短編小説 0019意識高い系の誤算 1409文字 2分読
俺の目の前に、いつものおじさんが吊革につかまっている。
いつもなら次の所沢駅で俺は降りる。降りたら俺が開けた席にこのおじさんが入れ替わり座るという、毎朝のルーティーンがある。
しかし、今日は違う。俺はもっと先の池袋駅まで行く。
取引先に行くためだ。
そんなことをおじさんはもちろん知らない。だから俺が所沢駅でいつものように席を開けることを、いつものように待っている。
そんなことを思うと、いてもたってもいられない。
だって今日は、終点の池袋まで行くのだ。
ああどうしよう。このままおじさんを目の前に立たせたまま、俺は座って池袋駅まで無事にたどり着くことができるのだろうか?
軽率だった!
もっと用意周到に、詳細に今日の計画を立てて置くべきだった。
違う車両に乗ればこのおじさんと会わずに済んだのに。心安らかに落ち着いて池袋まで行けたのに。
いつものようにいつもの車両の同じ席に座ってしまった。
今日一日だけでよかったのだ。
俺の浅はかさに嫌気がさす。
しかし、このまま座っていても別にどうってことはない。
電車の座席は早いもの勝ちだ。
もちろんご老人や明らかに座った方がいい人がいれば秒で譲る。
一応おじさんを観察しておくか。体調が悪そうだったら譲ればいい。なにか様子がおかしければそうすればいい。
うん。全然健康そうだ。
おじさんはいつものように座れると思ったら座れなかったと、残念がるかもしれないが、俺には何の罪もない。
だからこのまま堂々と座っていればいい。
もうしょうがない。
寝たふりをしてやり過ごそう。
おじさんに対して謎の罪悪感があるのはなぜだろうって感じだが、明日からいつものように所沢駅でいつものように降りるから、おじさんはどうぞ安心して欲しい。
でも今日は、今日だけは、俺は負けない!
「所沢~所沢~。新宿線はお乗り換えです」
所沢駅に到着しアナウンスが流れる。
ここが勝負どころだ!
大丈夫、普通に寝たふりしていれば問題ない!
その時、トントンと肩をたたかれた。
「お兄さん、所沢ですよ」
目の前のおじさんだ。
「あ、はい。ありがとうございます」
俺はそういって飛び上がるようにホームに出た。
なぜか俺はどう反応してよいかよくわからず思わずホームに出たのだ。一瞬プチパニックになったが、急いで隣の車両に乗らねばと思った。いやまて、池袋かどこの駅で降りるか知らんが、おじさんと会ってしまうと気まずいので念のため2両離れた車両に乗り込んだ。
立ったまま、ぎゅうぎゅう詰めの車内に押し込まれた。
おじさんはいつも俺が降りる所沢駅で降りず、寝過ごしてしまっているのではないかと心配して、俺を起こしてくれたのだ。
きっと。
なぜこうなってしまった?
心穏やかに、落ち着いて取引先に行く予定が、大幅に乱されてしまった。おじさんのせいだ!いやおじさんは関係ない。人のせいにするんじゃねえ!俺の未来予測の甘さの結果だ。大丈夫、約束の時間には余裕で間に合う。
この世の中何が起きてもおかしくない。だからイレギュラーを恐れるな、楽しめ!今このプレッシャーを味わっているのは世界でお前しかいない!今を楽しめ・・・ってどこかのサッカー選手が言ってたしな。
いま全く身動きが取れないぎゅうぎゅう詰めの車内で、おじさんの優しさを感じつつ、俺の甘い計画性のこの結果を、一生懸命自分の人生経験に落とし込もうと頭をフル回転し整理している。
「どんな経験も自分のプラスにしてやるぜ。俺は意識高い系だからな」
おしまい。