そばめしという孤高の存在
そばめし、と聞いてピンと来ない人がいるなんて、初めて知った十数年前。
衝撃だった。だって、あの、そばめしよ?知らんなんてこと、ありますのん?
20代なかばにして生まれ育った関西圏から「トーキョー界隈」へ進出することになった私は、そこで「トーキョー人」たちの発言から数々の衝撃を受けることになる。
この人たちはそばめしはおろか、すじこんやかす焼き、オムそばですら知らんの?
え?牡蠣のお好み食べたことないやて?ウソやろ?マジで言うてる?
「私の身体はワインでできている」との名言を残した川島なおみばりに、血液の3/4くらいはソースでできているといっても過言ではないコッテコテの関西人であった私にとって、お好み焼きとたこ焼きと焼きそばとそばめしは、まごうことなきソウルフードである。
オカンのやる気が閉店ガラガラ!の、昭和の土曜日の昼ご飯は95%粉モンと決まっていたし、夕食がお好み焼きだった日の翌日の弁当箱には、ぞんざいに二つ折りにされたお好み焼きが詰め込まれているのがデフォルトであった。
だから、そばめしを知らない人がこの世にいるなんて、考えたこともなかった。
冷蔵庫にお好み焼きと焼きそばとトンカツのソースはそれぞれ用途別に並んでるもんちゃうの?あ、ウスターはまた別やで。
「ゴミほかしといて」が、「この服サラピンやねん」が、通じひんなんて!なんで?そんなん、うち、聞いてへんかったよ!なんでぇ?
兄ちゃん、なんでほたるすぐ死んでしまうのん?
節子ぉぉぉー!
すみません、一部音声の乱れが発生いたしましたこと、深くお詫び申し上げます。
そんなわけで、関東のお好み焼き屋で焼きそばとガーリックチャーハンはあるのにそばめしがなく、品書きに牡蠣バターと貼ってあるのにお好み焼きに牡蠣をのせて焼いてもらうことはどうしてもできないと言い張られ、脱力感にうちふるえながらトボトボ帰ったあの夜道のことは一生忘れられない。
関西人にはどうしてもすじそばめしが食べたい夜があるし、そばめしにはやっぱりどろソースが必要なのだ。焼きそばでは力不足であり、モダン焼きでは胃が重い。
そんなたいそうなもんちゃうちゃう、という風情で目の前の鉄板に滑り込んできたあっつあつのそばめしを、コテで直接ほおばる瞬間に勝るものはない、そう心から思う次第である。
とかなんとか言いつつも、画像はオムそばめしで肝心の中身がオムの掛け布団に包まれてしまって全然見えないし、持ち帰り用のプラ容器に入れられてもう熱々でもなんでもないのだけれど。
個人的にはそばめしにマヨは邪道やし、紅ショウガもいらんのやけど、それですら有無を言わさずひたすら旨いというそばめしのポテンシャルよ。
ありがとう。貴方にはいつまでも、孤高の存在であってほしい。