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短編小説0025不思議な話#010遺伝子は二度殺し二度生き返らせる 4334文字 6分読

黒の集団が見送る。
小さな棺が運び出される。
先頭に若いお父さんとお母さんが並び、その後をその親たちと思われる年配の方が続く。

あまりにも小さすぎる棺は、それを見るだけで心臓が締め付けられる。


「五百二十六万円です」


加害者側の弁護士からは、これ以上ない侮辱と蔑み、無反省の塊を事務的に放られた。

「・・・どういう計算でこんなバカげた数字が出てくるのですか?亮太は三才なんですよ。平均余命から生涯獲得年収を考慮すれば二億円は下らない。あんたがた頭おかしいのか?」
「お気持ちは十分承知しているつもりです。当然そのような感想をお持ちになると思います。ただこれは事実なんです」
「事実?事実で金額が決まるのか。謝罪や責任、誠意は全く含まれていない金額だぞ。これは酷すぎる、バカにされている事を通りこしてこれは茶番だ。笑い話だ。お前らの親や子どもに誓って本気で言っているのか?」
「おっしゃることはわかります。そのように感じても仕方がないと思います。ですが、どうか侮辱をしたり、バカにするような事をしているつもりはありません。どうか信じて下さい。ただ、ご子息の遺伝子検査の結果、重大な疾患が見られました。致死的な疾患のリスクを抱えている事がわかりました。発症率は九十五%です。統計的にあと七年、つまりご子息がご存命の場合十才になるまでに死亡する確率が九五%の病気です。そこから導き出された慰謝料になります。それからご両親の精神的苦痛を与えた慰謝料二百万円も含めた金額です。どうかお許し下さい」
「俺たちの慰謝料も含む?つまり、亮太の値段は三百万ちょっとという事か?ふざけるな!もう帰れ!そんなこと認めない!俺の亮太を勝手に殺すな!お前らは亮太を車で一回殺し、狂った計算でまた亮太を殺そうとしている。こんなことは二回目の殺人をやっているに等しいことだぞ!」
「わかりました・・・。今日の所は失礼させていただきます」

弁護士が立ち去った後、慰謝料の根拠となる資料を無造作にゴミ箱へ捨てた。


保険金適用の条件として、約款に遺伝子検査の項目を追加する保険会社が増えた。遺伝子検査により保険料が高くなったり、逆に安くなるケースがあった。今回の自動車事故のような保険金支払いに関しても遺伝子疾患の統計的なリスクに基づき、算出された保険金が支払われる。
これには賛否両論があり、あまりにも冷たく合理的過ぎて保険解約する運動が起きたりもした。
父親と母親はこの出来事を他人事のように見ていたが、まさか自分の息子に関連するとは想像もつかなかった。


葬式の前夜は、冷たくなった亮太を父と母で挟む形で一緒に寝た。
顔を触ってもどこを触って、どう声をかけても、もう目を覚まさなかった。
妻と一緒に一晩中亮太に寄り添い、泣きながら亮太を見つめた。
一睡もできなかったか、できたのか、よくわからないが若い父親の顔は絶望したまま、葬式に向かった。
若い母親は涙がとめどなく流れ、立っているのがやっとで、それでもなんとか精一杯最期の亮太を見送った。


亮太は家の近くの公園に面した道路で、トラックに轢かれて亡くなった。ボール遊びをしている時に、公園の敷地外に出て行ったボールを追いかけ外に出た。そのタイミングでトラックが現れ、亮太を轢いてしまった。
トラックは建設現場に向かっている途中で、足場を山ほど積み、重量がかなりあった。そのためブレーキの効きが悪かった。実は積載量超過であることが事故後に判明した。また急いでいたため公園の近くでありながら、結構なスピードを出していたことも事故の原因の一つであった。この事故はどちらかというと悪質な過失を含む事故であるとみられていた。


「あいつらの血の色は赤ではない。どす黒いドブのヘドロ色だ。温かくない氷点下の血だ」

父親は独り言か、側にいる妻にか、あるいは愛する息子に聞き届くように言ったのか、これ以上ない痛烈な蔑みを吐いた。
自分に対する鼓舞か、妻に対する慰めか、息子に対する悔しさの代弁か、亮太を殺した奴に対する殺したい程の衝動か。
どれとも取れる言葉は、父親自身にも跳ね返り、吐いたもの聞いたもの全ての体を突き刺し、悲しさをより一層深くする。


母親は事故の時、亮太と一緒に公園にいた。
幼稚園のバスを待つ際、公園で遊んで待っているのがいつもの二人だった。
いつもならば、車の通りはそんなに多くなく、比較的見通しが良いので車が来ても母親が気を付けて、間違っても交通事故なんか起きなかった。
でもこの日はたまたま、母親が担当している幼稚園のPTAの連絡事項をLINEで送るため、スマホを操作したほんのちょっと、ほんの一瞬だけ目を離したら起きてしまった事故だった。

だから母親は、哀れにも、責任を強く感じていた。
加害者側の弁護士が来た時も、あまり言葉が頭の中に入ってこない。
慰謝料の金額がどうのこうのと言われたところで、私がしっかり見ていればこんなことにならなかった、私のせいだと、そういうことをずっと頭の中で繰り返していた。

「いくら慰謝料を積み上げたって亮太は帰ってこない。だからお金なんてどうでもいい。亮太を返して・・・」

「これは亮太に対する責任だ。だから何としてでも億単位の慰謝料を取ってやる。俺が亮太にしてやれる最後の事だ。絶対に成し遂げる」

母親と父親の温度差は、皮肉にも息子の死をより虚しく、悲劇をより際立たせる。

父親は自分でも弁護士を設けた。
加害者側の慰謝料の提案の件を相談すると、驚くことにこれが妥当だと言う。むしろ相場よりも高く、慰謝料としての誠意が見られる金額とのことだった。
父親はまたもや憤った。

「どうなっている?!こんなことがあってたまるか!亮太の価値が三百万ちょっとなんてバカげてる。ありえない。高校生のアルバイトだって三年間位頑張れば貯められる額だ。人生が十歳で終わるからだと?そんなバカげた論理が、この世の中ではまかり通っているっていうのか?ふざけるな!狂っている。遺伝子で計算するこの悪魔の方程式は加害者側に有利になるように仕組まれているのか?このルールは被害者の救済になるどころか、悲しみをむしろ大きくさせている。悲しみのどん底にいるのに、もうこれ以上沈めないくらいの悲しみにいるのに・・・、更に、また、わざわざ大きな穴を掘って残された俺たちを放り込むっていうのか・・・ううっ・・・」

冷たい論理は理不尽に人を打ちのめす。
いとも簡単に。

「そういう相場ですから」

亮太を市場かなにかのセリに出しているような、モノみたいに言うんじゃない。

俺たちにとっては、本当は金なんかいらない。

ただただ亮太を返してくれればいい。
無傷の、元気に走り回っていた、笑顔がたまらなくかわいい亮太を返してくれ・・・。



父親はアメリカに飛んだ。
ある人に会うためだ。有給休暇を使い、決して安くない航空券で、通訳を雇い、滞在費を含めると合計で七十万円近くもかかった。

父親はそこまでしてでも、幼い一人息子を亡くした直後でありながら、精神状態が不安定な妻から離れてでもやらなければならなかった。

どうしても。


父親には考えがあった。

帰国してから自分の弁護士と面会した。今後の打ち合わせを行う。
「ちょっと見て頂きたいものがあります。相手側に提示する資料です」
父親は弁護士に資料を見せた。
「えっ!これって・・・」


それから一週間後、自分の弁護士を伴い、加害者側の弁護士と面会した。
「改めて、亮太に支払って頂きたい慰謝料の金額を提示します。これ以外の金額はありえません」

父親は淡々としている。
金額が書かれた書面を加害者側の弁護士に渡した。

「えっ!これは・・・。二百万円・・・。私共が提示した金額より低いですよ・・・。間違いではないですか?」
「いいえ、間違いではありません。書かれた金額の通りです。亮太は重大な遺伝子疾患があるとおっしゃっていましたよね。十歳までしか生きられないと。でもそれは正しくない。日本では治療法が認可されていないのでどうしようもないが、アメリカでは治療法がある。治療できる医者がいる。事例もある。ただし治療費はべらぼうに高くて一億九千八百万円もかかる。でもいくらかかろうが関係ない、亮太が生きていれば俺たち親は当然支払う。どんな借金をしようが支払う。俺の命と引き換えにしてでも。あんたがただって自分の子どもがそうなったら親として何でもやるだろ?だから亮太は死なないんだよ。生きる運命だった。俺は亮太の命の値段は最低二億円の価値があると思っている。だから二億円の亮太の命の値段、つまり慰謝料が二億円だということはビタ一文まけない。絶対に!それで、この二億円に対して、医療費にかかる一億九千八百万円を俺たち親が負担するはずだったから差し引き二百万円が慰謝料となる。俺たち親に対する慰謝料はいらない。だから二百万円が請求金額だ。ついでに言うと二百万円以上貰う気はさらさらない。あんたらが遺伝子疾患を理由にしたんだから、こっちも医療費を提示させてもらうよ。これをよく読んで下さい」

父親はアメリカで手に入れた治療方法に関するものと医療費などが書かかれた資料を相手側に渡した。病院と医者のサインがあった。

「そんな理屈で・・・」
「よくご相談ください」


父親の意地だった。

ただの自己満足と言われればそれまでで、まさか提示された当初の金額より低く請求するとは誰も思いつかなかった。
金額の高低より、親として、根拠を持ち、信じ、やれるだけの事を全てやる。そして亮太の命を好き勝手にもてあそばれてたまるかという思いだけで導きだした金額だった。
亮太はもっと生きられた。だから息子の値段をあいつらなんかに恣意的に決めさせるなんて体が引きちぎられる思いだ。絶対にそんなことさせない。俺が何とかするから亮太!安心しろ!という思いで今日まで、今にも崩れ落ちそうになるが、でも頑張れた。

この面会での一連のくだりを認めれば父親は印鑑を押すつもりだ。ただ向こうから提示された単なる数字の二百万円ではなく、二億円が適正な慰謝料と認め、父親たちの主張を全面的に認めた場合、印鑑を押してやると。

でも本当は二億円だって安すぎると思っている。
亮太の値段?
いくらか?
一兆円でも足りないよ。
だって一兆円払ったって亮太は買えない。
世界中のお金を集めきったって亮太には会えない。
じゃあいくらでもかまわないじゃないか?
それならば、どうせなら、ふんだくれるだけふんだくってやればよかったじゃないか!

今この瞬間でさえも何が正しいのかと、父親の頭はグルグルと回る。

父親は印鑑を押した。
せめてこの狂った仕組みを、悪魔のような提示を父親は認めなかった。
父親なりの一矢を報いた戦いが終わった。



おしまい。

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