「幸福が現実となるのはそれを誰かとわかちあった時だ」
今日の朝、夜行バスで仙台に着き
ボーっと一日を過ごしていました。
東京から離れて一人の時間を
つくったことで、
頭に空白をつくるいい機会に
なったかなと思っております。
お昼ごはんに牛タン(仙台だからね!)食べたあと、
公園のベンチで日に当たりながらボーっとしたり、
ソローの『森の生活』
(文明社会から離れて生きていきたい人は
読んでもいいかもね)
を読んでいたの。
あったかくて気持ちよかったな~
公園では、
男女3人でバレーしたり、
高校生カップルがシャボン玉したり、
愛犬とたわむれるランナー夫婦がいたりと
なんかああいうなにげない日々のワンシーンって
とっても尊くてやさしくて、、、
いいなぁと思った。
そこで気付いたことは、
わたしはまだ
だれとも喜びを共有できないってこと。
人との関わりは、
まだまだ抵抗感がある。
人との関わりのなかで
「わかりあえないこと」を
前提にすること、
「わかりあえないこと」を
出発地点にすることは、
「わかりあえること」を前提にするよりは、
相手に期待しすぎることがなくなって
いいことだと思う。
でも、
「わかりあえない」という考えをずっと
持ち続けてしまうことは、
すごくかなしいことだよね。
わたしは
ひとりでも楽しめる人間だけど、
(正確に言えば一人で行動した先に
いろんな人と出会えることに
よろこびを感じる人間!)
そろそろ一人でいる割合を
減らしていきたいんだよね。
わたしだって、
こころを開ける友だちや
バカ言って一緒に笑える友だちが
ほしいんだよね。
だれにもこころを開けずに、
だれともこころの底からの
よろこびや悲しみを共有できないのは、
やっぱりさみしいよね。
そうなんだよ。
わたしさみしいんだよ。
だから、すこしずつ
越えていきたいんだよね。
もちろん孤独も
完全には手放したくないよ!
幸福が現実となるのはそれを誰かとわかちあった時だ
映画 "INTO THE WILD" の主人公が最期に
つぶやくセリフ。
真の孤独を味わった彼が言うから
より説得力があるんだよね。
彼は、
ソローの『森の生活』や
トルストイの『家庭の幸福』
を読んでた。
彼のすなおでまっすぐな生き様を
わたしも忘れずに生きていきたい。
旅行一日目に感じたことなのでした。
明日は、気仙沼に行きます。
おやすみ。