1994年《ばらの騎士》譚(Vol.5.2)---Die Schwäche von allem Zeitlichen限りあるものの弱さ/儚さ
"Das ist ein sel'ger Augenblick この幸福な瞬間よ"
この時の公演で最も印象深かったのは、実は3幕の三重唱よりもフォン・オッターとバーバラ・ボニーによる2幕献呈の二重唱だったかもしれない。
これはいまだに忘れられない「幸福の瞬間」のひとつだった。
Zwei Aufzug 2幕
絶美のハーモニー
都合3回通った《ばらの騎士》来日公演で気づいたのは、クライバー&バイエルン国立歌劇場の映像ではお馴染みの拍手が鳴り止む前に音楽が始まることが「なかった」。
半年前のウィーンの映像では歓呼の拍手が鳴り止むか鳴り止まないかのぎりぎりのところからタクトが下されていたが、トウキョウの聴衆は指揮者のお辞儀が終わるや否やすぐ拍手を収めるので各幕の出だしをはっきり聴くことができたのを記憶している。
さて、ルドルフ・ハインリッヒが装置を手がけたオットー・シェンク演出で最も煌びやかで豪華な舞台が、ゾフィーの調性であるト長調の勢い込んだ音楽で開く。
冒頭部分はそのト長調と「華やかや厳かさ(サヴァリッシュ)」のある変ニ長調が入れ代立ち代わり出てきて、ファーニナル家の婚約に向けた期待感が示される。
そして結婚への思いを神に祈るゾフィーのト長調から華やかなシンバルの一打をきっかけに嬰ヘ長調に転調して「銀のばらの献呈」の場となる。
献呈の幕開けのffの壮麗、金管ファンファーレに至ってはのfff(フォルテシッシシモ)はすぐさまdim.(だんだん弱く)が指定され全体がpp(ピアニシモ)になり、そこへオーボエの「ゾフィーの動機」続いてシュトラウスならではの複雑な和声の「銀のばらの動機」が舞い降りてくる。
クライバーはここでもpp(ピアニシモ)が精妙を極めた弱音で、まるで一瞬全ての登場人物の時間が止まり、その静けさの中からオーボエのゾフィーが表れ出る感じだった。
さて、この1994年《ばらの騎士》で最も印象に残った歌手と問われれば、私は躊躇うことなくゾフィーを演じたバーバラ・ボニーを挙げるだろう。
特に銀のバラの香油を嗅いだ後の歌「地上のものとは思えぬ天上の聖なるばらの香り」には、透明さや可憐さ、高音の凜とした響き、そして極めて自由な伸縮ある歌で、クライバーはその陶然としたゾフィーに見事に寄り添って、我々をも恍惚へと誘った。
無論フォン・オッター演じるオクタヴィアンも立ち姿といい、貴族としての品位やコミカルな女中の歌唱どれも上手かったが、重唱における見事な合わせが私の中では印象に残っている。
香油の段に続くゾフィーとオクタヴィアンによる二重唱はいわば「恋のときめき」を感じ合っている二人がそれぞれに自分の思いを語り、歌も異なるフレーズを歌うのだが、その二人が心をひとつにした瞬間でもある「私は死ぬまでこの時を忘れまい」の三度の重ねで同じフレーズを歌うに至っては、二人の正確なピッチによるハーモニーがあまりにも美しかった。
これこそ文字通り「この時を忘れることはない」だった。
永遠の孤を見た
そして、Vol.1冒頭で挙げた第3場の二重唱「その眼に涙を溜めてあなたは僕のところへいらした」である。
前奏での練習番号116のスピドピアノ(突然にピアノ)の弱音で、スコアには指示がない1stVnにかかるポルタメントのため息が漏れそうな情感!
作曲家の指示にあるメッツァ・ヴォーチェ(抑えた音量)を留意しながら、ここでも献呈の場同様に前半は二人がそれぞれの思い(不安と寄り添おうとする想い)を違うフレーズで歌う。
他の箇所でもそうだったが、彼は要所要所で歌手と一緒に歌を歌っていたが、この二重唱もそうだったと記憶する。
作曲家の指示に依るとこの二重唱は「2部構成」としているが、後半は「オクタヴィアンの動機」をきっかけにそれまでの変イ長調がイ長調に転調し、お互いがお互いを必要とすることに気づく。特に最終公演ではここからルバートをかけて、クライバーは高く腕を上げてひとさし指でゆっくり弧を描いているのを私は目撃していて、その絶妙に弛むフレーズには本当に魅了されたものだった。
こうして二人はテンポを少しずつ速めながら三度のハーモニーへと転じて、お互いの愛を確信していくのであり、私見だがこの二重唱は銀のばら献呈のそれと対をなしている(「ときめき」から「確信」)のではと思っている。
2幕におけるカット
Vol.5.1で指摘した通り、クライバーは慣習的なカットを採用している。
2幕では以下の通りである。
・練習番号68番〜71番までの16小節間(第2場オックスのワルツ前)
・練習番号146番から150番の前2小節までの21小節間(第3場決闘の前)
・練習番号181番の4小節目から185番の4小節までの34小節間(第3場決闘の後)
・練習番号223番の4小節目から227番の5小節までの33小節間(第3場ワルツ前)
・練習番号228番から234番までの33小節間(第3場ワルツ前)
特に第3場を中心に全部で137小節によるカットが実施された。
ところで後半の第3場ワルツ前のふたつのカットは3月のウィーンではされなかった。それがトウキョウで行われたのには以下1994年時ウィーン国立歌劇場の制作部長であったT・ノヴォラツスキーの証言にあるように訳があったようだ。
この2幕終わりのワルツ前のカットについては日本ウィーン・フィルハーモニー友の会の当時の運営委員だった室伏博行氏も言及している。
ちなみに以下のYouTubeに上がっている"Carlos Kleiber in Agony(悩み・苦悩)」は上記T・ノヴォラツスキーの証言の箇所と思われる。ここは2幕3場の練習番号231番からだが、クルト・モル演じるオックスがそもそもズレてしまい、それがレルヒェナウ家の召使いの合唱にも波及してズレが生じて、クライバーが頭を抱えてイライラしている汗 この箇所がトウキョウではカットされて演奏されていない。
オックスのワルツ
さて、そのウィーンでのトラブルでカットされた箇所直後にオックスが自分を介抱した医者に去るよう語る下りは4/4拍子なのだが、スコアの指示には「c.p.伴奏が歌に沿うように」とあるようにクライバーはかなりルバートをかけ、時にワルツのような舞踏的になり、4/4拍子に聞こえてこない面白さがあった。
そして有名な「オックス・ワルツ」
このワルツは既に第2場でも登場するが、どちらの箇所にも作曲家の指示「グリッサンドはウィーン風にセンチメンタルに」「常に甘美なウィーン風のグリッサンドを」があり、クライバーは正にウィーンならではの綿々としたグリッサンドを実施していた。やはり最後のワルツは打楽器も入って、そのグリッサンドがもたらす甘美と煌びやかさが合わさったゴージャスな響きが楽しめた。
ワルツの終わりすなわち幕切れに向けて作曲家は「poco ritard.少しだけだんだん遅く」と指示しているが、かつてのクライバーだとイン・テンポ気味であっさりと終止するのだが、3月ウィーン同様トウキョウではスコア指示通り、テンポが少し遅くなってきて最後のフレーズも念を押すようにして終わり、幕となる。
Vol.5.3の3幕に続く。
この項、了