしにはない。
出歩いていて感染源になってしまったら、とか、自粛ムードの中こんな記事をあげて、とか、批判の声は多かれ少なかれあることは承知のうえで、それでもわたしは書き続ける。
ここでも、他の場所でも。
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Twitterで始めた、一日一筆の文章。
今日たまたま開いたページがこれだった。
ここまで書きかけで下書きに入れていた文章を読み返してみたら、あまりにもリンクしていて驚いた。
先日の曼荼羅ライブで、観客も一緒になって、みんなで唄ったこの曲。あの瞬間はなんてタイムリーな曲なんだ!と思っていたけど、世界がこんな風になる前から、圭吾さんはずっとこのことを伝えてくれていたんだ。
わたしはどんな時でも、このことばを心に刻んで生きていたい。
死なないように 死なないように 死なないように
生きても死ぬんだよな
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毎回思い切って足を踏み出すたび、不思議なご縁に驚きながらも、なんとなくそんな気がしたから、で歩み出した先には素敵な出逢いがあるんだなぁと確信するような出来事が必ず起こる。
わたしの人生はやっぱり、いつでも直感と流れに任せて進んでゆくしかないようだ。
水が流れを止めたとき、それは澱みとなり腐ってゆく。
絶えず流れ流れて、行き着くところへと、導かれるままに。
長野から富山へと入った今日は、当初予定していた場所へ行けなくなり、変更に変更を重ねて、流れに任せた結果。なんと、富山湾でなかなか見られないという蜃気楼を運良く見ることができた。
引き寄せよりも、押し寄せ。
大好きなことば。
自分の気持ちを抑えることなく、あふれて押し寄せた先で見られる素敵な景色に、わたしはいつも出逢いたい。
We are blessed…
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。