あれからちょうど三年
2021年の今日、わたしの宝物だった愛犬がわたしの元を去った。
4月で17歳になるはずだったから、長生きと言えるし、寝たきりにもならず、大病もせず、普通に生活していたのだから、きっとあの子なりの天寿を全うした、と言えるのかも。
平日は朝から夜までフルタイムで働いていたわたしは昼休みはどんなことがあっても彼女のお散歩のために帰宅していたが、3年前の今日は日曜日。それも昼だったから、妹や友人が心配してその日は何人も家に来てくれた。わたしのそういう時間的な事情もわかっていたのか、と思うような、妙にできすぎたタイミングだった。
観葉植物も枯らすわたしがちゃんと育てられるか自信もなかったのに、2004年にペットショップのガラス越しにつまらなさそうな顔で寝ている彼女をみつけてから即決定。当時ほぼ3か月になろうというこいぬだった。
たぶん、出会いってそんなものだと思う。
そこからわたしの生活はがらりと変わり、しつけをがんばった。犬育て初心者のわたしは、三か月目から訓練士さんにもついてしつけをしたが、あの子はわたしのわかりにくい指示にいろいろ迷ったことだろうと思う。
1歳で連れて行ったドッグアジリティーフィールドで、登ったりおりたり楽しそうな顔をしていたのが今でも目に浮かぶ。
その後はいっしょにドッグアジリティーに夢中になり、わたしの休みの日はアジリティーフィールドで訓練したり、国内の競技会に参加したり。
結局イギリスやベルギーの競技会にも出ることができた。それなりの成績も出せて、いっしょに何度も表彰台にものぼった。
ごはんよりもおやつよりも、わたしとアジリティーをするのが好きな変な子だった。
10歳過ぎて、アジリティー競技からは遠のいても、アジリティーフィールドには遊びに行き、あの子なりに楽しんでいた。
わたしが習っていたフラメンコ教室に一緒に連れて行ったり、フラの教室にも連れて行ったり。
犬がOKなレストランにも行ったり。
バス、地下鉄、新幹線、飛行機、フェリー。犬にしてはいろんな乗り物も制覇したと思う。
あの子がいたおかげでできた友人たちは、今でもわたしの大切なひとたちだ。
彼女がこの世からいなくなったときは、数日間食欲がゼロになった。本当に悲しいときは、体は何も欲しないのだ、とあとになって思った。
ちょうどコロナの時期で、お葬式も人数制限があったが、何人もお別れに来てくれた。
それまでにアジリティー仲間の犬たちを何頭も見送っていたから、新入りの彼女と仲良くしてね、と手土産に小分けにしたおやつをたくさん持たせた。かわいがってくれていた友人のお母さまから彼女あてにいただいたたくさんのお手紙もいっしょに持たせた。犬なのにこんなにお手紙をたくさんもらえる子ってなかなかいないよ、って言いながら。
彼女の骨を見たときはじめて、ああ、本当にあの子はいなくなったんだな、と自覚した。
でもなぜかその時、すっと心も軽くなった。お葬式って、心を軽くする儀式なんだって、その時気づいた。
そして、これからいつわたしがそっちに行くかわからないけれど、死んだらまた会えるよねって思えるようになった。
そういう意味では死ぬのがまったく怖くなくなった。
彼女の血統書名は「ダイヤモンド」。大きな高価なダイヤモンドではなくて、小さくてきれいなカットなイメージかな。
今日はたまたま午前中があいたので、近所のたまに行く優しいオーナーのお花屋さんでピンクの百合を買ってきた。
彼女がいる頃は毎日写真を撮っていたから、Google photoは彼女の画像ばかり。最初のころはGoogle photoがおせっかいにもあげてくる「あの頃」的な画像がつらくて見れなかったけれど、このごろはやっと見れるようになってきた。
もう三年たったのかあ。でも月日がたつということは、また彼女と会える日が一日一日近くなっているのかな、と。そういうカウントダウンもいいのかな、と思ったりする。
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