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短編小説0008怖くて不思議な話 #003 産む女   前編/三部 6359文字 8分読

前編

youtube朗読やってます。
https://youtu.be/2zUHW7Buvnc

「オギャー!オギャー!オギャー!」
「おめでとうございます!女の子ですよー」

知ってる。

あやは、腹の中でつぶやいた。女の子か男の子かは超音波検査で既に知っていた。
だから、看護師の、紋切り型の祝福がうるさいとさえ思っていた。
「あー産まれたー!ありがとうございます!」
夫は喜んでいる。でも落ち着いている。慣れている。八人目だから当然だ。
あやも妊婦さんとしてはベテランもベテラン、比較的短時間で何も問題なく、母子ともに健康で出産を終えた。
今産まれた娘は、お兄ちゃんが一人、お姉ちゃんが六人いる兄弟の末っ子として産まれてきた。

看護師はタオルでくるんだ赤ん坊を、顔のそばまで寄せ、寝かせてくれた。
赤ん坊だから、やはり自分の子であるからかわいくない訳はない。
でも、違う。
女の子ではない。
男の子が欲しかった。

男の子は一人いる。
でももう一人欲しい。
「男は一人いるから、もういいじゃないか」
夫はそう言うが、あやは、どうしても欲しかった。
だからすごく残念だ。今度こそ、今度こそと八人も作るが二人目はなかなかできない。
令和の時代、三人子どもがいれば結構なレア家庭だ。八人はインパクトがある。
この地域でこんなに子だくさんな家庭はない。
あやは、娘を産んだばかりだがもう頭の中では、次こそ男の子が欲しい、と考えていた。

しかし、次の子が男の子であるかどうかはわからない。
「もう、無理だぞ。これ以上世話できないだろ」
夫は理性的に、八人目ができたときも、堕ろそうと提案したがあやは、頑なに拒否した。

七人目のときも同じようなやり取りをした。
六人目も、五人目も、四人目も・・・。
夫の稼ぎはそんなに多くない。手取りで二十数万円程度。あやは、専業主婦で、働いていない。国から支給される児童手当十万円程度、そして前夫からの養育費五万円で毎月四十万円ほどが一家の収入だ。
八人の子どもは中学三年生の長女から、一〜二年おきに産んでいる。唯一の男子は四番目の九才だ。
なぜもう一人の男の子にこだわるのか?

「もし、一人目が死んだら女の子しかいなくなっちゃうでしょ。だからもう一人欲しいの。男の子はずっといて欲しいの」
あやは、極めて素直に、嘘偽りなく思いを吐く。全くよどみもためらいもなく、罪悪感や、後ろめたさ、懐疑もない。

夫はあやの考えが理解できない。
あやは女の子が嫌なのではない。子どもは全員かわいいと思っている。でも男の子が、どうしても二人は欲しい
「そんなのスペアみたいで、亮太がかわいそうじゃないか」
亮太とは唯一の男の子の名前だ。
「そういうことじゃないの。亮太だって男の兄弟がいればすごく嬉しいと思うの」





あやは、小学三年生の時に、実父を交通事故で亡くしている。
とても優しく、家族を愛し、家族に愛された父だった。
あやは、父のことが大好きだった。
その幼い時に突然父親がこの世からいなくなり、母子家庭となったが、一年もしないうちに母は再婚し、継父が家にやってきた。
あやは、全く継父になつかなかった。

「あの人はお父さんじゃない!」

そう言って母を困らせた。
父が死んでまだ一年しか経っていないのに、母はもう父を忘れてしまったのか?あんなに優しくて頼もしかった父を裏切っている。そんな気持ちになり、あやは、悲しかった。
母としては、それは全くの誤解で、母なりに悩み、苦しみ、経済的な計算ももちろんあり、母子だけでは、幸せな生活の維持、あやの未来を希望に満ちたものにすることは困難だと考えた結果だった。
新しい夫は、人間的にも尊敬できる人だったし。
そんなつもりだった。

継父はどちらかというと優しかったが、あやは、受け入れず、あからさまな反抗を示し、さらに中学に進学し思春期に入ると、次第に何も話さなくなった。

大好きな父がいなくなった家に、赤の他人が、自分が父親だと主張し自分の家に住み着いている。同じ屋根の下に住んでいることが気持ち悪くて仕方がない。
母も母だ。
なぜ、あんな異物を家に連れてくるのか。
「お父さんが建てた、お父さんの家だよ、ここは」
あやは、そんなふうに思っていた。

あやが中学二年生の時に突然継父が消えた。仕事場の建設現場での転落事故で亡くなった。

後始末は大変だった。
母はその当時やっていたパートの仕事を休み、葬式の手配や死後の整理など、慌ただしく対応に走り回った。
継父にはろくな貯金はなく、むしろ葬式とか死後の整理に使ったお金は母の持ち出しの方が多かった。

母とあやは、再び母子家庭となった。

あやにとっては、人の死が関わっているので、あからさまに嬉しいとまでは言わないが、胸の中のよどみが一瞬で消えたような清々しい気持ちでいた。

母は違った。
これからどうやって母子で生きて行こうかと、途方に暮れた。
人生で、二度も伴侶に先立たれた。
夫と結婚したら、八十才とかせめて七十才まで連れ添うものだと、根拠も確信もないが、まあそうなるだろうと漠然と想像していたのに。
女の方が長生きするのだから、夫に先立たれることは考えた。でも数年なら、最期のおまけといってもいい余生を一人で暮らすことは多少の寂しさがあろうが、まだ納得がいくだろう。
そんなことは何となく考えていた。
でも私はまだ三十九才なのに・・・。
若くして二人も先に逝ってしまった。

なぜ私だけ?
私は人様に後ろめたいことをしているというのか?だからこんなに酷い仕打ちを受けるのか?
いや、そんなことない。
特別、徳を積むようなことはしていないが、毎日の生活を、平凡だけどしっかり守っている。
家庭を自分なりに支えているという自負がある。
娘のあやをちゃんと育てている。
それの何が悪いというのか?

母は自問した。

答えなんか出るはずもない。
でも納得がいかない。
苦しみが押し寄せてくる。
でも、冷静に考えれば単なる偶然だ。単なる事実だ。
世の中で未亡人と呼ばれる人はたくさんいる。
たまたま私は夫二人がそうなってしまった珍しいケースなだけだ。
ただそれだけだ。

だから母はまた思い直した。
やはり幸せになるには私たちには夫が、父親が必要だと。一人目の夫を亡くした時と同じく、そういう結論に達する。
だから再び三人目の夫を真剣に探した。

母は三回目の結婚をした。
あやが高校二年生の夏のことだった。
母が言うには、二番目の夫と同じく一緒に住むのだと。
あやは、やはり反対した。
前回の継父が家にいた時の嫌な思いをまたするのかと思うと、絶対にお断りだ。
それにあやは、大学進学を希望していた。
そろそろ受験勉強に専念したいと考えていたところだから、それどころではなくなる。集中できない。あやにとってはとても受け入れられることではなかった。
この三年間母子家庭で母とうまく平和にやってこれたのだから、あやは、ずっとこのままでいいと思っていた。不安がないわけではないが、母との生活に不満はなく、むしろ穏やかでいいと感じていた。

「ああ、でも母は違うんだな、夫がいないとダメなんだな。私の気持ちや本当のお父さんの事はあまり大切じゃないんだな」
と、少し、母を諦めるような気持ちが産まれてきた。

三人目の父がやってきた。と言ってもあやは、実の父親以外は父とは認めなかった。だから一度も「おとうさん」と呼んだことはなくその人の苗字で呼んでいた。
幸いというのか、三人目の継父も穏やかで優しい人ではあったが、あやは、心を開かなかった。

それは継父に心を開かないというよりも、母に対する反抗心の裏返しであったかもしれない。

あやは、大学合格を機に家を出ることを心に決めた。
だからどうしても、何としても大学に合格しなければならない。
そして家から通えない遠いところばかりを受験した。
うちは、お金がない。そんなこと構わない。
アルバイトでもなんでもやる。奨学金も借りる。自分で全部やってやる。そんな気概でいた。

あやは、猛勉強の結果、見事、現役で福岡の公立大学に合格した。
できるだけ遠い場所、そう簡単に帰れないくらい遠いところ。大学を選ぶ優先順位一位は場所で、学力や、学科などは二位以下だった。
実父の家を離れるのは不本意だが、継父と理解のない母と一緒に暮らすのはもう限界だ。だからあやは、晴れ晴れとした気持ちでいた。福岡の大学にキラキラした新しい世界が待っているという感覚ではなく、この忌々しい家から抜け出せることが、本当に嬉しかった。早く逃げたかった。

母はあやが遠くの学校に行くことをよく思っていなかった。大学に行くことはあやの好きにすればよいが、家を出てアパート暮らしをするほどの遠くに行くことは本意ではなかった。
一緒に、安心して生活するために夫を見つけてきたのに、良かれと思ってやってきたことがあやを遠ざけている。
しかしながら、親として、大学の費用、福岡での生活費を全くと言っていいほど支援できない後ろめたさがあり、あやの意志の固さに折れ、家を出て大学生になる事を認めた。

あやは、在学中かなり頑張った。
実家からの仕送りはほぼゼロ。だからあやが想定していた通り、自力で全てをまかなった。あやは、四年間新聞奨学生として学費と生活費を自力で稼ぎ出した。
新聞配達所の二階が寮になっており、住み込みの形で働きながら大学へ通った。
殆ど夜の時間と言っていい早朝から新聞配達の準備が始まり、仕事が終わるのが六時過ぎ。その後仮眠してから大学に通う。夕刊配達があるので午後は二時には帰る。かなりハードだ。
新聞配達所で働く人は圧倒的に男性が多く、女性はあや一人だった。
ハードワークでありながら、皆、黙々と働く。誤配はごくまれ。誰かが休みであれば、他の誰かがその人の担当エリアを代わりに正確にこなす姿に、感嘆と尊敬の念があふれる。
寮には同じ大学に通う三年生の男性の山本という先輩がいた。同じく新聞奨学生だった。すぐに打ち解けた。
二人は始めのうちはペアになり、あやは、彼から仕事を教わった。
最初は仕事を覚えるのがとても難しかった。
新聞の種類もたくさんある。そのうえ配達宅を正確に、かつ効率よく回る事が求められる。ひょうひょうとこなす諸先輩方の仕事振りは神業のように見えたし、自分がそんな領域に達するとはその時は全く想像ができなかった。
新聞配達と大学生活の両立は、はじめのうちはものすごく辛かったが、一ヶ月もすると慣れ、慢性的に寝不足気味ではあったが、若さと気合でなんとかやっていた。
ただ毎日規則正しく、無欠勤で働いていたから、サークル活動や、いわゆる学生らしい華やかなことなど、自由な時間を設けることはできない。

でも、充実しているといえばそうかもしれない。
大学生なんだから学業が本分。遊びなんて必要はない。正しい大学生をやっている。しかも私は自分で学費と生活費を稼ぎ出している。
「今の日本に、こんなに立派な大学生はどれだけいる?」
あやは、辛い時は、家を出た覚悟を思い出し、自分を鼓舞し、耐え、そしてそんな自分を誇った。
それは同じ新聞奨学生の山本先輩がいたことが大きく影響している。
強い気持ちでこの地にやってきたつもりだが、やはり一人では挫けそうな時もあった。だが、同じ仲間がいると思うと心強かった。
山本先輩は、家庭の事情で新聞奨学生をやっていると話してくれた。やはり金銭面で親の援助はないから自分でやるしかないと言っていた。あやとはおよそ似たような境遇だ。
部活動とかサークル活動とか、友達と旅行とか、大学の授業以外の事をできたらやってみたいが、新聞奨学生をやっている以上無理だ。諦めている。だから交友関係が限られる。その若干の寂しさと、今自立して生きているという自負が自分の中で同居している、新聞奨学生仲間でしか分かりえない切なさを共有した気がした。

二人は学校で会えば立ち話をしたり、時々一緒に昼食を食べたりするような仲になった。似たような境遇で共に頑張っている、戦友のような絆というか、頼もしさをお互いに感じていた。
いつしかお互いに異性として意識し始めた。それは似たもの同士の独特な嗅覚が自然に互いを引き寄せあい、そうなる事が当たり前のように恋人同士になった。
深い仲になってからはお互いの事を深く知った。知って欲しかったし知りたかった。

山本先輩の家庭は壮絶だった。
山本先輩の母が新興宗教に献金し続け、現金がなくなれば土地や家を売り払い、全てスッカラカンになっても、あろうことか消費者金融にまで借金をしまくった。当然母本人の力では後始末がどうにもならないので、家族が借金の肩代わりをするが、どこにいくら借りているのか全てを把握できないくらい酷かった。
家族は母に振り回され続けた。
お父様が何とかできなかったの?とあやが聞くと、ある程度はやってくれていたという。ある程度というのは、結婚を機に父は母方の家に入ってきた手前、あまり大きな顔ができなかった事が理由だ。母方の一族はどちらかというと資産家でアパートを持っていたり、不労所得のある家庭だった。
母の奇行が酷くなったのは母方の祖父が亡くなった直後だ。一人娘で小さい頃から父親っ子だった山本先輩の母は、自身の父の死に相当なショックを受けていた。ふさぎ込み、会話がなくなり家族が心療内科に連れ出すが全く上の空で、このままでは自死してしまうのではないかと家族は相当心配し、目が離せなかった。
そんな極端に精神衰弱したタイミングで新興宗教に捕まえられたのだ。
「あなたの土地は呪われている。お父様は地獄にいる。あなたの家族のためですよ。全ては献金することで信仰心を表明できるのです。金額は多ければ多いほど幸せに近づくのです。お父様も天国に向かえます」
と、普通に聞けば到底理解し得ない言葉を並べ、なぜか山本先輩の母はその言葉を真に受け言われるがままに金を貢ぎ、生気を取り戻していった。あんなに家族が心配し献身的にサポートしていたのにも関わらず、全く想定外の方向から立ち直った。

山本先輩の父は婿様であり、妻方の家の財産に関して口出しはできない。というより、山本先輩の母はあっという間に現金を銀行口座からおろしたり、土地の登記などを誰の相談もなしに勝手に持ち出し、それを担保に借金をしたりしていた。だから既に事が済んでから事態が発覚したのでどうしようもなかった。
数千万円単位のお金が絡んだことなので、さすがに山本先輩の祖母と父で弁護士に相談したり、その新興宗教に直談判して返金してもらうよう働きかけた。
だが、うまくいかない。というより一番困ったのが、母自身が父と祖母の動きを快く思わず、むしろ妨害するのだ。
新興宗教側としては父側の反論は全く筋が通らないの一点張り。
「返金云々というのはあなたたち家庭の問題で、私どもは奥様との関係でのお付き合いです。それは信者と言う形ですが」
との理屈だった。
そのうち祖母が亡くなり、父は精神を病み仕事を辞め、一家は家を出なくてはならなくなった。山本先輩が中学二年生、弟が小学五年生の時だった。金を取り戻す活動はやめた。
母はすでに住み込みで新興宗教施設で働いており、別居状態だったので父と山本先輩と弟の三人で父方の祖父母に世話になる事になった。

生まれ育った土地から遠く離れ、転校した学校は小中併設の小さな学校で、通学バスで三十分という山間地に住むことになった。父はふさぎ込み、祖父母は年金暮らしで、年齢も八十才過ぎで活動的ではない。体力を持て余す子ども二人が満足できるような事は、一切やってもらえなかった。
山本先輩はそんな環境でも希望を捨てなかった。きっと辛いのは今だけだから、頑張れば何とかなる。父と母がいた家庭は幸せだったのだから、もう一度一緒になれる日が来る。そう信じて特に勉学に励んだ。
高校は家から通えるところにはないので、祖父母の家を離れ下宿生活をしながら学校へ通った。

辛い事は続いた。


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