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短編小説0008怖くて不思議な話 #003 産む女   中編/三部 6608文字 8分半読

中編

youtube朗読やってます。
https://youtu.be/2zUHW7Buvnc

山本先輩が高校二年生の時、父親が自殺した。
どうして?祖父母の家に引っ越してからは、いくらか父も穏やかに生活できていたと思っていたのに。母がいなくなって確かに三人とも寂しい気持ちはあったけど、ある程度割り切っていた。そう思っていた。いつか母も戻ってくるかも知れないし。でも父は違ったのか?俺たち二人を置いてなぜ?生きてさえいれば何か好転するかもしれないのに・・・。
山本先輩はとても苦しんだ。
急いで下宿先から祖父母の家に戻った時、祖父母と弟に言った最初の言葉が
「何で親父を止められなかったんだよ!」
やり場のない怒りを思わず家族にぶつけてしまった。祖母も弟も何も言えなかった。口にしてしまった後、悲しくて悔しくて体がバラバラに引きちぎられる思いだった。山本先輩は今でも後悔している。

父の死の直後から、山本先輩は必死に勉強した。
辛く、理不尽なことばかりが自分に襲いかかるが、今度は俺が家族を支えてやると覚悟を決めた。大学に行って、いち早くいい会社に就職して、弟を支える。弟にも大学進学、そして優良企業に就職させ、人生をリセットすればいい。親は親、子どもは子どもの人生がある。俺たちは努力次第で良い未来を作れる。だから今は受験勉強をやるだけだ。そう思って歯を食いしばって頑張った。
猛勉強の末、志望校に合格した。

あやは山本先輩を抱きしめた。
涙が止まらなかった。
こんなつらい思いをした人が世の中にいるなんて。
この話をしてくれるまでは、その経験をみじんも感じさせない優しさで自分に接してくれていたことを体が震える程感謝した。
「私が山本先輩を支えてあげる」
あやは優しく言った。

やがて、山本先輩が卒業した。
山本先輩は福岡県内に本社がある、地元では評判の優良企業に就職が決まっていた。
山本先輩は本当に努力をした。一生懸命生きていた。見事に自分で自分の人生を切り開いている。就職先は大学からは少々離れ、会社の近くにアパートを借りるらしい。離れ離れになってしまうが、あやとは会おうと思えばいつでも会える距離だ。
山本先輩とのおつきあいは続いた。

山本先輩の弟は現役での大学入学を希望し、数校を受験していたが全て不合格だった。
弟は祖母の家にいてもどうしようもないので、山本先輩の家に居候することになった。そこで浪人生をして来年もう一度大学受験にチャレンジすることになった。
あやは、新聞配達が休みの時に山本先輩のアパートに遊びに行き、その時に初めて弟と挨拶をした。それから時々アパートに遊びに行くたびに、手料理を振舞い、三人で一緒にご飯を食べることが定番となった。

山本先輩と弟はよくケンカをしていた。
金がないので予備校や塾には通えない。だから独学で受験勉強に取り組むが要領が悪く、集中力が続かない。大手予備校の模試をやってみるが思うように成績が伸びない。そのうち弟は、受験勉強は辛い、もう辞めたい。大学を諦めて働きたいと言うようになった。その都度山本先輩は叱咤激励をするが、必ず言い合いのケンカになっていた。
しかしながら、なんだかんだと一年間は受験勉強を続け、もう一度受験した。
しかしまたもや、一校も合格することはできなかった。
改めて弟は、もう大学は諦めて働くと山本先輩にお願いした。
しかし山本先輩は受け入れなかった。
人生を人並に生きるには大学卒の経歴がないとだめだと強く信じていた。だからもう一年頑張れと。次はきっと合格すると。

その話を聞いていてあやは切なくなった。
山本先輩の気持ちはよくわかった。自力で必死に人生を切り開いてきた人だから。頼れる人は事実上誰もいない。だから山本先輩が弟の親代わりになっている。その自覚を持っている。でも弟の気持ちもわかる気がした。

弟は山本先輩の言われた通りもう一度大学受験を目指した。
そして一年が経ちいくつかの大学を受験したが、またしてもすべての学校で不合格だった。
これには山本先輩も、弟もショックだった。
弟は失意のどん底でもうこれ以上受験を目指すことは無理だった。精神的に追い詰められ、結果が全くでないならもうやりたくない。
そんな弟を最も身近で見ながら、何と山本先輩は
「来年も受けろ」
と言った。
弟は信じられなかった。別に行きたい大学があるわけではない、特にやりたいことはない。だけどこれ以上意味のない事はしたくないし、いつまでも兄貴の世話になるわけにはいかない。だから働く。
山本先輩は頑なだった。そんなに甘くない。高卒と大卒では世間の評価が違うんだ。お前がやりたいことがあるとかないとか、そんなレベルの話ではない。評価は自分でするものではなく他人がするのだ。だからまずは評価してもらえる最低限のレベルにいないといけないんだ。まずは大学を卒業しろ。そして初めて自分のやりたいこととか希望を口にできる。

これにはあやは少し驚いた。弟の事を考えると苦しくなる。また一年間辛い思いをさせるのか?
でも少し理解もできた。
山本先輩は一人で頑張ってきたからこその言葉だと思った。
できると、信じている。だからあやも弟を励ますような態度を取った。

弟の三浪目は予備校に通わせた。
この年あやは大学を卒業する。そして福岡に残り就職した。製造業の事務職で働くことになった。独身者用の社宅が用意されており、そこに住むことになった。仕事はあやにとってものすごく楽で居心地がよかった。なんせ、ハードな新聞奨学生を四年間しっかりやり切ったのだから、大抵の仕事は楽にこなせる。自信もついた。

山本先輩も就職してから三年目に入り、少しではあるが貯金も増えてきた。山本先輩なりに弟思いで、無駄遣いはせず、大学を卒業するまではできる限りを弟のために時間とお金を使うと、強い覚悟を決めていた。仕事も真面目に働き、上司や取引先の評判はとてもよかった。

三浪目を決めてから弟の様子がおかしくなった。
もうケンカは一切しなくなった。と言うより弟が話しかけてもあまり反応をしなくなった。明らかにおかしくなった。
あやが手料理をふるまうが、この時期から殆ど手を付けなくなった。みるみるうちに痩せてきた。
それでも予備校には毎日行っていたので、心配はしているが山本先輩もあやも大丈夫だろうと思っていた。

五月のゴールデンウィークに弟は電車に飛び込んだ。

弟はアパートに遺書を残していた。




兄貴へ

兄貴の理想の弟になれなくて申し訳ありませんでした。
もう大学受験は苦しいのでやめたい。
兄貴に、なぜ親父の自殺を止められなかったのか?と聞かれた時俺は何も言えませんでした。実際何もしていなかったのだから責められても仕方がないと思います。兄貴の言われた通りに生きる事が罪滅ぼしになる気がして頑張ってきましたがもう無理です。兄貴ほどに俺は優秀ではありません。
兄貴には感謝しかありません。
でも大学合格を果たせず、恩を返せず本当に申し訳ありませんでした。
いままでありがとうございました。



山本先輩はこれで父親と弟を失った。
しかも自殺で。
予備校には実は行っていなかったと後から知った。アパートを毎朝でるが、どこかで時間を潰して、予備校に行ったつもりで返ってきていたのだ。
弟はまだ二十歳だ。
ぷっつりと何かが切れた気がした。
もう張り合いがない。生きる意味がない。俺が弟を支えていたのではなく、俺が弟に支えられていたんだと、今初めて実感した。

あやは自分にも責任があると感じていた。三浪目が決まった時、弟を励ましていたからだ。それが逆に自死に追い込んでいたのかもしれない。

山本先輩の母は逃げた、父も自死で逃げた。だけど山本先輩は逃げずに必死に今を生きている、懸命に生きている、ただそれだけなのに、なぜ試練に試練を上塗りするような酷い結果になるのか。

「弟さんも、お父さんも二人いればよかったのに。一人死んでも安心だから」

うっすらとそんなことが頭に浮かんだ。
自分でも馬鹿馬鹿しく、とんでもなく不謹慎なことを思いつくのだと、自分自身に呆れた。
「お父さん」とは私のか?それとも山本先輩のか?
どちらもだ。

今のわたしは?
山本先輩を失ったらどうなる?

わたしだって幸せになりたい。四年前、覚悟を持って家を飛び出し、これまで自分一人の力でやってきた。山本先輩の支えはあったにせよ、自分の頑張りが無ければここまでやってこれなかった。でも自分の力ではどうにもならない事がわたしの周りには多すぎる。
どうすればいい。

もう一人山本先輩がいればいいんだ。

バカな。
次から次へと夫を探す母と同じではないか。
不安な気持ちが、山本先輩をもう一人用意しておくという結論にたどり着くなんて頭がおかしくなったのか?いやいや、わたしもショックを受けてちょっとだけおかしいだけだ。かぶりを振り、軽薄な思い付きを忘れようとした。

あやは、傷心のどん底にいる山本先輩との付き合いを続け、励まし支えた。
大学時代の恩を返すときだ。山本先輩なら必ず立ち直る。現に今しっかり仕事に休まず行っている。でも心は辛くて苦しいはずだ。だから私が寄り添って支える番だ。
あやは、毎週末は必ず山本先輩のアパートに泊まり、栄養満点、愛情たっぷりの手料理をふるまった。
山本先輩はそんなあやに感謝をし、毎週末の訪問を心の支えにし、その手料理を食べるたびに泣いた。あやも一緒に泣いた。
二人は殆ど外には出ず、アパートの中で過ごした。

あやの献身的なサポートによって、山本先輩は徐々に元気を取り戻していった。それに伴い、外出しデートをするようになった。
四年以上付き合っていたのにデートしたことは殆どなかった。お互いに忙しかったからだ。だからすごく二人の時間を大切にできた。
二人とも金銭的にも時間的にも、気持ち的にも余裕ができ始めた。
弟の一周忌を終えたところで二人は一緒に住み始めた。幸いお互いの職場のちょうど中間にある、新築の賃貸マンションを見つけ引っ越した。
人生で今が一番幸せだとあやは思った。
山本先輩との生活は完璧だった。山本先輩は長い間自分で家事をやっていたので、いわゆる女に家事全般をやらせるタイプではなく、自分でもやった。本当にお互いを思いやれる素晴らしいカップルだった。

更に一年が経った。
山本先輩からプロポーズされた。
もう同棲して既に結婚しているようなものだが、いつかプロポーズされ、その時はきっと嬉しいと思うと想像していた。しかし実際は何か違和感を覚えた。
山本先輩には笑顔で「はい」と答えたが、少し引っかかるものがあった。
心の奥に潜んでいたものが、少し顔を出した。

「山本先輩がもう一人必要だ」

大切な人はいなくなる。そういう運命だ。だから代わりの人を作っておかないといけない。
これまでの同棲生活は幸せそのものだった。結婚すればなお完璧なものになるに違いない。だから不満などあるはずがない。希望しかない。
でもそれは違うという声が、腹の奥底から聞こえてくる。洞窟の一番奥の暗闇からかすかに聞こえる声のように。

「大切なものはいつか消えるぞ」

あやの職場には、あやに好意を寄せる男性社員がいた。プロポーズされた翌日にその男からデートに誘われた。もちろんあやが独身だと思い込んでいるからだ。実はこういったアプローチは初めてではない。何度か誘われたがあやはやんわりと断っていた。でもこの男はあやの事を諦めていなかった。あやもハッキリとお付き合いをしている人がいるとか、強く断ることはしなかった。

腹の底の声が大きく聞こえる。

「山本先輩の代わりになる人はこの人かも知れない」

あやは仕事終わりにその男と食事をした。自分の中の声を確認したかった。声は確信になった。
食事の後その男とホテルに行った。

その日は夜の十二時近くに帰宅した。前もって遅くなると伝えてあったが、山本先輩は軽食を作って寝ないで待っていてくれていた。山本先輩はそういう男だった。
「おかえり。遅かったね。疲れただろう。よかったら食べなよ」

あやは、スーッと心が軽くなる思いだった。
今しがた他の男に抱かれてきたとは山本先輩には全く想像もつかないだろう。いくら遅く帰っても、仮に朝帰りだとしても疑ったりしない。ご飯を作って寝ずに待っていてくれる。それが山本先輩なのだ。だからこそ、二人目が私には必要なんだと確信した。

「私は正しい」

一番の幸せを守るために、代わりを用意する。それが私の幸せになる。

山本先輩とあやは婚姻届けを市役所に出し、正式に結婚した。
今住んでいるところから引っ越し、少し広めのファミリータイプのマンションを購入し、新しい生活を始めた。

一か月後あやは妊娠している事がわかった。
これが山本先輩との子なのか、職場の男との子なのかあやにもわからなかった。
あやはまだ結婚したことを会社に報告していない。
例の職場の男にも当然伝えていない。

あやは冷静だった。
二人とも絶対に別れないと信じ込んでいたからだ。何の根拠もなく、どちらも自分に心底惚れこんでいると思っていた。
あやは職場の男にいよいよ妊娠している事と自分の事を伝えた。
「妊娠したわ。あなたの子。でも大丈夫。私結婚しているの。だから私の方で育てるから、あなたはこれまで通りの関係を続けて欲しいの。会社にも言わないわ。その方がお互いに都合がいいでしょ。私はあなたを愛しているの」
「あなたの子」と言ったがもちろん確信はない。どっちの子かは、あやにとって問題ではなかった。
男は混乱した。あなたの子と言われ人生最大限の動揺が襲い、でもあやは結婚していると告白され、更に子どもはそっちで育てると言われ若干の安心を感じた後、しかも関係の継続を希望していて、愛しているだと?
訳が分からないが、総合的に男にとっては悪い話ではないと結論づけた。
妊娠三か月を過ぎたころにあやは、会社の上司に妊娠と結婚の報告をした。もちろん山本先輩と結婚したと。

月日は流れ二人目を妊娠した。
まだ職場の男との関係は続いている。
職場の男はあやに本気で惚れていた。夫と別れて欲しいと何度も聞いてみるが、無理だとの同じ返事が返ってくる。逆にあやとの関係を終わりにしたいと一度だけ切り出したことがあるが、愛していると言われすぐに撤回した。

こんな関係がいつまでも続くわけがない。
職場の上司に男との関係が知られてしまった。別室に二人が呼ばれどういうことだと説明を求められるが、あやの方は冷静に何でもない、誤解だと説明するところを、男は取り乱し、自ら全てを暴露してしまった。保身の裏返しというか、気が弱いというか。
ちょっと想定外ではあるが、あやはあまり気にしなかった。


結局あやと男は退職することになった。
あやはちょうど産休を取るタイミングだったこともあり、山本先輩には子どもが小さいうちは家庭に入って専業主婦になりたいと、適当に申し出て二つ返事で了承してもらった。
新しい生活がスムーズに始まった。

男の方は再就職先を何社も応募、面接するが希望する会社はことごとく不採用になった。ようやく決まったのが深夜の大手コンビニエンスストア向けの商品仕分け倉庫での仕事だった。前職から給料は大幅に下がった。
一日中立ち仕事で慣れないこともあり、腰を少し悪くしたが騙し騙し続けている。
男にとって深夜の仕事は決して楽ではなかった。昼夜逆転すると男の体質なのか昼間は殆ど何もできなくなる。仕事終わりの早朝、コンビニで弁当を購入し一人アパートに帰り寂しく食べる。
もうこんな生活を二年近く続けている。俺は何も生き甲斐なく、ただ生きているだけだと、男は自分を卑下していた。
「ああ、なぜこんな生き方になってしまったんだ」
毎日毎日、何度も何度も同じ苦悩を頭の中で反復する。
コンビニ弁当を食べている時、LINEが入った。
「誰からだろう?珍しいな・・・。ああ!ウソだろ!あやからだ!」
男は喜んだ。
そこには一言だけあった。

「会いませんか」

数日後二人は会うことを約束した。
二年ぶりの再会。
二人の関係は切れてはいなかった。少なくともあやは、そう思っていた。
念のため隣県で待ち合わせた。
「久しぶり」
「ああ、二年ぶりか。俺の事なんてすっかり忘れたと思ってたのに、連絡が来てビックリしたよ」
男は少し嬉しそうだ。ある意味目の前にいる女に振り回されて今があるのに。
初めて入る知らない喫茶店のテーブルに向かい合って座っている。
あやは男に顔を寄せ、声が漏れぬよう手を口の横に添え、ささやく。

「ホテルにいきましょう」


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